あれから寮の管理人──ななせはいつも通りだ。
朝のジョギングや登校時、下校時に顔を合わせたら挨拶するくらい。
特に妙な匂わせをすることもなく、優しくて親切なお姉さん。
彼女の部屋で甘い誘惑をされたことを思いだすとほんの少しだけ「勿体ないことしたかな」と思ったりも──いやいや。
とにかくそんなななせだったが、ある日登校前の万桜を呼び止めて。
少しだけどきっとした万桜に、
「『
と、がくっとするようなことを言った。
蛍と飛行訓練した時のことをどこかで聞いたか。
あるいは、視力強化すれば飛んでいるところは寮からでも見られるかもしれない。
というかそんなことみんながいる前で言わなくても……いや、女子しかいないし、奏音たちにも共通するトピックではあるのだが。
「いざっていう時『アンスコを穿いていないから飛べない』なんて言えないでしょう?」
「あたしはなるべくアンスコ穿くようにしてますけど」
美夜が反応すれば、ななせは「それでもいいけれど」と微笑んで、
「可愛い下着のほうが気合が入るじゃない?」
単にななせさんの趣味では?
まあ、万桜からすると「アンスコもパンツも大して変わらないだろ」というのもある。
特に可愛いデザインのだと本末転倒というか、一瞬ちらっと見えるくらいで区別がつくかどうか。
要するに「こういうシチュエーションだと女子は『パンツじゃないもの』を穿いている」という共通認識が重要なのか?
でも、言っていることはわかる。
「下着のほうが見えた時に男子の評価が上がるかもしれないですね」
「それで愚民どもの評価を得ても嬉しくありませんが……」
「見えてもいい下着って、可愛いやつのことでいいのかなあ? 可愛いののほうが恥ずかしかったりしない?」
万桜の発言に奏音が複雑そうな顔をして、ミアはミアで疑問を口にする。
「もちろん、みんなの判断でいいと思うけれど」
「けれど、なんですか?」
「衣装にこだわってるユニットだと下着のデザインと色まで統一するところもあるわ」
「……それは盲点だったわね」
あ、美夜の目の色が変わってしまった。
ライブの時だけとはいえ、みんなで同じ下着を穿くとか恥ずかしくないか? いや、別に美夜や奏音の下着を穿くわけじゃないのだが。
万桜は苦笑しつつ「あ、そうだ」と思いだす。
こちらからもななせに聞いておきたいことがあった。
「あの、ななせさん」
「なあに、万桜ちゃん?」
彼女に近づいて、耳打ちをするようにそっと尋ねる。
「わたしにあの時告白したのって、生徒会入りを阻止するためだったんですか?」
くすりと笑ったななせは「ええ、そうよ」と答えた。
「だって、生徒会になんて入ったらデートの時間も取れなくなっちゃうでしょう?」
「あ、そういうことだったんですね」
確かに新生徒会長から狙われたが、絵理華が恋愛的な意味で万桜を欲しがっているようには見えない。
そのへんどうなん? と思ったらすごく単純な話だったか。
ほっと息を吐いて、
「もちろん、絵理華ちゃんのことも警戒しているけれど。……あの子、女の子同士でもぜんぜん平気な子だから」
いや、そこで不安になることを言わないで欲しい。
◇ ◇ ◇
セカンドライブ前日。
この日は授業なしで一日前日準備にあてられる。
準備に参加するのは主に三年生で、二年生の有志も協力。
一年生と多くの二年生にとっては休みも同然、この時間を利用して最後の打ち合わせや練習に臨むのが定番なのだが。
「万桜と奏音はがっつり準備があるのよね?」
「ええ、残念ながら」
生徒会所属の万桜たちは例外的に準備の仕事があった。
朝、いつも通りに登校して生徒会室に向かわないといけない。
と言っても、美夜とミアも普通にその時間に起きていたが。
「でも、わたしたちは役職的にすること少ないから時間は取れると思う」
「じゃあ後から合流しなさい。あたしたちだけで進めておくわ」
「申し訳ありません、よろしくお願いいたします」
腹が減っては戦ができず。
朝食だけはしっかりとっていざ、生徒会室へ──。
「ああ、万桜さん、奏音さん。せっかくだから一緒に行きましょう?」
「会長」
一階のロビーで絵理華、璃々に呼び止められた。
普通の高校生なら「なにか道すがら話でもあるのか」と思うところだが、ここは心奏。
軽く手を取られたかと思うとぱっ、と視界が切り替わって──気づくと生徒会室に居た。
「……テレポートって二年生の進級課題ですよね?」
「ええ、そうよ。二年生が
当然のように進級課題を「もう習得してます」と言われましても。
ということは彼女も……と璃々を見ると、表情を変えないまま、
「私はまだ人を同行させるには不安が残ります」
できるのはできるんじゃないか。
これ、あれだ。マンガやラノベでよくある「〇〇は高難度技術なのにもう習得しているのか……!?」みたいなやつだ。
だいたいあとあとインフレして当たり前に──おっと。
まああれだろう、つまり天才や秀才と呼ばれるようなトップ層にとっては余裕をもってマスターして当たり前なのだ。
「さあ、それじゃあ業務を始めましょうか」
「はい」
と頷いたところで生徒会室に入室通知。
生徒会役員には入室権限が付与されているため「鍵を持ってる人が最初に来て開けないと入れない」といった面倒がない。
人の出入りがあった時はこうして通知されるので異常があればすぐにわかるし入室も前もってわかるのだが──。
今回の通知には「許可申請」が伴っていた。
申請者の名前を見た絵理華はノータイムで承認、電子制御のドアが開いて申請者が入室してくる。
「おはようございま~す♪」
能天気に聞こえそうなほどの明るい声。
髪を明るい色に染めてウェーブをかけ、軽く化粧を施し、爪も綺麗に整えた二年生。
彼女は生徒会仕様のリボンを胸にし、
デバイスは個人識別機能が強固なため認証なしで入室できるが、スマホしか持たない生徒の場合は認証アプリ+ID+パスワードにさらに「生徒会役員の承認」がないと入室できない。
「おはようございます、藤原先輩」
「おはよー、万桜ちゃん、奏音ちゃん。でも、ウチのことは『瀬奈ちゃん』とかでいいからねー?」
挨拶をした万桜たちにもフランクに応じてきた彼女は普通科二年・
絵理華がスカウトしてきた生徒会の渉外担当である。
「おはようございます、瀬奈さん。今日はよろしく」
「こちらこそよろしくです、会長。っていうかそんなにかしこまらないでくださいよー」
関西出身らしい彼女はやや独特のイントネーションで言って、
「ウチは来年みなさんの後輩になるんですから」
と、どこか誇らしげに笑った。
普通科には女子限定で「歌姫科への転科チャンス」がある。
同学年に転科するのはよほどの天才でないと不可能、次年度の新入生に交じる「再入学」のような措置にしてもかなりの難関で、実際瀬奈も一年時の転科試験には落ちてしまったらしい。
しかし、二年生の二学期に行われた試験で見事合格、来年から一年生として歌姫科に通えることが決まっている。
先輩が後輩として入ってくるというのはなかなか不思議な気分だが。
万桜は飄々と語ってみせる瀬奈に尊敬を覚える。
一年かけて失敗したのになおも挑戦し、一から再スタートを切るなんて並じゃない根性だ。
これがマンガなら主人公になれそうなアグレッシブさである。
見かけによらず人見知りするところのある奏音も同じようなことを感じているのか、くすりと笑って、
「ですが、今のところは先輩ですので敬わせてくださいませ」
「ん、ま、そういうことならしょうがないかな?」
瀬奈のギャル感ある服装に関しては特に問題はない。
アイドル養成学校的な側面を持つ心奏は服装規定が緩いからだ。
髪色に関しては万桜含め目立つのがたくさんいるし、制服の改造も認められている。
内面までテキトーなギャルだとさすがに困るが、
「瀬奈さんは外部団体との連絡をお願いね。トラブルの対応は会計の奏音さんや企画担当の
「了解でーす♪」
軽いノリと裏腹に、その目にはやる気が溢れている。
会って間もない相手にもグイグイ来るそのコミュ力は渉外担当にぴったりで──まあ、カタい感じの相手とはじゃっかん相性が悪いが、マメな連絡や確認を欠かさないので思った以上につよい。
そこにもう一人のメンバーが到着して、
「遅くなりました。おはようございます、みなさん」
「おはよう、雫。大丈夫、まだ時間前よ」
「でも、二年生のボクが最後なんて示しがつかないじゃない」
月光を具現化したような銀色の髪、深い海の水のような蒼色の瞳。
肌は白く透き通るようで、指はすらりと長く細い。
華奢な身体に制服が良く似合っており、首から下げたペンダント型のデバイスがまた清楚な印象に拍車をかける。
生徒会企画担当、二年歌姫科・
「おはよう雫ちゃん♪ 相変わらずギャップすごいね?」
「ふふっ。ボクが『ボク』って言うだけでみんな絶対ボクのこと忘れなくなるじゃない?」
清楚な印象と裏腹に、キャラ付けからして狙って行っているなかなかの策士。
実際身体は丈夫なほうではないらしいが、『歌姫』として研鑽を積んでいる時点で見た目以上の体力は当然持ち合わせている。
常識を弁えつつもそこから敢えて脱却していく姿勢を買われてのスカウトらしい。
「璃々は設営の陣頭指揮を、雫は予定の最終確認と変更への対応をお願い」
「かしこまりました」
「うん、任せて」
これは本当に忙しそうだ。
会計の奏音も、なにかしら変更が発生したり備品が破損したりした場合、予算をやりくりする必要が出てくる。
計算力と責任感、何より「だめなものはだめ」と言える強さが必要ななかなか大変な位置である。
さて、万桜は、
「万桜さんは明日の司会に向けての練習と、参加者のみなさんへの挨拶、それから前日告知をお願い」
……なんか一人だけ蚊帳の外では?
と、若干寂しくなってしまうも、重要なポジションなのも理解している。
会場設営が終わったらリハーサルもあるのでそれまでに司会の内容を叩き込んでいないといけないし、司会が紹介する関係上参加者のことは良く知っていないといけないし、イベント前日ともなればカウントダウンで数回告知を入れるのは当たり前。
空き部屋で一人ぶつぶつ言いながらSNSに投稿して、合間を見つつ参加者たちの練習現場を回らないといけない。
めちゃくちゃ大変では? と思いつつ「はい」と深く頷いた。
「万桜ちゃん、急な変更とかあったら知らせるから告知お願いね♪」
「こっちもできるだけ連携取っていこうね」
「はい、よろしくお願いします」
「よし。それじゃあ生徒会、活動開始よ」
というわけで動き出した万桜たち。
さっそく練習用に借りておいた部屋に移動し、デバイスでカンペをAR表示。
本番も自分にだけ見える設定でカンペを使えるのはありがたいが、とちらず喋れても場を盛り上げられなければ意味がない。
しっかり流暢に喋れるようになっておかなければいけないし、そのためには基本を頭に入れてアドリブに対応できるようにしないといけない。
「やっぱり大変だなあ、これ」
地道に自力でやってたら時間がぜんぜん足りない。
奏音ほど慣れてはいないが──思考加速を起動、一人の世界に入り込みながら身振り付きで司会の内容を頭に入れていく。
練習時間を削るには練習回数を削るしかなく、そのためには少ない回数で覚えることが必要。
消費するカロリーはこまめにチョコレートを口に放り込んだりして対応し、集中していると汗もかいてくるので水分補給もきっちり行う。
そうしてある程度練習したら、今度は挨拶回り。
「ひとつずつ歩いてまわったら絶対時間足りないって、これ」
万桜にはまだテレポートができない。
となれば、時間短縮のためにできるのはやはり「あれ」か。
正直まだ完璧にはほど遠いのだが、勢い余ってどこかに激突するような真似は劇的に減っている。
「今日の下着は……白のレース」
見られても「あんな子供っぽいパンツ穿いてるのかよ」とはなるまい。
遠目からだとアンスコと見分けがつかないかもだからあまり恥ずかしくないし、黒下着とかだと男どもにご褒美をやりすぎる。
いい塩梅だろうと頷いて、万桜は空へと飛び出した。