ラー・カイラムでの衝撃的な一日から数週間。シャングリラに戻ったクェス・パラヤの日常は、以前とは明らかに異なる色彩を帯び始めていた。
かつて彼女を支配していた、あのどうしようもない退屈感は薄れ、代わりに胸の奥で何かが静かに、しかし確実に動き出しているのを感じていた。
アムロ・レイという男の存在、νガンダムという最新鋭機の圧倒的な力、そして何よりも、自分の中に眠っていた未知の可能性。それらが、彼女の世界観を根底から揺さぶり、新たな問いを彼女に投げかけていた。
「私……本当に、なぜ、あんなことができたのかしら……」
自室のベッドに横たわり、天井の模様をぼんやりと眺めながら、クェスは何度もあのシミュレーターでの体験を反芻していた。
初めて触れたはずの操縦桿が、まるで自分の手足のように馴染んだ感覚。次々と現れる敵ターゲットの位置を、予測ではなく「感知」していたかのような確信。そして、アムロ・レイが自分に向けた、あの全てを見透かすような、それでいてどこか哀しみを湛えた瞳。
彼女のニュータイプ的な感性は、ラー・カイラムでの体験を触媒として、さらにその輪郭を明確にしつつあった。
それは、以前のような漠然とした「感じやすさ」ではなく、もっと能動的な、世界と交信する能力の萌芽だったのかもしれない。だが、その自覚は、彼女に新たな戸惑いをもたらしてもいた。
自分は、一体何者なのだろうか。この力は、何のためにあるのだろうか。アムロは、自分に何を期待しているのだろうか。
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そんなクェスの内面の変化を、最も敏感に感じ取っていたのは、おそらくハサウェイ・ノアだっただろう。
ラー・カイラム訪問には同行していなかった彼にとって、クェスが体験したことは、彼女の口から断片的に語られるだけでは、到底想像もつかない世界の出来事だった。
『……アムロ大尉って、すごい人だったわ。なんだか、全部お見通しって感じで。それに、新しいガンダムも……まるで生きているみたいだった』
ビデオ通話の画面越しに語るクェスの表情は、どこか上の空で、以前にはなかったような興奮と、ほんの少しの不安が入り混じっているようにハサウェイには見えた。
彼女が語るラー・カイラムの様子、アムロ・レイという英雄、そしてモビルスーツのシミュレーターで「ちょっとだけ良い成績が出た」という控えめな報告。
そのどれもが、ハサウェイにとって、自分とは縁遠い、手の届かない世界の出来事のように感じられた。
「クェス……なんだか、遠くへ行っちゃったみたいだな……」
通話を終えた後、ハサウェイは一人、そう呟いた。
クェスが特別な才能を持っていることは、薄々感じてはいた。だが、それがこれほどまでに具体的な形で現れ、アムロ・レイのような人物にまで注目されるとなると、話は別だった。彼女が自分とは違う道を選び、自分の知らない世界へと羽ばたいていってしまうのではないか。
そんな漠然とした不安が、彼の胸を締め付けた。
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それでも、二人の間の細い糸のような繋がりが、完全に途絶えてしまったわけではなかった。
クェスは、自分の内面の変化に戸惑いながらも、やはりハサウェイとの他愛ない会話に安らぎを見出していたし、ハサウェイもまた、クェスの存在が自分にとってかけがえのないものであることを、改めて認識していた。
だが、互いの心の奥底にある、言葉にならない想いや不安は、まるで薄いヴェールのように二人を隔て、以前のような屈託のない共感が、少しずつ難しくなっているのをお互いに感じていたのかもしれない。手の温もりはまだ確かにあるのに、心の声が、以前ほど鮮明には届かなくなっている。そんなもどかしさが、二人の間に漂い始めていた。
その一方で、地球圏全体の「ざわめき」は、ますますその度合いを増していた。
シャア・アズナブルの演説は、より頻繁に、そしてより巧妙に、人々の心に入り込もうとしていた。
彼の言葉は、単なるプロパガンダを超え、ある種の哲学的、あるいは宗教的な響きさえ帯び始め、スペースノイドの独立運動家だけでなく、地球の現状に絶望した知識人や芸術家、さらには連邦政府内部の不満分子にまで、静かに、しかし確実に浸透しつつあった。
「ネオ・ジオンは、単なる武装蜂起ではない。これは、地球という古い母体から人類が真に独立するための、聖戦なのだ」
そんな過激な言説が、アンダーグラウンドのネットワークを通じて広がり、一部の若者たちを熱狂させていた。
そして、その流れと呼応するように、クェス・パラヤという少女の噂もまた、水面下で様々なルートを辿り始めていた。
ラー・カイラムでのシミュレーターの一件は、軍内部ではトップシークレットとして扱われていたはずだったが、情報はどこからか漏洩する。
アナハイム・エレクトロニクス社の関係者、あるいは連邦軍内部のシンパを通じてか。あるいは、もっと高次元の、ニュータイプ同士の感応のようなものが作用したのか。
――いずれにせよ、「アムロ・レイに匹敵するかもしれない、恐るべき才能を秘めた少女がいる」という断片的な情報は、ネオ・ジオンの諜報網にも引っかかり始めていた。
アデナウアー・パラヤは、娘の周囲に漂い始めたその不穏な気配を、父親として、そして情報に通じた高官として、敏感に察知していた。彼は、クェスの警護を強化し、彼女の行動を以前よりも注意深く見守るようになった。
だが、時代の大きなうねりは、一個人の力で押しとどめられるものではない。
シャングリラの自室で、クェスは窓の外に広がる人工の空を見上げていた。ラー・カイラムで感じた、宇宙(そら)の真の広がりと、そこに渦巻く人々の意志の力。
それが、彼女の中で、まだ言葉にならない何かを形作ろうとしていた。それは、希望なのか、それとも破滅への序曲なのか。彼女の青い瞳は、その答えを求めて、宇宙(そら)の深淵を彷徨う。
そして、その視線の先に、赤き彗星の冷たい光が、彼女を捉えようとしていることに、クェスはまだ気づいていなかった。