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「ぐ……」
少し力を込めると、がら、という音を立てて自分の上に覆い被さっていた瓦礫が避けていった。
「げほっ……くそ、めちゃくちゃしやがって……」
瓦礫の山から這い出てから鹿紫雲が辺りを見渡すと、新宿であるはずの周囲は無残な様子に様変わりしていた。
元々、日本の都市は巨大怪獣が着地することを想定して設計されていない。加えて、東京の都市部は地下鉄、地下街、下水道、電気インフラの共同溝など、かなり積極的に地下を有効活用しており、地下に広大な空間を保有している。ウルトラマンのスケールから見れば「石で作られたスポンジ」と呼んでしまって相違ない。そんなスポンジ状の都市は当然餓煮髑髏の落下に耐えられなかったのだ。内部の空洞は押し潰され、凹んだ地面は巨大な凹型のクレーターへと変貌していた。破裂した水道管からは水が噴き出しており、それが鹿紫雲の顔面へ降りかかっている。不愉快だった。
とはいえ、逆にそのおかげで助かったとも言える。都市が衝突に耐えきれず崩壊し、スポンジ──緩衝材としての役割を果たしてくれたおかげで、鹿紫雲に行くはずだったダメージの幾ばくかは吸収されていたのだから。
「いっつ……」
鹿紫雲が痛みに顔を歪める。
彼の経験則から、どこかしら胴体の骨が折れているのだろうということが推察された。
鹿紫雲のように極限まで鍛え上げた武芸者と言えど、結局は生物。体の反射を殺し切ることは出来ない。痛みはパフォーマンスを下げるし、それ以上に怪我は物理的に肉体の運動性能を低下させる。
血液が減れば酸素の供給量が減り、筋肉は鈍るし。
それ以前に、骨や靭帯が破壊されれば禄に四肢は機能しなくなる。
幸いにして、鹿紫雲の怪我はそこまでではないとはいえ、この攻撃以前ほど動ける状態でなくなったことは明白で、それは誰よりも彼が理解していた。
(クソが。反転術式さえ使えれ……)
「チッ」
湧いてきた当然の思考を、舌打ちをして中断させる。
鹿紫雲はその考えをいつも、『甘え』として断じ、切り捨ててきたはずだった。
反転術式が使えれば、怪我をその場で治癒し、比べ物にならない継戦能力を発揮することができる。
領域展開が出来れば、相手の領域を打ち消し、対等な戦いにもつれ込むことができる。
反転術式が使えれば。
領域展開が使えれば。
その二つがなくともここまで強い鹿紫雲一は、もっと強かったはずだ。
「クソ。やめだやめ。やめろ」
実のところ、鹿紫雲は。
『それ』が、羨ましくなかったわけでは、決してない。
当たり前だ。鹿紫雲自身分かっている。それがあればもっと強くなれたということくらい。鹿紫雲自身、何度も習得しようと修行を重ねた。この直前の入れ替え稽古の時だって、虎杖たち高専生に元最強の術師による呪術格闘戦のイロハを伝授するということを交渉材料に自分も反転術式や領域展開を教えてもらおうとした。結局のところ鹿紫雲は受肉体。呪物の魂を他人に入れることはリスクが高すぎるとして鹿紫雲は入れ替え稽古を受けることができなかった。そのため、一人だけレベルが死滅回遊開始時のままだ。鹿紫雲も理屈に納得していたし、当然だとも受け入れていた。そもそも一度人生を終わらせた死人にほとんど近いのだから、これ以上成長を望むのも贅沢である、とも。
「クソが。結局、どこまで行ってもこれか」
鹿紫雲は割り切っていたはずだ。その上で、その二つの研鑽に使う分の努力を、時間を、他のこと──例えば格闘戦や電撃の使い方の戦術的研究などだ──に使うことで、事実上対等であるということにしていたはずだ。事実として、過去、彼はそれで結果を出してきた。間違っていたと思ったことは一度もない。
実際のところ。
反転術式は順転に対してコストパフォーマンスが悪い。無闇矢鱈に使えばガス欠を起こす。反転術式が使えるということと、それを自由自在に運用できる呪力量を保有しているということはまた別の問題だ。加えて言えば反転術式使いにも練度があり、反転術式が使えるからといって全ての怪我を治せるわけではない。
領域展開も同様だ。特にこれは練度の問題が顕著だ。仮に今、鹿紫雲が領域を使えたからといってそれが宿儺に通用するとは限らない。むしろ、領域は術式を一度焼き切ってしまう。そもそも宿儺は領域の押し合いを成立させずに一方的に勝てる技術の持ち主だし、半端な領域を展開したが最後、術式を使えない状態で瞬殺される可能性が極めて高い。
だから、合っているのだ。現状が最適解であり、最もベストな回答だ。鹿紫雲の理性はそう判断している。
感情は、そうではないが。
「フー……」
右手と左手を、合わせる。思い付きのままに指を組んでみる。何も起こらなかった。
ハンディキャップ。実際のところそんなことは全くないが、『最強』と呼ばれるには明確に欠損した、己の資質。どこまでもついてくる彼の呪い。
割り切ったはずだった。
打ち勝ったはずだった。
違う。
忘れていたのだ。
勝利で劣等感を塗り潰し、見えないようにしていただけ。
ハンデを抱えても最強であると、いやハンデなど自分にはそもそも存在しなかったのだと、証明したかっただけ。
ここは死地だ。呪術師にとって、死地は己の本質が剥き出しにされる。
全ての呪術師にとって。
悔いのない死は。
ない。
「アホらし。馬鹿なこと考えてないで、目の前の戦いに集中しろ」
そう言って鹿紫雲は、前を見た。
「後悔の時間は十分か?」
「ああ。待たせたな」
目の前の宿儺を見据える。
クレーターが周囲の視界を遮り、まるで宿儺の周りにだけ空があるような、空が宿儺に付き従っているような錯覚がした。
呪いの王。
呪術において、鹿紫雲は宿儺よりも弱い。
「……? ほう。随分とまた、見すぼらしい風体になったものだ。それで戦えるのか?」
鹿紫雲は老人の姿になっていた。
受肉体にのみ許された特権。完全受肉による、事実上の全回復である。
ただし、鹿紫雲がそれを使っていないのには、明確な理由があった。
「ああ。これが俺の生前の姿さ。老いぼれて体の節々も痛むんで、若い姿の方が良かったんだが」
鹿紫雲は呪術師としては極めて長生きだ。その分、肉体も老化している。
人間は当然、運動能力は20代がピークであり、そこからは徐々に下り坂になっていく。今まで出来ていたことが出来なくなっていく。筋肉が萎み、関節が劣化し、動けなくなっていく。
そんな鹿紫雲にとって、受肉帯の若い身体は都合が良かったのだ。呪物に変わる時よりも遥かに高い運動性能は、完全受肉によって得られる呪術的メリットよりも、格闘戦によるメリットの方が上回っていることは明白だった。だから彼は、現代人の姿を取り続けてたのだ。
この姿になったのは、重度の怪我を負った肉体を回復して、老いた身体に戻ってでも相対的に運動能力を回復させるため……
「どうやら、本格的に俺に殺される気になったか?」
「いや? 全然」
ではない。
両手を合わせる。参考にすべき技は既に見ていた。
穿血。血を一点に集中させて全てを貫く技。
今からやるのは、それだ。
「
鹿紫雲の背負う十の光球が、全て彼の手に集中する。