「……おお」
身体を使う科目でもメロディを口ずさむようにしたら、放課後まで気力体力が残るようになった。
若干恥ずかしいが、慣れれば気にならなくなるかもしれない。
そういうわけで、放課後は奏音と一緒に学内のフィットネスルームへ。
無人の受け付けで認証を行うことで、歌姫科の生徒と普通科の女子だけが先に進むことができる。
中はもう、フィットネスルームというかスポーツジムである。
「広い。しかも、いろいろ揃ってる……」
「さすが心奏ですね。歌姫科の生徒には欠かせない設備です」
部位ごとに特化した各種トレーニング機器。
ランニングマシーンもある。
個人でグラウンドを借りるのは難しいので、代わりとしてとても良さそうだ。
まだ放課後になって間もないのに利用者もすでに多い。
清潔感もあるし、休憩所には飲み物やちょっとしたお菓子などが自販機で買える。
なにより利用料はタダである。
「ここはかなり入り浸れそう」
同じ目的の人間しかいないので人目も気にならないのも。
女子しかいない空間故、男の汗臭さとはまるで違うにおいが少々、罪悪感をかき立てるが。
専用の更衣室で着替えて早速、運動をすることにした。
「走るのに向いてるマシンは……」
「下半身の筋肉を重点的に鍛えることになりますね」
言われてふと、自分の太腿を見下ろせば、くすりと笑った奏音が顔を近づけてきて、
「お姉様の足が肉感的になっても、わたくしは幻滅しませんよ?」
「……別に、気にしてるわけじゃない」
むしろ細いくらいだから肉をつけたほうがいいわけだし。
まあ、尻に関しては現時点で男だった頃より大きいし、足も鍛えると「むちっ」としてきて余計に男離れしそうだが。
「っていうかこの学校、みんな鍛えてるわりにアスリート体型少なくない?」
「理想の体型へと無意識に自分を近づけているからかと」
例によって、能力は無意識でもちょっとずつ発動しているのである。
そしてもちろん、意識的に使えばより効率的。
「じゃあ、奏音。しばらくしたら一緒に帰るってことで」
「はい。わたくしは全身を適度にくまなく鍛えようと思います」
妹と分かれて、万桜は下半身中心のフィットネスに挑んだ。
◇ ◇ ◇
「……はあー。なんか男だった頃よりご飯が美味しい気がする」
「ふふっ。まだまだ育ち盛りですからね」
二時間くらいみっちり運動をして、寮に帰ると美夜と一緒に夕食。
動いてお腹が空いたので大盛りメニューをきっちり平らげた。
部屋に戻ってきて感じるのは満腹感と爽快感だ。
「せっかくだからもう少し筋トレでもするかな」
「お姉様、とても張り切っていらっしゃいますね」
「そりゃあな。多少有利になったくらいじゃまだまだ美夜には勝てないだろうし。やれることはやっておかないと」
それに、心地の良い汗をかくのは気持ちがいい。
笑って答えると、奏音は目を細めて微笑んでくれる。
「本当に、お姉様のそういうところはかけがえのない美点だと思います」
「ああ。なにせ中一で止まってたからな。こういうアホみたいな特訓は好きなんだ」
走ったり踊ったりする時に胸が揺れるのは未だに慣れないが。
「朝の特訓、放課後の特訓、寝る前の筋トレ、飯はしっかり食べて睡眠時間も取る。いかにも特訓、って感じでいいよな」
「はい。確かにお姉様は少しアホかもしれません」
「おい。なんでこのタイミングで罵倒された?」
奏音は素知らぬ顔で「お姉様はそのままで良いのです」と答えてきた。
◇ ◇ ◇
能力を意識的に使うようになるとトレーニング効率は本当に変わった。
目標を見定めたのも大きいかもしれない。
本当に日に日に──毎日、成果が出ているのが実感できるレベル。
本当なら短期間でここまで劇的な変化はしないんだろうが、それもまた能力の影響なのだろう。
次第に、授業の持久走にもついていけるようになって。
歌やダンスの授業でもバテにくくなった。
能力の授業では逆に、エナジーが尽きてダウンすることはまったくなく。
しばらくして──放課後グラウンドを借りるのは難しいものの、早朝なら案外借りられることに気づいた。
せっかくなので借りられる時は借りて思いっきり走る。
走るたびにタイムは上がり、走れる時間、回数も伸びて。
「結果が出ると練習するのも楽しいね」
食事の席でこぼしたら、美夜に「そりゃ最初のうちは楽しいわよ」と睨まれた。
「あたしたちがどんな思いで頑張ってきたかあんたはわかってない。成長すればするほど伸びは悪くなるんだから」
「じゃあ、わたしはもっと頑張らないと美夜たちに追いつけないんだね」
今のままの成長ペースで行けると思ったら大間違いだ。
自分に言い聞かせていると、美夜はふん、と顔をそらして、
「ちゃんと負かしてあげるからしっかり頑張りなさい」
それにしても、これ以上の特訓となるとなにをしたらいいのか。
睡眠時間はあまり削りたくない。
授業には出ないといけない。
登下校の時間はこれ以上ないほど削れていて、さらに上を目指すなら飛ぶか瞬間移動でもするしかない。
となると、授業中に並行して特訓をするしかないか。
「空気椅子とか」
「それ、なんだったかしら? エアベッドとかの親戚?」
「ううん、椅子に座ってるフリして足だけで身体を支えるやつ」
真顔で言ったら「馬鹿なの?」という目で見られた。
「そりゃ負担はかかるだろうけど、あんた座学取ってないじゃない」
そういえば、そもそも座って受ける授業がほぼ皆無だった。
座ってる時も体育座りとか女の子座りが多い。
「じゃあ食べているときだけでも」
「足、攣らないようにしなさいよ」
攣った。
あとできそうなのは常時ウェイトを仕込むとかそっち系の特訓か。
重りつきリストバンドみたいなのがないか、と思いながら探してみたらあっさり見つかった。
調べてみたらマンガみたいな「常時ウェイト修行」は意味がないみたいな話もでてきたものの、万桜は「まあやってみるか」と試してみることに。
両手両足に1kgちょっとの重りをつけて生活してみると、
「これくらいでも意外ときついな……?」
「それはそうでしょう。分散しているとはいえ、5kgのお米の袋を持ったまま生活しているようなものなのですよ?」
「ってことは、少なくとも体力はつくってことだな」
二、三日その状態でトレーニングを続けたら着けた状態で前と同じタイムが出るようになった。
これに奏音は「驚きの効果です」と目を丸くして、
「案外、思い込みの効果というのは大きいのかもしれません」
「マンガに影響されるのも悪いことばかりじゃないってことか」
調子に乗って重りを2kgに増やして、さらに特訓を続けて──。
「あの!」
「?」
ある日の早朝トレーニング終了後。
グラウンドにゴミとか落としてないか確認していたところ、二人組の男子生徒に声をかけられた。
男子。
そういや普通科にはいるんだっけか、と内心割とひどい感想を抱く。
なにしろ座学を取っていないので男女一緒になる授業がない。
絶対数が少ないのであまり目に入らないし、寮も当然別だ。
ほとんど接点のない男子がいったいなんの用か。
見たところ二人とも一年生のようである。
普通科であっても男子が入学するのはかなり難しい。ということは彼らも相応に優秀ということになるはずだが。
──なんか緊張してるな?
顔も赤いしガチガチである。
別に同い年なんだからそこまで緊張しなくても……いや、たぶん今の万桜は彼らより運動能力高いわけで、単に警戒されているのか?
「わたしになにか用?」
尋ねると、彼らは蛇にでも睨まれたみたいに硬直した。
なんだよその反応めっちゃ傷つくんだが。
若干むっとしてしまう万桜。
すると彼らは数秒してから顔を見合わせ、手にしていたものを同時に差し出してきた。
「最近、朝に走ってますよね? お疲れ様です!」
「これ、良かったら使ってください!」
タオルと、ペットボトルのドリンク。
なんだ、差し入れか。
変に警戒してしまったことを申し訳なく思いつつ、ん? と気づく。
男子が女子に個人的な差し入れ。
顔を真っ赤にして緊張気味。
──ひょっとして俺、モテてるのか?
今更だが万桜は美少女である。
中身は男だが、知らない奴らからしたらそんなことは関係ない。
しかも歌姫科のAクラスなのだから、こういう相手がいても自然だ。
ははあ、なるほど、こいつら俺に憧れているのか。
万桜はニヤニヤしてしまいそうになるのを必死で堪えた。
男子として彼らの気持ちはよくわかる。
こいつら、将来的に俺に踏んでもらったり、椅子にしてもらいたいんだな。
数秒かけてそう理解し──笑みではなく、何度か鏡で練習したことのある「クール美少女の塩対応顔」を作って。
「悪いけど、知らない人から物は受け取れない」
決まった。
男子二人は衝撃を受けたような顔で硬直し、やがて「……そうですか」と肩を落とした。
万桜はそんな彼らには目もくれず、自分の荷物を持ち上げてグラウンドを歩き去る。
万桜はもともと女性至上主義者である。
女性を、特に『歌姫』を信仰していると言ってもいい。
彼女たちに尽くすのは当たり前のことだし、踏んでもらったり、椅子にしてもらったり、冷たい目で見下してもらったり、首輪をつけられて散歩させられたりするのは最高の幸せだ。
男はすべからく女性に尽くすべし。
この信条は女になった今でも変わっていない。
内面は男のつもりだが、社会的立場が女性である以上は女として振る舞うのが当たり前。
女子になった今の万桜に、男子に対してできる最大限の好対応、それが『絵に描いたような塩対応』である。
きっと彼らは後で幸福にのたうち回ることだろう。
実に良いことをした。
その日一日、彼らのおかげで上機嫌だった万桜だが、寮に帰ってから奏音に自慢すると、
「いえ、あの、そのお二人は普通にショックを受けたのではないでしょうか?」
「なんでだよ!? あれか、ゴミを見るような目で『……キモ』とか言わなかったのが失敗か!?」
「そうではなく。誰もが女性の前に這いつくばりたいわけではないのですよ、お姉様?」
「……なんということだ」
わかってはいたが、女子と対等なつもりでいる男子が存在するとは。
若干の呆れ顔でため息をついた奏音は「まあ」と続けて、
「愚民ごときにお姉様がいい顔をする必要はない、というのには全面的に同意いたしますが」
「いや、お前のほうがひどいこと言ってるよな?」
「わたくしには男性にいい顔をする理由が特にありませんので」
これである。
美夜は美夜で男子をアホ扱いしていたし、この手の扱いはそんなに珍しいものではない。
特に『歌姫』に関しては思い込みとかではなく本当に男子、というか他の人類よりも優れたところを持っているわけで。
基本的に温厚で、日夜平和や安全に貢献している彼女たちなのだから、多少男に対して辛辣でもそのくらいはぜんぜん許容範囲だ。
万桜はぐっ、と、拳を握って。
「そうだよな。歌姫はそうでなくちゃな」
「いえ、あの、お姉様こそが男性の地位を引き上げる鍵といえるとも思うのですが」
「は? やるなら男全員が歌姫の素晴らしさを理解するように動くほうだが?」
「……そうですね、お姉様はそれで良いと思います」
特に男と付き合う気とかはまったくない万桜だが、いつか面と向かって「踏んでください」とか「豚と罵ってください」とか言われたら応じてやりたいと思う。
いや、それともそういう時こそ絶対零度の視線と共に罵倒するべきか。
そんなことを頭の片隅で考えつつもトレーニングは進み──。
あっという間に、美夜との勝負の日がやってきた。