「……志穂さんっていまいくつだっけ」
「女に歳を尋ねるものじゃないわよ」
万桜は地下室で祖母──小鳥遊志穂と向かい合っていた。
こちらは学校指定の体操着、向こうは市販のスポーツウェア。
なのだが、海外製のお洒落なウェアが見事に似合っている。
柔軟な素材に包まれた胸には張りがあるし、腰にはくびれ。
柔らかそうなお尻にモデルのように整った顔。
「十代の子に比べたら肌もだいぶくたびれてるでしょ?」
「どうだろ。むしろ色気が出てきてる気が……」
子供どころか高校生の孫がいる歳でこれとは恐るべし。
羨ましく思っていたら「あんたもこうなるのよ」と言われた。
「わたしもなれるかな?」
「なれるわよ。むしろ、私の頃はここまできっちりした訓練はできなかったんだから」
『
祖母の頃は心奏もまだなかったのだから、この歳でみっちり鍛えられる万桜たちは恵まれている。
「万桜。あなた、テレポートはどれくらい使えるようになったの?」
「島の中なら距離的には問題なくなったかな。でも、海越えるのはまだ試してない」
「そう。この島にいると確かにそこは大きな壁ね」
そうなのだ。
距離が延びるとテレポートはどんどん難しくなる。
少しずつ長い距離に挑みたいところだが、移動先は陸地じゃないと困る。
「上にテレポートするのも考えたけど……」
「変なものにぶつかっても困るし、うっかりそのまま落ちたら死ぬわね」
「なんだよね」
練習するのはだいたい夜中なので超高速便の利用もちょっとアレ。
……というか、本土で深夜徘徊は補導される。
志穂は「んー」と考えて、
「じゃ、とりあえず飛んで本土まで行きましょうか」
「いきなり!?」
いきなりだった。
◇ ◇ ◇
「こんなことなら別の服に着替えたのに」
「いいじゃない。ランニングするようなものだし」
「ランニング気分で海越える人間はそうそういないってば」
テレポートで島の外周まで来て、そこから舞い上がる。
浮かび上がった時点で万桜は気づいた。
──空気の操り方がぜんぜん違う。
万桜のは無駄が多く風が散っているのに対して志穂はふわりと羽のよう。
飛行に移っても一切姿勢がブレないし、風圧防御も追い風を作るのも完璧だ。
なるほど、これが手本か。
落ちないように気をつけながらその場でイメージを修正していく。
「あら。さすが、話が早いじゃない」
言いながら加速する志穂。
「ちょ、どれだけスピード上げるつもり?」
「のろのろ飛んでたら時間がかかって仕方ないでしょう?」
海の上というのは当然ながらなにもない。
速度を上げる訓練にはもってこいだ。
「音速くらいは安定して出せるようになりなさい」
「かなり無茶言ってるよねそれ」
時速1200キロオーバーは飛ばしてる車の10倍くらいの速さだから──。
「うん、思いっきり飛ばせるようになってから考えたほうが楽そう」
「そうそう。小難しいこと考えるのは奏音に任せておきなさい」
高速飛行するにあたって一番注意するべきなのは速度の安定でもエナジーの枯渇でもない。
空中でなにかに衝突すること、だ。
今回は志穂が前もって先導して避けてくれる。
一人で飛ぶ時は万桜が自分で気づいて避けないといけないわけで。
「なにが必要かわかるかしら、万桜?」
「えっと、思考加速と反射神経と視覚強化と……ものすごく大変じゃないこれ?」
「それを当たり前にできるようになりなさいってこと」
体育祭とかもそうだが、日常的に使う訓練と自然に複合能力をこなす訓練をさせられている。
こういうのをあと一年半以上こなせば、標準的生徒でも音速くらいは飛べるようになるか。
『歌姫』というのはつくづくバトルマンガみたいな成長曲線描く生き物である。
本土までは思ったよりも早く到着した。
たまたま目撃した住民からは「なんだあれ」という顔をされたが。
「かなり疲れた……!」
「上出来よ。さ、この場所を覚えなさい。テレポートの訓練するから」
「鬼でしょ志穂さん」
覚えたら別の場所に跳ばされてそっから戻る訓練。
また少し遠い距離に跳んで戻る訓練。
十回繰り返す前に「休憩させて……!」と音を上げた。
「けっこうもったわね。じゃ、適当なカフェにでも入りましょうか」
「わたしはもう牛丼かハンバーガーでもがっつきたい気分」
「なら、あそこにしましょうか」
デカいと評判の喫茶店チェーン。
店の前まで来て「汗臭くないかな?」とくんくんしていたら志穂の手が触れて。
一瞬でシャワーの後のように髪と身体がさっぱりした。
「志穂さん、これ、どうやったの?」
「最小限の水で身体だけ丸洗いしたあと、万桜の身体を保護しながら熱で一気に乾かして、髪を整えただけだけど?」
「どこをどう取っても『だけ』で済む要素がない」
でも便利だからこれも練習しようと思った。
ちなみに喫茶店の払いは志穂のおごりだった。
財布は二人とも持ってきていなかったが、デバイスにクレジット機能も電子マネー決済も付いているのでなんの問題もない。
「じゃあ、デミバーガーとホットドッグとチキン盛り合わせとポテト盛り合わせ、チーズケーキに紅茶とコーラを」
奢りなので遠慮なく頼んだ。
近くに座っていた中年ご夫婦が「二人分?」という顔をしているのをよそに志穂が、
「アイスコーヒーとミックスサンドセット、それからビーフシチュー、あとティラミスもいただけるかしら」
「かしこまりました」
ご夫婦の顔が「大食いの人かな?」に変わった。
消耗した体力とエナジーを補うために次々胃に収めていくと、疲れが取れていくのがわかる。
「若いっていいわね」
「志穂さんだって十分食べてるじゃない」
「私だってまだまだ若いわよ」
さらりと答えつつ「食べたらまた特訓だからね」と告げてくる志穂。
「体力がなくなったら地下に戻って体術を鍛えましょう」
「鬼じゃなくて悪魔だったかも」
ビーフシチューを「ちょっとちょうだい」と言ったら「もう一つ頼みなさい」と言われた。
頼んだ。
◇ ◇ ◇
大先輩の歌姫からの個人指導はさすがに効く。
成長に伴って「倒れそうになるまで頑張る」ことの少なくなっていた万桜に限界を感じさせようとする志穂のスパルタ指導は受けるたびに実力が伸びていくのを実感できた。
一方、平日の仕事のほうにも動きがあって、
「送ってくれてありがとう、志穂さん」
「いいわよ。あんたがここまで跳べるようになるにはもう少しかかりそうだしね」
本土にある事務所までは志穂が送ってくれた。
「ついでに知り合いに挨拶していこうかしら」
「うちの孫をよろしく、とかプレッシャーかけに行くわけじゃないよね?」
「そんなことしないと潰れるようなら潰れたほうがいいでしょ」
契約の時などは向こうが来てくれたので、実を言うと事務所に来るのは初めてである。
「おはようございます!」
受付で要件を告げて事務所のほうに通されると、とりあえず元気よく挨拶した。
『歌姫』が多く来るからか、事務所内は清潔かつすっきりした空間になっている。
担当やマネージャーさんが挨拶してくれて、
「あ、来た来た。よろしくね、万桜ちゃん」
「志穂さん、来るって言うから会いに来ちゃった」
「この子が志穂さんの孫?」
「あれ、二人いるんじゃなかったっけ」
あっという間に美人に揉みくちゃにされた。
いい匂いのするお姉さま方ばかりで、全員祖母の知り合いまたは万桜を知っているっぽい。
というか、
「あの、もしかしてみなさん『歌姫』なんですか?」
「あ、わかる?」
そりゃあ全員デバイスっぽいのをつけてるし、オーラでわかる。
万桜も最近はその辺りがだんだん把握できるようになってきた。
訓練された『歌姫』はみんな物腰柔らかに見えて隙がない。
多少の突発的トラブル程度はあっさり回避するし、なんなら防がれるだろうな……というのが雰囲気でわかる。
目端も利くし目も耳も良いし、たぶん語学なんかも堪能だ。
急に殴りかかっても逆に制圧される未来しか見えない。
「当事務所には『歌姫』も多く所属しておりますのでご安心ください」
「えっと、そう言うマネージャーさんも『歌姫』ですよね?」
「ええ。残念ながら心奏には通えませんでしたが、歌姫養成校を卒業しております」
とんでもないところに来てしまったことがよくわかった。
今の万桜じゃ、この人たちには逆立ちしても勝てない。
なお、その先輩方は威圧感どころかフレンドリーな雰囲気を振りまいていて、
「よろしくね? 万桜ちゃんって呼んでいい?」
「連絡先を交換しましょう? 相談があったらいつでも言ってね?」
「可愛い~、肌もすべすべ。ボディソープとかどこの使ってるの?」
びっくりするくらい親切にしてくれた。
連絡先を交換し、一緒に写真を撮り、握手をして。
「わたし、芸能界ってけっこう怖いところだと思ってました」
「無駄に新人さんをいじめるような人はここ二十年くらいでみんないなくなったよ?」
こわい。
「自分が新人の立場ならどっちがいいか考えたらいじめなんてしないでしょうに」
「でも志穂さんは鬼みたいにスパルタだし」
「頼まれて鍛えてるんだからそれは当たり前よ」
「あはは。なんか万桜ちゃん、志穂さんにちょっと似てるかも」
似てるか? そりゃ顔は似てるだろうが……と思うも、この祖母と気が合うのは確かで。
「みなさん、よろしくお願いします!」
頭を下げると、みんなは「うん、よろしくね」と笑顔で頷いてくれて。
「でも、覚悟してね?」
「芸能界に変ないじめはないし、怖がる必要はないけど『厳しくはある』から」
「あ」
急に、猛烈なプレッシャーを感じた。
ふっと笑った志穂が囁いてくる。
「いい? この子たちは後輩を猫かわいがりするけど、それは仕事上で甘やかすってことじゃないわ。自分の仕事はプロとしてきっちりこなす」
「万桜ちゃんは声優とかモデル志望だっけ。それならよく会いそうなのはあの人とか──」
志穂を見てもわかるように『歌姫』は老いにくい。
生きた歴史レベルの人がぴんぴんしていたりするので、芸能界にも大ベテランから下の世代がずらり揃ってひしめいている。
「万桜さんにはスケジュールと相談しつつ各種レッスンを受けていただきます。どの程度の能力をお持ちか把握する意味もありますのでご協力をお願いします」
「はい」
あげはや瀬奈が見た目的に違和感ないように、大学生くらいの先輩が生身で女子高生役を持っていくくらいは当たり前。
声の世界に至っては、アニメ史的にレジェンド級の声優が声質をほとんど衰えさせないまま技巧だけを進化させ続けていたりする。
モデルにしたって、可愛いだけの人間なら本当にいくらでも転がっていて。
「頑張りなさい。誰もが『歌姫』を消費するのが当たり前の時代だから仕事もいくらでもあるけど、生き残れなければそのうち自然に埋もれていくから」
演技力レッスンで若手声優(2X歳)と一緒になって「ありがとう」「ごめんなさい」「さようなら」を色んな言い方で幾つもの意味に感じさせる技術を見た。
長台詞を一度聞いただけできっちり覚える俳優もいたし、カメラの位置をすべて把握して演技するなんてみんな当たり前のようにやっていた。
「一言のちょい役だからって、わたし、舐めてた」
歌やダンスをある程度覚えて、仕事の依頼をいくつももらって、どこか慢心していた。
万桜は芸能をメインにやっていくつもりはない。
ないが、だからと言って仕事をもらう以上はいいものにしたい。
いいものにしないといけない。
なにより、仕事に向ける先輩たちの熱い姿勢を見せられて──気合が入った。
「能力だけじゃなくて歌も、演技も、ぜんぶ、もっともっと上手くならないと」
「……まったくもう。そうやって熱くなるのはあなたの長所で、悪い癖ね」
すごい人を見れば見るほど追いつきたくて居てもたってもいられなくなる。
本当に悪い癖だが、一度火がついてしまうと思いついたこと全部やらないと気が済まなくなった。
もっと、もっと上へ。
思いは募って、日々の密度をこれまで以上に引き上げていく。