「万桜ちゃん。さっき、踊りながらなにかしてたでしょ?」
事務所に併設されたレッスン施設にて。
一緒のダンスレッスンになった事務所の先輩がドリンク片手に尋ねてきた。
練習用の薄着で、ほんのり汗をかいた彼女。
本格的にお仕事をするようになってから、こんな風に「大人の女性」の無防備な姿を見ることが増えた。
元男子の魂を失ってはいないとはいえこれは、どうしてもどきどきする。
「すみません。ちょっと、いろいろ試してみたくて」
「あ、いいのいいの。今は基礎トレーニングみたいなものだしね」
にっこり微笑んだ彼女は「それで?」と首を傾げて。
「私をあんなに熱心に見つめて、なにか成果はあった?」
わざと誘惑してきてないかこの人。
いや、たぶんからかわれているだけか。
「はい。わたしなりに、参考になりました」
特に説明したわけでもないのに「なにをしていたか」までバレてるっぽいが。
「あれ、本番はやめたほうがいいかも。かなり慣れないと身体のコントロールが疎かになるから」
「はい、それはよくわかりました」
万桜がやっていたのは視点の複数化+視点の移動だ。
踊りながら、後ろからや上から自分、および先輩を見るとどうなるかを探っていた。
代わりに目をつぶって本来の視界はシャットアウトしていたが。
それでも、目が増えるという感覚はなかなかに「ぞわぞわ」する。
複数のモニターでチェックするような感覚と思えばいいかもだが、それだと結局視点を切り替えているだけで同時にチェックはできないし。
思考加速まで併用してそのあたりを押さえようとするとどうしてもダンス自体にまで気持ちが行かない。
それでも、先輩の動きをつぶさに観察できるのはためになる。
「わたし、やればやるほど自分が甘かったって実感します」
心奏での日々は上達している実感でいっぱいで、お客さんもたくさん来てくれるので「ちゃんと『
しかし、上には上がいる。
学生レベルだから許されているだけで、これがプロとして戦うことになったら今のままじゃ太刀打ちできない。
「もっと、もっと上手くならないと」
そのためには上手い人を参考にするのが良い。
というか美夜は当たり前にそれを実行していたのだが、時間割の時に彼女が話していたことをわかっているつもりで実感できていなかったのかも。
本当に、時間がいくらあっても足りない。
同時に、まだまだ成長できる、いくらでもやれることがあるのが楽しい。
と、先輩はにんまりと万桜を見つめて。
「よしよし、良い子良い子」
「わっ。な、なんですか!?」
「一生懸命な後輩ってほんと可愛いなー、って」
ぎゅうっと抱きしめられるような状態で頭を撫でられた。
ほとんど子ども扱いなのに不思議と嫌じゃない。
とはいえ気恥ずかしいので暴れはしたが。
「頑張ってる子見るとつい教えたくなっちゃうよね。みんなもたぶんそうだと思う」
「はい。みなさんすごく良くしてくださってますけど……」
「自主的に教えてくれてるんなら甘えちゃえばいいよ。私たちも楽しくてやってるんだから」
本当に『歌姫』は良い人たちばかりである。
「でも、みなさんにとって私は商売敵ですよね?」
「んー。まあそうだけど。敵っていうよりはライバルかな」
倒すべき相手ではなく競い合う相手。
「そりゃ厳密に言えば万桜ちゃんのせいで私の仕事が減ることもあるかもだけど。それって私の努力が足りないからだし」
「まだまだ私じゃパイを奪うなんて無理ですし」
「うん、それもそう」
それもそうって言われた。
「ぶっちゃけ、お金無くなったらアマゾンでピラニアとか捕って食べてもいいわけじゃない」
「たとえが極端すぎませんか」
どうやってアマゾンまで行──テレポートか。
「私たちはお金無くなったくらいじゃ簡単に死なないってこと。それに、そんな風にならないように私たちが経済回してるんだし」
飢えて死ぬ人を減らし、枯れて使えなくなった土地を蘇らせ、森林破壊を食い止め。
手が回っていないところを『歌姫』が補うことで人の心には余裕が生まれる。
食べるものが十分にあればファッションや音楽をはじめ趣味にお金を使える。
芸術分野等の「心の充足のための道」に進める人も多くなり、みんなが幸せになる道へ少しずつ進んでいる。
芸能界に『歌姫』が溢れているのも、国民が多かれ少なかれ推し活しているような状態を作ったからこそだ。
「新しい子が出て来なかったら『歌姫』も減って行っちゃうかもじゃない?」
「それは、すごく嫌ですね」
「でしょう?」
『歌姫』を増やしたいと政界の道を志している先輩もいるのだ。
「あと、安心して。万桜ちゃんにもいいところいっぱいあるから」
「本当ですか?」
「もちろん。身体の動かし方とか、これで高校生? って感じ」
「ありがとうございます。体術勉強してるのが少しは役に立ってるのかも」
「あー、そっか。万桜ちゃんそっちに進むんだっけ。なるほどね」
うんうんと頷いた先輩は「だったら」と不敵に笑って、
「私たちだって、年下の後輩に簡単に追い抜かれたりしないから安心して追ってきなさい」
ふふん、と、壁を作るように胸を張った。
◇ ◇ ◇
「そりゃ簡単には敵わないわよ。何年歳の差があると思ってるの」
「それはそうだけど、でも悔しいじゃない」
ところ変わって志穂との特訓中。
テレポート訓練のあと地下室で鬼のようにしごかれた万桜は床に座りこみながら言った。
「頑張ったら少しは追いつけるかも」
「追いつかれてたまるかって言うのよ。あんただって心奏に来てから急成長してるでしょ」
「うん。一年で何年分も勉強した気分」
「じゃあ、それであと十年頑張ったらどうなるか考えなさい」
……普通の高校生が四、五十代の大人と技術で勝負しようとしている図。
「天才でもないと無理か」
「ま、あんたには十分才能あるけどね。年上に勝ちたいならもっと特化しなさい」
万桜はあれこれ手を出しているので一つのことに集中してはいない。
学生というのはえてしてそういうものだが、俳優や声優等、プロの大人は時間のほとんどを専門分野に費やしているわけで。
そんな簡単に勝てるわけがない。
「でも勝ちたいなあ」
なおも我が儘を言うと「まったくもう」と小突かれたうえで、
「野心と意欲があるのは良いことよ。簡単に勝てると慢心したり人を見下さなければね」
「見下したりなんかできないよ。勝ちたいけど、ぜんぜん勝たせてもらえない」
「ならいいわ。でも、若いうちは寝るのも大事よ?」
「いちおう最低三時間は寝るようにしてるけど」
「多いわね。あと一時間くらい減らせない?」
多いわね!?
「志穂さん、人に寝ろって言っておいて」
「あんたくらいエナジーあったらそろそろ消費量が回復量を下回るでしょ。寝ながら疲労回復の能力使い続ければいいのよ」
「や、寝てる時に能力使うのってめちゃくちゃ難しいじゃない」
なにしろ意識がない。
「起きてる時ずっと使い続けるくらいならできると思うけど」
「起きてる間ずっと使ってればそのうちそれが癖になるわよ」
「それでいいならまあ、できるかも……?」
能力使って身体をいじめて、能力使ってそれを回復させて。
ゲームの反則コンボめいてきたが、できることはするべきである。
今も能力で回復を早めようとはしている。
「でも志穂さん。回復のイメージって難しくない? 回復魔法もすっごく抽象的だし」
「相変わらずなんでもマンガとかゲームで考えるわね。人体に関してなら医学書読みなさい」
「う。あれ教本なんて目じゃないくらいややこしいし……」
「じゃあとりあえず医療モノのマンガでも片っ端から読んでみたら?」
そんなもの役に立つのか? と口に出したら「あんたが文句言うからでしょ」と怒られたものの。
しっかり目的を持って読むと、読む前よりは格段に理解が深まった。
筋肉とか骨、疲労した際に出る物質等々、意識するだけで回復効率も上がった気がする。
「なんでも試してみると役にたつんだね」
視点の複数化も組み手の際、相手が次に何を狙っているか探るのに役立つ。
拳をフェイントに蹴りを打とうとしてるとか、側面から見るとわかりやすかったりするのだ。
「じゃあ医学書も読みなさい」
「それは先にいろいろ勉強してからじゃないとさすがに」
少なくともドイツ語ある程度理解してからじゃないときついと思う。
◇ ◇ ◇
「万桜、仕事始めてからまた気合い入ってるわね」
「そりゃ、わたしが美夜たちの足引っ張るわけにはいかないじゃない」
もちろん特訓と並行してライブの準備もしないといけない。
生徒会で運営側としても携わっているので忘れたくても忘れられないし。
四人での練習時間もできるだけ取るようにした。
今回のライブは初心に戻って正統派で行くことにした。
万桜と奏音は一発目から色物だったので逆に新鮮である。
『一年生にとっては最初の大きなライブですし、あまり奇をてらうと受けが悪いかもしれません』
『あたしたちもそういうの気にする側になったのね。ちょっと感慨深いわ』
『うん。今までわたしたちに美夜たちが合わせてくれてた感じだし、こういうのもやりたい』
『でもアクションは入れようよー! じゃないとミアつまんない!』
もちろん、能力による演出や派手なダンスは入れていかないと埋もれてしまうので、ある程度は取り入れる。
「大きな仕掛けを入れないと練習に集中できていいね」
「これが普通なんだけどね。いいじゃない。今のあたしたちなら小細工はいらないわ」
真っすぐに、今の自分にできる「これだ!」というものを目指して。
「後輩ってほんと可愛い、かあ」
先輩の言っていたことを「本当だなあ」としみじみ感じる。
後輩というのはライバルであり、去年の自分たちであり、教えてあげるべき後進だ。
ファンの期待に応えたいという気持ちはあったけれど、それだけじゃなくて、雛たちにいいところを見せたいという想いが加わった。
そうすると、ライブの運営準備にもよりいっそう気合いが入る。
広報としてのSNS運用や、自分のSNSの更新に関しても、プロの先輩たちの存在が身近になると「もっと工夫していかないと」と思った。
万桜はもちろん奏音も、不埒な輩をぶっ飛ばせる程度には強くなっているし。
少し、自分を魅せていいラインを緩くしてもいいかもしれない。
今日何した、を書くのは注意を払ってが原則だが、ここでの「今日何した」はそのまま学校やイベントの宣伝になりうる。
みんなの了解を得つつ写真も積極的に載せるようにして、
『最近、ちょっと悩んでるんです』
「悩み事?」
雛や瀬奈との会話中にそんな風に切り出された。
『はい。わたし、みんなに比べてライブで可愛く見えなくて』
「雛ちゃんはすごく可愛いと思うけどなあ」
思ったことを口に出したら、少女マンガのヒロインみたいな顔した後輩は真っ赤になって、
『万桜先輩に比べたらぜんぜんです! ……じゃなくて!』
雛は『原因はわかってるんです』と言った。
『わたし、みんなと違って歌ってないから』
「え? あ、そっか。雛ちゃん、口動かさなくていいもんね」
『そうなんです。だから、歌ってるように見えなくて』
小さくため息をついた少女は『だから!』と拳を握って、
『歌いながら口パクする練習をします!』
「おお」
どうしたらいいか考え始めていた万桜は、後輩の自主性に感動した。
せっかく便利な『声』があるのに不便なほうに合わせないといけないのもちょっと面倒だが。
歌声だけ聞こえて口が閉じてると録音だと勘違いされるかもしれない。
「頑張れ、雛ちゃん」
『はい、頑張ります!』
けなげな雛を見ていたら、先輩に抱きしめられた気持ちがわかった。
思いっきり抱きしめたい衝動をこらえていると瀬奈が吹きだして、
「万桜ちゃん先輩、なんですかその手」
「え? あ、うん。雛ちゃんをなでなでしたいのを我慢してたんだけど」
「わかります。雛っち可愛いですよねー。一緒にわしゃわしゃします?」
「しちゃおっか」
『やめてくださいー!』
悲鳴を上げて逃げられた。
と。
「あの、万桜先輩」
「私たちの相談にも乗ってもらえませんか……?」
別の後輩たちが声をかけてくる。
ライブの関連か、小さく表示されたホロウィンドウにあれこれメモのようなものが見える。
万桜は微笑んで頷いて、
「うん、もちろんいいよ」
少女たちの表情がぱっと輝いた。
美夜ならきっと「上級生だって競い合う相手じゃない」とか言うだろうが、後輩的に同級生に手の内を晒すよりはずっと気楽に相談できるはず。
みんなが上手く楽しくできるならそれが一番いい。
感じた万桜は「そっか、だから絵理華先輩たちは」と気持ちの上で深く納得した。