「あ、こんにちは、
格闘技用のトレーニングルームに来るのは初めてだ。
更衣室に入ると数人の先客がいた。
一年生が二人、あとは二年生と三年生。
万桜は「こんにちは」と頭を下げた後でおずおずと尋ねる。
「もしかしてこの科目、人気ないんですか……?」
「そんなことはないよ。ただ……」
「初心者向けだから、この時期に受ける人あんまりいないんだよね」
カリキュラムによると、二年生からは自衛用に簡単な格闘術の授業が入ってくる。
この時期だと一年生は無理に学ばなくていいし、二・三年生はもうほとんどが次に進んだ後。
なので、この時期に履修するのは物好きな一年生と「苦手だけど必要だとは思ってる」二・三年生。
彼女たちは仲間が増えたことを喜び、
「でも、ちょっと意外。小鳥遊さんがこういうの習うなんて」
「わたし、剣道とか空手とかけっこう好きなんです」
さて、格闘技用のトレーニングウェアは専用のものがある。
動きを邪魔しないように身体にぴったりしていて少し恥ずかしい。
しかし、他の生徒も一緒だと思うと多少は気が楽になるもので。
万桜は、若干近未来的な感じもするウェアを身に着けて鏡の前に立った。
補正効果もある伸縮素材に包まれた胸がはっきりと目立つ。
荒事が必要な場面だとこれ、はっきりハンデだよな……?
「はい、みんなこんにちはー」
「あ、
隣のトレーニングルームに移動してしばらくすると真昼が顔を出した。
万桜たちよりは露出もぴったり感も控えめながらウェア姿なのを見るに、
「先生が授業の担当なんですか?」
「そうだよー。人数が少ないし、私は経験豊富だからって頼まれたの」
「経験……」
「そう。授業とか訓練じゃなくて、実際に人を相手にした経験」
ごく、と、万桜を含めた何人かが唾を飲み込む。
真昼はいつになく真剣な表情でみんなを見渡して、
「最初に言っておくね。この授業を取った人の中にはそういう『事件』を想定してる人も多いと思う。その中には痴漢に絡まれるみたいな小さいものから、テロリストや特殊部隊と戦うような大きいものまであるの」
「で、でも、日本は平和だから大きな事件なんて簡単には起きませんよね?」
「『
当然の疑問に真昼は「そうだね」と頷く。
「私たち『歌姫』は生まれつき平和主義で、基本的にテロで暴れたりはしない。むしろ雨を降らせたり物を運んだりして、飢えたり苦しんだりする人を減らそうとしてる」
争いの種を減らすことで、そもそも争いが起こらないように働きかけているわけだ。
「それでも、どうしても暴れちゃう人はいるんだよ。ニュースになってないだけで、静かに防がれてるテロもけっこうあるの」
「に、日本でも、ですか?」
「もちろん。私は、国内で使われそうになった兵器をギリギリで止めたこともあるよ」
彼女が「……そのせいで一般の人を大怪我させちゃったんだけどね」と続けると、みんなが一斉に万桜を見た。
万桜の中ではそのあたりはもう吹っ切れているのだが。
詳しい話を聞く機会は実のところ今までなかった。
「あの、そんなことをいったい誰が……?」
「機密になるから詳しくは言えないけど……例えば、残念だけど私たちを良く思わない人もいるんだよ。反『歌姫』派のテロリスト、なんてニュースで聞いたことない?」
たまにニュースで耳にする言葉だ。
「私たちは普通の人より強い力を持っていて、生身で最新兵器を止められたりする。怖いと思う人がいても当たり前だよね」
「だからって、私たちは別になにも悪いことしてないのに」
「うん。もちろん、そういうのはごく一部の人だし、ほとんどの悪事は起こる前に止められてる。
『歌姫』の学校が襲撃されて大人たちだけじゃ手が足りない、仕方なく万桜たち学生が投入されて──なんて、マンガとかだとよくあるが、そんなことになったら大問題だし、それ以前にほぼ悪い奴らの良いようにされている状態だ。
だから、そんな都合がいいと言うか悪いと言うかな事態は起こらない。
真昼たち大人が起こさせない。
「でも、みんながそういうのを『止める側』になるつもりなら……将来、たくさんの人の命を預かることになるのを覚えておいて」
日本国内が兵器で狙われるなんてそれこそレアケース、万桜の時だって衝突事故こそあれ事件自体は止まっているわけだが……もし一件でも成功してしまえば多大な被害が出る。
「もちろん、私たちが一般の人を直接傷つけるなんて絶対駄目」
『歌姫』の力は悪いことをするためにあるわけじゃない、これにはみんなが深く頷く。
「護身術のつもりで習う人もいるだろうし、それも悪いことじゃないよ。身の回りでたまたま小さな事件が起こった時だけそれを止めるのもいい。テロ対策みたいな大きなことを手伝ってくれるなら、もちろん大歓迎。……自分が将来、どのくらい関わるつもりなのかは少しずつ考えてみてね」
なんだか、意外と重い話になってしまった。
しかし、万桜が『真昼のように』と願うのなら避けては通れない道だ。
武道とは精神鍛錬のためにあるとも言う。
であれば、最初に「力の意味」を説いてもらえたのはきっと正しい。
「じゃ、初めての子もいるし初歩的なところから行こっか! まずは型をしっかり覚えるところから──」
そうして始まった授業で、心身共にとても引き締まった気がした。
◇ ◇ ◇
「~~~♪」
お風呂に入るとつい歌いたくなるのは何故なのか。
単に気持ちいいからか、それとも声が響くせいか。
大浴場の広い湯舟には若干色のついたお湯が満たされ、ほんのりと良い香りがする。
小さく歌を口ずさむ万桜の周りには、エフェクトの光を制御し球状に整えたものが三つほどくるくる飛んでいる。
「万桜ちゃんもすっかりエフェクト弄れるようになったよねー」
「うん、わたしはまだ属性自体変えたりとかは苦手だけど」
学園祭ライブでやった光の玉を生み出す能力の応用で、エフェクトを使って似たようなことができるようになった。
左に万桜、右に奏音。
間に挟まってご機嫌のミアは「ミアたちだって苦労してるよー」と笑って。
「美夜ちゃんとかミアのは操りやすいのかもね。形がはっきりしてないと困るのと、形がわかりやすいのだから」
闇と、火の粉。
暗いところが明るくなるのも、火の色が変わるのも比較的イメージしやすい。
光の拡散を抑えるのはわりと自然に反しているし、綺麗な光をわざわざ闇に変えるのはちょっと心理的抵抗もある。
「要するに気に入ってるんでしょ、あんた。自分のエフェクト」
「それはまあ。……でも、美夜のだっていろいろ使えそうでちょっとうらやましい」
「まあ、あたしのは工夫してようやくって感じよね」
「またまた」
「わたくしたちのエフェクトで夜を昼にするのは難しいですが、美夜さんのエフェクトで昼を夜にすることはあるいは可能なのでは?」
ライブであれこれ活用されるのを見てしまうと奏音ともども、美夜のが外れにはとても見えない。
褒められた美夜は「どうかしら」とそっぽを向いた。
頬が赤い気がするのは果たして風呂のせいだけか。
「っていうか万桜、あんたあれでしょ、エナジー使いきれないからってそんな遊び方してるんでしょ」
「遊びじゃなくて訓練。……でも、うん、最近なかなか使いきれなくて」
奏音たちほど制御の上手くない万桜だが、大量のエナジーを日々消費していれば効率はだんだんと上がっていく。
今までと同じことをしているだけだと消費量は落ちる一方、しかしエナジーの総量は増えていく。
使える時にどんどん使っていかなければ勿体ないと、いろいろ試しているのだ。
美夜は「まったく」とため息をついて、
「羨ましい悩み方よね。ね、奏音?」
水を向けられた妹は「ええ」と控えめに微笑んだうえで、
「ですが、わたくしの場合、これ以上能力を使うと体力のほうがもたないかもしれませんし」
集中力を上げる能力は気疲れもするし体力も使うのである。
「美夜ちゃんだってエナジー多いじゃない。ミアは羨ましいんだから」
「心配しなくても、同い年で比べたらあんたの方が多くなるわよ」
美夜だって(万桜を除けば)学年一番のエナジー量なのだが……そう考えるとミアの才能は同世代最強かもしれない。
そのミアが現在、Bクラスにとどまっているのだからままならないものだ。
彼女がAクラスに上がれないのは基礎身体能力の低さ、現時点でのエナジー量は並程度でしかないこと、それに中学校をスルーしているせいで座学系の試験をクリアできていないことなどが原因だ。
両親から過剰とも言える期待を受けている少女は、自分なりにいろいろ悩んでいるようで、
「うーん、やっぱり万桜ちゃんは参考にならないかなあ」
「なんの話?」
特殊すぎて参考にならない、と言われるのはいつものことなので気にしない。
「エナジーの使い方。奏音ちゃん、今度相談に乗ってくれない?」
「ええ、もちろん構いません。ミアさんのやり方も参考にさせてくださいね」
「能力のことならあたしに相談してくれればいいのに……」
「まあまあ、美夜」
役立たず同士、傷を舐め合おうと肩を叩いてやると、
「万桜ちゃんとは一緒に運動したいな。アスレチックとか」
「いいね。じゃあ、今度一緒に遊ぼうか」
「うんっ!」
「万桜。……この裏切り者」
しょんぼりした様子の美夜が可愛かったのでみんなで笑った。
風呂上がり、自販機等の置かれたラウンジ的なスペースでアイスなどを食べながら、
「そう言えば、飛行のコントロールが難しいのならいっそ空中に立ってみてはどうかと思ったのですが」
奏音が新しいアイデアを出してきた。
「その場に浮かんだまま止まるってこと?」
「それでもいいのですが、空中に見えない足場を作れないかと」
「ああ、たまにやってる人がいるわね」
階段でもあるみたいに空中を歩くパフォーマンスとか、浮くのではなくそっちの線もあるか。
「浮くのとどっちが難しいのかな」
「人によるのではないかと。今のわたくしには、浮遊の制御をし続けるよりも楽だと思っております」
「なるほどね。あたしはたぶん、浮くほうが得意ね。感覚的にわかりやすいし」
確かに、「なんで空中に立ってるんだ?」とか疑問に思ったとたん落ちそうだ。
「激しく動くよりは歌に集中しやすいですし、聞く方も楽でしょう?」
「なるほどね。空をステージにできるっていう意味では飛ぶのと似たようなところがあるし」
「美夜ちゃん、今度のライブで使えそう?」
「悪くはないんじゃないかしら。万桜とミアは身体動かしたいんでしょ?」
「うん」
「ミアもミアも」
ミアはエナジーの節約を目指しつつ、身体強化系を重点的に伸ばすつもりらしい。
感覚的にわかりやすいのでステップアップの効率が良さそうだ。
となると、感覚派かつアグレッシブな万桜と共通するところがある。
「なら、センターはあたしか奏音がもらうわよ? あんたたちにはその分動いてもらうから」
「おっけー」
「今度はわたしがミアと組む感じだね」
「えへへー、よろしくね万桜ちゃん」
空を使いつつ、激しい動きを織り交ぜながらのライブ。
万桜たちのエフェクトも利用していくとすると──だんだんと明確な形が見えてきた。
当日までの日数もだんだんと少なくなってきたところだし、しっかりと追い込んでいかなければ。
「衣装のほうはどうなの、万桜?」
「うん。今回は四人分だから大変だって言ってたけど、早めに注文したから余裕を持って間に合いそう」
学園祭の時と違ってしっかりデザインを揃えた衣装。
振りつけとうまくハマってくれれば面白いことができそうだ。
「生徒会もあって忙しいのはわかってるけど、ちゃんと練習時間は確保しなさいよ」
「うん、頑張る。ぼちぼちバイトも入ってるからほんとに忙しいけど」
「あれこれ詰め込みすぎなのよ。もうちょっと自重しなさい」
それはわりと美夜には言われたくなかった。