万桜が女子になってから──正確には女子になったと自覚してからとっくに一年を超えている。
根っから女子になったつもりはないというか、男子だった頃の名残はまだあるつもりではいるものの、さすがにもう自分が女子であることは受け入れた。
女の子ばかりの大浴場にも入れるし、自分から可愛さアピールすることにも抵抗はない。
心奏での生活も心から楽しいと思っている。
だからこそ、
『万桜先輩が、本当は男の人っていうこと』
このタイミングでこう言われるのは、きつかった。
自分の立っている場所がひどく不安定になったような感覚。
自分はまだ、女の子の姿を借りているだけの取るに足らない男子なのではないかという不安がこみあげてくる。
呼吸が、うまくできない。
『万桜先輩……?』
心配そうに見つめてくる雛に、うまく返事ができない。
「お姉様」
「っ」
奏音にそっと肩を支えられてようやく、はっとした。
笑顔もぎこちなくしか作れないのを感じながら笑って、
「ごめん。……気持ち悪いよね、元男がこんなことしてるなんて」
自嘲めいたことを口にしてしまう。
向こうから言われるよりは自分から言ってしまったほうがダメージは少ない。
変に誤魔化そうとして正面から切り込まれてしまえば、心の準備もなにもできないのだから。
逆の立場なら、万桜だって戸惑うだろう。
確かに男だったはずの人物が女になってアイドルめいた活動をしているのだから──。
『そんな。気持ち悪くなんか、ありません!』
もう一度、はっとした。
雛は、まっすぐに万桜を見つめながら拳をぎゅっと握っていた。
『わたしは、万桜先輩に憧れて心奏を受験したんです。だからわたしは万桜先輩の味方です!』
胸に、温かなものがこみあげてきた。
瞳からは涙が溢れて、言葉にならない声まで喉から出そうになった。
肩を支える奏音の手に、ほんのりと力を籠もって。
「どうして、そんなふうに言ってくれるの?」
事故に関しては万桜も被害者とはいえ、雛にとっては声がでなくなった原因。
苛立ち任せに罵られてもおかしくないのに。
『だって、すごいじゃないですか』
彼女は、明るい笑顔であっさりと否定してみせた。
『万桜先輩はゼロから頑張ったんです。なら、わたしも頑張らなきゃってそう思ったんです、わたし』
「……そっか」
そういう考え方も、あるのか。
『声が出なくなって、一時はほんとに絶望したんです。でも、万桜先輩が無事だって聞いて。友達もみんな良くしてくれて。高峰先生から、万桜先輩は心奏に入学して頑張ってるって教えてもらって──そんな風に頑張れる人がいるんだって』
「高峰……真昼先生が?」
『はい。何度もわたしに会いに来てくれました。何度もごめんなさいって言ってくれて、カウンセリングのためのお金まで……』
「そっか。それは、先生らしいかも」
罪滅ぼしにいったいいくら使ったのか。
真昼も、彼女なりにあの事故に向き合って、できることをしようとしていたのだ。
『身体まで変わって、今までやったことないことに挑戦した万桜先輩に比べたら、わたしなんて大したことありません。ただ声が出なくなっただけなんですから』
「そんな。そんなこと、ないよ」
確かに万桜は急に女になって、おまけに中学を半分以上すっ飛ばした。
けれど、心奏で頑張るために必要な『歌姫としての素質』は人並み以上にあった。
素質を活かしただけで、美夜や奏音のような血のにじむ努力をしたわけじゃない。
「ハンディがあるのに頑張って、合格した雛ちゃんのほうがずっとすごいと思う」
『……万桜先輩』
気づけば、雛も涙ぐんでいた。
『わたし、ここにいてもいいと思いますか? わたしでも「歌姫」を目指せますか?』
「もちろん」
深く頷いて、答える。
「一緒に頑張って、良い『
『はいっ!』
雛は、万桜の過去については誰にも言わないと約束してくれた。
本当に『歌姫』も、『歌姫の卵』も良い人ばかりだ。
「ありがとう、雛ちゃん」
こんな人たちに囲まれて生活できる万桜は、本当に恵まれている。
◇ ◇ ◇
「へえ。……これが万桜たちから聞いてた『声』ね。悔しいけど、すごいじゃない」
何日かすると美夜やミアが実家から寮に戻ってきた。
挨拶もそこそこ、美夜は雛の声にしみじみと感心の声を上げる。
「それ、たぶんエフェクトを使ってるんでしょ?」
『は、はい。その通りです。よくわかりますね?』
驚きを表す雛。
「なんでわかるの、美夜?」
「だって、この子『歌姫』学校向けの予備校行ってたわけでもないんでしょ? 能力の制御とか習ってないなら、歌うだけで発動するエフェクトっぽいじゃない」
なるほど、そう言われるとそうだが。
「エフェクトって光るとか暗くなるだけだと思ってた」
「ミアのだって熱くないけど火出てるようなもんでしょ」
音が出るのもぜんぜんアリってことか。
「……確かに、そう考えると驚異的な才能ですね」
奏音も、しみじみと感心。
「雛さんは、
「あ、そっか。そうだよね」
エフェクトとは『歌姫』が歌うことによって発生する効果だ。
しかし、雛は歌うどころか、声を出す効果をエフェクトによって発現している。
「あんた、頭の中で歌うだけでエフェクトを発動できるのね?」
『えっと……そうみたいです。わたし昔から音楽聴くのが好きだったので』
少し考えるようにしながらそう答える雛。
『頭の中にはずっと、なにかの曲や歌が響いてる感じなんですよね。あ、もちろん万桜先輩たちの歌も好きですよ!』
「おお。……すごいね、雛ちゃん」
これは、なかなかに驚異的である。
万桜たちの会話を聞きながら「どういうこと?」と考えていたミアが「あ!」と閃いて、
「じゃあ、雛ちゃんは『歌わなくても歌ってるとき並に能力が使える』ってこと?」
「実質、そういうことになるわね。……なによそれ、反則?」
じろりと睨まれた雛は「ひっ」と声を上げて万桜の後ろに隠れる。
話をにこにこしながら聞いていた瀬奈が「ちょっとー」と頬を膨らませて、
「美夜ちゃん先輩? この子いじめるの止めてもらえますー?」
「いじめてないわよ。……っていうか、先輩に先輩って言われるのややこしいわね」
『え、瀬名ちゃん先輩だったの!?』
「あー、うん。言ってなかったっけ? ウチ普通科二年通ってから編入したから、歳は先輩? でも気にしないでいいからね」
『ええ、そんなこと言われても気になるよ!?』
「本当にお気になさらなくて良いかと。留年される方もいるわけですし」
心奏歌姫科には「どうしても受かりたいから」と一年留年した生徒とかもわりといる。
また『歌姫』は年齢に比べて見た目が若いので、一年二年の差じゃほとんどわからない。
と、話が逸れたが。
美夜はこほん、と気を取り直して。
「別に後輩いびりとかしないわよ。あたしをなんだと思ってるわけ?」
「本当? 美夜、自分ならもっとできたとかってお説教始めちゃだめだよ?」
「生活態度にも必要以上に厳しくなさらないほうが良いかと」
「美夜ちゃん厳しいから本当に気をつけなよー? ミアたちならいいけどさ」
「あんたたち、本当にあたしをなんだと思ってるわけ!?」
なんだろう……努力番長?
『えっと……万桜先輩たちが言っていた通り、美夜先輩はちょっと怖い方なんですね?』
「だから怖くないって言ってるじゃない」
「美夜ちゃん、怖い怖い」
万桜たちのやり取りを聞いていた他の一年生が「
◇ ◇ ◇
四月に入り、あっという間に入学式がやってきた。
学院長に続いて挨拶に立ったのは我らが生徒会長、杉本絵理華。
歓迎のステージには絵理華はもちろん璃々や雫も参加しており、一年ぶりに見る夢の舞台に万桜もわくわくした。
同時に、去年は「自分にもこんなことができるのだろうか」と想像もつかなかったステージに、頑張れば手が届きそうな気がする。
──この一年で飛べるようになった。
体力も、運動能力も、歌もダンスも見違えるくらいに成長した。
去年と同じくらい、いやもっと頑張ればきっと、彼女たちのようなライブを披露できる。
憧れるのではなく、追いつき、超える気持ちで。
「美夜。今年の体育祭は先輩越え、狙おう」
囁くように告げると、少女は驚いたような顔をしたあと、
「覚えてたのね。……当たり前じゃない、今年こそ勝ってみせるわ」
ちなみにライブ中、大興奮した雛は『すごいすごい、すごいよ瀬奈ちゃん!』と大きな声を響かせてしまい『むぐぅ!?』と瀬奈に口を塞がれていた。
口で喋っているわけではないのでそれで黙るのも変な気がするが……気分的に声を抑えてしまいそうな気もするのでなんとも言えない。
「雛さんのエフェクト、やはり便利ですね」
「うん。デバイスも音響機器も使わずにみんなに声を届けられる」
万桜たちも能力を使えば拡声は可能だが、能力制御を習得していない雛がしれっとやっているのがすごい。
「ねー、美夜ちゃん? 美夜ちゃんは雛ちゃんみたいに喋るのできる?」
「腹話術みたいなことでしょ? できなくはないと思うけど、自信はないわね。だって喋ればいいし」
テレパシーめいた使い方に関しても「電話とメッセージアプリで十分じゃない?」となるのであんまり必要に迫られず、使っている自分をいまいちイメージしづらい。
補欠とはいえ、彼女が合格したのもそうした特殊な素質のためではないか。
負けてはいられない、と万桜たちが決意を新たにしたその翌日、
『えへへ。わたし、Eクラスでした』
「なんであんたがEクラスなのよ」
「はいはい、美夜ちゃん落ち着いて」
雛が教えてくれた彼女のクラス分けは最も低いEだった。
『補欠合格なんですから当たり前だと思います。でも、Eクラスだからってなにも変わりませんから!』
「そうそう。これから頑張って上を目指せばいいよ」
『はいっ! 頑張りますっ!』
心奏の生徒たちは基本みんないい子だ。
美夜のように勢い余ってしまう場合はあるし、やる気がありすぎてギスギスしてしまうこともあるが、マンガでたまにあるみたいに「下のクラスに行くほど目に見えて扱いが悪くなる」とかはない。
誰でも好きな授業を履修できるし、努力次第では上に行くことができる。
「瀬奈ちゃんはどうだったの?」
「えへへー、ウチはBです。すごくないですか?」
「うん、すごいすごい。努力の成果だね」
「ありがとうございます、万桜ちゃん先輩。まあ、エナジーが少なめなんで苦労するとは思うんですけど」
瀬奈の成績が良いのはおそらく座学のおかげが大きい。
高校二年までの一般教養が備わっていればこれから時間を割いて勉強しなくても良い。
一年の中間から単位を取りに行きまくれるので、次はAクラスも夢じゃない。
エナジーだって二歳年上なぶんだけ自然上昇しているわけで、歌姫科の三年と比べれば少ないとしても一年生の中では特別低いほうではない。
「相談にはいつでも乗るから気軽に言ってね」
「本当ですか!? じゃあ上達のコツを教えてください!」
「うーん……気合いと少年マンガかな?」
「え? あの、そういうのじゃなくてガチなやつお願いできません?」
「諦めなさい。万桜はガチでそれ使ってアレだから」
「あー。……万桜ちゃん先輩ってうすうす思ってましたけどたまにヘンですよね?」
「直球で変はひどくない……!?」
万桜たちは今回初めて、四人揃ってのAクラスだ。
担任は引き続き真昼。
一年間慣れ親しんだクラスルームを離れ、前の部屋と似ているようでちょっと違う2⁻Aのクラスルームで話されたのは、
「二年生からは必修科目内でテレポートの訓練が始まります。これがあるとすごく便利だから、頑張って覚えようね」
これにはAクラスの生徒たちでさえ「うわあ」と悲鳴を上げていた。
せっかく飛行をクリアしたのにまた難易度の高い条件を出された、と。
これから一年かけて覚えればいいとはいえ──クリアできずに学院を去った同級生もいる。
彼女から託されたリボン──ポニーテールを結ったそれに軽く触れながら、軽く拳を握る。
高く、もっと高いところへ。
できれば、みんな一緒に。