α・アジール。その巨体は、絶対的なまでの死の象徴として、ロンド・ベル隊の前に君臨していた。
全身に埋め込まれたメガ粒子砲が放つ極太の光条は、宇宙(そら)そのものを灼き尽くさんばかりの勢いで、ラー・カイラムの必死の弾幕をいとも容易く貫き、護衛のジェガンを次々と蒸発させていく。
その圧倒的な火力の前に、アムロ・レイのνガンダムでさえ、正面からの撃ち合いは不可能だった。彼は、クェス・パラヤの純白のジェガンを庇いながら、フィン・ファンネルによる牽制と、神業的な回避機動を繰り返すことで、辛うじて戦線を維持しているに過ぎなかった。
『アムロ大尉! アクシズ、阻止限界点通過! 地球落下まで、残された時間はあと僅かです!』
ラー・カイラムのブリッジから、ミノフスキー下でありながらも、途切れ途切れのオペレーターの悲痛な声が届く。その声には、もはや焦燥というよりも、絶望の色が濃く滲んでいた。この狂気の怪物を前に、足止めされている間に、人類の運命は尽きてしまう。
「くっ……シャアめ、こんな化け物を隠していたとは……!」
アムロは、操縦桿を握る手に汗を感じながら、歯噛みした。このα・アジールを撃破しない限り、シャアの元へは辿り着けない。だが、この化け物と正面から戦っていれば、アクシズ落下は阻止できない。
つまりそれは、クェスを囮にするという判断をしなければならないという事。
究極の、そしてあまりにも残酷な二者択一だった。
「どうする!アムロ・レイ!」
アムロ自身が自らの名をコックピットで叫んだその時、その思考を、隣を飛ぶクェスの、静かだが、澄み切った声が貫いた。
『アムロ大尉……行ってください』
「クェス……? 何を言っている!」
『アクシズへ、シャアの元へ、行ってください! 地球を守れるのは、アムロ大尉、あなただけです!』
その声には、もう恐怖の色はなかった。そこにあるのは、自らの運命を完全に受け入れた者だけが持つ、鋼のような覚悟だった。
「馬鹿を言うな! 君一人を、この化け物の相手に残していけるわけがないだろう!」
アムロは、叱責するように叫んだ。だが、クェスの意志は揺るがなかった。
『いいえ、一人じゃありません。私には、このジェガンと、そして……ラー・カイラムで、私を信じて見ていてくれる人がいる。私なら、やれます。この化け物の足止めくらい、してみせます! だから、行って、アムロさん!』
最後の「アムロさん」という呼びかけには、上官への敬意だけでなく、一人の人間としての、そして次代を担う者としての、深く、そして切実な信頼が込められていた。
アムロは、一瞬、言葉を失った。この十三歳の少女が、今、自分に未来を託そうとしている。その小さな肩に、人類の存亡という、あまりにも重すぎる荷物を背負おうとしている。
その姿に、アムロは、かつて自分を守って散っていった、多くの仲間たちの面影を、そしてララァ・スンの幻影を、確かに見ていた。
『……クェス……死ぬなよ。絶対に、死ぬな』
それが、アムロが言える、精一杯の言葉だった。彼は、νガンダムの機首を鋭く翻すと、α・アジールの猛烈な弾幕を、クェスが作り出した僅かな隙間を縫うようにして突破し、一直線にアクシズへと向かって加速していった。
『行かせるか、アムロ・レイ!』
ギュネイ・ガスの甲高い声が響く。だが、そのα・アジールの前に、純白のジェガンが、まるで立ちはだかるように舞い降りた。
「あなたの相手は、この私です」
クェスの、静かだが、凛とした声が、戦場に響き渡った。
『……面白い。あのガンダムから見捨てられたか、お嬢さん。それとも、自ら死に場所を選んだか?』
ギュネイは、歪んだ笑みを浮かべながら、α・アジールの巨大なファンネルを、クェスのジェガンへと向ける。
『だが、お前のような才能は惜しい。もう一度言う。シャア大佐の元へ来い。そうすれば、最高の機体と、最高の地位を与えてやろう。お前は、我々、選ばれたニュータイプと共に、愚かな旧人類を導く存在となるのだ!』
その言葉は、甘美な誘惑であり、同時に、ギュネイ自身の歪んだエリート意識の表れだった。
「……選ばれた人間? 愚かな人間を導く? 」
クェスは、その言葉を、冷たく、そして憐れみにも似た感情で聞いていた。
「あなたの言っていることは、結局、シャア・アズナブルと同じ。自分の力を、他人を見下し、支配するためにしか使えないなんて……。そんなの、おぞましいだけの自己満足よ!」
クェスのニュータイプ能力は、ギュネイの言葉の裏に潜む、承認欲求と、強化されたことによる精神的な不安定さ、そしてシャアへの盲目的な依存を、痛いほど感じ取っていた。
『なんだと……! この、出来損ないが!』
図星を突かれたギュネイは、激昂し、α・アジールのファンネルを一斉に射出した。
■
クェスが自らを囮としたその時、ラー・カイラムを含むロンド・ベル隊の主力艦隊もまた、νガンダムに追い縋るよう、全力でもってアクシズへと接近していく。
「全艦エンジン推量最大!アムロに遅れを取るなよ!」
νガンダムの突破力はやはり凄まじく、次から次へとネオ・ジオンのモビルスーツを宇宙の塵へと変えていった。
「ラー・カイラムはアクシズへ接舷する。ジェガン隊は護衛に付け!ラー・チャター、ラー・カイ厶は核設置までの時間を稼げ!」
ブライトの指示がブリッジに飛んだ。α・アジールの足止めのせいで、既にミサイルでのノズル破壊は間に合わない。
「白兵戦用意!俺もプチモビでアクシズに入る!」
最後にそう下知し、ブライトはブリッジを後にした。そして、ブライトを含めた決死隊は、プチモビに搭乗すると、アクシズの中へと消えていった。
その頭上では多数の爆発が起こる。その中には、サザビーとνガンダムのファンネルの光もあった。
■
アクシズから少し離れた宇宙(そら)の一角で、二人の、若きニュータイプと強化人間の、魂を削り合うかのような死闘が始まった。
α・アジールの巨大ファンネルから放たれるビームの豪雨。それは、通常のパイロットであれば、一瞬で蒸発してしまうほどの、圧倒的な弾幕だった。
だが、クェスのジェガンは、まるで白い妖精が舞うように、その死の光条の間を、神業的な機動で潜り抜けていく。彼女の意識は、サイコフレームを通じて機体と完全に融合し、ギュネイの思考、ファンネルの軌道、その全てを、攻撃が放たれるコンマ数秒前に「予知」していた。
『なぜだ!? なぜ、当たらないんだ!相手にはファンネルも無いのに!』
ギュネイの焦燥が、思念の波となってクェスに伝わってくる。
「あなたの考えていることは、全部見えるんだから!その、誰かを認めさせたいっていう、子供みたいな考えも!」
クェスは、回避と同時に、ビームライフルで的確な反撃を加える。
アムロ・レイの多角的な、そして、強烈な乱数軌道のファンネルに比べれば、このギュネイのビットなどは直線的で、クェスにとっては予想しやすいモノだ。
「そこっ!」
ビームライフルを何もない空間に打ち込むクェス。次の瞬間には、ビームの行く先に、α・アジールのファンネルが吸い込まれるように現れ、閃光へと姿を変えていく。
そして、ファンネルが少なくなったことによるオールレンジ攻撃の隙間。そこを狙い、α・アジールの巨体へと、確実にライフルを当てていく。
その一撃一撃は、α・アジールの巨体にとっては蚊に刺されたようなものだったが、巨大ファンネルの制御ノズルや、機体表面のセンサーを、確実に破壊していった。それは、巨象を相手に、急所だけを的確に狙い続ける、毒針のような戦術だった。
『小賢しい真似を!』
ギュネイは、ファンネルでの攻撃を諦め、α・アジール本体のメガ粒子砲を、クェスへと向けた。極太のビームが、ジェガンを掠め、背後のデブリを巨大な火球へと変える。その熱波と衝撃波だけで、クェスの機体は激しく揺さぶられ、コックピット内のアラートが悲鳴を上げた。
「きゃあっ!」
『どうした! さっきまでの威勢は! 所詮、お前も、恐怖の前ではただの女か!』
ギュネイの嘲笑が響く。だが、クェスは、恐怖に震えながらも、奥歯を食いしばった。脳裏に、ハサウェイの顔が、父の顔が、そして、全てを託してくれたアムロの顔が浮かぶ。
「……私は……負けない!こんなところで!」
クェスの強い意志に呼応するかのように、純白のジェガンの機体から、淡い、オーロラのような光が放たれ始めた。
「アムロさんの邪魔をしないでよ!」
サイコフレームが、彼女の極限まで高まった精神力に共鳴し、機体の潜在能力を、設計限界を超えて引き出そうとしているのだ。
『なっ……!? あの光は……なんだ!?』
ギュネイは、その神秘的で、しかしどこか恐ろしい光に、一瞬、たじろいだ。
クェスは、その一瞬の隙を見逃さなかった。操縦桿を前に押し込み、同時にペダルも奥まで踏み込む。警告音と共に、彼女のジェガンは、信じられないほどの加速でα・アジールの懐へと潜り込むと、左腕でビームサーベルを抜き放った。それは、一見すれば、あまりにも無謀な、決死の接近戦だった。
『馬鹿め! このα・アジールに接近戦を挑むとは!』
ギュネイは、α・アジールの巨大なクローアームを振り下ろす。だが、クェスのジェガンは、その動きさえも読み切り、アームの関節部を、ビームサーベルで正確に切り裂いた。
「甘いのよ!この程度でアムロさんの邪魔をしようなんて!」
『馬鹿なっ!?』
二つの機体は、もつれ合うように、激しい格闘戦を繰り広げる。巨大なα・アジールと、その周りを舞う純白のジェガン。
それは、まるで赤い竜に挑む、一羽の白鳥のようだった。クェスの機体も、α・アジールの反撃によって、いくつかのアポジモーター失い、左脚部を吹き飛ばされ、頭部のセンサーも破損、満身創痍となっていた。だが、彼女の瞳の光は、少しも衰えていなかった。
『なぜだ……なぜ、俺を拒絶する!? シャア大佐の理想は、完璧なはずだ! それを理解できないお前の方が、おかしいんだ!』
ギュネイの魂からの叫びが、クェスの心に直接響く。
「違う! 理想のためなら、人を殺してもいいなんて、そんなものが正しいはずがない! あなたは、ただ、シャアに認められたいだけ! 自分の力で立とうとしていない、弱い人よ!」
クェスの言葉が、ギュネイの心の最も脆い部分を、容赦なく抉る。
『う……うわあああああああっ!』
精神の均衡を完全に失ったギュネイは、残った全てのメガ粒子砲のエネルギーを、一つの砲門に収束させ始めた。それは、この宙域そのものを消し飛ばしかねない、自爆にも等しい最後の一撃だった。
「……!」
クェスは、その絶望的なまでのエネルギーの集中を、肌で感じ取った。そして直感で分かってしまった。この破損したジェガンの機動力では、もう、回避はできない。
彼女は、静かに目を閉じた。そして、ジェガンの、残された全てのエネルギーを、右腕のビームライフルへと送り込む。
(……パパ……ハサウェイ……ごめんなさい……。でも、私……)
クェスは、目を見開いた。その青い瞳には、もう何の感情も浮かんでいなかった。ただ、宇宙(そら)そのものと一体化したかのような、澄み切った静寂があるだけだった。
『死ね!シャアの邪魔をする、嫌な女め!お前さえいなければ、大佐はもっと俺を見てくれていたのに!』
α・アジールの主砲から、世界を白く染め上げるほどの閃光が放たれた、その瞬間。
「直撃……!ハサウェイ……!」
クェスのジェガンが放った、最後の一撃もまた、その閃光の中心へと、吸い込まれるように突き刺さっていった。
二つの光が衝突し、混じり合い、そして、音のない、しかし宇宙(そら)の全てを震わせるかのような、巨大な爆発が起こった。
ベージュ色の巨体、α・アジールは、その中心で、パイロットの断末魔の叫びと共に、跡形もなく四散した。
そして、その閃光の果てに……。
致命的な損傷を受け、四肢を失い、完全に沈黙した純白のジェガンが、まるで力尽きた白鳥のように、ゆっくりと、静かに、宇宙(そら)の深淵へと漂い始めていた。
コックピットの中で、クェス・パラヤは、血のように赤いアラートの光に照らされながら、静かに意識を手放していた。その最後の思考に浮かんだのは、ただ一つ、愛しい少年の名前だけだった。
――ハサウェイ