空の凪   作:灯火011

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第20話:出撃、白鳥と少年が見る戦場

 カタパルトから放たれた純白のジェガンは、一瞬の閃光となって漆黒の宇宙(そら)へと溶け込んだ。

 

 コックピットを襲う強烈なGに、クェス・パラヤは奥歯を食いしばり、必死で耐える。数秒後、慣性飛行へと移行した機体が、ふっと静寂を取り戻した瞬間、彼女の目の前には、現実のものとは思えない、悪夢のように美しい光景が広がっていた。

 

 遥か彼方、地球の青い輪郭を背景に、無数の星々がダイヤモンドのようにきらめいている。だが、その静謐な美しさを引き裂くように、赤や緑、ピンクの光の線が、音もなく、しかし暴力的なまでの速度で交錯していた。

 

 遠くで、小さな光点が無数に生まれ、そして消える。

 

 一つ一つの光が、モビルスーツの爆発であり、その中にいたであろう人間の命の終焉であることを、クェスは理屈ではなく、魂で理解していた。

 通信機からは、ロンド・ベルのパイロットたちの怒号、ネオ・ジオン兵の断末魔、そしてアラート音が、ノイズの濁流となって彼女の鼓膜を叩きつけ、精神を削り取っていく。

 

『クェス、落ち着け。シミュレーターでやった通りだ。機体の感覚を、お前の手足と完全に同調させろ。サイコフレームがお前の意識を拾ってくれる』

 

 アムロ・レイの冷静な声が、混沌の中で唯一の道しるべのように、クェスの意識に浸透する。

 

「……はい、アムロ大尉」

 

 クェスは、震える声で答えた。パイロットスーツ越しに伝わる、操縦桿の冷たい感触。目の前のメインスクリーンには、これから自分が飛び込んでいく、光と死の渦が、まるで巨大な獣の顎のように口を開けて待っていた。

 

 アムロから教わった言葉を、彼女は何度も心の中で反芻した。

 

『戸惑うな、迷うな。撃墜の確認は、スコープの中だけでいい』

 

 

 ラー・カイラムの第一艦橋ブリッジは、情報と指示が飛び交う、制御された混乱の極みにあった。

 

「敵MS隊、第二波、本艦に接近! 対空砲火、弾幕を張れ!」

「左舷、被弾! 第四ブロック、隔壁閉鎖急げ!」

 

 ブライト・ノアは、艦長席で仁王立ちになり、次々と報告される絶望的な戦況を捌きながら、的確な指示を飛ばし続けていた。その隣の後方、待機区画に設けられた補助コンソールで、ハサウェイ・ノアは、息を詰めて戦術モニターを凝視していた。

 彼の視線は、無数に表示される識別コードの中から、ただ一つ――クェス・パラヤが乗る純白のジェガンのアイコンだけを、まるで祈るように追い続けていた。

 

『クェス! ぼうっとするな! 右翼から三機、ギラ・ドーガだ! 俺が二機引き受ける、残りの一機をお前がやれ!』

 

 アムロのνガンダムが、クェスのジェガンのすぐ隣を、青い残光を引きながら駆け抜けていく。その背中から分離したフィン・ファンネルが、幾何学的な軌道を描き、正確無比な射撃で敵機二機を瞬時に牽制する。

 

「は、はい!」

 

 クェスは我に返り、必死で操縦桿を握った。一機のギラ・ドーガが、緑色のモノアイを不気味に光らせながら、ビーム・マシンガンを乱射しつつ突進してくる。無数の光弾が、自分の機体へと吸い込まれてくるような錯覚。

 

 死の恐怖が、再び彼女の喉元までせり上がってきた、その時。

 

『……見える!』

 

 クェスのニュータイプ能力が、極限のプレッシャーの中で、彼女の意識を別次元へと引き上げた。敵パイロットの思考――その攻撃のタイミング、射線の予測、そして「仕留められる」という僅かな油断。それらが、ノイズの奔流の中から、クリアな情報として浮かび上がってくる。

 

「そこっ!」

 

 クェスのジェガンが、まるで未来を予知したかのように、ビームの弾幕を最小限の動きで回避する。機体の挙動は、ジェガンという量産機の物理的な限界を超え、彼女の思考と完全にシンクロしていた。

 

 サイコフレームが、彼女の直感的な意志を、コンマ以下のタイムラグで機体へと反映させているのだ。回避と同時に、クェスはビームライフルのトリガーを引いた。一筋の閃光が、ギラ・ドーガの右腕を正確に撃ち抜き、ビーム・マシンガンを宇宙(そら)の藻屑へと変えた。

 

―なんだこの白いジェガンは!化け物っ!ビームライフルの銃口がこちらに……ああっ!――

 

 敵パイロットは、明らかに動揺していた。その感情が、クェスにも伝わってくる。好機。だが、その次の瞬間、クェスは引き金を引くことを躊躇した。スコープの向こう側、コックピットの中にいるのは、自分と同じ、生身の人間。

 

 この引き金を引けば、彼は死ぬ。

 

 アムロの言葉が頭をよぎる。迷うな、と。だが、それでも指が、心が、拒絶する。

 

――エネルギー切れか!ならば!――

 

 その一瞬の躊躇を、敵は見逃さなかった。損傷した機体で、最後の抵抗とばかりにビーム・ソード・アックスを構え、突進してくる。

 

『クェス! 何をしている!』

 

 アムロの叱責が飛ぶ。

 

「……っ!」

 

 クェスは、目を固く閉じた。そして、引き金を引いた。放たれたビームは、ギラ・ドーガの胴体を貫き、その緑色の機体は、音もなく、しかし鮮烈な閃光を放って爆散した。

 

――くそっ、光が……!ヒルダァッ!もう一度………――

 

 クェスに流れ込んできた感情は、死ぬ直前の恐怖、無念。そして、愛する者の記憶。直接この手で殺した相手の、生々しいものであった。

 

「……う」

 

 コックピットの中に、完全な静寂が訪れる。自分が、今、人を殺した。その事実が、氷のように冷たい塊となって、クェスの胸に突き刺さった。吐き気が込み上げてくる。

 

『……よくやった、クェス。それが、戦場だ。……だが、感傷に浸るな。次が来るぞ』

 

「……は、はいっ……!」

 

 アムロの声は、厳しさの中に、微かな労りの響きを滲ませていた。

 

 

 その頃、ラー・カイラムのブリッジでは、ハサウェイが戦術モニターのある一点を指さし、叫んでいた。

 

「父さん! クェス機の周辺の敵の動きがおかしい! あれは、ただの攻撃じゃない……! 包囲しようとしています!」

 

 ブライトは、一瞬、息子の方を睨みつけた。

 

「ハサウェイ! 素人が口を出すな! 戦術分析はオペレーターの仕事だ!」

 

「でも!」

 

 ハサウェイは食い下がった。

 

「クェスのシミュレーションデータを、僕は何度も見ています! あの動き……敵は、クェスがニュータイプだと気づいて、意図的に孤立させようとしているんだ! 彼女の動きが、一瞬乱れた! あれは、彼女が何か大きなプレッシャーを感じた時のパターンなんです!」

 

 ハサウェイの言葉は、単なる勘ではなかった。それは、クェスという人間への深い理解と、連日の戦術学習で得た知識、そしてモニターに映る無数の情報を統合した、彼なりの必死の分析結果だった。

 

「それに、なんだか()()()()がするんだ!父さん!」

 

 ブライトは、ハサウェイのその必死の形相と、彼の指摘する敵の配置に、一瞬、言葉を失った。確かに、敵の動きは、単なる各個撃破ではなく、クェスのジェガンを中心とした、巧妙な包囲網を形成しつつあるように見えた。

 

 息子が、データだけでは読み取れない「何か」を感じ取っている。それは、親としての贔屓目か、それとも……。

 

「ハサウェイ……まさか……?」

 

 ブライトの脳裏に、初めて、息子が持つかもしれない未知の可能性が、閃光のように過った。

 

「オペレーター! ハサウェイの指摘通り、クェス・パラヤ機周辺の敵機データを再分析しろ! 最優先だ!」

 

 ブライトの号令が飛ぶ。その声には、息子への驚きと、そして艦長としての冷静な判断力が同居していた。

 

 

 ハサウェイの進言は、正しかった。数秒後、オペレーターから、クェス機を狙う、複数の敵部隊の連携攻撃パターンが予測されるという報告が上がる。

 

「敵の狙いはクェス・パラヤとアムロだ! MS隊に援護するように伝達しろ!」

 

 ブライトが叫ぶ。

 

 ハサウェイは、自分の言葉が、この戦場で意味を持ったことに、微かな手応えを感じていた。だが、安堵する暇はない。モニターの中で、遠くに見えるクェスのジェガンは、数機のギラ・ドーガに囲まれ、絶体絶命の危機に陥ろうとしていた。

 

「クェス……!」

 

 彼は、祈るように、その純白の機体を見つめ続けた。

 

 戦場で初めて人を殺めた少女と、その危機を遠く離れた場所から必死で救おうとする少年。二人の運命は、この絶望的な戦場で、否応なく絡み合い、そして試されようとしていた。

 

 白鳥は、まだ飛び始めたばかりだった。

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