俺は下北沢駅へと向かって歩き出した。リョウは自然な流れで俺の隣に並んだ。
「久しぶりだね。一緒に帰るの」
「そうだな」
「虹夏とは、うまくいってる?」
「そこそこだ。リョウこそ、結束バンドの方は?」
「順調」
そこで、会話は途切れた。
何か話さなくちゃと思っても、言葉が喉につまって出てこなかった。
リョウは、何も言わずにまっすぐを向いていた。
下北沢の街の音だけが、俺たちの間に響いていた。
こんな感じじゃない。前はもっと楽しく話せていたのに。
自然と言葉が出てきたはずなのに。
「……」
「……」
今の俺たちには、何か大切なものが欠けている。
結局、まともにリョウと話すことができないまま、駅前までたどり着いてしまった。
ここが、俺たちの別れ道だった。
俺は商店街へ、リョウは井の頭線方面へと、それぞれ別れて歩いていく。
「それじゃあ、またな」
俺はリョウに背中を向けた。
「待って。ちょっとだけ、寄り道しようよ」
リョウは俺の制服の袖をつまんだ。彼女の声は、少しだけ熱を帯びていた。
「寄り道?って、おい、どこ行くんだよ」
それだけ言うと、リョウは俺の答えを待たずに、来た道を一人で引き返していった。
あいつ、どこに行くつもりなんだ?
俺は、追いかけるか迷った挙げ句、仕方なく小走りでリョウを追いかけた。
ヴィレッジヴァンガード前の十字路を左に曲がり、雑貨屋や古着屋の通りに差しかかった。人通りの多い道だったが、リョウの足取りには迷いがなく、すれ違う人たちを縫うように歩いていった。
進んでいくにつれて、人の気配は薄くなっていき、裏通りの静かな通りにまで来た。
そして、俺はこの道に見覚えがあった。
「バーリンレコード、最近行った?」
バーリンレコード。この道をもう少し進むと見えてくる、こじんまりとしたCDショップだ。
「ずっと前から、行ってないよ」
「私も。ずっと行きたかったんだけどね」
ある時期から、俺はそこに近づいてすらいない。虹夏と付き合い始めた、その時期から。
この道だって本当に久しかった。
俺はうつむいた。
甘さと苦さの混じり合った、痺れるような記憶がフラッシュバックして、それに耐えることができなかった。
俺たちが、まだ友達だった頃の記憶。
もうすぐで、あの場所に着いてしまう。
俺とリョウの思い出の場所に。
「あっ......」
リョウが悲しそうな声を漏らした。
その声につられて、顔をそっと上げた。
「閉まってる......」
バーリンレコードはセピア調に色褪せていた。
ガラス扉には、何年か前のポスターと一緒に、さびれた張り紙が貼ってあった。
『閉店のお知らせ。誠に勝手ながら、当店は本日をもちまして閉店いたします』
本日というのは、いつのことなんだろうか。この外観を見る限り、本当に今日ではないだろう。昨日でもないはずだ。もっと前なんじゃないかと思う。
思い出が引きちぎられたような感じがした。
思い出の場所が、思い出だった場所になってしまった。
その事実に、今更だけど寂しさがつのる。
「店、閉店してたんだな。気づかなかったよ」
なんとか、俺は言葉を絞り出した。
リョウは、張り紙をじっと見つめていた。
彼女は、今何を思っているんだろうか。俺と同じ気持ちなのだろうか。
表情からは、彼女の感情を読み取ることができなかった。
「帰ろっか」
しばらくして、リョウは抑揚の欠いた声で呟くようにそう言った。
すれ違う人たちはみな活気に満ち溢れていた。
俺もリョウも、お互いに一言もしゃべらなかった。しゃべるような雰囲気じゃなかった。
二人だけが、どこかに取り残されたような気がした。
俺は気まずさを紛らわすために空を見上げた。
先ほどまでオレンジに染まっていた空が灰色に覆われていた。
ふと、冷たい感覚が空から頬に伝った。
それは雨粒だった。そのことに気がつくと、次の瞬間には激しい雨が降り出してきた。
雨がコンクリートにはじけて、しっとりとした生暖かい匂いが広がった。
身体が濡れていった。悲しいくらいに冷たい。
俺たちは逃げるように近くのコーヒーチェーン店へ駆け込んだ。
「急だな。雨降る予報なんてあったか?」
「知らない」
店の中はひんやりとしていた。2人用の席が空いていたので、そこに座った。
リョウの髪はしっとりと濡れていて、毛先からは水滴が垂れていた。
「何か買ってくるよ。飲みたいものある?」
「チョコレートモカ。それと、チョコレートドーナツ」
「分かった。ホットでいいよな?」
リョウは頷いた。
俺は2人分の飲み物とドーナツを注文した。
ドリンクだけのつもりだったが、ドーナツまで買わされてしまった。
まぁそれは良い。チョコレートモカとチョコレートドーナツ。この組み合わせ、以前もどこかであった気がする。だけど思い出せない。
店員からトレイで受け取って、テーブルまで持っていった。
「ほらよ」
「ありがとう」
それから俺たちは、チョコレートモカで身体を温めて、ドーナツを頬張った。
「最近はどんな曲聴いてるの?」
突然、リョウがそんなことを訊いてきた。
「最近? そうだな......」
カバンからウォークマンを取り出した。
画面には、テイラー・スウィフトの『You Belong With Me』が表示されていた。
「
「俺も前までは避けてたんだけどな。カントリー風のポップスで、結構良いんだよ」
「晴臣はカントリー好きだもんね」
「一度聴いてみなよ」
「分かった。今聴く」
リョウは自分のカバンからイヤホンを取り出し、ウォークマンに差し込んだ。
「はい。片方」
リョウはイヤホンの片方を差し出してきた。
あまりにも自然だったので、つい受け取りそうになった。
「何で俺も?」
「一緒に聴かないと、良さが分からない」
「そんなことないだろ」
「そんなことある」
リョウは差し出した手を引こうとはしなかった。
そういえば、こいつは一度決めたことは絶対に折れないタイプだ。
俺はため息をついてイヤホンを受け取り、耳にはめた。
リョウは満足そうな顔をしながら、再生ボタンを押した。
バンジョーの優しいリフと共に、テイラーの歌声が耳をくすぐった。
「恋敵は自分よりもずっと素敵だけど、あなたは私といる運命なんだ」という、ワガママだけど、どこか繊細な女の子の心情を歌った曲だ。
曲が終わると、リョウはイヤホンを外した。
「うん、良い曲だね。カントリーにポップを乗せた感じ」
「だろ? 初期はそういう曲多いんだよ。中期あたりからはポップ中心になっちゃったけどな」
「他にもおすすめ教えて。一緒に聴こうよ」
俺たちは、いくつかの曲を片方のイヤホンで聴き、感想を言い合った。
「私は最近、サウジアラビアのヒット曲にハマっている」
「行く所まで行ったなぁ」
「失礼な。私に限界はない」
そうだ、音楽だ。俺たちの間に欠けていた、大切なもの。
音楽を通してなら、俺たちはかつての俺たちに戻ることができた。
欠けていたパズルピースが見つかったような感じがした。
さっきまでの沈黙を埋めるように、俺たちは音楽の話をした。
どれくらいの時間が経っただろうか。いつの間にか、雨は止んでいた。
「それじゃあ、またね」
「あぁ。帰り、気を付けてな」
駅前まで戻ってきた。今度こそ、俺たちはここで別れる。
「そうだ。さっきのレシート、まだある?」
レシートを制服のポケットに入れたことを思い出した。
「あるけど、それがどうした?」
「欲しい」
「え、どうして?」
「奢ってくれた分、いつか返す。忘れないために、持っておきたい」
「別に返さなくてもいいぞ、俺が奢りたかっただけだし」
「それじゃあ、ありがたく奢られる。でも、レシートはちょうだい」
レシートなんかもらって、何になるんだろう。でも、別に俺が持っている理由もなかった。
俺はポケットから折りたたんだレシートを取り出し、リョウに渡した。
リョウはそれを手に取ると、薄く微笑んだ。
それから、リョウは軽く手を振って人混みにまぎれていった。
リョウの姿が見えなくなってから、俺は大きく深呼吸した。
俺の顔は、自分でもわかるくらい熱くなっていて、胸の鼓動が早く脈打っていた。
リョウと会ってから、できるだけ感情を出さないようにしていたけど、あの笑顔は反則だ。
過去の記憶だけじゃなくて、そのときの想いまで、意識に上がってきてしまった。
この想いを知られるわけにはいかない。リョウにも、そして虹夏にも。
俺の胸の中で鍵をかけて、心の奥に閉まっておかなくてはいけない。
虹夏と付き合うまで、想っていた気持ち。
山田リョウのことが、ずっと好きだった。