性転少女は憧れのヒロインに手を伸ばす   作:緑茶わいん

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三章
新学期 飛行訓練の始まり


 空を駆ける『歌姫(ディーヴァ)』。

 数えきれないほど見て、そのたびに憧れてきた姿。

 

 今でもあれに追いつけるかはわからない。

 けれど、手を伸ばすと決めたのだから。

 

 見上げるのではなく、追いかける。

 

 『歌姫』の卵に与えられた時間は長いようで短い。

 確実に、駆けるように、上っていかなくては。

 

 

    ◇    ◇    ◇

 

 

 八月が終わりに近づくと、寮には続々と生徒たちが戻ってきて。

 少し静かだった街はまた元の活気を取り戻す。

 

 そして、九月初め。

 国立心奏学院でも始業式が行われた。

 瞬間移動までもふんだんに用いたライブパフォーマンスに万桜たちは目を輝かせ──それからクラスごとのHRに移動。

 

「二回目だからだいたいわかると思うけど、二学期はまた新しく時間割を組んでもらいます」

 

 絨毯の上に腰を下ろし、クッションを抱いて座って。

 1⁻Aの担任である高峰真昼から簡単なガイダンスを受けた。

 両隣には奏音と美夜。

 残念ながら、ミアはBクラスなのでここにはいない。

 

「苦手を潰すか得意を伸ばすか、いろいろと考えはあるんじゃないかな。一学期の反省もぜひ次に活かしてみてね。……それから、大事なのは必修科目が変わること」

 

 真昼のデバイスを通してホロウィンドウが展開され、万桜たちに文字と画像が示される。

 

「やることはだいたい同じだけど……一つ、すごく大事な変更点があります。それは能力制御の授業で『飛行訓練』が始まるってこと」

 

 先輩方から話を聞いたりして、覚悟はしていた。

 空を飛ぶのは一般人にもわかりやすい『歌姫』の長所だ。

 心奏学院では空を飛べるようにならなければ、二年生には上がれない。

 

「三学期の期末試験までに飛べるようになればいいから、まだまだ時間はあるけどね。でも、みんな空飛んだことないでしょ?」

「あるわけないじゃないですかー」

 

 クラスメートの一人が答えると、みんなの間で笑いが起こった。

 真昼は「そうだよね」と頷いて。

 

「だから、ちょっとずつ練習していこう。こんなに早く始めるのはむしろ、後で焦らなくていいようにだと思ってね?」

 

 例によって明日からの数日は時間割を決めるための期間。

 その間は必修科目が詰め込まれて──夏休みの間に鈍った身体を叩き起こしたり、新しい授業に向けての導入に使われる。

 ある意味、心奏での生活はここからが本番と言えるかもしれない。

 ここは単なるアイドル養成学校ではないのだから。

 

 

    ◇    ◇    ◇

 

 

「ほんと、心奏(うち)の授業って厳しいわよね。わかってはいたけど」

 

 始業式ということもあって生徒たちは昼前には解放された。

 美夜とミアも誘って四人でカフェテリアに行き、作戦会議という名の情報交換(という名の雑談)に興じる。

 休み中も買い物に行ったり海に行ったりしていたのでそんなに久しぶりという気はしないが、四人でこうして学内にいると「日常が戻ってきた」という気がする。

 

 万桜たちが四人で座るとお洒落なテーブル席がより華やかだ。

 

 中学一年生の時、『歌姫』との衝突事故によって重傷を負い──紆余曲折あって女の子になってしまった元男子、小鳥遊(たかなし)万桜(まお)

 女子になった万桜の容姿は双子の妹である奏音(かのん)にそっくりだ。

 違うのは万桜のほうが胸が大きめであること、黒髪黒目の奏音と違い、万桜はプラチナブロンドにピンクゴールドの瞳を持っていること。

 それから、万桜の耳には特待生の特権として手に入れた特別なデバイスが揺れていること。

 

 二卵性の双子なので似ていなくても不思議はないはずなのだが、ともあれ。

 

 万桜たちがこの学院で最初に仲良くなった松陰(しょういん)美夜(みや)は自他共に認める優等生であり、実はAクラスの担任・高峰真昼の実の妹でもある。

 真昼の髪・目の色は美夜とは似ていない、むしろ万桜にそっくりだったりするのだが──美夜は美夜で金髪碧眼かつ色白の美少女だ。

 

 美夜と同室の明星(あけほし)ミアは髪・瞳ともに赤系。

 小学校卒業と同時に飛び級して心奏に入学したという異例の天才少女は、年齢相応に小柄で愛くるしい。

 くるくるとよく変わる表情と持ち前の明るさから、一年生のみならず上級生にもファンが多い。

 

 ──日本人である万桜たちの容姿がこれだけバラバラなのは、混血が進んでいるからだ。

 

 かつての大戦に『歌姫』が介入して以来、世界は『歌姫』中心に変化し発展してきた。

 戦争をよしとしない風潮は国際交流を加速させ、国際結婚はそう珍しいことではなくなっている。

 特に『歌姫』はその傾向が強く、万桜たちにはそれぞれ海外の血が入っている。

 

 もちろん、みんながみんな容姿に現れるわけではないし、奏音のように黒髪黒目の生徒も多いのだが。

 

「どうせ美夜のことだから予習はしてるんでしょ?」

 

 四人の注文したメニューは揃ってパンケーキだった。

 ただし、トッピングがそれぞれ違う。

 万桜が言いながらつついているのはプレーンのパンケーキにバターと蜂蜜をたっぷりかけたシンプルなもの。

 甘さとしょっぱさが同居する味わいはデザートとも言えるし食事としても成立する。

 

「そりゃ、多少は練習してるわよ。でも、授業で習うまでは抑えてるわ」

「それは、やはり危険だからですか?」

 

 美夜はアイスや果物などがたっぷりの、今風のトッピング。

 尋ねた奏音はバニラアイスとメープルシロップという、シンプルながら万桜より甘めのチョイス。

 

「そ。最初のうちは慣れてる人に見てもらいながらのほうが上手くいくのよ、ああいうのは」

「そうだよねー。自転車乗る時も最初はママが付きっきりだったもん」

 

 ミアのパンケーキは焼いたベーコンがトッピングされたアメリカンなスタイル。

 他人が食べているとたいていのものは美味しそうに見えるが……焼いたベーコンってその中でもかなり「いいなあれ」となる率が高くはないだろうか。

 パンケーキと言えばバターと蜂蜜だろう、と敢えて選ばなかったが、あれはアリだな。

 今度試してみようかと考えていると、気づいたミアが「万桜ちゃんも食べる?」と一口分けてくれた。

 美味い。

 ベーコンの脂が口内に広がって男子心を刺激する。お返しに自分のを一口差し出すと、ミアはぱくっと口に入れて「美味しいー!」と笑った。

 

「万桜、あんたは飛ぶ訓練しなかったわけ?」

「うん。わたしはそのへん疎いから、授業で習ってからにしようかと」

 

 美夜のパンケーキも果物の酸味で案外飽きずに食べられそうである。

 金髪の少女は「あげないわよ?」と釘を刺してから「ふーん」と相槌を打って、

 

「まあ、あんたたち随分忙しそうだったもんね」

「美夜ちゃん、あんまり遊んでもらえなくて拗ねてるんでしょー」

「そんなわけないでしょ!? あたしだって自主練で忙しかったんだから」

 

 まあ、実のところ美夜の指摘もあながち間違いではない。

 

 美夜たちと遊びに行ったり、実家に戻ったり、やることも多くて自主練に集中とはいかなかった。

 特に、アルバイトとして雑誌の取材を受けたり同人誌即売会でコスプレしたのは、他の多くの生徒と違う点だ。

 ちょっとアレな実母から独り立ちするための努力なのだが、あまりバイトばかりしていると肝心の成長が疎かになる。

 

「わたしは今まで覚えたことのおさらい中心だった。走ったりできない時は無駄に思考加速したりとか」

「無駄にできるほどエナジー余らせてるんじゃないわよ」

 

 無駄と言ってももちろん訓練としての意味はある。

 それを無駄と言うなら朝のランニングとかも無駄になりかねないが……まあ、美夜の言いたいこともわかる。

 

 『歌姫』にはエナジーと呼ばれる力がある。

 これを消費して能力を行使することで、『歌姫』はおよそどんな不思議現象でも起こすことができる。

 エナジー量には個人差があり、万桜のそれは大人の、一線級の『歌姫』のそれに匹敵する。

 もしもこれから二年以上にわたって伸び続けたとするならば、最終的には歴代トップクラスのエナジーに至るだろう。

 

 早くから大量のエナジーを保有すれば、それを使って多くの訓練ができる。

 そういう意味ではミアもまた、一年生のトップ層に比べると見劣りする量=中一時点としては驚異的なエナジー量を持っており、また本格的な成長期を迎える前から心奏でハイレベルな授業を受けられるという、ある種のチート状態。

 とは言え美夜だって入学前からあれこれ準備できる経済力と、下積みに耐えられる根気と集中力、肉親に有名な『歌姫』がいるというコネクション、そして何よりも人一倍の負けん気を持っているのだが。

 

「言っておくけど負けないわよ。あたしだって、あんたたちにほいほいトップ渡したりしないんだから」

「うん、わかってる。美夜に負けないようにわたしも頑張る」

 

 中一の事故から二年以上も昏睡して、それから初めて『女の子』を始めた万桜は、エナジーこそ多いものの経験的にはマイナスからのスタートなのだ。

 

 

    ◆    ◆    ◆

 

 

「ねえ、奏音」

 

 そろそろカフェテリアを出ようかというところ。

 万桜とミアが連れ立ってトイレに向かったところで、奏音は美夜に呼びかけられた。

 真摯な視線。

 

「……なんでしょう?」

 

 居住まいを正して尋ねれば、返ってきたのはシンプルな問いかけだった。

 

「あんた、一人の時間取れてる?」

「それは」

 

 シンプルだからこそ返答に迷った。

 

 単純に答えるならば「ノー」だ。

 寮では同室。

 実家にいた時もついつい互いの部屋を訪ねてしまう。

 用事のほとんどは二人一緒のもので……万桜もいないところで、本当の意味で一人になる時間はごく少ない。

 

 美夜は多くを語ろうとしない。

 万桜たちもじきに戻ってくるからだろう。

 逆に言えば、万桜のいるところではしたくない話ということ。

 言葉通りの問いかけならそんな必要はないはずで。

 

 ──考えれば自ずと意図はわかった。

 

 さっきまで話していたのは「夏休み中の自主練について」だ。

 夏の間、いや、もっと以前から奏音は「万桜の努力に付き合って」きた。

 もちろん自分なりの努力はしてきたものの、人に与えられる時間は平等だ。

 

 費やした分だけ、他に割ける時間はなくなる。

 

「あいつは天才よ。……同じことしてても、追いつけないでしょ?」

「わたくしは」

 

 笑って流せばいいはずだった。

 なのに、言葉に詰まってしまう。

 

 万桜は間違いなく天才だ。

 

 そのことは、正面から万桜にぶつかってきた美夜が良く知っている。

 生まれてからずっと共に歩んできた奏音は、さらに深く。

 エナジー量一つ取ってもわかるだろう。

 奏音の数倍を誇る万桜の訓練方法は独特のものにならざるを得ない。

 

 それでも食らいつこうとする美夜もまた別種の天才と呼ぶべきだが──食らいつくには、自分なりのやり方が必要だ。

 天才と同じことをしていては追いつけるはずがない。

 

「……わたくしは」

 

 考えがまとまらない。

 明確な言葉を紡げないまま、無駄に時を費やして。

 

「ただいま。……どうしたの、奏音?」

 

 万桜たちが戻ってくるとすぐ、美夜は何事もなかったかのように立ち上がった。

 

「別に。行きましょうか」

「……ええ、そうですね」

 

 笑顔を取り繕い、最愛の姉に寄り添う。

 それでも、胸には美夜に投げかけられた言葉がいつまでも残っていた。

 

 

    ◆    ◆    ◆

 

 

「わ」

 

 壁、床、天井すべてがふかふかの、クッションのような素材に覆われている。

 一歩踏み出しただけでぽふっと沈み込みそうになるそこは明らかに普通の部屋ではなかった。

 

「なにこれ、おもしろーい」

「ふかふかー!」

 

 クラスメートたちが歓声を上げたのも無理はない。

 巨大トランポリンで遊ぶようなノリの彼女たちに、担任の真昼が「はいはい、一回戻って」と声をかけて。

 部屋の入口前にある普通(床が沈まないという意味で)のスペースに生徒たちを集めた。

 

「わかった? ここは飛行訓練のための部屋です。ドアを閉めればぜんぶふかふかだから、どこかにぶつかっても大丈夫」

「それって、飛ぶのに失敗してってことですか?」

「そうだよ」

 

 答えながら、真昼は事も無げに浮かび上がった。

 床から三十センチ以上も離れたうえで横に、縦に一回転。

 残念ながら今日はパンツルックなので下着は見えない……ではなく。

 

 ──精神集中した様子も、歌を歌うこともなく安定した飛行。

 

 昔から、生身で地球一周できるのが『歌姫』なのだから当然と言えば当然だが。

 

「あの、真昼先生っていまエナジーどれくらいなんですか?」

「ん? うん、二万ないくらいかな?」

 

 化け物か。

 例外である万桜を除いても奏音や美夜など、既に二万を超えている生徒はいる。

 いるが、同じだけのエナジーがあるからと言っていま同じことができるわけがない。

 というか、ほとんどのエナジーを失ったはずなのに二万近く残っているってどんだけだ。

 

 さすが、元一線級の『歌姫』。

 

 真昼はすとんと床に降りると、告げる。

 

「制御できるようになれば自分で止まれるし、速度も調節できるけど──慣れないうちは急にスピードが出たりしてすごく危ないんだよ」

 

 エナジー量の基準は、昔の平均的歌姫がマッハ1で飛んだ時の消耗量。

 つまり、その気になれば万桜たちも音速で飛べるということ。

 もし、練習をミスって硬いところに激突したりしたら。

 

「いい? これから飛ぶ練習を始めていくけど、絶対、無茶はしちゃだめ。外で勝手に練習するのもだめ。飛ぶより前に『どこかに衝突しても死なないで済む方法』を練習するから、絶対に覚えて」

 

 こうして新学期、万桜たちの新しい試練が始まった。

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