性転少女は憧れのヒロインに手を伸ばす   作:緑茶わいん

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美夜のつぶやき

 松蔭(しょういん)美夜(みや)の朝は早い。

 

 一日は短く、やるべきことは多い。

 娯楽を排し、無駄を省いても足りない時間は、あるところ──例えば睡眠時間から削るしかなかった。

 夜ふかしをし過ぎると眠りの質が下がるため、夜の勉強や自主練はある程度で切り上げるようにしている。

 

 朝は、走るのにもいい時間だ。

 実家でも毎日走っていた。

 

 ぬいぐるみを抱いて眠りこけるルームメイトを尻目にジョギング用のウェアに着替えて。

 昔は姉と一緒に走っていたのを、ふと思い出した。

 

「……っ」

 

 きゅっ、と、唇を結ぶ。

 部屋の姿見を振り返ると、嫌な顔をしている自分がいた。

 ため息をつき、意識して表情を戻す。

 

 ──本格的な授業が始まって、二週間。

 

 自分で組み立てた時間割にも慣れてきた。

 移動の都合などで「こうしたほうが良かった」と思うところもあるが、それは次の科目選択の際に活かせばいい。

 今は、試験で少しでもいい結果を残すために、

 

「……行ってきます」

 

 静かに部屋を出て、エレベーターホールへと向かった。

 

 

 

 

 

「おはよう、美夜ちゃん」

 

 寮の外へ出ると管理人のななせに声をかけられた。

 彼女とはよく、ここで顔を合わせる。

 ななせの手はゴミ箱。

 

「いつも、こんな時間に掃除ですか?」

「ええ。みんなが通る前に綺麗にしておきたいでしょう?」

 

 わかるようなわからないような。

 しかし、彼女がハイレベルな『歌姫(ディーヴァ)』なのは間違いない。

 その証拠に、辺りのゴミがひとりでに浮き上がって自分からゴミ箱へ吸い込まれている。

 

 ──ななせが箒を持っていないのはこれが理由。

 

 実現するには念動か風操作を細かく行う必要があるか。

 もちろん、今の美夜にはとても真似できない。

 

「いつも早いけれど、ちゃんと眠れてる?」

「大丈夫です。だらだら寝るより質を高めて短く寝る方が効率的ですから」

「そう? ……うーん、そんなに肩肘張らなくてもいいと思うけど」

 

 困ったように眉を寄せるななせ。

 彼女のペースに巻き込まれると長くなりそうだ。

 美夜は強引に「では」と告げ、走り出した。

 

 ──心配は、管理人としての義務か。

 

 あなたの学院生時代はどうだったのか、とつい尋ねたくなる。

 もし、あのマイペースでここを卒業できたのなら、それは類まれな才能のおかげだ。

 

 誰にでも真似できることじゃない。

 

「才能なんて」

 

 呟き、前を見据えて、とにかく昨日よりも良いタイムを目指す。

 

 

 

 

 三十分ほどのジョギングを終えて戻ると、寮の前でななせと万桜、それから奏音が談笑していた。

 

「あ、美夜。いま帰り?」

 

 プラチナブロンドに、ピンクゴールドの瞳。

 日本人の特徴もある程度備えつつも色白で、独特の口調のせいか神秘的な印象も受ける少女──小鳥遊(たかなし)万桜(まお)

 彼女は、ななせと対する自分がかすかに笑みを浮かべていることに気づいているのか。

 

 日本人離れしている、と他人からよく評される美夜でさえも羨ましくなる美貌。

 

 そんな彼女がななせと話を弾ませていることに苛立ちを覚えて。

 

「そうよ。まだまだやることがたくさんあるもの」

 

 そんなところで油を売っていていいのか、と、若干の嫌味を込めた。

 万桜の、双子の妹──黒髪黒目の奏音がなにか言いたげにこっちを見てくる。

 それに気づかないふりをして「じゃあね」と通りすぎた。

 

「ん、また後で」

 

 なんの怒りもこもっていない万桜の声が、むしろ胸を苛立たせた。

 

 

 

 

 

 小鳥遊姉妹と出会ったのは入寮当日だった。

 初めてできた友達、と言っていいだろう。

 他の生徒のことは(ルームメイトも含め)友達だとは思っていない。

 

 ルームメイトとクラスメート、友達は違う。

 

 友達なんて、多くはいらない。

 お互いに高めあえない相手を「友」と呼ぶ気はない。

 だから、美夜が「これは」と思った相手だけでいい。

 

 ひと目見た時から、小鳥遊姉妹は別格だった。

 彼女たちならきっといい刺激を与えてくれる、そう思ったから一緒にいることにした。

 

 その判断は間違っていなかったはずだ。

 

「……奏音はいいのよ」

 

 一人、エレベーターの中で呟く。

 

 妹のほうは絵に描いたような優等生。

 姉に対する執着が強すぎること以外は欠点らしき欠点がない。

 一緒になる授業もいくつかあり、そのすべてで及第点以上を挙げている。

 美夜は、奏音をライバル筆頭だと思っている。

 

「問題は──あいつ」

 

 万桜のことが嫌いなわけじゃない。

 侮っているつもりもない。

 

 のんびりしているように見えて、時々、すべてを見透かしているような時がある。

 人当たりがいいのに、自分から「友達を増やそう」と躍起になるタイプではなく──心地のいい距離感を保ってくれるタイプ。

 長毛種の猫のような、かまってあげたくなる独特のカリスマ。

 

 だからこそ、最近は苛立たずにいられない。

 こんな気持ちが生まれたのは授業が始まってからだ。

 この子はきっとすごい子だ。

 そう思っていたのに、体力はまるでなく、歌もダンスも技術的にはまるで素人。

 正直、がっかりした。

 

 なのに。

 

 

 

 

 

 思い出すのは一回目の能力訓練の授業。

 

『初回なので、まずはみんなのエナジー値を測りましょう』

 

 担当教師はそう宣言して一人ずつ測定機器を使用させた。

 エナジーとは『歌姫』が能力に用いる力のことだ。

 たまに男子みたいな感性をする万桜は「つまりMPみたいなもの?」と言っていた。

 

 エナジー量の国際基準が定められたのは今から三十年以上も前。

 1エナジーは、当時の平均的『歌姫』が1kmをマッハ1で飛んだ時の消費量。

 

 技量によって消耗は違うし、今の『歌姫』は当時よりも圧倒的に高水準。

 あくまでも目安に過ぎないが、

 

『松蔭さんのエナジーは──すごい、51000!』

 

 美夜の数値を聞いてクラスメートたちはどよめいた。

 教師も「入学直後でこの値はすごい」と太鼓判を押してくれる。

 

 基準に則ると、五万あれば音速で地球一周が可能。

 実際、他のクラスメートにこの数値が破られることはなかった。

 つまり学年トップのエナジー量だ。

 

 ──最後に測定機器を取り付けた万桜を除いては。

 

 万桜の装着した機器はエラーを起こした。

 特徴的な音に教師はデバイスを確認して「やっぱり」と頷く。

 彼女は担任である高峰真昼と顔を見合わせて、

 

『小鳥遊万桜さんのエナジー量はこの機器では測りきれないようです。この機器が判定できるのは100000エナジーまでですので』

 

 さっきまで美夜を称賛していたクラスメートが一瞬にして顔色を変えた。

 

『万桜ちゃんのエナジー量は入試の段階で153000。……だから、今はもうちょっと増えてるかもね』

 

 後はもう大騒ぎである。

 クラスメートたちがきゃあきゃあ言う中で、当の万桜だけが「どのくらいすごいの?」とでも言いたげに瞬きを繰り返していた。

 どうせ、奏音が最低限の説明しかしていなかったのだろう。

 

 エナジー十五万は約地球三周。

 他の例え方をするなら、

 

『全盛期の真昼先生と同じくらいのエナジー!』

 

 美夜は、誰かのそんな声を聞いて──途方もない嫉妬にかられた。

 万桜の歌声も、技術こそ伴っていないものの、なにか人を惹き付ける『魅力』があった。

 

 それこそ、高峰真昼の再来を感じさせるほどに。

 

 だからこそ、万桜を見ているとときどき平静でいられなくなる。

 彼女が大した実力もないまま燻っていることが。

 美夜の欲しかったものをことごとく持っていることが。

 

「さっさと、実力つけなさいよ……馬鹿」

 

 誰にも聞かれることのない呟きを美夜は一人、静かに漏らした。

 

 

    ◆    ◆    ◆

 

 

 休日の買い物で手に入れた自主練用のウェアは白地にピンクのとても女の子らしいデザインだった。

 ピンク面積抑えめなので女子高生でも使いやすくはあるが、「可愛い」が前面に出てくることは否めない。

 

『……女子だってみんなピンク好きってわけじゃないんでしょ?』

『ですが、お姉様に任せると黒で統一するでしょう?』

『格好よくていいじゃない』

『ファッションに興味のない愚民並のセンスですよね』

 

 万桜は吐血しそうになった。

 奏音の言う『愚民=男子』なので、まあ「お前陰キャオタクっぽいよな」と言われたに等しく──以下略。

 苦悶を表情に浮かべた万桜に、奏音はにこにこしながら、

 

『黒は黒でもゴスロリなどお召しになるのでしたら賛成ですが』

『わたしより奏音のほうが似合うと思う』

『では、お姉様は白、わたくしは黒で合わせましょうか?』

 

 放っておくと本当に買いそうなので「やめよう。ね?」と懇願して諦めてもらった。

 まあ、購入したウェアは似合ってはいるし、着心地も良好。

 何日か着ていたら違和感もなくなってきたのでこれはこれで悪くない。

 

 買い物ではついでに他の足りないものも買い揃えたのだが、

 

『とりあえず下着と、お姉様の私服ですね』

『まだ女性服売り場(ここ)にいないといけないの……?』

『そんなことを言って、ぜんぜん足りていないではありませんか』

 

 確かに、そのあたりは奏音の用意してくれた少数の品で回していた。

 どうせ平日は制服だし、なんなら休みの日の外出も制服でいいと思うのだが。

 

 部屋で寛ぐ際に楽な格好ができるのはわりと大きい。

 下着も洗い替えや、授業後に着替えることを考えると多い方がよく。

 

『念のために測っていただきましょうね?』

 

 店員さんは快く応じてくれて。

 大人の女性とこんなに密着していいのか……? とか思っているうちに終了した測定結果は、万桜がまだ成長傾向にあることを示していた。

 まだ大きくなりたがっているとは、やっかいな身体である。

 

 女子の服、下着は男子に比べてデリケート。

 なにしろ気にしなければいけない部分が多いため、気軽に通販すると「サイズが合わない」が多発するらしい。

 無駄遣いはしたくないので、なるべく試着しながら品を選んで。

 

『ね、奏音? わたし、どれがお洒落とかわからないんだけど』

『お姉様が自分で可愛いと思うものでいいと思いますよ』

 

 なるほど、そう言われるとやはり黒、いや清楚な白、いや案外赤とか青も捨てがたいか……?

 色も形も様々な女性ものの衣装を前にぐぬぬ、と悩んでいると、双子の妹は大変いい笑顔でそれを見守ってくれた。

 

 結局、運動用のブラに通常用の下着を複数購入、さらに私服も少し買い足して。

 

『せっかくですからソープ類も買っておきたいところですね』

『今使ってるやつもまだ残ってるけど?』

『シャンプーやボディソープは体質や好みに合わせて選ぶものですよ、お姉様?』

 

 有名メーカーの無香料のやつで良くね? という男子脳は女子には通用しないらしい。

 どれがいい? と言われてもよくわからないので、その日は試供品を片っ端から調達していくことになった。

 

 その日の夜以降、試しにいろいろ使ってみるとたしかに使い心地も匂いもだいぶ違う。

 男がこんな匂いさせてたらキモいな、と思う反面、女子の匂いだと思うとテンションが上がるのもわかった。

 

 それから、

 

『あ、お姉様。ぬいぐるみがありますよ?』

『ぬいぐるみって、小学生じゃないんだから』

『可愛いものを愛でるのに年齢は関係ありませんよ』

 

 確かに、中学の時の体育教師は五十代のおっさんだが無類の猫好きだった。

 グラウンドに猫が迷いこむと授業そっちのけで愛で始めるのは愛嬌というべきか職務怠慢というべきか迷うところだが。

 

『ぬいぐるみかあ』

 

 意外と種類のあるそいつらをしばし眺めて、確かに可愛いな、と思う。

 なんだかんだ偉そうなことを言いつつ、『歌姫』に憧れがある時点で可愛いものが嫌いなわけがないわけで。

 万桜は気になったキツネのぬいぐるみを手に取ると、しばしもふもふと感触を確かめてみた。

 

 柔らかくて楽しい。

 

 夢中で愛でていると、にこにこした奏音が、

 

『買いましょうか?』

『……うん』

 

 こうして万桜たちの部屋にぬいぐるみが加わった。

 

 

 

 

 

 本格的に開始された授業はひとまず順調。

 初心者向けの科目を選んだ甲斐あってわかりやすく教えてくれるので万桜でも理解しやすかった。

 まあ、実技科目に関しては「それはそれとして運動量はハードですよ」なのだが。

 

 朝のジョギングの甲斐あってか、あるいは毎日たっぷり食べているせいか、体力は少しずつ、着実についてきている。

 歌やダンスに関しても素人の見様見真似と体系的に教わるのでは大違い。

 一歩、階段を上った感は確実にあって。

 

「松蔭さんは欲張り過ぎだよ。もっとみんなで分担しよ?」

「でも、それじゃ学年全体の点数が下がるじゃない」

 

 新入生の生活が少しずつ落ち着いてきた頃、学院は五月に行われる体育祭に向けて動き始めた。

 

 そんな中、勃発したのは美夜と、他の1−A生との言い争いだった。

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