笑顔が可愛い女の子
笑顔が可愛い女の子だった。
俺が伊地知虹夏と出会ったのは、小学生のときだった。
そのときの俺は、家庭で嫌なことがあって、ずいぶんとひねくれた性格をしていた。
当然、友達はできなかった。
虹夏はそんな俺に明るく話しかけてくれて、休み時間には遊びに誘ってくれた。
家が近所だと判明すると、放課後も休みの日も俺を連れ回すようになった。
初めは、渋々付き合っていた。だけど、一緒に遊んでいくうちに俺の方が楽しくなっていった。
虹夏はよく星歌さんの文句を言っていた。
その頃の星歌さんはバンド活動に夢中で、妹に構っている余裕なんてなかった。
多分、姉に対する不満のようなものを、虹夏は俺で発散させていたのだと思う。
夕方になると、俺と虹夏は手をつないで帰った。虹夏の手はあたたかった。
門限を過ぎると虹夏のお母さんに怒られた。そのときでさえも、手をつないでいた。
虹夏は、俺の心の棘を少しずつ、確実に抜いていってくれた。
虹夏の笑顔は、春に吹く優しい風のように心地よかった。
その笑顔を独占できることが、たまらなく嬉しかった。
そんな虹夏の笑顔が涙でいっぱいになったことがあった。
彼女のお母さんが亡くなったのだ。
葬式のとき、虹夏はずっと泣いていた。俺には、その痛々しい姿をただ眺めることしかできなかった。
しばらくしてから、俺は虹夏の家へ遊びに行った。
彼女はすぐに部屋から出てきてくれなかった。
何とか元気づけようと頑張ったけど、あの笑顔を見せてくれることはなかった。
どうしようもなくなって、虹夏の手をにぎった。俺にできるのはそれだけだった。
それから何日も、虹夏の家へ行った。泣き疲れて、いつかまた笑ってくれるんじゃないかと思っていた。
だけど結局、虹夏を元気にしたのは星歌さんだった。
姉妹という関係は、俺と虹夏が積み重ねていった時間を軽く吹き飛ばしていった。
当たり前かもしれないけど、その時の俺には、それが少し悔しかった。
俺は強く思った。
虹夏の悲しむ顔なんて見たくない。虹夏にはずっと笑っていて欲しい。
だから、虹夏に求められている限りは、ずっと隣いよう。
手をつなぐことしか、俺にはできないかもしれないけれど。
高校生になった。
夕暮れに差し掛かった下北沢を二人で歩いていた。
俺たちは今も手をつないでいる。だけど、あの頃とはその意味合いが少し違っていた。
「アー写の撮影、どこかいい場所ないかな?」
「STARRYの前で撮れば?」
「う~ん、それでもいいんだけどね~。そうだ!
春の心地よい風が、俺たちの間を優しく吹き抜けていった。
「ごめん、週末は用事がある」
「え~、ぼっちちゃんと喜多ちゃんに
虹夏は、頬を軽くふくらませ、おどけた口調で言った。
「後藤さんは人見知りなんだろ? 初対面の男がいたら緊張しちゃうよ」
「晴臣なら大丈夫だと思うよ」
「それに、喜多さんからは虹夏とのこと根掘り葉掘り聞かれそうだし」
「あはは、それは確かにー!」
そんな他愛もないことを話していた。
STARRYの前まで着くと、ネオンカラーに彩られた看板の下で足が止まった。
自然と、俺たちの手が離れた。
「もうちょっと、一緒にいたかったな」
「じゃあ、明日からはもっとゆっくり歩いて帰ろう」
「これ以上遅れるとお姉ちゃんに怒られちゃうよ~!」
俺たちは小さく笑った。
「じゃあ、また明日な。バイトがんばれ」
「うん」
そして、虹夏はそっと目を閉じた。水玉模様の赤いリボンが小さく揺れた。
その仕草だけで、虹夏が何を求めているのか、すぐに分かった。
「んー!」
俺が戸惑っていると、虹夏は唇をとがらせて、不満そうな声をあげた。
慌てて虹夏の肩に手を置いた。そっと顔を近づけて、軽く唇を重ねた。
彼女の唇は、ほんのりとレモンの香りがした。
「えへへ。じゃあ、またね!」
虹夏は顔を真っ赤にしながら、STARRYへと逃げていった。
扉がゆっくりと閉まるまで、俺はその姿をぼんやりと目で捉えていた。
階段をのぼり、顔を上げると、下北沢の空はオレンジ色に染まっていた。
虹夏の恋人として、彼女を喜ばせることができていただろうか。
俺は背中を丸めて、STARRYに背中を向けた。
そのときだった。
「
背後から冷たい女の子の声がした。
聞き覚えのある声だった。
俺はその声の方へ振り返った。
ベースを担いだ山田リョウがそこに立っていた。
静かな表情で俺を見つめていた。
お互いの視線が、ぎゅっと結びついた。
「リョウ……」
「久しぶり。虹夏を送った帰り?」
「まぁな……。リョウは、これからバイトか?」
「ううん。今日は何もない。街をぶらぶらして、そろそろ帰ろうと思ってたとこ」
「そうか」
「うん」
たったこれだけのやりとりが、俺にはとても懐かしく感じられた。