空の凪   作:灯火011

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第24話:戦いの後、心の傷跡

 アクシズ・ショック――後にそう名付けられることになる、人類の意志が引き起こした奇跡の光が、宇宙(そら)から消え去って数週間。

 

 地球圏は、シャア・アズナブルという巨大なカリスマの喪失と、ネオ・ジオン軍の瓦解によって、束の間の、しかしどこか虚ろな静けさを取り戻していた。

 

 ロンド・ベル隊旗艦ラー・カイラムは、その満身創痍の巨体を横たえるように、地球連邦軍の拠点があるロンデニオンへと帰還した。英雄の凱旋とは程遠い、静かで、そして多くの犠牲を悼む、重苦しい帰港だった。

 

 アムロ・レイとシャア・アズナブルは、あの虹色の光と共に、宇宙(そら)の彼方へと消えた。

 

 二人の英雄の不在は、地球圏に巨大な力の真空を生み、そして残された人々の心に、埋めようのない喪失感を刻み付けていた。

 

 ハサウェイ・ノアに救出されたクェス・パラヤは、ラー・カイラムの医療室で数日間の集中治療を受けた後、奇跡的とも言える速さで身体的な回復を見せていた。

 

 だが、彼女の魂に刻まれた傷は、目に見えるそれよりも、遥かに深く、そして治癒の兆しさえ見えないものだった。

 

 強力なニュータイプ故に、彼女は短い戦いの中で、人の死を見つめ過ぎたのだ。

 

「宇宙よりも、地球で静養されるのが良いかもしれません」

 

 軍医の言葉に、クェスは静かに頷いていた。そしてブライトの手配の元で、すぐさま、クェスはハサウェイを伴って、地球へと降りる事となる。

 

 

 地球に降り立った彼女を待っていたのは、父アデナウアー・パラヤだった。彼は、娘の生還を知らされた瞬間から、全ての公務を投げ打ち、この地球の、ジャブロー近くの軍港へと飛んできていたのだ。

 

 アデナウアーは、タラップを降りてくるクェスの、あまりにも儚げで、そして生気のない姿を見た瞬間、言葉もなく、ただ駆け寄り、その小さな身体を強く、強く抱きしめた。

 

「……クェス……。よく……よく、生きて……」

 

 その声は、安堵と後悔と、そしてどうしようもない愛情で震えていた。

 

「……パパ……」

 

 クェスは、父の胸に顔を埋め、ただ一言そう呟いただけだった。その青い瞳からは、もう涙さえも流れなかった。その瞳は、まるで何も映していないかのように、どこまでも虚ろだった。

 

 アデナウアーの計らいで、クェスと、そして彼女に付き添うハサウェイは、軍の施設ではなく、人里離れた海辺に立つ、厳重な警備下に置かれた政府の保養施設へと移された。そこは、鳥のさえずりと、穏やかな波の音だけが聞こえる、静かで美しい場所だった。

 

 だが、そんな穏やかな環境でさえ、クェスの心を癒すことはできなかった。

 

 

 彼女は心は今、嵐の中にあった。心的外傷後ストレス障害に苛まれてしまっていた。

 

 静かな部屋の中で、突然、ギュネイのα・アジールが放ったメガ粒子砲の轟音が、幻聴となって耳鳴りのように響き渡る。

 

 目を閉じれば、自分が撃墜したギラ・ドーガの爆発の閃光が、瞼の裏で何度もフラッシュバックする。

 

 そして何よりも、あの戦場で感じ続けた、無数の人々の死の恐怖と絶望の思念が、そして、自らが『殺した』人々の思念が、不意に、何の脈絡もなく彼女の意識に流れ込み、彼女をパニックへと陥れた。

 

「いやっ……! 来ないで……! ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 

 夜中に、悪夢にうなされて飛び起き、ただ意味の分からない言葉を叫びながら、部屋の隅で震える。そんなことが、幾度となく繰り返された。

 

 そのたびに、隣の部屋で眠っていたハサウェイが、駆けつけてきた。彼は、何も言わず、ただパニックに陥ったクェスの身体を、後ろから優しく抱きしめ、その耳元で、静かに、そして繰り返し囁き続けた。

 

「ハサウェイ……怖いよ、そらで、ひとりなの。誰も、いないの」

「大丈夫だよ、クェス。僕はここにいる。もう、何もない。戦いは、終わったんだ。大丈夫……大丈夫だから……」

 

 彼の温かい体温と、その落ち着いた声だけが、クェスを狂気の淵から現実へと引き戻す、唯一の錨だった。

 

 ハサウェイは、クェスが落ち着きを取り戻し、疲れて眠りに落ちるまで、何時間でも、ただ黙って彼女の手を握り、その震える背中をさすり続けた。

 

 

 ハサウェイ自身は、あの地獄のような戦場を経験しながらも、不思議なほど精神的に安定していた。

 

 もちろん、彼もまた、多くの死を目の当たりにし、恐怖を感じなかったわけではない。

 

 だが、クェスを救い出せたという、その一つの事実が、彼の中で何よりも大きな支えとなっていた。そして、今、自分の目の前で苦しんでいる彼女を支えなければならないという、強い使命感が、彼を精神的に大きく成長させていたのだ。

 

 彼は、もはや、父の背中に隠れる、ただの少年ではなかった。

 

 ラー・カイラムを降りる前日、ハサウェイは、父ブライトと、二人きりで話す時間を持った。

 

「……ハサウェイ。お前の無断出撃は、軍規に照らせば、重罪に値する行為だ。本来なら、軍法会議にかけられてもおかしくはない」

 

 ブライトは、厳しい口調でそう切り出した。だが、その瞳には、怒りの色よりも、息子への複雑な感情が渦巻いていた。

 

「……が、結果として、お前はクェス・パラヤ君の命を救った。……今回は、アデナウアー局長からの強い働きかけもあり、全て不問とする。だが、二度はないと思え」

 

「……はい」

 

 ハサウェイは、静かに頭を下げた。

 

「……父さん。僕は……僕は、自分のしたことが、正しかったのかどうか、分かりません。でも……クェスを、放っておくことはできなかった。ただ、それだけなんです」

 

「軍人として認めるわけにはいかん」

 

 ブライトは、短くそう言うと、息子の肩に、不器用な手つきで、そっと手を置いた。

 

「だが……一人の男として言わせて貰えるならば、それでいい。お前は、お前が信じる道を、見つけなさい。……よく、やったな、ハサウェイ」

 

 それは、ブライト・ノアが、息子ハサウェイ・ノアを、初めて一人の男として認めた瞬間だったのかもしれない。

 

 

 保養施設での日々は、静かに、しかしゆっくりと過ぎていった。

 

 ハサウェイは、クェスを散歩に誘い、彼女が少しでも食事を口にできるよう、厨房に頼んで彼女の好物を作ってもらった。彼は、決して無理に戦いのことを聞き出そうとはしなかった。

 

 ただ、クェスが何かを話したそうにしている時は、何時間でも、その言葉に耳を傾けた。

 

「……私ね、あの時、あのモビルアーマーのパイロットの考えていることが、分かったの。彼は、ただ、シャアに……なのに、私は……」

 

「……うん」

 

 ハサウェイは、ただ、相槌を打つ。彼は、クェスが感じたこと、見たこと、その全てを、否定も肯定もせず、ただそのまま受け止めようと努めた。

 

 戦いが英雄を生み、歴史を作る一方で、その裏側では、名もなき兵士たちと同じように、戦士たちの魂もまた、深く傷つき、癒やしを求めて喘いでいる。

 

 アクシズ・ショックという大いなる奇跡の光は、地球を救ったかもしれないが、その強すぎる光は、最も近くにいた者たちに、最も深い影を落としていた。

 

 アデナウアーは、そんな二人を、少し離れた場所から、痛ましげな表情で見守っていた。

 

 そして、彼らの魂が、本当に安らげる場所を、彼は自らの全てを賭けてでも、用意しようと決意していた。全ては、この静かな戦いの後、二人が再び未来へと歩き出すために。

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