閃光が、消えた。
α・アジールという巨影が放った最後の断末魔の光条と、クェス・パラヤの純白のジェガンが放った魂の一撃とが衝突し、その中心点で巨大な火球となって炸裂した後、戦場の一角には、死のような静寂が訪れた。ラー・カイラムのブリッジでは、息を詰めてモニターを見つめていた誰もが、その結果を瞬時に理解した。
『敵巨大モビルアーマーの反応、完全に消滅! ……しかし……同時にクェス・パラヤ機、識別信号、ロスト!』
オペレーターの声が、非情な現実を突きつける。戦術モニターに大写しになっていた、純白のジェガンの識別コードが、点滅の後に、ふっと、虚空へと消えたのだ。それは、戦闘における「死」を意味していた。
「……クェス……」
ハサウェイ・ノアの唇から、か細い声が漏れた。その瞬間、彼の世界から、全ての音が消え去った。ブリッジクルーたちの安堵の声も、父ブライトが次の指示を飛ばす声も、何も聞こえない。ただ、モニターの、クェスのコードがあった場所――今は何もない、ただの宇宙(そら)が広がっているその一点だけが、彼の意識の全てを占めていた。
嘘だ。そんなはずはない。
帰ってくるって、約束したじゃないか。
僕を一人にはしないって、そう言ったじゃないか。
彼の心の中で、無数の言葉が渦を巻くが、それは声にはならず、ただ熱い絶望の塊となって、彼の胸を内側から灼き尽くしていく。
ちょうどその時、アクシズ内に決死隊として入っていたブライトがブリッジへと戻る。そして副官から状況を確認すると、一瞬苦い顔をするも、次の瞬間には軍人としての顔となっていた。
「クェス……よく、やってくれた……。クェス・パラヤ特務士官候補生は、その身を賭して、我々に道を切り開いてくれたのだ。全隊、感傷に浸るな! アムロ大尉が、シャアを討つ! 我々は、アクシズの破壊作業を続行する!ラー・カイラム離舷!アクシズから十分に距離を取り次第、予定通り核を爆発させる!」
ブライトは、艦長として、非情なまでの冷静さで号令をかけた。その声には、僅かな震えもなかった。
だが、その横顔には、保護を約束された少女を失い、そして自分の息子が目の前で絶望に打ちひしがれているのを、ただ見ていることしかできない、一人の父親としての、深い、深い苦悩が刻まれていた。
■
一方、意識の深淵へと沈んでいくクェスは、不思議なほどの安らぎの中にいた。コックピットを叩きつけるアラート音も、機体がきしむ嫌な音も、もう聞こえない。
ただ、温かい、光に満ちた空間を、どこまでも漂っているような感覚。身体の痛みも、戦いの恐怖も、全てが遠い世界の出来事のようだった。
(……ああ、私、死ぬんだ……)
彼女は、それを不思議なほど、穏やかに受け入れていた。ギュネイとの死闘で、自分の全てを出し尽くした。そして、アムロさんを、シャアの元へ行かせることができた。もう、思い残すことはない。そう、思っていた。
だが、その時、彼女の意識の片隅に、一つの後悔が、小さな光の粒のように瞬いた。
(……パパに……ごめんなさいって、言いたかったな……)
そして、もう一つ。
(……ハサウェイ……。約束、守れなかったね……。ごめんね……)
その想いが浮かんだ瞬間、クェスの魂は、激しく揺さぶられた。
死にたくない。
まだ、死ねない。
もう一度、逢いたい。
あの不器用で、でも、誰よりも優しい少年に。
もう一度だけでいいから、逢って、その手に触れて、ありがとうと、ごめんなさいと、そして――
『ハサウェイ』
その魂の叫びは、もはや声ではなかった。それは、クェス・パラヤという存在の全てを凝縮した、純粋な思念の波動。
その強烈な想いに呼応し、大破して沈黙していたはずのジェガンの残骸――そのコックピット周辺に埋め込まれたサイコフレームが、まるで最後の命を燃やすかのように、淡い、しかし確かな虹色の光を放ち始めた。
その光の波は、物理法則も、ミノフスキー粒子も、空間も時間も超越して、ラー・カイラムのブリッジで、絶望に打ちひしがれていたハサウェイ・ノアの脳裏へと、直接届けられた。
「……クェス……?」
ハサウェイの耳に、確かに、クェスの声が聞こえた。それは、通信機から聞こえる音ではない。頭の中に、心の中に、直接響いてくる、魂の声。
『……ハサウェイ……』
その声と共に、彼の脳裏に、一つのイメージが浮かんだ。暗闇の中で、静かに漂う、純白のジェガンの残骸。そして、その中で、か細い光を放ち続ける、クェスの存在。
「……生きてる……」
ハサウェイは、呟いた。その瞳に、信じられないほどの光が、再び宿る。
「クェスは、生きている!」
彼は、椅子を蹴立てるように立ち上がり、ブリッジを飛び出そうとした。
「ハサウェイ! 何をする気だ! 持ち場を離れるな!」
ブライトが、驚いて制止する。
「クェスは生きているんです! 僕には分かる! 彼女が、僕を呼んでいる!」
「何を馬鹿なことを! 彼女の識別信号はロストしたんだ! 行けばお前も犬死にするだけだぞ!」
ブライトの言葉は、正論だった。だが、今のハサウェイには、そんな理屈は通用しない。
「それでも! 死んだらおしまいなんだ!生きているのなら、助けに行かなくちゃ意味がないじゃないか!」
その言葉は、かつて、ブライトが苦楽を共にしたパイロット達が言った言葉と、奇しくも重なっていた。ハサウェイは、父の制止を振り切り、ブリッジを駆け出していった。
彼の向かう先は、モビルスーツデッキ。そこには、出撃準備が間に合わなかった予備のジェガンや、損害を受けて修理中の機体が数機残されている。
「どいてください!」
ハサウェイは、整備兵たちを突き飛ばし、一番近くにあったジェガンのコックピットへと、よじ登った。
「やめろハサウェイ!! その機体はまともに動かないんだぞ!?それにまだ最低限のチェックすら終わっていない……」
「クェスを助けに行くんです!ジェガン借ります!」
「まてまてまて!!それならせめてこっちの!クソッ!ハサウェイ!!」
「ハサウェイ!?ブリッジはどうしたの!?待ちなさい!」
アストナージの叫びも、チェーンの言葉も、彼の耳には届かない。彼は、慣れた手つきで、しかし焦りから震える指で、機体を起動させた。
■
その頃、戦場では、アムロとシャアの最後の戦いが決着を迎えようとしていた。
核による内部からの爆発、ロンド・ベル、ひいては連邦軍の作戦通りに破壊されたアクシズではあったが、確かにその半分は地球落下軌道からは外れていた。
しかし、残りの半分は爆発によりブレーキがかかり、逆に地球への落下ルートに入ってしまっている。
『頑張りすぎたなアムロ!もう、アクシズは止められん!』
そんな中でも、サザビーとガンダムは戦闘を続けている。ビームライフルが装甲をかすめ、メガ粒子砲がシールドを削る。ファンネルのビームが機体のすぐ横を掠め、機体の装甲がアクシズの岩石を砕きながら、相手のモビルスーツを追従する。
「くそっ……、こんなところで!」
必殺の一撃が、必殺にならない。しかし一つのミスが決着をつける。そんな、紙一重の戦いを彼らは続けていた。
『アムロ、地球上に残った人類などは、地上の蚤だという事がなぜわからんのだ!』
「シャア……!お前は、お前は何もわかっちゃいない!地上も、海も、空も、そしてこの宇宙(そら)も、世界は続いている!」
『だからその地球が持たん時が来ていると、そう言っているのだ!お前だってわかっているだろうアムロ!だから私はアクシズを地球に落とす!』
「エゴだよそれは!地球は、人々は!瀕死寸前であろうが断末魔にのたうちまわろうが、今もこうして生きているんだ!」
激しい撃ち合い。お互いにファンネルは潰し切っている。ビームライフルも手放した。あとは、サーベルでの接近戦を残すのみ。お互いにそれは判っているのだろう。シャアはビームトマホークを、νガンダムはビームサーベルを構え、推進剤を吹かしていた。
「それをお前ひとりのエゴで潰そうとする!?ふざけるのもいい加減にしろ、シャア!それに罪もない子供たちまでをも巻き込んで!」
『子供たち?あのニュータイプの娘、クェス・パラヤの事か!子供なら御しやすいと思ったのだがな!』
「貴様ほどの男が、子供相手になんて器量の小さい!」
『ララァを殺したお前が言える言葉か!ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性なのだぞ!』
「ララァが……!?うわっ」
その瞬間。サザビーのビームトマホークの切り下ろしが、ガンダムの眼前を通り過ぎた。本来なら決着の時。ビームの高密度粒子がガンダムの装甲を削り取り、アムロ・レイの人生を終わらせていただろう。まさに、今この時が、νガンダムが負けるべきタイミングであったのだろう。だが。
『パワーダウンだと!?』
アムロとの継続戦闘は、サザビーのジェネレーターに大きな負荷をかけていた。その影響で、ビームの発振能力が落ち、νガンダムの前部装甲を軽く削るに留まっていた。
「シャア!」
『何っ!?』
そして、一瞬生まれたシャアの思考の空白を狙い、ガンダムは返す刀で、サザビーの腕を切り落とし、胴体を横真っ二つに切り裂いた。
『しまった!?チイッ!』
たまらず、シャアは脱出装置で逃げようとする。頭部がパージされ、丸い、脱出用の機構が露わになっていた。
「逃がすかよ!」
アムロはそう叫び、トリモチで脱出艇のアポジモーターを塞ぐ。そして、シャアの入った脱出艇を持つと、そのまま、アクシズの前部へと機体を推し進めた。
『アムロ、何をするつもりだ!もうアクシズは落下軌道に入っているんだぞ!』
「アクシズを押すんだよ!νガンダムで!俺はお前ほど人類に絶望もしちゃいないし、失望もしていない!最後まで諦めてたまるか!」
アムロの脳裏には、この場に送り出してくれたクェスの声が響く。
『地球を守れるのは、アムロ大尉、あなただけです!』
『だから、行って、アムロさん!』
「シャア、お前にも。人の心の温かさを、希望を、未来を見せてやる!」
操縦桿を握る手に力が入る。目の前には、落下しながらその身を赤く焦がす巨大な岩石。恐怖で身が竦みそうになる。だが、それ以上に、人の未来のために、クェスたち、若者たちのために、アクシズは止めなくては。
ヤメロ、無駄だ。と無線から声が聞こえる。
――アムロ、まだ、来なくていいの。逃げなさい。と懐かしい声が聞こえる。
「ガンダムは……」
声を振り払うように、ペダルを踏み込み続ける。ついにガンダムはアクシズの前方へとたどり着いた。そして、大きな衝撃をもって、ガンダムが巨大な岩石に接地されたことを、アムロは感じ取る。
「νガンダムは、伊達じゃない!こんな石っころ一つ、押し返してやる!」
ガンダムはその機能を最大に発揮させ、アクシズに相対する。推進剤は瞬く間に減り、しかし、アクシズの落下速度は留まる事を知らず、大気との摩擦熱で、機体の温度は上昇する。
アムロとて解っている。ガンダム一機ではどうにもならないと。だが、これからも続く命の為に、この無駄とも言える行動を辞める選択肢は何処にも存在し得なかった。
『アクシズを押し返そうってか!ガンダムだろあれ!』
その時、通信機から、途切れ途切れになりながらも、他のモビルスーツたちの声がアムロに届けられた。
『折角援軍に間に合ったってのに、ガンダムだけにカッコいい所を持って行かれちゃなぁ!地球連邦の名が泣くってもんだ』
『アムロ大尉がアクシズを止めるっていうのなら!』
νガンダムの行動に、味方の機体も、そして、一部の敵すらも同調していく。気がつけば、アクシズには数十機単位のモビルスーツが張り付き、押し返そうと推進剤を吹かし始めていた。
「ケーラまで!?やめろ!俺とガンダムだけで十分だ!こんな馬鹿げた事!」
『地球が駄目になるかどうかなんだ!命を掛ける価値はあるでしょう!』
「ギラドーガまで!?やめろ、いいんだ!みんな離れろ!」
『蒼い空にあるのは、憎しみだけではないってことを、俺たちで見せてやるんだ!そうでしょう!?』
「し、しかしっ!」
多数のパイロットがアクシズを地球に落とすまいと、その精神が昂った時、νガンダムの機体からは、そして、シャアが乗る脱出艇からは、虹色の、暖かな光が溢れ始めていた。
『なんだ、この光は。温かい?安心すら感じる。いや、しかし、この温かさを持つ人が、地球をも破壊する。わかるんだよ、アムロ!』
アムロに対するシャアの感情。それは、友人としての感情なのか、それとも、信頼できる男としての感情なのか。それとも、宿敵としてのソレなのか。それは判らない。
「この……ッ!」
だが、シャアに対するアムロの感情は、この瞬間、一言で言えば怒りであった。未来のある子供たちを、クェスを、そして地球にいる人々をも巻き込む無駄な戦い。それを引き起こしたシャア。
ここにきて、アムロの堪忍袋の緒がついに、切れる。
「情けない奴!巫山戯るのも大概にしろシャア!これが、人の可能性だ!」
人はいずれ、必ず、進化できるという人間の可能性。この暖かい光は、その可能性そのもの。それを見せても、まだ納得しないのかと。
「いい加減、子供の癇癪みたいに駄々をこねるのを辞めて理解しろよ!人を信じろよ!」
それに、この光は――。
「お前には!最初から!人の心の温かさを!ララァが教えてくれていたって言うのに!」
『ララァがだと!?』
光はその輝きを強くして、まるで質量があるかのように、モビルスーツたちをアクシズの表面から弾き飛ばし始めていた。
そして、アクシズそのものが、内側から、あり得べからざる虹色の光を放ち始めていた。地球を救おうとするアムロの不屈の意志と、それに共鳴した多くの人々の想いが、サイコフレームを通じて奇跡を――アクシズ・ショックを引き起こしたのだ。
『温かい光だ。あぁ…あの機体もまた、人の意志を背負ったものなのか』
弾き飛ばされるモビルスーツ。そのひとつであるジェガンに乗ったベテラン兵が、そう呟く。
彼らが見守る中、アクシズの軌道が、虹色の光に導かれて、地球から逸れていく。それを、戦場の兵士たちは、静かに見守るしか無かった。
■
「ハサウェイ・ノア、ジェガン、出ます!」
誰の許可も得ず、ハサウェイは、自らの声で、混乱するラー・カイラムのブリッジにそう告げた。そして、止める整備兵達を横目に、カタパルトデッキから戦場へと飛び出していく。
彼の頭の中には、クェスの声と、彼女がいる場所を示す、おぼろげな光の座標だけがあった。
虹色のオーロラが、宇宙(そら)全体を、幻想的な光で包み込んでいる。
その壮絶で、神々しい光景の中を、ハサウェイは、ただ一点を目指して、一心不乱にジェガンを駆った。
そして、彼は、見つけた。
奇跡の光の中で、まるで眠るように、静かに漂う、純白のジェガンの残骸を。
「……クェス……!」
ハサウェイは、自分のジェガンのマニピュレーターで、慎重にクェス機のコックピットハッチをこじ開けた。
中には、パイロットスーツのヘルメットの中で、静かに目を閉じているクェスの姿があった。
バイタルサインは、極めて微弱だが、まだ、生きている。
ハサウェイは、自分の機体から宇宙服一つで飛び出し、クェスのコックピットへと乗り移った。
そして、そっと、ノーマルスーツ越しに、彼女に触れた。
「クェス! 迎えに来たよ、クェス……」
その声に、その温もりに、クェスの瞼が、微かに震えた。そして、ゆっくりと、その青い瞳が開かれる。
「……ハサウェイ……? ……夢……じゃないわよ……ね……」
「ああ、夢じゃない。僕だよ」
クェスは、安心したように、ふっと微笑んだ。その瞳からは、一筋の涙が、無重力の中をきらきらと舞いながら、零れ落ちた。
ハサウェイは、そんなクェスを、壊れ物を扱うように、優しく抱きしめた。
二人の背後では、地球を救う奇跡の光が、その輝きを増していた。長きにわたる因縁の時代が終わりを告げ、そして、新しい時代の夜明けが、この二人の小さな再会を、祝福しているかのようだった。
愛は、確かに、宇宙(そら)を超えたのだ。