「小鳥遊万桜さん、あなたが好きです。私と付き合ってください」
ななせの部屋は大人の落ち着いた雰囲気が漂っていた。
整理整頓はしっかりされている一方で、要所には可愛い小物があしらわれている。
淡い色合いにまとめられた家具や内装は十分に女性らしく、初めて来たのにどこか居心地の良さを感じてしまう。
美味しい紅茶にちょっとしたお菓子。
向かいあって座り、最初はライブに関する話をした。
万桜が二度のライブでの苦労を語ると、ななせは、今度万桜たちが歌う曲の難しかったところなどを聞かせてくれる。
普通に参考になったので「あれ、やっぱり奏音も来れば良かったんじゃ」と思ったあたりで少しずつ雰囲気が変わって。
頑張っているとか、雰囲気が柔らかくなったとか、たまに見せてくれる笑顔が素敵とか褒め頃されて、さすがの万桜でも「もしかしてそういう話か?」とどきどきを隠せなくなったところで──告白、された。
テーブル越しにじっと見つめられての、冗談めかしたところの一切ない言葉。
彼女の瞳に吸い寄せられたまま視線が動かせなくなる。
ななせの部屋にいるせいか、呼吸するだけで彼女のにおいを感じられて不思議な気分になる。
部屋に招かれるというシチュエーションで少しだけ警戒というか「危険はないよな?」みたいな気持ちはあったのだが。
実際には、押し倒されるどころか手も触れられないままに真っすぐに求められた。
ぶっちゃけこんなの万桜じゃなくても落ちるんじゃないのか?
少なくとも、男子だった頃なら即答で「よろしくお願いします」である。
女子になった今でさえどきどきが止まらない。
胸を手で押さえたくなりながらなんとか唇を開いて、
「……あの、どうしてわたしなんですか?」
「万桜ちゃんを独り占めしたくなったから、かな」
さっきから殺し文句しか飛んで来ないのだが。
「独り占めって」
「恋人同士って、特別な関係でしょう? 親子よりも姉妹よりも、ずっと。自分で選んだ一人だけのパートナー。恋人になれれば、私は万桜ちゃんの特別でいられる」
「本気、なんですよね?」
「もちろん、本気。冗談だったらいくらでも怒ってくれていいよ」
……というか、これ、断る理由あるか?
男に戻る気はさらさらない万桜だが、心まで乙女になったつもりはない。
要するに男子には別に興味がない。
まあ、女子として生きる覚悟を決めた以上、そのうち結婚する可能性とかは否定しない。
そのための準備として、なんか適切そうな男子から告白されたら試しに付き合ってみてもいいかな、くらいの気持ちはあるが。
ぶっちゃけ、どうせ付き合うなら女の子のほうがいい。
お試しのつもり、一生添い遂げることを前提にしない──破局する可能性を想定して付き合うなら、なおさらだ。
男子と付き合うのなんてそれからでも遅くないわけで。
頭の中でそんなふうに思考を巡らせていると、ななせは「もちろん、返事は待つから」と言った。
「こんなこと、簡単には決められないでしょう? ……万桜ちゃんにも気になっている子とかいるかもしれないし」
「や、そんなことは」
「本当?」
さらに瞳の奥を覗き込まれて。
いや、本当にいない。
そりゃ美夜とか蛍とか、男子だった頃ならたぶん好きになっていたが。
友達や先輩後輩として付き合っている相手にそういう感情を持つことはない。
むしろ、今この時点で一番気になるのが誰かと言えば。
「わたしも、ななせさんのことが好きです」
思って、素直に言葉を紡ぐ。
「優しくて、大人っぽくて。……だから、わたしなんかに告白してくれるとは思いませんでした」
「なんか、じゃないよ。万桜ちゃんはすごく素敵。もっと自信を持って」
そんな風に、偉大な先輩から言ってもらえるとすごく心強い。
どうせなら、彼女のことをもっと知りたい。
今よりも深い関係を築けば、ななせのことをもっと知れるだろうか。
苦しいほど鼓動が早くなるのを感じながら、万桜は答えを出した。
「よろしくお願いします。わたしと、お付き合いしてください」
一瞬──ななせは驚いたような顔をしてから、花が咲いたような笑顔を浮かべた。
テーブルの向こうから手が伸びてきて、そっと万桜の手を取る。
柔らかい。
そして、温かい。
男に比べて女はスキンシップが多いとはいえ、ななせのような女性と触れ合うのは特別なことで。
「じゃあ、万桜ちゃん。……キスしてもいい?」
「え」
いきなりか? いや、付き合い始めたんだから別に問題ないんだろうが。
イエスともノーとも言えない曖昧な反応を示しているうちにななせが隣に移ってきて、万桜の顎に指を添えた。
優しいけれど、どこか親愛以外のものを感じる触り方。
あ、これやばいやつだ。
なにか言わないとなし崩しになる、と直感した万桜は慌てて口を開いて。
「あの。恋人同士だからっていきなりこういうのは」
「どうして? ……好きな人と触れ合いたいと思うのは、そんなにおかしなこと?」
近くに寄るとななせのにおいが強くなる。
至近距離から覗き込んでくる瞳が蠱惑的に輝いて、
「わたし、こういうの初めてで」
「大丈夫。……女の子同士のこと、たくさん教えてあげる」
「な、ななせさんは、一言で言ってわたしのどこを好きになったんですかっ!?」
唇は、もう触れる寸前で。
「純粋なところと、見た目が完全に私好みなところ?」
「わたしたち、別れましょう」
身体目当てなうえに「落としやすそうだから」ってことじゃないか。
万桜は、初めてできた恋人と五分もせずに別れた。
◇ ◇ ◇
「……それで、先方は納得してくださったのですか?」
「うん。『残念』って言ってすぐに離れてくれた」
拒否されるとすぐに熱っぽい雰囲気は霧散して、普通に話ができるようになったのだが。
さすがに落ち着かなかったので、部屋に戻ってくるとほっとする。
奏音は「そうですか」と息を吐いて。
「今晩は戻らないのであれば早めに教えてくださいませ、と、メッセージを送ろうかと思っていたのですが」
「まあ、あのままだったらたぶんそうなってたが」
流されていたらいったいどんなことを教えられていたことか。
「女性同士に忌避感がないのでしたら特に問題はなかったのでは?」
「あのな。いきなり大人の階段を上りすぎだ。もうちょっと段階を踏ませろ」
「男性とお付き合いをするとなれば、むしろ余計に直接的かもしれませんけれど」
まあ、同年代の男子とのキスはあんな甘い感じにはならない気がする。
むしろキスより先に「じゃあ胸揉んでいいか?」と言われても驚かない。
「ななせさんには『気が変わったらいつでも』って言われたよ」
「あの方の浮いた噂は聞いたことがなかったのですが」
「色んな女子に声かけるのは趣味じゃないってさ。別の生徒を狙うとしても来年じゃないか?」
「そもそも生徒に声をかけなくても、という気はいたしますが」
「年下が好きらしい。それにあの人は管理人なだけで先生じゃないからな」
教師が聖職だとまでは思わないが、直接指導する立場の者となると「特別扱いは駄目じゃね?」と思う。
『私は高校生が分別つかない子供だとは思わない。それに、万桜ちゃんはもう自分でお金を稼いでいる──半分、プロのようなものでしょう?』
とはななせの談である。
「一回OKしたのに引いてくれたんだから見境ないわけじゃないんだよな。その辺は大人っていうか」
「だからこそ醜聞が広がらないというのもあるのでしょう。……確かに、わたくしたちにはまだ早い交際かもしれませんね」
オンオフがはっきりしすぎていてついていけそうにない。
ほう、と、奏音のため息。
「お姉様が本格的に愚民どもから遠ざかってくださると思いましたのに」
「お前、そういうこと言うわりに本気で俺を押し倒そうとかしないよな」
どこまで本気なのかと思いつつ言ってやると「あら」と首を傾げて。
「お願いしたらわたくしとお付き合いしてくださるのですか?」
奏音と、奏音とか。
もちろん血のつながった姉妹なわけだが、女同士である時点で取り返しのつかない間違いが起こってしまうことはない。
ななせと違って彼女がなにをしてくるかはだいたいわかっている。
というか、一緒に寝たり風呂に入ったりは今でもしているし、同じ部屋で生活しているわけで。
「恋人っぽいことする練習ってことなら構わないぞ」
「……お姉様がそこまで仰ってくださるとは思いませんでした」
珍しく、というか久しぶりに妹の目がガチになった。
「では、キスをしてもよろしいですか?」
「ん。外国では父親とかにもするらしいし、それくらいは別に」
なんかこれはこれですごいことしてるような気もするが、なんかそういうことになった。
◇ ◇ ◇
「そういうことになった、じゃないでしょうが。なんでそうなるのよ!?」
「や、なんかノリで」
「ノリで妹と付き合うんじゃないって言ってんのよ!」
美夜からは翌日、盛大にツッコまれた。
なお、ななせの件に関しては伏せている。そっちを口にしていたらツッコミでは済まないに違いない。
これに対してミアは「まあまあ」と笑って、
「恋人っぽいことの練習なんでしょ? 今までと変わらないんじゃない?」
「いや、変わるでしょ。恋人って言ったらデートしたり、一緒に寝たり、手をつないだりとかするんでしょ?」
「わたし、奏音と前からお風呂入ってる」
「お買い物デートも月に一度はしておりますよね?」
「……大して変わんないわね?」
美夜が「なんなのこいつら」という顔になった。
「美夜だって、真昼先生とならそのくらいできるでしょ?」
「あたしのところはあんたたちのところと色々事情が違うわよ。……まあ、できなくはないけど。別々に暮らしてたって家族なんだし」
「……というか、予行練習なら前から奏音としてたってことになる気もしてきた」
「お姉様? そこは気づかなくてもいいのですよ?」
わかってやってたのかお前。
「ねえ、万桜ちゃん万桜ちゃん。奏音ちゃんでいいならミアともデートしようよ」
「いいよ。じゃあ今度どこかに出かけよっか」
「やったー。どこがいいかなー。やっぱり映画とか?」
「あのねえ、そんな簡単にするのもじゃないでしょうが、デートって」
「そんなことを言いながら、美夜さんって彼氏ができたら豹変しそうですよね」
わかる。どや顔で「恋愛っていいわよ」とか言ってきそう。
「不満なら美夜もデートしようよ」
言っても、女子が一緒に遊びに行くのを指すアレである。
そういう意味では夏休みにもこの四人でダブルデートまがいのことをしている。
万桜が誘うと美夜は「べ、別にあたしは」とごにょごにょ言って、
「まあ、あんたがしたいって言うならしてあげてもいいけど?」
「うん、美夜はもうちょっとこういうの慣れたほうがいいと思う」
というわけで、奏音が「お姉様と付き合っています」と嬉々として吹聴してまわっても、みんなおおむね「仲いいよねー」で終わった。
うん、今の万桜にはこのくらいのノリが合っている気がする。
本格的なやつはもうちょっとお預けにしておこう。
と、そこでふと、あの夜にななせが言っていたことを思い出す。
『もう少ししたら万桜ちゃんを欲しがる子が出てきそうだから、その前にお付き合いしたかったんだけど』
その予言? は奇しくも近いうちに現実になった。
二学期中間試験の直後に行われた生徒会役員選挙──その結果が開示されるのとほぼ同時に、新生徒会長がスカウトに来たのだ。