空の凪   作:灯火011

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第6話:蒼き星の使者、ラー・カイラムにて

 宇宙世紀0092年の末が近づく頃、地球圏の軍事的緊張は、もはや誰の目にも明らかだった。

 

 シャア・アズナブルを名乗る男が率いるネオ・ジオンの影は日増しに色濃くなり、それに対抗すべく地球連邦軍もまた、戦力増強と再編を急ピッチで進めていた。そんな不穏な空気の中、アデナウアー・パラヤは、娘のクェスを伴い、サイド1のロンデニオン宙域に停泊中のロンド・ベル隊旗艦、ラー・カイラムを訪れていた。

 

 表向きは、連邦政府高官としての艦隊視察と激励。

 

 しかし、その真の目的は、彼自身が極秘裏に開発支援を行ってきた、ある「切り札」の最終確認にあった。

 

「……大きいわね、パパ。まるで、小さなコロニーみたい」

 

 ラー・カイラムの巨大な艦橋ブリッジから、眼下に広がるモビルスーツデッキを見下ろしながら、クェスは感嘆の声を漏らした。

 

 格納庫には、見慣れたジェガンタイプに加え、まだ調整中と思われる新型機や、大破した機体の残骸などが所狭しと並び、戦艦特有の油と金属の匂い、そして兵士たちの熱気が漂ってくる。

 彼女の青い瞳は、好奇心と、そしてこの場所が持つ特異な「力」の気配を敏感に感じ取っているかのように、きらきらと輝いていた。

 

「ロンド・ベルは、連邦軍の中でも特に練度の高い、独立遊撃部隊だからな。この艦(ふね)と、ここにいる者たちが、今の地球圏の平和を辛うじて支えていると言っても過言ではない」

 

 アデナウアーは、娘の隣で静かに答えた。その声には、ロンド・ベルへの期待と、彼らに過大な負担を強いている現状への、為政者としての苦渋が滲んでいた。

 

 

 ブライト・ノア艦長自らの案内で、一行はモビルスーツデッキへと降り立った。

 

 そこでは、まさに二機の新型モビルスーツの最終搬入と、受領確認作業が行われている最中だった。

 

 一機は、既にロンド・ベルの主力機として配備が進むジェガンタイプでありながら、その肩や脚部に通常とは異なる装甲と思しきパーツが取り付けられ、どこか実験機然とした雰囲気を漂わせている。

 

 そしてもう一機――その姿を目にした瞬間、クェスだけでなく、デッキにいた多くの兵士や技術者たちからも、息を呑む音が漏れた。

 

 それは、純白の機体をベースに、胸部を鮮やかなブルー、そして肩やシールドの一部を燃えるようなレッドで塗り分けられた、英雄的なトリコロールカラーを纏ったモビルスーツだった。

 

 その姿は、かつて一年戦争でジオン軍を恐怖に陥れた伝説の白い悪魔、「ガンダム」を色濃く彷彿とさせる。だが、そのシルエットはより洗練され、背部には翼のようなフィン・ファンネルを装備し、全身から最新鋭機としての圧倒的な性能と、そしてどこか神々しささえ感じさせた。

 

「……ν(ニュー)ガンダム……。ついに、完成したのか」

 

 その機体を見上げ、低く、しかし確かな感慨を込めて呟いたのは、アムロ・レイ大尉だった。彼は、アナハイム・エレクトロニクス社から出向してきた技術主任、チェーン・アギと共に、搬入されてきたばかりの二機のモビルスーツの前に立っていた。

 

「ええ、アムロ大尉。フォン・ブラウン工場から、最優先で輸送してきました。まず、こちらのジェガンは、試験的にサイコフレームをムーバブルフレームの一部に組み込んだテスト機。武装は標準仕様ですが、ニュータイプの方が搭乗すれば、反応速度や空間認識能力が格段に向上するはずです。大尉の戦闘データ収集にご活用いただければと」

 

 チェーンは、快活な口調でジェガン改を指し示し、次にνガンダムへと視線を移した。

 

「そして、こちらがνガンダム。大尉の基本設計を元に、アナハイムの総力を挙げて完成させました。新素材のサイコフレームも、コックピット周辺だけでなく、機体の構造材レベルで組み込まれています。正真正銘のニュータイプ専用機。大尉、あなた専用の究極のガンダムです」

 

 アムロは、言葉もなくνガンダムを見上げていた。その横顔には、長年の宿願が達成されたことへの安堵と、この機体と共に再び過酷な戦場へ身を投じなければならないという運命への、静かな覚悟が浮かんでいた。

 

「……トリコロールカラーか。まるで、おもちゃのようだな」

 

 アムロが、少し照れ隠しのように言うと、チェーンは悪戯っぽく笑った。

 

「あら、素敵じゃないですか。それに、この塗装が間に合ったのも、パラヤ長官のおかげです。 長官が、ロールアウトのスケジュールを大幅に早めるよう、各方面に強力な後押しをしてくださらなければ、今頃まだ工場で最終調整中でした。おかげで、ファンネルの調整にも、十二分に時間をかけられましたし」

 

 その言葉に、アムロは傍らで静かに佇んでいたアデナウアーに視線を向け、軽く会釈した。アデナウアーもまた、無言で頷き返す。二人の間には、言葉以上の、互いの立場と目的を理解し合う空気が流れていた。

 

 そしてアムロは、再びνガンダムへと視線を戻し、その頭に輝くV字アンテナを見つめながら、誰に言うでもなく、小さく、しかしはっきりとした声で呟いた。

 

「……これで、親父に……少しは近づけたかな……」

 

 その言葉は、デッキの喧騒にかき消されそうになりながらも、クェスの鋭敏な耳には、なぜか明確に届いていた。

 

 テム・レイ。

 

 今は亡きアムロの父親であり、初代ガンダムの開発者。その名に込められた、アムロの複雑な想いの一端を、クェスは垣間見た気がした。

 

 ふと、その時、アムロの視線が、不意にクェスに向けられた。まるで、彼女の心の動きを見透かしたかのように。クェスは、その射るような、しかしどこか優しい眼差しに、一瞬、息を止めた。

 

「……君が、アデナウアー局長の……?」

 

 アムロの声は、静かで、落ち着いていた。

 

「クェス・パラヤです」

 

 クェスは、物怖じすることなく、アムロの目を見返して答えた。

 アムロは、数秒間、クェスの青い瞳をじっと見つめていた。そして、ふっと微かに口元を緩めた。

 

「……そうか。君も、感じるのか……。この宙の、ざわめきを」

 

 その言葉は、クェスにしか理解できない、ニュータイプ同士の微かな共鳴のようだった。アムロは、この少女が、自分と同じ、あるいはそれ以上の資質を秘めていることを、一瞬で見抜いたのかもしれない。

 

「もし、興味があるなら、試してみるか? モビルスーツのシミュレーターを」

 

 アムロの唐突な提案に、クェスは目を輝かせた。

 

 もしかすると、父親の役に立てるかもしれない、という気持ちがあったのかもしれない。アデナウアーは、一瞬ためらったが、アムロの真意を測りかねるような表情で、最終的にはそれを許可した。

 

 

 ラー・カイラムのシミュレーションルーム。クェスは、アムロとチェーンの手ほどきを受けながら、初めてモビルスーツの模擬コックピットに座った。

 

 最初こそは戸惑っていたものの、10分も経てば彼女は驚くべき速さで操縦桿の感覚を掴み、仮想空間で次々と現れるターゲットを、まるで長年訓練を積んだエースパイロットのように撃墜していった。その動きは、計算や理論ではなく、純粋な直感と反射神経に導かれているかのようだった。

 

「……信じられん……。このスコアは、我が隊のエース候補生でも滅多に出せるものではないぞ……」

 

 シミュレーション結果をモニターで見ていたブライト・ノアは、驚愕の声を上げた。チェーンも、アムロも、そして周囲で見ていたラー・カイラムのクルーたちも、この名も知らぬ少女が秘めた、恐るべき才能に言葉を失っていた。

 

「ブライト。もしかすると、クェスは……」

「……ああ、本物かもしれん。カミーユか、ジュドーか……それ以上か」

 

 クェス自身は、自分が叩き出したスコアの意味を、まだよく理解していなかった。ただ、モビルスーツを操縦するという行為が、不思議なほど自分にしっくりと馴染み、そして言いようのない高揚感を与えてくれることを感じていた。

 

 

 このラー・カイラムでの一日は、クェス・パラヤの心に、鮮烈な印象を刻みつけた。

 

 アムロ・レイという男の存在。

 

 νガンダムという希望の光。

 

 そして、自分の中に眠る未知の可能性。

 

 それらが、彼女の運命の歯車を、大きく、そして静かに回し始めたことを、彼女はまだ知る由もなかった。

 

 だが、この日、ラー・カイラムで生まれた「強力なニュータイプ能力を持つ少女」の噂は、やがて風に乗り、宇宙(そら)を駆け巡り、ある男の耳へと届くことになる。

 

 その男の名は、シャア・アズナブル。赤き彗星が、この青き星の使者に目をつけるまで、残された時間は、もういくらもなかった。

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