織田信奈の野望〜戦国に舞い降りし銀ノ刃〜   作:更新亀さん

18 / 47
竹中半兵衛争奪戦 中

「南蛮の最新兵器を戦に導入しているにもかかわらず、信奈はあんたに、竹中半兵衛に手も足も出ない。陰陽師の力は弱まっているのだろう?それなのに、なぜだ?」

「それはあくまでも俺の『兵法』の力、つまり軍配者としての知恵の勝利であって、式神や鬼とは無関係さ。せいぜいが合戦の際に陰陽道の術を用いて多少の霧を呼び起こした程度よ」

「じゃあ、やっぱり強いんだろうが!あの霧が伏兵戦術や迷路戦術の決め手なんじゃねーか!」

 

「いや。霧などは術を用いずとも、天候を読めれば誰にでも扱える。織田信奈が桶狭間で雷雨をわがものとしたようにな。もっとも、俺は少々派手にやりすぎた。斎藤義龍とその寵臣どもが俺をすっかりあやしみ、竹中半兵衛の戦は面妖すぎると動揺する国人たちの統制が取れなくなったおかげで、俺は大魚を逸した。長良川では道三に逃げられ、必殺の『十面埋伏』にも失敗したぞ。戦には人の和、主従の阿吽の呼吸が必要よ。軍師が立てた策だけでは完璧には勝てぬ。今の美濃には人の和がない。美濃と尾張の合戦は長引くであろうな」

 

「そうかな? あんたはどうも、道三の爺さんや信奈を本気で殺しに来てなかったような気がするんだが……なにしろあれほどの負け戦を二度もやらかしたのに、織田軍の兵はほとんど死んでねえ。まるで竹中半兵衛は信奈を試して、戦国武将として育てようとしているかのような」

 

半兵衛の視線が一瞬揺れた――が、すぐに飄々とした笑みに戻る。

 

「そんなことはない。……俺の策が失敗した一番の原因は、そこの“死神殿”だからな」

 

 視線が、刃へ向けられる。

 

「お主がいなければ、道三どのも、信奈どのも、とうに墜ちていた。兵を読む目も、策を見抜く力も、武の才も……想定外が過ぎる。いずれどこかで、俺はお主を倒さねばならん」

 

 その時、ずっと静かに聞いていた浅井長政が、思わず小さくつぶやいた。

 

「つまり、半兵衛どのは……あやかしの術を用いる古き陰陽師の末裔であり、人の世の戦をも学んだ天才軍師。まさしく智と妖の双極を併せ持つお方……これは是が非でも、調略せねば稲葉山城は落とせぬな……」

 

「うっかり同意しちまった! きぃぃ、なんで長政にうなずいてんだよ俺ぇ!」

 

 良晴が自分の頭を抱えるのを見て、場が一瞬だけ和らいだ。

 

 半兵衛が指を鳴らすと、後鬼がふわりと現れ、菓子と茶を運んでくる。

 

「……ま、遠路はるばるご苦労。腹も減ったであろう。八丁味噌をたっぷり塗った三河名物だんごだ。茶も上等、どうぞ召し上がれ」

 

 湯気を立てる団子が並べられ、芳ばしい味噌の香りがあたりに漂う。器に注がれた茶も、湯気を立てていた。

 

「これ、飛驒のみたらしだんごだな! うまそう!」

 

「飛驒は米があまり美味くないから、だんごにして保存食にする文化がある。稲葉山城も、水の手が少ない山城。炊飯よりだんごの方が籠城には向いているのだよ」

 

「……だんご、美味しそう」

 

 ぽつりと呟いた犬千代が、一串のだんごにそっと箸を伸ばす。そのまま、口元へ運ぼうとした――が。

 

 すっ。

 

「待て」

 

 風を切る音とともに横から手が伸び、だんごがあっさりと奪われた。犯人は刃。

 

「……かえして」

 

 小さく睨む犬千代に、刃は静かに首を横に振る。

 

「ダメだ。良晴、お前も絶対に口にするなよ」

 

「え? なんでだよ、うまそうじゃねえか。俺、こういう味噌系の甘じょっぱい――」

 

「半兵衛殿、これは何の真似だ?」

 

 刃の声には、鋭い警戒心が混ざっていた。

 

 だが半兵衛は、飄々とした笑顔を崩さず、茶をすする。

 

「何のことかな?」

 

 刃はじっと、その表情を見据えた。

 

「このだんご……俺には“味噌”のかわりに、“糞”が塗られた“糞だんご”にしか見えない。そしてお茶の香りは――“馬の尿”、すなわち“ゆばり”だな」

 

「うげえええええええぇっ!?」

 

 良晴が絶叫とともに口を押さえ、ぶっ、と茶を吹き出した。

 

「なななななんてもん飲ませやがるぅぅぅっ!!」

 

「止めたのになんで飲んだんだよ……」

 

 刃のぼやきに、良晴が泣きそうな顔でごろごろと畳の上を転がる。

 

 その様子を見ていた半兵衛が、突如として哄笑を上げた。

 

「くっ、くっ……くくくっ、あーっはっはっはっはっはっはっ!」

 

 それは、人間の笑い声とは思えない、どこか狂気じみた笑い。

 

 笑いながら、京風の公家のような美貌が、ぐにゃりと歪み始める。目尻が吊り上がり、口が耳まで裂けるようにニタリと開く。まるで狐面が皮膚の内側から浮き上がったかのようだった。

 

「ひっ……!」

 

 良晴、犬千代、長政が同時に息を呑む。

 

「あはははは。流石は“死神殿”だな! 我が“十面埋伏の計”と“石兵八陣”を突破しただけのことはある! この程度のいたずらでは動じぬか! げたげたげた!」

 

狐のごとき顔つきの半兵衛は、袖を払って立ち上がる。

 

「陰陽の術で、ちょいと幻惑を仕込んだだけさ。死神殿の言う通り、お主らが“お茶”と思ったそれは――“馬のゆばり”。そして、だんごに塗った“味噌”は――“馬の糞”だ」

 

「よ、よかった……! 食べなくて……食べなくてよかった……!」

 

 長政が額から滝のような冷や汗を流し、壁際で震えながら呟く。

 

「げたげたげたっ!」

 

 狐面のような笑いを浮かべ続ける“半兵衛”に、刃がすっと立ち上がった。

 

「半兵衛殿、戯れはもう終わりだ」

 

「……?」

 

「偽者のあなたと話すことは、もうない」

 

「偽者? 何の話かな、君は何を――」

 

 ザシュッ。

 

 一閃。

 

 乾いた斬撃音が座敷を裂いた。次の瞬間、“狐半兵衛”の胴が半回転しながら宙を舞い、こーん、と奇妙な鳴き声を残して畳へ転がり落ちた。

 

「なんというまねを!」

 

 だんごを放り出して、長政が蒼白になりながら狐半兵衛のもとへ駆け寄った。

 

「貴様ら……やはり、最初から半兵衛殿を暗殺するつもりで――!」

 

「はははは刃!? お前ほんとにやっちまったのかよ!? 斬ってどうすんだよっ!」

 

 良晴と犬千代も畳の上にへたり込み、頭を抱える。

 

「……おい、これ完全に俺たちがやったみたいになってるぞ! 長政も共犯にされるぞ!」

 

「ま、まずい……このままでは織田・浅井・斎藤の三国が泥沼の内紛に――!」

 

 混乱の渦の中で、三人が叫び合っていると――。

 

「……あれ?」

 

 犬千代がぽつりと呟いた。

 

 見ると、狐半兵衛の“死体”が、さながら幻のように、ふわりと消えていたのだ。

 

 畳の上に残されていたのは、ただ一輪――

 

 金色に輝く小椎の花だった。

 

「な、なんだこりゃ……」

 

「花……?」

 

「あ、あれれ? ど、どうなってるんだ刃? 半兵衛は?」

 

「言っただろ、偽者だって。おそらく式神の一体だろう」

 

 その時だった。

 

「いたぞ、そこだ!」

 

 浅井長政が鋭く叫び、腰の小刀を抜くと、室内の奥にある柱へ向かって素早く投げつけた。

 

 キン、と柱に小刀が突き刺さる音が響いた直後――。

 

「……きゃっ……い、い、い、いぢめないで……ください……!」

 

 柱の陰から、ころり、と小柄な女の子が前転して現れた。

 

 ちんまりした犬千代よりもさらに小さく、華奢な身体。大きな黒目がちの瞳に、長い睫毛。まるで子栗鼠のような、儚げな美少女。

 

「……いぢめないで……くすん、くすん……」

と泣き泣き、「大丈夫大丈夫いじめないよ」と思わず条件反射であやそうとした良晴の眉間めがけて「えい」と腰の名刀「虎御前」を抜き放ちつつぶん投げてきた。

 

「うおおおおおっ!? あぶねえええええっ!?」

 

 間一髪、全身を反らすようにしてブリッジ回避。紙一重で命拾いした良晴は、叫びながら尻もちをついた。

 

 同時に――ちょっとだけ、漏らした。

 

「おまっ……いきなり何すんだコラァァァ!? 反射であやそうとした俺の優しさ返せぇぇぇっ!」

 

 びくうっ、と少女が肩を震わせ、すぐさま両手で頭を抱えて縮こまる。

 

「……あうぅ……や、やっぱり……いぢめるんですね……いぢめたくなったでしょう……ぐすん、くすん……」

 

「ち、違うから! 違うってば! だから不意討ちはやめようね!?」

 

 必死に弁明する良晴に対して、さらに少女は一歩下がって涙目で訴える。

 

「こ……声が大きい男の人は怖いです……いぢめられます……ぐすん……」

 

 その光景を見ていた刃が、じとりと冷ややかな目を向けた。

 

「良晴……まさかお前、こんな子供をいじめる趣味があったのか?」

 

「ちがっ……そ、それ誤解にもほどがあるだろ!?」

 

「ちょっと、ねねや犬千代には近づかないでもらってもいいか?」

 

「ねぇよそんな趣味!? てか、俺を冤罪で陥れないでっ!!」

 

 刃は少女が投げた刀「虎御前」を拾い上げ、まじまじと眺めていた。

 

「……ほう。良い刀だ。重心の配分も鋼の焼きも上等、これは相当な業物だな」

 

「……あぅぅ……か、返して、ください……それ……わたしの……」

 

 少女が泣きそうな声で手を差し伸べる。

 

「当然だろう?」

 

 刃はそう言って、虎御前を丁寧に持ち直すと、柄をこちらに向けて少女に差し出した。

 

 そして、じっとその顔を見つめながら言った。

 

「貴女が本物の竹中半兵衛殿だな?」

 

 その瞬間──

 

「えええっ!?」

 

 良晴と長政が、同時に絶叫した。

 

「この泣き虫の女の子がっ!? あの信奈が手も足も出ないっていう──」

 

「天下に名高い大軍師・竹中半兵衛だと? これは……にわかには信じがたいな……」

 

 二人は目を丸くして、狐につままれたような顔で少女を見つめる。

 

 良晴に至っては、呆然としながら自問自答を繰り返す。

 

(いや、待て……確かに顔色が青白くて病弱そうだし、見た目は史実の半兵衛に近い……。でも、でもだ! この子が「十面埋伏の計」や「石兵八陣」みたいな怪物級の戦術を使ったってのか? ほんとに?)

 

 しかし──

 

 少女は、涙を浮かべたまま、恐る恐るうなずいた。

 

「……はい。そうです……わたしが竹中半兵衛……十四さいです……いぢめないで……くすん、くすん……」

 

 部屋の空気が一気に静まる。

 

 浅井長政は、腕を組みながらふむ、と唸った。

 

(庶民顔のサルは、どうも子供になつかれやすいと聞く……それにあの足軽、私と同等の美男子だ。……さて、あやつらより先に半兵衛を籠絡するには……)

 

 策士らしく沈思黙考していたが──

 

 その間にも良晴はなおも混乱しながら、思わず少女の頭に手を伸ばした。

 

「お、おう、半兵衛ちゃん……よしよし、もう泣くなよ~?」

 

「……えいっ!」

 

 再び光が走った。

 

 条件反射で振り下ろされた虎御前が、今度は横薙ぎで良晴の首筋すれすれをかすめ──

 

「ひぃぃぃぃぃっ!?」

 

 良晴は畳の上に四つん這いになって逃げた。

 

 あわや首が飛ぶところだった。

 

「こーん! 竹中半兵衛の影武者こと、前鬼──ただいま、復活にて候っ!」

 

 突如、畳の影から跳ねるように飛び出してきたのは、ついさきほど狐面姿で大騒動を巻き起こしたあの者──前鬼であった。今は狐面も外れ、やたらと元気そうな顔で満面の笑みを浮かべている。

 

「相良どの、お覚悟ぉっ! がぶっ!」

 

「うおっ!? お前、さっきの狐半兵衛じゃねーかっ!?」

 

 前鬼が勢いよく飛びつき、良晴の肩口に食らいついた。ずっ、と嫌な感触が走ったかと思うと──

 

「痛い、痛い痛いっ!? おいおいマジで!? 血がっ……血があああああ!? 俺の首筋から血がああっ!? ってか牙、牙が刺さってるぅぅぅうっ!?」

 

 床に転げながら、良晴が声にならない悲鳴をあげる。

 

「……ほら……怒ってます……やっぱり、怒ってます……しくしくしく……」

 

 と、まるで反省しているように見えて、顔を両手で覆いながらチラチラと様子を窺う本物の半兵衛。

 

「こら────っ!!!!」

 

 立ち上がった良晴が、首筋から血を流しつつ怒声を上げた。

 

「お前が俺を怒らせてるんだろうが─────っ!!!! なんで泣くんだよ!? 被害者、こっちだからなっ!?」

 

「うぐぅ……くすん……やっぱり怒ってますぅ……」

 

「コーンッ! 我が主を泣かせた罪、万死に値する! 償いは血でっ! がぶがぶがぶ!」

 

「ちょっ、やめっ……あああっ!? 前鬼ぃぃぃ! お前、さりげに食いすぎィィィィ!? マジで首が取れるぅぅぅぅっ!? 刃ーっ! 犬千代ーっ! 誰か助けてぇぇええっ!!」

 

 血まみれで畳を転がり回る良晴。その様子を見た犬千代が、淡々と呟いた。

 

「……子供にいじめられて、なぜかどことなく楽しそうな良晴は、えもいわれずいやらしい」

 

「お前、そっちの趣味もあったんだな……」

 

 刃がまたもや冷ややかな目で呟く。

 

「ないわッッッ!!!」

 

 叫んだ直後、さらにがぶりと首筋に一撃食らって、良晴の悲鳴が天井に突き抜ける。

 

 そして──

「おお、半兵衛!」

 

 そこへ階下から駆け上がってきたのは、安藤伊賀守。着流しのままに雪駄を踏み鳴らし、額に汗を浮かべて叫んだ。

 

「その者らは、そなたの家来じゃ! 泣かせに来たのではないっ! いじめに来たわけでもない! 式を打って懲らしめてはならぬ!」

 

「……だって、あの人、わたしにいきなり大声で……ぐすん……撫でようとするから、きっと変な人だと思って……」

 

「だからって刀を振り回すなああああああッ!!!」

 

「申し訳ない、良晴どの!」

 

 額に冷や汗を浮かべながら、安藤伊賀守が深々と頭を下げた。

 

「この子はな──幼き頃より、病弱・気弱・ちびっ子という、いじめられっ子の役満大三元を揃えた、極めつけの厄介娘での!」

 

「なんだよその役満ッ!? ロンされる前に対策しとけよ!」

 

「ゆえに、初対面の相手にはつい……式を打ったり、罠を仕掛けたり、不意打ちをかけたりしてしまうのだ。で、相手が怒ったり、大声を出したり、叱ったりすると──」

 

「くすん……怒ってます……いっぱい怒ってます……やっぱり、いぢめられるんですね……わたし……」

 

 目を潤ませながら顔を袖でごしごし拭く半兵衛。そのまま刃の背後にすっと隠れた。

 

「で、ですが、これはすべて……この人が……怖かったからで……」

 

 ぴた、と視線が良晴に突き刺さる。まるで、「こいつがすべて悪いんです」と言わんばかりの無言の圧力。

 

「おいおいおいおいっ!! 普通こんな災難にあったら誰だって怒るだろーがっ! こら親父っ、マジでなんとかしてくれよっ!」

 

「……いや、うむ……確かに……わしでも怒るかもしれん」

 

「ぐすっ……やっぱり怒ってるんですね……くすん……みんなしていぢめてくるぅ……刃さん……助けてください……」

 

 と、刃の後ろで再びぽろぽろと涙をこぼす半兵衛。さりげなく刃の袖をつまみ、遠慮がちにぎゅうっと引っ張っている。

 

 その瞬間──

 

「……泣かせたな?」

 

 ずい、と前鬼が良晴の眼前に立ちはだかった。肩を震わせ、耳をピンと立てて、牙を剥き出しにする。

 

「だから違うってば! 俺はただ正当な抗議を──うわっ、待て待て、今『がぶっ!』のタイミングだっただろお前ぇぇ!」

 

「てかさっ! なあっ! なんで俺だけなんだよ!?」

 

 とうとう耐えきれず叫ぶ。

 

「長政は分かるよ!?ずっと端っこで距離とってたし、警戒してた!でも、刃は!?がっつり近づいてただろ!?ていうか半兵衛ちゃん、今しれっとあいつの背後に隠れてるよね!?なんで!なぜだこの差はあああああっ!?で!?なんで俺だけこんな目にッッ!?」

 

「俺が知るわけないだろ」

 

 刃は淡々と、しかも肩をすくめながら返す。まったく罪悪感がない。

 

「……安心できます……この人は、こわくないです」

 

 半兵衛が静かに、しかし確信めいた声で囁いた。

 

「くそぉぉぉぉぉぉっっ!!」

 

 良晴、崩れ落ちる。そのまま床に突っ伏し、天を仰ぐでもなく、畳の目を数えるでもなく、ひたすら心を無にして、もはや動かない。

良晴が床に突っ伏して悶絶中、安藤伊賀守が「ほんものの」半兵衛と「影武者」前鬼、そして明日の稲葉山城登城にまつわる事情を説明した。

 

 

 

「昔から本物の半兵衛と面識があるわっちら西美濃三人衆にとっては、半兵衛が狐憑きという噂など──陰陽師を恐れる無知な者たちが勝手に立てた、根も葉もない風聞にすぎん」

 

 囲炉裏を挟み、腕を組みながら安藤伊賀守がゆるりと語り始めた。重々しい声音に、場の空気がまた静まっていく。

 

「じゃがな……この風聞を利用して、あの子を害せんと目論む者どももおる。とくに、わっちらを快く思っておらぬ東美濃の連中よ」

 

「害する……?」

 

 良晴が低くつぶやいた。

 

「うむ。長良川で道三どのを取り逃がしたこと、さらに十面埋伏の計が途中で頓挫したこと──すべては、義龍どのが半兵衛の異能を恐れ、迷いを抱いたがゆえ。そこに東美濃の国人、斎藤飛驒守なる男がつけこんだ」

 

「讒言、というわけか……」

 

 刃が低く呟いた声に、安藤がこくりと頷く。

 

「そうじゃ。しかも飛驒守はその度重なる讒言を咎められるどころか、むしろ『知謀の士』としてますます重用されておる。敗れはせぬが、勝ちきれぬ戦を重ねる半兵衛に対し、義龍どのは──『裏切りの意思あり』と、ほとんど確信しておるようじゃ」

 

「……それで、あの急な登城命令か」

 

 長政が目を細めて呟いた。

 

「うむ。あれも飛驒守の入れ知恵であるとの風聞がある。儂らとしては、明日半兵衛が稲葉山に登ったが最後、幽閉──もしくは最悪、暗殺されるのではないかと見ておる」

 

「だから急ぎ、腕利きの侍をかき集めたというわけだな……」

 

 良晴の声が、深く沈む。すでに冗談を交わせる雰囲気ではなかった。

 

「さよう。美濃侍の多くはすでに、東美濃の連中の影響を受けておる。だからこそ、我らとは縁の薄い、外から来た素浪人──そなたらのような者が好ましかった」

 

 その言葉に、場の全員が黙り込む。

 

 半兵衛は静かに刃の袖を握ったまま、目を伏せていた。

 

「むろん……もし他家から調略の手が伸びてくれば、その縁に乗じて、いっそ半兵衛を美濃から逃がしてしまおう、という算段もあった。しかし半兵衛自身が」

 

「……くすん。謀反はダメです……謀反は、不義です」

 

 袖口で目元を拭いながら、半兵衛がか細く、しかしはっきりとそう告げた。

 

 病弱な身体に宿る、純粋で真っ直ぐな信義の声。言葉の重さに、誰もが静かに息を呑む。

 

「この通り、謀反をなによりも嫌う子でのう」

 

 安藤伊賀守が苦々しげに唇を引き結びながら、半兵衛の小さな背中を見つめた。

 

「明日は登城する──影武者を用いた非礼を詫び、義龍どのに自ら申し開きをする、と。誰が何を言おうと、意志は変わらぬようでな」

 

 沈黙が場に降りたその時だった。

 

「──お任せください」

刃が、ゆっくりと前に出た。

 

 その声は穏やかでありながら、澄んだ刃のように鋭い決意を孕んでいた。

 

「姫様のもとへ帰るその日まで、私は半兵衛殿の家来です。

主を守るのが、剣の務め──たとえ誰が相手であろうとも、私がこの場に立つ限り、何人たりとも半兵衛殿を傷つけることなど、出来ません」

 

 その声は、静かで、穏やかだった。だがその内に込められたものは、誰の耳にもはっきりと伝わった。

 信念。誓い。そして、刃という男の――揺るがぬ強さと絶対的な自信。

 

 まるで空気が、瞬時に凍りついたかのようだった。いや、違う。

 冷たさではない。むしろ逆だ。ぴんと張り詰めた空間に宿るのは、芯に熱を帯びたような、ひとつの強い「意志」だった。

 

「……っ」

 

 半兵衛は、目を見開いたまま、固まっていた。

 

 刃の言葉が、鋭く、まっすぐに胸を貫いていく。鎧の隙間から刺し込まれた矢のように、深く深く、心の奥に入り込む。

 

 口が開いたまま、声にならない。頬にはまだ涙の跡が残っているというのに、その頬が、みるみるうちに色づいていく。

 胸の奥がじんわりと、熱くなる。

 心が震えていた。こんなにも、まっすぐに「守る」と言われたのは、生まれて初めてだった。

 

 見返りを求めるわけでも、下心があるわけでもない。ただ純粋に、己の信念として、自分を守ると断言してくれた男が、目の前にいる。

 

 (なんで、こんなふうに……)

 

 涙は止まったのに、目の奥が熱い。顔が火照って苦しい。思わず胸に手を当てる。

 刃の声が、何度も心の中でこだまする。

 

 そんな光景を見ていた一人の男が、限界を迎えた。

 

「おおおおおいッッッ!!」

 

 突然、良晴が爆発したように叫び、机をバンッ!と両手で叩いて勢いよく立ち上がった。

 その怒声が、張り詰めていた空気を一瞬で吹き飛ばす。

 

「なに今の!? なにその完璧すぎるセリフ!? 俺だってな、言おうと思ってたんだよ!? タイミングも、空気も、ちゃんと見てたんだよ!? それをお前、なんであんなナチュラルに持ってくんだよ!!」

 

 指をぷるぷる震わせながら、半分涙目で刃を指差す。

 

「ていうか、また落とす気か!?息を吸うように女の子口説くのやめてくれませんかね!?天然のイケメン属性に、誠実さとか信念まで上乗せされたら、俺の勝ち目ゼロなんですけど!? なんなの!? チートキャラなの!? この世界の恋愛ルート、全部お前に持ってかれてんじゃねぇか!!」

 

 言葉の嵐。叫びの嵐。

 周囲は完全に唖然としていたが、誰一人として彼を止めようとはしなかった。

 刃の前に膝を折る男――それが、相良良晴だった。

 

 そして、その空気の中で。

 

「……いつも通り、刃が言うと様になる」

 

 ぽつりと、しかし確かに響いた声があった。

 

 犬千代だった。

 

 その瞳は刃に向いたまま。

 言葉は少ないが、そこには溢れる想いがあった。

 

 嫉妬。

 誇らしさ。

 羨望。

 信頼。

 そして、何より――特別な人を見る目。

 

 言葉にしない分だけ、彼女のまなざしは痛いほどに鋭く、まっすぐに刃の心を刺した。

 

 刃はその視線を正面から受け止めた。だが、それ以上何も言えなかった。

 

良晴は、そんな犬千代の言葉を聞いた瞬間、ぐらりと膝を崩し――

 

「……くそっ……やっぱり最大の敵は、戦でも策でもなく……刃だ……!」

 

 がっくりと項垂れたまま、畳に両手を突き、歯噛みする。

 

顔を上げると、そこには半兵衛の赤らんだ頬と、どこか照れくさそうに目を伏せる犬千代の姿。そして、静かに正座している刃――

 

「ナチュラルに好感度上げるなァァァッ!!」

 

 畳をバンバン叩きながら、良晴が悶絶するように叫ぶ。

 

「なにが“主を守るのが剣の務め”だよ……クッソ、カッコいいじゃねぇか……言ってみてぇよ一度でいいからそんなセリフ……!そんなの、女の子が落ちるに決まってんだろおおおおお!!なにが“誰が相手であろうとも”だよ! 俺が言ったら間違いなくスベるのに、お前が言うと様になるのなんなの!? 反則か!? バグか!? チート武将かよお前はァァァァァ!!」

 

 その必死の嘆きもむなしく、部屋の空気はどこかあたたかく、そして静かに満ちていた。

 犬千代の視線は今も、信頼を込めて刃に注がれている。

 半兵衛はそっと胸元を押さえ、紅潮した頬を隠すようにうつむいていた。

 

 そんな光景に、良晴は崩れ落ちながらも、心の底から思う。

 

(……無理ゲーだ……こいつ相手に、恋愛ルート勝ち取れる奴、いんのかよ……)

 

「……刃さん……」

 

 小さく震える声で、半兵衛がぽつりと名を呼ぶ。

 

「ありがとうございます……わたし……がんばります……」

 

 その言葉に、刃はただ一度、静かに頷いた。

 

 明日の登城。その運命を分ける一日を前に、少女の心に宿った小さな勇気は、確かに刃の言葉によって支えられていた。

 

 

 

 

翌朝

半兵衛主従は、稲葉山──別名、金華山を登っていた。

金華山という愛称は、椎の花が咲き誇ると山全体が黄金色に輝いて見えることから来ている。 

 

斎藤義龍の居城・稲葉山城は、この金華山そのものを天然の要塞とした巨大な山城で、標高は約三百三十メートル。すぐ北には清流・長良川が流れ、東には恵那山と木曽御岳山。

 

さらに西には伊吹山・養老・鈴鹿といった山々。城下町の井ノ口から南へ下ると急流・木曽川が尾張勢の進軍を阻む天然の掘として機能してくれる。 しかも、井ノ口の北東にそびえる金華山こと稲葉山城は、京の北東──鬼門の方角を守護する比叡山に比すことができる。

 

「井ノ口の町を王城と見立てればまさしく〝背山臨水〟。井ノ口の町と稲葉山城は、陰陽道の理にかなった王都といえます。天下を望む蝮さまや織田信奈がこの城にこだわるのもわかりますね」

新参の家臣たちに向けてそんな陰陽観光ガイドのような説明を続ける半兵衛は具足をつけず、浅黄の木綿筒服を羽織っただけの軽装。

 

「具足は重いですから……くすん」

 

 まるでどこぞの姫君のように、驢馬に似た小さな子馬の背に足を揃えてちょこんと正座する姿は──どう見ても戦場に赴く者のものではない。

 

「大きなお馬さんは、怖いですから……くすん」

 

「いや、あのさ……」

 

その子馬の轡を手に曳いていた良晴は、ついボソリと漏らす。

 

「いくら女の子とはいえ、これで侍を名乗るんじゃ……そりゃ侮られても仕方ないって……」

 

 思わず頭を抱えるが、その声に敏感に反応したのは、もちろん半兵衛だった。

 

「きっ、昨日は……皆さんを試したり、無礼を働いて……すみませんでした……反省してます……」

そんな良晴の首の包帯をめざとく見つけて「きゃあ」と小さな声をあげ、四人の新参者にぺこぺこと丁寧に頭を下げる半兵衛。どちらが主かわからない。

 

「わ、わわわたし……昔から、いぢめられ癖があって……その……わたし、おめん子なんです……」

 

 半兵衛がモジモジと両手を胸の前で握りしめ、子栗鼠のように首をすくめて、小さな声で告げた。

 

「へぇ〜。半兵衛ちゃんって、おめ……おめん子……ふーん……」

 

 良晴は一瞬、気の抜けた調子で言葉を反復する。しかし、次の瞬間──

 

「――ええええええええええっっっ!?!?!?」

 

 雷に打たれたように立ち上がり、ひっくり返って尻餅をついた。

 

「ま、待て! おめん子って……いや、まさか!? いやでも、今の流れ的に……そ、そういう意味じゃないよな!? なあ!? 違うって言ってくれええぇぇっ!!」

 

 半狂乱の良晴。完全に思考の迷宮に突入している。

 

「……うるさいぞ」

 

 刃の一言が、空気を一瞬で静寂に染めた。

 

「ひぃっ! きゃぅっ……ご、ごめんなさい……おめん子でごめんなさい……くすん……」

 

 半兵衛はびくりと肩を震わせ、刃の背後にぴたりと隠れるように寄り添う。刃は何も言わず、自然とその身を庇うように立ちはだかっていた。

 

 犬千代が一歩、前に出て淡々と言う。

 

「……“おめん子”とは、美濃弁。“人見知りな子”という意味」

 

 ぴたっ。

 

 良晴、動きが完全にフリーズ。

 

「……そ、そうなの……!? え、えぇ〜〜〜!? いや、でもでも、いやらしい誤解を招く言い方だろ!? しかも声のトーンがあざとすぎるんだよ!? 誰だって誤解するってば!!」

 

 そんな良晴に、半兵衛はさらに爆弾を投下する。

 

「……そうなんです。初対面の殿方がいぢめっ子かどうか確かめないと、わたし……おめるんです……くすん……」

 

「お……おめるぅぅぅぅぅぅぅぅううううううっっっ!?!?!?」

 

 絶叫とともに良晴が後頭部を地面に叩きつけて転がる。

 

「……“おめる”も、美濃弁。“人見知りする”という意味」

 

「おめん子でおめっておめておめられるとか、どんなエロい魔術だよ!! もう俺、訴えられてない!? ねえ、俺いつのまにか有罪になってない!? お前ら冷静に聞いて、どこが健全な会話だよ!?」

 

「……良晴は、何かいやらしい聞き違いをしている」

 

 犬千代が冷酷な一言を投げる。刃の眼光がスッと鋭く細められ、もはや抜刀寸前の空気。

 

「ちょっ……待って待って待って!? いや! だから俺が悪いんじゃないって!! 方言の壁が悪いんだってばああああっ!!」

 

 地面に手を突きながら必死に訴える良晴を、誰も助けようとはしない。

 

 刃がすっと歩み寄り、淡々と告げた。

 

「なあ、良晴。昨日は犬千代とねねに近づくなと言ったが、姫様や長秀殿、半兵衛殿にも近づかないでくれないか?」

 

「ちょっ、待て待て待て!? なんで増えてる!? 範囲がどんどん拡大してるじゃねえか!!」

 

「こんな万年発情期のド変態ザルが近くにいては、不安しかないだろう? それに……ねねの教育にも悪い」

 

「おいぃぃぃぃいッ!? 今なんか育成方針レベルの話出たぞ!? 将来のねねの人格形成に俺関係あんの!? 責任重大すぎるだろおおっ!!」

 

「もし襲い掛かったら容赦なく斬るからな。というか、今すぐ斬って良いか?」

 

「ダメだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」

 

 良晴が金切り声をあげて逃げ腰になる中、半兵衛はちょこんと子馬に座ったまま、心配そうに彼を見ていた。

 

「し、しかし……ほんとうに……いぢめる方じゃ、ないんですよね?」

 

「ないっつってんだろおおおおおおお!! 俺に信頼という二文字をくれぇぇぇ!!」

 

 ようやく空気が少し緩んだところで、良晴はふと気づく。

 

「なあ、半兵衛ちゃん。……今まで斎藤家に仕えなかったって、稲葉山城に何か怖い奴でもいたのか?」

 

「……はい。先代の蝮さまが……とてもとても……怖かったです……ぶる、ぶる、ぶる……」

 

「なるほどなぁ……あの爺さん、存在そのものがバケモンだったからな……」

 

「でも……新しい国主の義龍さまは、蝮さまよりは優しいらしいです。でも、六尺五寸の大男で……やっぱり怖いって噂が……」

 

「……見た目は許してやれ、見た目は」 

 

「す、すみませんっ……! いぢめます……?」

 

「いじめないってばあああっ!!」

 

 全力否定に喉が枯れそうな良晴に、半兵衛は再び小首をかしげる。

 

「でも、尾張には……蝮さまと……第六天魔王の織田信奈さま。怖い人がふたりもいます。尾張の軍勢が美濃に攻めてくるなんて、考えただけで夜も眠れなくて……ぶるぶるぶる……」

 

「ああ……なるほどな。そりゃ怯えるわ……」

 

「……姫さまも蝮どのも、無駄に悪名高すぎ」 

 

 犬千代がぽつりと呟く。

 

 その時、良晴は思い出したように隣の銀髪の青年を指さした。

 

「てかさ、半兵衛ちゃん。横にいるこの人、その“怖い第六天魔王”の懐刀で……美濃じゃ“死神”って呼ばれてるんだけど?」

 

「……へっ……? し、死神……?」

 

 半兵衛が硬直し、ゆっくりと刃の顔を見上げる。

 

「……くすん……怖い……やっぱり怖いです……っ!」

 

 だが──そのままぴたっと刃の背中にしがみついた。

 

「ちょっと待て!? なんで死神本人にしがみついて安心してんの!? 逆だろ!? 絶対逆だろ!? どう考えても俺の方が無害だろ!? なあっ!! なああああっっ!!」

 

「その点、近江の浅井長政は義に厚い勇将として人気が高いときくが」

 

 唐突に話を切り替えたのは長政だった。

 

「けっ、あんな女たらしのどこが義将なんだよ」

 

「黙れ、この味噌食らいの尾張ザル」

 

「うるせえ、女たらしの近江ザル!」

 

 いつもの言い合いが始まった。

 

「……結構仲良し」犬千代が静かに締めた。

 

「「そんなわけあるかっ!!」」

 

 突っ込んだ二人の声が、山にこだまする。

 

 

 

 

 

 

待ち受ける陰謀を知らぬままに──。

 

ついに、半兵衛一行は斎藤義龍らが固く守る御殿へと連なる重厚な門を潜り抜けようとしていた。石畳を踏みしめる馬の蹄音が冷たい空気を震わせる中、一ノ谷の兜をぴたりと被った半兵衛が子馬に揺られ、慎重に門の下を通ろうとしたその刹那──。

 

門の屋根の上に仁王立ちしていた斎藤飛驒守は、くぅんと小さく鳴く柴犬を腕に抱きかかえながら、冷ややかな笑みを浮かべていた。その目は獲物を狙う猛禽のように鋭く光り、既に策は動き出している。

 

「これで半兵衛殿の機嫌を大いに損ねてやろう……」

 

飛驒守の心の声とともに、柴犬が身をよじり、狙いすましたかのように下へ向かって動き出す。

 

その瞬間──。

 

「半兵衛殿、失礼します」

 

刃の冷静かつ力強い声が響き渡り、素早く半兵衛を子馬から抱き上げて後方へ跳躍した。

 

「ふぇ?」

 

驚きの声を上げる半兵衛。だがその直後、彼女が先ほどまでいた場所に──

 

ぽたぽたぽた……

 

冷たく臭い犬の小便が上から降り注いだ。

 

「大丈夫ですか? 半兵衛殿」

 

「は、はい……ありがとうございます……」

 

半兵衛は刃の胸に顔を埋め、震えを隠そうと必死だった。

 

刃の的確な対応で、いぢめられた時の癖から抜刀し飛驒守を斬りかかるという最悪の事態は回避された。屋根の上の飛驒守は舌打ちしながら呟く。

 

「ちっ……まさか子供とは……計算外だ」

 

だが、事態はここで思わぬ方向へ動き出した。

 

半兵衛の背後を固めていた浅井長政が、その異様な光景に激昂したのだ。

 

「こ、これは──犬の小便ではないか!?」

 

その声は怒りに満ち、震え、かつての軽口はどこへやら、別人のような凄まじい形相で叫び、刀を抜いた。

 

「下劣極まりない! 女をなんだと思っているのか! 許せぬ!」

 

その瞬間、斎藤飛驒守の思惑が見事に奏功した。

 

「長政!? 何をやっている! これじゃ相手の思う壺だ!」

 

「し、しまった……あの忌まわしき“糞だんご”の悪夢が蘇り……つい、尾張のサルに叱られるとは……猿夜叉丸、一生の不覚!」

 

長政は苛立ちを滲ませながらも弁解する。

 

「つい、じゃねえだろ! 何を今さら女の味方ぶってんだ!」

 

「黙れ! 女を甘い言葉で口説くのが仕事だ、私の癖だ!」

 

「ええい、出合え出合え!竹中半兵衛、ご謀反でござる!」

この飛驒守の声を聞きつけて館内から斎藤義龍たち美濃侍がいっせいに門前まで躍り出てきた。

 

「こ、子供だと!?」

「やはり狐顔の半兵衛は影武者だったか!見慣れぬ屈強な侍を連れてきておるな!儂を暗殺するつもりであったか!」

「この侍たちは明らかに美濃侍にあらず。よそ者どもですぞ、殿!」 「いいいいいえ違いまする!彼らは半兵衛の家臣!決して織田家の面々でも浅井長政でもありませぬぞ!」

「安藤のおっさん、慌てて全部ゲロってんじゃねえええ!だからあんた口が軽いんだってば!」

「なんじゃと、織田家の面々ッ!?」

「近江の、浅井長政ッ!?」

「ええい安藤伊賀、やはり儂を裏切ったな!半兵衛が子供とて見過ごせぬ!全員討ち取れい!」

 

斎藤義龍の怒号が館を揺るがすと、美濃の侍たちが殺気を露わにし、咆哮とともに取り囲んだ。鋭い眼光が向けられ、包囲網は着実に狭まっていく。抜き放たれた刀剣が月光に鈍く光り、息をのむ静寂が辺りを支配していた。

 

「……ぐすん……ぐすん、ぐすん……い、い、いぢめ……いぢめられ……」

 

 震える声が、空気を刺すように響いた。

 

 竹中半兵衛は、刃の腕の中で小さく縮こまりながら、子兎のように震えていた。その細い肩が上下に揺れ、涙を流しながら、彼女は絞り出すように呟く。

 

 良晴も長政も、犬千代も、誰もが言葉を失っていた。冗談でも芝居でもない――これは、正真正銘の開戦だと理解して。

 

「いかん! 半兵衛が……切れるっ! 家来ども、何があっても暴走を許すな、止めるのだっ!」

 

 しかし、その言葉を打ち消すように、鋭い氷刃のような声が場を断ち切った。

 

「……動くな。動いた奴から殺す」

 

 その声は静かだったが、全身に釘を打ち込まれるような威圧を放っていた。

 

 刃だった。半兵衛を抱いたまま、一歩も動かず、美濃の侍たちを睨みつける。その瞳は、感情の一切を封じた氷のように冷たい。だが、確かに怒りの業火がそこにはあった。主を辱められた男の、容赦なき殺意。

 

「……っひ!」

 

「ま、間違いねぇ……こ、こいつ……“死神”だ……!」

 

「あの化け物が……な、なぜこんなところに……!」

 

 美濃の兵たちは、まるで獣を前にした農夫のように狼狽し、足を止めた。

 

 そして誰かが、吐き捨てるように叫んだ。

 

「なんで生きてやがるんだよ!? くそったれが! さっさと死ねよ、この化け物がぁっ!!」

 

「心を持たぬ、冷血の怪物めが……!」

 

 その言葉が、引き金だった。

 

 刹那――半兵衛が顔を上げた。

 

 泣き腫らした瞳に、狂おしいまでの怒りと悲しみの色が浮かんでいた。震える手には、札束が握られている。

 

「刃さんを……刃さんを、いぢめないでくださあああああああいっ!!」

 

 叫びとともに、半兵衛が札を空へと放った。

空間が悲鳴を上げて軋み、五芒星が光となって爆ぜた。地を裂き、空を歪めるほどの霊気が稲葉山城を包み込む。

 

「こーんっ! 我が主の恥辱を晴らすべく、この前鬼、ただいま参上!」

 

「無礼者の群れと化した美濃侍に、天罰を下すため……後鬼、参上!」

 

 狐と狼の式神が、半兵衛の背後に並び立つ。衣擦れも風を裂く唸りとなり、ただの登場だけで兵たちは尻餅をついた。

 

 だが、それは――序章に過ぎなかった。

 

「さらに十二天将、騰蛇参上!」

 

「同じく十二天将、朱雀参上!」

 

「六合!」

 

「勾陳!」

 

「青龍!」

 

「貴人!」

 

「天后!」

 

「大陰!」

 

「玄武!」

 

「大裳!」

 

「白虎!」

 

「天空!」

 

 無数の式神が次々に召喚され、五芒星の内と外を取り囲む。まるで天空から降り注ぐ神罰の使者のように、十四の霊体が陣を築く。大地が震え、空が低く唸る。

 

「ひいいいっ! 死神とあやかしが城を乗っ取りに来たああああ!!」

 

 誰かが叫ぶや否や、兵たちは一斉に逃げ出した。

 

「出たああああああ!!」

「殺されるぞおおおおおおっ!!」

「竹中半兵衛、あやかし軍団で謀反じゃあああああ!!」

 

 侍たちは館を放り出し、我先にと悲鳴をあげて逃げていく。

 

 その背を、前鬼と後鬼が悠然と追い詰めていく。

 

「これ待てい! わざわざ俺らが出てきてやったというのに、少しは抗ってみせよぉおおっ! こーんっ!」

 

「式神の姿に怯えて逃げ惑うとは……まったく、甲斐なき人間どもだ」

 

 前鬼と後鬼はなおも山道を駆け下って義龍たちを追い回し、稲葉山城は上を下への大混乱。

気がついた時には半兵衛主従と式神大軍団を除くすべての美濃侍が稲葉山城から逃げ出していた。

 

 

半兵衛をどっちのヒロインにするか

  • 良晴
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。