──五条悟、一世一代の賭け。
眼前には自身の最初の教え子たる、伏黒恵の身体を乗っ取った両面宿儺。
相手の術式は万全。式神も顎吐を失いこそしたものの、本命たる魔虚羅は未だ顕在。両者が前後から、彼を殺さんと襲いかかる。
そして、五条は領域の使用により、無下限呪術が一時的に使用できなくなっている。
両面宿儺との複数回に渡る領域の押し合いに、反転術式による脳のスクラップアンドビルドというリスキーな技術の連続使用。領域で焼き切れた術式を再び
だが、それでもなさねばならない。
何故か?
それは、五条が教師だからだ。
「これくらい!!!!」
最強だからだ。
「できなきゃ!?!?」
そうであると、他人に、そして教え子たちに、言い続けてきたからだ。
「憂太のことも、笑えないよなァ!?!?」
──五条悟の無下限呪術が、復活する。
「虚式!!!!!」
「
順転と反転。青と赤の混ぜ合わさった鮮やかな紫色──ではなく、
極論、黒閃というものは、打撃と呪力がちょうどピッタリ、吸い付くように、ジャストで完璧なタイミングで重なりあればよい。
そこに、呪力の『質』は問われない。
それが、虎杖悠仁の呪物由来の外付け呪力だろうと。
秤金次や鹿紫雲一のような異質な呪力だろうと。
そして、術式によって生み出された、『赫』や『茈』だろうと。
そこに完璧なタイミングで拳が重ねられてさえいれば、それは発生する。
そう。
五条は、自身の命が狙われた極限の集中下の中、瞬時、かつ同時に『蒼』と『赫』を生み出し、混ぜた。
拳を振るう前ではなく。
振るっている最中でもなく。
当たる直前に、生み出し、混ぜ、『茈』を作り出して、右手と共に魔虚羅に打ち込んだ。
だからある意味、当然だったのだ。その行いに、黒い女神が微笑むのも。
まるで爆弾が破裂したかのような轟音を響かせながら、魔虚羅が
その肉体が四散し、飛び散り、消し飛ぶ。破片はあまりの飛翔速度に前方の大気を圧縮し、断熱圧縮と電離によって生み出された細やかな火の玉となって四方八方へ飛び散った。さらに、魔虚羅の肉体だけでは打ち消しきれなかった運動エネルギーは『着弾点』の地面を割り砕き、大気を文字通り爆発させた。
五条の脳裏に浮かぶ、『勝機』の二文字。
(いっっっっって!! 初めて自爆したわクソが!! けど、一番の脅威だった魔虚羅は殺した!! 宿儺は領域か展延でしか僕にダメージを与えられない!! そして領域では僕を殺しきれないし、術式抜きの肉弾戦なら僕が勝つ!! このまま術式効果のやり取りになろうが、領域の勝負になろうが、僕の勝利は明白!! この斬撃も無限を突破できないし──)
違和感。
(──なんでだ? なんで、宿儺はこの状況で笑ってる? まるで、勝ちを確信した、みたいに──)
術師としての勘ではなく、生物的な本能に従って、眼の前の斬撃を避けようとする。無下限呪術への信頼を投げ捨て、体捌きでの回避行動を取ろうとする。
が、それは不可能なことだった。どのみち、今は全力で拳を振り切った直後。加えて、炸裂した茈の反動をモロに食らって体が流れていた。無論、五条であれば呪力によって強化したフィジカルなり、無下限呪術による制御なりで、コンマ1秒でそれを無かったことにできるが……それでも、コンマ1秒は隙を晒す。
宿儺の斬撃が、いとも容易く無限を乗り越え
「悟ー。そこのペットボトル取ってー」
「は? やだよ」
ジーワジーワと、うるさいくらいにセミが合唱を続けていた。
構造上、校舎の内部はその大部分が影の内側になる上、建物自体も風の通り道を意識した造りになっているとはいえ、正直なところこの時期の暑さはそれくらいではとても乗り越えられそうにない。クソみたいな予算削減と昭和時代の老害による「俺たちもこれくらい平気だったんだからお前たちも耐えろ」という思想により、室内のクーラーのスイッチは入れられることがなく、代打の席には不安げな表情でカーテンをはためかせた窓くんが立っていた。当然ながら凡打であった。
ち、と舌打ちを返すと、いつものように眉を八の字に曲げて──自分にはこれが、いやに鼻につく態度であった──、硝子の飲み物を取ってやった。彼女の立ち位置の方が遠いとはいえ、それくらい自分で取りに行けばいいものを。
「傑。あんま硝子を甘やかすな。オマエがそんな調子だからアッチも調子に乗るんだろ」
「まあまあ」
傑がペットボトルを硝子に向かって投げる。扉の向こうにいた硝子が受け取ったのだろうが、その様子は何故だかよく見えなかった。教室は机や壁、やたらデカい四角の柱など様々な遮蔽物があるからして、たまたまタイミングが悪かったのだろう。
「悟」
「あ? なんだよ」
椅子に座っている自身と立って投げた姿勢の傑。下から上へ見上げる形となったが、肩の向こう側から僅かに見えるその表情は、自分の記憶の中にあるそれよりも、なんだか、大人びているというか、妙に視線に「優しさ」のようなものを伴ったそれであるかのように思えた。
「どうだった? 教師は」
「…………あー」
……
「まあ、
「グレてるって」
「つーか、普通に考えて俺十分に頑張っただろ。俺の普段の睡眠時間知ってる? いくら反転術式で脳疲労を回復できたとしても、四六時中起きてるって記憶と意識はそのまま刻まれるんだぜ? 七海があの程度で根を上げてるんだから、俺なんか賞状をもらって関係者全員から拍手喝采されたっていいくらいだ」
「まあ、それはそうだね」
「全く、人をなんだと思ってるのやら……」
「でも」
「言葉の割には、随分と悔しそうじゃないか」
「──は」
「そりゃ、そうだろ。だって負けたんだぜ、
「責任感が強いねえ」
「当たり前だろ。今回ばかりは、今回だけは僕が勝たないといけなかった。なんだよ日本人全員の呪霊化って。生徒全員の命どころじゃない。お猿さんたち全員の命だって天秤に乗せられてるんだ。責任感の一つくらい、感じるってもんさ」
「……」
「変わったね、悟」
「あは」
「そうかな。そう思う? これでも僕は結局、中身は一緒のままかなーって思ってるけど」
「その発言からして高校の君からは出てないだろ。立派なもんさ」
「立派ねえ……」
「……」
「あー!! クソ!!! もっかいやり直せねえかな!! 審判!! ノーカンだノーカン!! タイムマシン! もしもボックス! ひみつ道具とかなんかねえの!?」
「私はドラえもんじゃないよ」
「似たようなもんだろ!?」
「それは流石に同じ術式の使い手全員に対して失礼じゃない?」
「いや、むしろ褒めてるだろ。みんな好きだろ、ドラえもん……」
「僕さあ」
「うん」
「特別なんだよ」
「知ってる」
「誰よりも」
「普通にただの事実だね。ナルシズムですらない」
「だから、さあ……あるじゃん、あれ。『呪術師に納得のいく死はない』。僕、あれは僕には当てはまらないんだろうなあって、楽観視してたんだよねえ」
「そんなもんだろ。特に人はいつも、死について楽観的に考えるものさ。本能なんだろ」
「でも……さあ!!!! いかねえわ!! 納得!!!! 死にたくないね!!! このまま死ぬの!? 本当に!?!? 今僕が死ぬの超ヤバくない!? ていうか無理じゃない!? 悠二たち死ぬよ!?」
「正直……それについては私も楽観視できないかな。実際、誰かしら死人は出るんじゃないか? 呪いの王とはいえ、あそこまで強いと『どうしようもない』という思いが真っ先に来るね」
「死んで欲しくね~~~~~~!!!!! もったいね~~~~~~!!!!! 僕が教えてきた時間と努力が~~~~~~!!!!!」
「……いや、一番気にするのそこなのかい?」
「しょうがないだろ、呪術師なんだから人の生き死にどうこうそれ自体は気になんなくなるモンなんだよ! ……賽の河原だろこれ、僕が一人でせこせこ積み上げてきた石がしょーもねークズによって崩されていく……マジでふざけんなよ……」
「……まあ、ほら、まだ可能性はあるだろ?」
「あるかなあ……」
「ちなみにこれ、僕が生き残るルートとかないの? なんかない? ほら、突然僕の髪の毛が金色に輝きだしておだやかな心を持ちながらはげしい怒りによって目覚めた伝説の戦士になるとかさ。定番じゃない? 覚醒イベント」
「ないよ」
「ないの?」
「ない」
「ないのか……覚醒イベント……」
「現実にそんなものあるわけないだろ」
「悲しいこと言うなよ」
「はあ」
「ゴメン。僕はここまでみたいだ。本当は今回も僕がどうにかしてやりたかったし、君たちがこれからどうなっていくのか、眺めていたかったけど……それもどうやら叶わないらしい。無力な僕を許してくれ。──僕が無力っていうのもちょっと皮肉かもしれないけどね」
「後は頼んだよ。みんな」
(──は。この僕にも、走馬灯を見る日が来るとはね……)
「……見事だ、と言ってやろう」
斬撃が五条の胴体を両断する。
(反転術式が……クソ。流石に下半身を生やすのは無理だ。それにもうだいぶ出力が落ちてる。これじゃ──)
「先の一撃、アレを食らえば俺でもただでは済まなかっただろう。俺が生きてきた中でも、類を見ない一撃だった。だが、それを魔虚羅に向けたのは失敗だったな」
(ベラベラと喋りやがって……もう勝ったつもりでいやがる。こうなりゃ反転の回復なんて止めて最後っ屁でも──)
「俺がお前の術式を貫けたのが不思議か? なに、簡単なことだ、……?」
ばり。
ばり、ばりばりばり。
ば、ちり。
得意気に種明かしを始めようとした宿儺の耳が、異質な音を拾う。
そして、辺り一帯──視界に入る限りすべての塵という塵が、全て逆立っているのを目に入れる。
「なあ」
バチバチという、電気が弾ける音。そこに目を向ける。
まるで塩素系漂白剤でキッチンを掃除した時のような生臭い匂いが、宿儺の鼻を刺した。
「風情のわからんやつめ。人が折角余韻に浸っているところに」
「次は、俺の番でいいんだよな?」