織田信奈の野望〜戦国に舞い降りし銀ノ刃〜   作:更新亀さん

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天下布武
信奈上洛


 

「姫様、席を外してしまい申し訳ございません」

 

 静かに、だが芯の通った声で刃が広間へ戻ってくる。背筋を伸ばしたその姿に、居並ぶ家臣たちの間に自然と緊張が走った。

 

「いいわよ、別に。お帰り、刃」

 

 信奈は何気ない風を装いながらも、ちらりと彼に視線を送り、唇をわずかに綻ばせた。

 

「この子はね、今わたしの家臣になったばかりの明智十兵衛光秀よ。そして──十兵衛にも紹介するわね。織田軍最強の剣士で、わたしの懐刀で、恋人でもある天城刃よ」

 

 “恋人”の一言に、信奈はほんの少し声を強めた。どこか牽制するような響きがそこにはあった。

 

「あなたが……噂の、天城刃どのですか!」

 

 光秀がすっと刃の方へ向き直り、胸に手を当てて深々と頭を下げた。

 

「なにとぞ、よろしくお願いいたします、天城先輩!」

 

「……頭を下げる必要はないぞ。俺はただ、役目を果たしているだけだ」

 

「いえっ、先輩は先輩ですからっ!」

 

 きっぱりと返す光秀の頬はほんのりと紅潮し、熱のこもった瞳で刃を見つめる。

 

「天城先輩が成し遂げた“墨俣一夜城”の功績は、すでに京にまで轟いておりまする! 瞬く間に城を築き、あの美濃の要を掌中に収めたその才知は、三国一とまで讃えられております! どうかこの十兵衛光秀にも、多くをお教え願いたく──!」

 

 光秀は思わず、感極まったように刃の手をぎゅっと握った。

 

 ──その時、手のひら越しに感じた筋張った感触で、ようやく彼女は相手が年若い男子であることを思い出した。

 

「っきゃっ!? こ、これは……!」

 

 慌てて手を引っ込め、顔を真っ赤にしてうつむく。

 

「も、ももも申し訳ありませんっ! 思わず……はしたない真似を……っ!」

 

「おいおいおいおいッ!? 刃!? 早速いい雰囲気になってんじゃねーか!? また俺のヒロイン枠がひとつ減った気がするんだけどぉおおお!!」

 

 良晴が頭を抱えて絶叫すると、刃はきょとんとした顔で首をかしげる。

 

「……俺に落ち度があるとは思えないが」

 

「なぁ、十兵衛ちゃん……刃って、京でもそんなに噂になってるのか?」

 

 良晴が泣きそうな顔で問うと、光秀は即座にうなずいた。

 

「はいっ!墨俣一夜城の築城以外にも、築いたその日、義龍軍八千の猛攻を半日持ちこたえて、そのうち二千を討ち取った“死神の籠城戦”! 三国一の剣豪としての武勇も広まり、さらに織田信奈さまの懐刀……そして、容姿端麗──京では“天の白刃”と讃えられておりますっ!」

 

「……長政め、余計な噂を流したな……」

 

 刃は思わず、うっすらため息まじりに呟いた。

 

 思わず男の手を取ってしまい照れる光秀も、礼儀をわきまえつつ目を輝かせながら先輩を立てる光秀も、生真面目でうぶな少女そのものだった。

 この誠実で純粋な十兵衛ちゃんに限って、謀反なんてするわけがない──良晴はそう思いながら、少しだけ安堵の息をついた。

 

 ……だが。

 

 上座の信奈だけは、しれっとした顔を装いながらも、静かにその視線を二人へと投げていた。

 刃と光秀、その距離感の近さに、ほのかに睨みを利かせる。

 

「──ちょっと。何いちゃいちゃしてんのよ」

 

 その言葉に、光秀がピクリと肩を震わせる。

 

「十兵衛、刃はね? “わたし達”の恋人なんだから。あんまりベタベタすると──お・し・お・き、よ?」

 

 にっこりと微笑む信奈。けれどその笑みの奥に、妙な圧がある。

 

「──御意」

 

光秀がピシッと背筋を伸ばし、思わず軍令のように敬礼する。

 

 ──このとき、まだ誰も気づいていなかった。

 

 和気あいあいとしたやり取りの中に、ほんの僅かに生まれた歪な空気を。

 信奈と光秀、そのふたりのあいだに、ごく小さな火種が生まれたことを。

 それがやがて、織田家の運命を左右する業火となるかもしれないなどとは──

 

 刃も、良晴も、信奈も、そして光秀自身すらも──まだ、夢にも思っていなかった。

 

 

 

 

 

 俺の名は相良良晴。

 戦国ゲームをこよなく愛する、ごく普通の男子高校生──のはずだった。

 

 お気に入りは一人でじっくり楽しめる本格派SLG『織田信長公の野望』。

 オンラインでは『信長公の野望ONLINE』にどっぷり浸かり、アクション系では『信長無法』で敵将を無双斬り。

 トレーディングカードも集めてるし、『週刊・大阪城を造る』なんていう完全にオタ向けなマガジンすら購読中。

 俺の部屋には戦国系グッズが溢れており、脳内は四六時中、戦国武将と兵法とおっぱいでいっぱいだ。

 

 ……そんな俺が、ある日突然、現実に戦国時代へタイムスリップしてしまった。

 

 目を開けた瞬間、そこは騎馬武者が突撃し、槍が空を裂き、銃声と悲鳴が飛び交うど真ん中の戦場!

 「これは夢でござる……」と震えるしかなかったが、火縄銃の轟音で我に返った。

 

 ──夢じゃねぇええええええええ!!!

 

 現実すぎる戦国で、俺を救ってくれたのは木下藤吉郎のおっさん、後の太閤・豊臣秀吉!

 だけど、戦場の神様もあまりに無慈悲。おっさん、流れ矢であっけなく死亡。おいおいおいおい!?

 

 その代役にと、なぜか俺が織田家に仕えることになった。よっしゃ、ゲームで鍛えた知識をフル活用──

 ……と思ったら。

 

 織田信長が──美少女!?

 しかも超絶美少女! 気が強くてツンデレで、怒ると扇でぶっ叩いてくるけど、たまに優しい織田信奈さま!

 

 ──で、そんな信奈に仕えて、桶狭間や美濃攻略を駆け抜けた俺なんだけど……。

 

 今、この瞬間──リアルに命の危機。

 

「良晴、遺言は聞いてやる」

 

 その声と同時に、部屋の空気が一変した。

 俺の目の前には、殺気を放ち、仁王立ちしている──天城刃。

 同じ未来人。なのに、スペックが違いすぎる!

 

信奈の懐刀。

刀一本で数百――いや千人規模の軍勢すら単騎で蹴散らす。

「数なんて関係ない、斬れば死ぬだろう?」とかいう、物騒極まりない理屈を地で行く戦国の常識を破壊する最強チート。

 

しかも超イケメン。銀髪に切れ長の紅い双眸。クールで寡黙で優しい、女子が妄想する理想の騎士そのもの。

 さらに困ったことに、当の本人はまったくの無自覚で、超鈍感。

 女の子を意識せずに落としていく、天然たらしの化け物でもある。

そんなだから、信奈・犬千代・長秀さん・半兵衛ちゃんというメンバーと恋人関係になっているというのに、惚れる女の子が後を絶たない。

 まさに歩く恋愛フラグ爆弾。しかも毎日爆発してる。

 

「ちょっ、ちょっと、待ってくれ! マジで待って! 股間が……再起不能なんだって!」

 

 俺は全身を震わせ、痛みに悶えながら布団の上をのたうち回る。

 そう、今朝──事件は起きた。

 

「……相良先輩に、襲われたです」

 

 静かに、けれど明確に断罪の声を上げたのは、美少女剣士・明智十兵衛光秀。

 長く艶やかな黒髪、知性を感じさせる額、涼しげな瞳。その髪に金柑の髪飾りをつけた新参者のかわいい後輩である。

 

 そして──彼女の膝蹴りは、俺の急所に炸裂していた。

 

 不意打ちとはいえ、あれは殺しに来てた。マジで。

 あの角度、あの勢い、あの精度。将来の俺の夢も希望も……いや、種が全部潰されたかと思った。

 

「悪かった、十兵衛ちゃん……俺が寝ぼけてただけで……!」

 

 のたうち回りながら謝る俺に、追撃のような刃の声が飛んでくる。

 

「寝ぼけていただと?」

 

 ピタリと空気が凍った。さっきまで涼しい顔をしていた天城刃の眉がピクリと動き、射抜くような視線が俺に突き刺さる。いや、視線だけじゃない、なんか圧だ!圧力が!言葉より先にプレッシャーで殺されそうなんだけど!

 

「……お前は寝ぼけて女の子に襲いかかるのか?」

 

「ま、待って刃くん、冷静に考えてほしいんだ。確かに状況だけ見たらそう見えなくもないかもしれないけど、あれは事故だ、アクシデント! いわば不可抗力の──」

 

「光秀のトラウマになったら、どう責任を取るんだ?」

 

 ズドォォン!!

 

 言葉が落ちた瞬間、雷でも鳴ったかと思うほど俺の精神に衝撃が走った。いやほんとそれ!言葉の重みがすごいの!鋼鉄並みの破壊力で心に突き刺さってるから!

 

「ぐ、ぐぬぬぬ……!」

 

 口をパクパクさせながら俺は懸命に言い訳を模索するが、頭の中が真っ白で何も出てこない。せめて謝罪だけでも──!

 

「……た、確かに。俺が悪かった……すまん十兵衛ちゃん……完全に俺の不注意だ。今後は気をつけるし、反省もするし、誓っても二度と──」

 

 でも、その時ふと思ってしまった。この場を収める最も男らしい解決法が、ひとつだけある。

 

「──その時は! 俺が十兵衛ちゃんを嫁に貰うしかないっ!!」

 

 言ったぞ!俺は言った!男子高校生としての誠意を込めて、最大限の誠実さで提案したつもりだった!

 

 ……が。

 

「いやです」

 

「反応早すぎィィィィ!?!?」

 

 一秒!いや、たぶん一秒もなかった!こっちが言い終わる前に“いやです”って言った!?

ノールックで斬られた武士かと思ったわ!? 

 

「そ、そんなはっきり言うか普通!? もうちょっと悩むとか、曖昧に濁すとかさ!? あと、“いやです”の声に感情なさすぎて逆に怖いんだけど!?」

 

「サル先輩より、天城先輩がいいです」

 

「やっぱりなーーーッ!!!」

 

 満場一致どころか、一票も入らなかった悲しみ。てか、“サル先輩”って何!? いつからそんな呼ばれ方に!? 

 

「ちょっと待って、それどこから広まったの!? 俺の意思ガン無視で定着してない!? 俺、自分で“良晴”って名乗ってるのに!? 無視されてるんだけど!?」

 

 そう言う俺をよそに、刃がぽつりと一言。

 

「俺?……代わりに責任を取るのも、友の役目か?」

 

「いやいやいやいやいやいやいやいや!!!?」

 

 何事もなかったかのように自然にそんな爆弾発言するなよ!? それ“友情”じゃなくて“略奪”だからな!? それ、もう“俺が代わりに結婚する”って話になってるからな!?

 

「待て刃!それ普通に聞こえてとんでもないからな!? しかも十兵衛ちゃん、なにちょっと頬染めてうつむいてるの!? それ、まさか嬉し──」

 

「……これからは俺も“良晴”じゃなくて“サル”って呼んだ方がいいか?」

 

「やめてくれええええええええぇぇぇぇぇぇッ!!!」

 

 満面の微笑みでトドメ刺しに来るなッッッッ!!

お前が言ったらもう“サル”確定しちゃうだろ!? いや、確定どころか文化になるだろ!?

歴史に名を残すレベルで“サル”が定着するんだよ!?

頼む!お願いだ!その口から“サル”って言うのはやめてくれええええ!!!

 

と、そこで光秀がスッと前に出て、上品な動作で三つ指をついた。

 

「天城先輩、相良先輩。信奈さまより御召がございます。これより岐阜城へ登城くださいませ」

 

「姫様がお呼びか。わざわざすまんな、光秀」

 

「ありがとうな、十兵衛ちゃん!」

 

「いえ、屋敷が近くですし、なにより……天城先輩のためでしたら!」

 

「えっ!? 俺は!? 俺にはそういうのないの!?」

 

「それじゃ行くか。ねね、留守番を頼むぞ」

 

「むーっ! 明智さまと浮気してはなりませんぞ! 絶対でございますぞ!!」

 

 

「……何を言ってるんだ」

 刃は苦笑しながらねねの頭を優しく撫でる。

 

 そして──

 

「ささ、お早く」

 

 光秀が刃の手を優雅に取って、くるりと踵を返した。

 

 その瞬間──

 

 一瞬だけ。

 彼女のあどけない笑顔が、ニヤリと妖しく歪んだのを、俺は見逃さなかった。

 

 

三人が岐阜城まで登る必要はなかった。

岐阜城がそびえる金華山の麓に、すでに信奈は全軍を集結させていたのだ。

 

「遅いじゃないの。刃、サル、十兵衛! ぐずぐずしている暇はないわ。これから電撃的な上洛作戦をはじめるんだから。京まで速攻で一直線よ!」

馬上の信奈は、いつもの茶筅髷のうつけ姿はさすがにやめて、南蛮兜に赤いビロードのマントを羽織った伊達姿。

左腕には種子島。右腕には、自慢の鷹をとめている。

 

刃は信奈の馬へ並びかけると、軽く頭を下げる。

 

「姫様、申し訳ありません。良晴が朝から光秀に襲いかかったもので」

 

「ええっ!? いや、違う違うっ! あれは事故で──ッ」

 

 良晴が泡を食って否定する傍ら、十兵衛こと明智光秀は涼やかに一礼。

 

「御意です! 信奈さま!」

なぜか光秀はすでに準備万端、放浪中に結成した五十人からなる鉄砲隊を招集済み。

 

「……サル、あんた最近たるんでるわよ。少しは刃や十兵衛を見習いなさい!」

 

「いや、それ無茶ぶりすぎない!?十兵衛ちゃんはともかく、刃は不可能だろ!?」

 

 良晴が喚く間にも、信奈は馬上で高々と右手を掲げて勢いよく飛び出していた。

 

「──全軍、京へ!」

 

京への道も、信奈は一騎駆けに駈けはじめる。

信奈の後に慌てて続く武将たちは──。

 

「姫様、おはようございます。本日もたいへんお綺麗です」

「当然でしょ?ありがと、刃」

 

馬に乗っている信奈に挨拶をしながらその横を当たり前のように走って並走するのは、天城刃。

織田軍最強の剣士にして、信奈の懐刀。さらには恋人であり、墨俣の一件で足軽から部将に出世した男である。

馬と並走しながら微塵も息を乱さぬその姿は、もはや人の域を超えていた。

 

「我が軍は実力はともかく、見た目の華美さは九十点です」

幼めの姫武将が多い中、自称紅一点のお姉さん武将。

紅備えの軍兵を率いる信奈のお目付役で、刃の恋人の一人丹羽長秀。

「あたしは、おなかすいたなあー」

青と白銀の鮮やかな鎧に身を包んだ柴田勝家。

「……良晴。ちゃんと前を向く」

「うわ。うわうわうわ。こらっ暴れるなっ!てか、やっぱ刃おかしいだろ!一人だけ明らかに浮いてるよ!?何で当たり前のように馬と走って並走してるんだよ!人間は馬と並走なんて出来ねぇんだよ!?」

何の準備もできないまま大慌てで馬に乗った良晴は、馬上から振り落とされそうになりながらも叫んでいた。

その良晴をど派手な朱槍でつんつん突いている女の子が、刃の恋人の一人前田犬千代。

 

さらに、明智光秀とたぬ耳眼鏡の松平元康が、今川義元を乗せた輿の左右に侍っている。

「おーほほほほ!ついに、ついにわが念願の今川幕府を開く時が来たのですわ!元康さん、頼みましたわよ!」

輿の中から顔を覗かせている今川義元は豪華絢爛な十二単をまとい、カン高い笑い声を立てて琵琶湖の眺めを満喫している。

「このお方は、ご自分の立場をわきまえておられないのでは……」 「義元さまのお言葉は、せっせと聞き流してください~」

いぶかしがる織田家家臣団の視線から懸命に今川義元をフォローしているのが、たぬ耳と眼鏡が目印の松平元康。

 

このほか、「西美濃三人衆」の暑苦しい筋肉親父トリオに、舌足らずのちびっ子忍者・蜂須賀五右衛門が率いる荒くれロリコン男どもの川並衆、子馬に乗ってしずしずと進む「一ノ谷の兜」をかぶった幼き天才軍師で刃の恋人の一人竹中半兵衛。

そして、高齢ゆえに駕籠に乗ってはいるが、天下盗りの夢を義娘の信奈に託した〝美濃の蝮〟こと斎藤道三。

 

そうそうたる人材が、織田軍上洛のために一堂に会していた。

みゃあみゃあと名古屋弁で進軍する華麗な軍装の尾張兵。

新たに加わった無骨な美濃兵。

隣国三河から馳せ参じた、信奈の妹分・松平元康の援軍。

その総勢は四万もの大軍となっていた。

 

 東海地方から京へと向かうには、大きく分けて二つの道がある。

 

 ひとつは、清洲から伊勢、南近江を経て進む王道の東海道。

 もうひとつは、岐阜から北近江へ抜け、南近江で東海道と合流する内陸の東山道だ。

 

 信奈が選んだのは、後者の東山道だった。

 それは途中、北近江で同盟軍・浅井家の援軍一万と合流するためでもあり、信奈自身の大胆な戦略眼がそう判断させたのだった。

 

「姫さま、それでも……やはりこのまま浅井長政殿と接触するのは危険ではないでしょうか」

 

 馬上で声を潜める柴田勝家は、眉間にしわを寄せて信奈に進言する。

 

「もし、お市姫の正体が男だったとバレていたら……浅井は我が織田と手を切る口実を得ることになりまする」

 

「だからって、今さら逃げるわけにもいかないでしょ」

 

 北近江の山道を進む信奈軍の前方に、漆黒と緑に塗り分けられた当世具足の騎馬隊が姿を見せた。

 

 その中央──乗っているのは、浅井長政。

 

 漆黒の陣羽織を翻し、戦場で鍛えられた凛とした立ち居振る舞い。だが、何より目を引いたのは、その顔だ。

 

 まるで磨かれた宝石のように整った、いや、あまりに整いすぎた顔立ち。

 

 かつて眉間に走っていた鋭い皺──俗に“ケン”と呼ばれた怒気の象徴はすっかり影を潜め、今では誰が見ても穏やかで優美な、姫武将顔負けの美貌となっていた。

 

「おいおい……まさか整形か? ってレベルで表情が丸くなってるぞ……」

 良晴が小声で呟く。

 

 その長政は、信奈の姿を見るや、静かに馬を降りた。

 

 そして、深く膝をつき、恭しく頭を垂れる。

 

「義姉上──。この長政、喜んでお迎えにあがりました」

 

 その礼儀作法は貴族もかくやと思わせるほどに丁重で、周囲の織田軍将兵たちも思わず目を見張った。

 

 かつては覇気と反骨心の塊のようだった浅井長政が、今やどこか“しっとり”とした物腰に変貌している。

 

「……義姉上、この長政とともに参りましょう──天下へ」

 

これには、信奈のほうが思わず身を震わせた。

 鳥肌が立つのを感じながら、刃にぐっと寄り、声を潜めてひそひそと耳打ちする。

 

「ねえ刃……ちょっと……もしかして長政って……男が好きなんじゃないの?」

 

 その言葉には本気の警戒心がこもっていた。

 

「……あの顔を見る限り、そうなんでしょうね。女装した“お市”に惚れ込んだまま、目が覚めてないのだと思います」

 

 刃は淡々とした口調で答える。だがその冷静さが、逆に信奈の焦りを煽った。

 

「ちょ、ちょっと待って!? じゃあさ、もしもあの時、刃を女装させて送り込んでたら……」

 

 想像したくもない展開に、信奈の背筋が凍る。

 

(……あの男、絶対に惚れてたわよね。しかも、かなり重く。ッ!!)

 

 信奈は思わず叫びそうになりながら、刃の袖をぎゅっとつかむ。

 

「よかった……本当に、刃を行かせなくてよかった……っ!」

 

「……まさか、嫉妬ですか?」

 

「はぁ!? ち、ちがっ、そういうんじゃなくて! 私が、私の大事な……信頼してる懐刀が……っ、へ、変な奴に狙われたら困るからであって……っ」

 

「ふふ。ありがとうございます、姫様」

 

「笑うな! ちょっとでもその気見せたら、浅井ごと焼き払うからねっ!」

 

 ぴしりと刃を指差す信奈の顔は真っ赤だった。

 

浅井長政が、松平元康と同じく信頼のおける同盟者となったことは間違いない。  

これで、上洛軍は五万を超える大軍にふくれあがった。

京への道を阻む勢力は、南近江の六角承禎ただ一人。

この六角家は、佐々木源氏の流れを汲む名門守護大名。

六角承禎は三好一党と軍事同盟を結んでおり、信奈に徹底抗戦する構えだった。

 

観音寺城の手強さを知る長政は、軍議の席で献策した。

「義姉上。六角の兵はさして強くないですが、観音寺城はかの稲葉山城にも匹敵する難城。いったん野陣を構築し、支城をひとつずつ気長に落としていくのが上策かと思います」

だが、五万の兵力を擁した信奈の上洛軍は、電光石火。

それに、信奈の最大の武器は、「速度」である。

「長政!美濃に稲葉山城という名の城はもうないわ。岐阜城、よ!全軍、進めぇっ!」

長政があっけにとられる中、信奈の手勢がいっせいに進軍する。

 

しかも五万の兵が数千ずつの単位に分かれ、それぞれの軍団が一糸乱れぬ統制ぶりを発揮して複数の支城を同時に攻略していくとは。

 

戦国の常識では、どこの大名家でも大将をいただく軍団は強いが、逆に大将不在の軍団は統率力を欠いて弱体化するものである。

つまり、大将自らが全軍を率いての一点突破、が兵法の常識。

大将なき副軍団はせいぜい、別働隊としての役目を果たすくらいである。

だが、信奈にはそんな常識は通じない。

自軍を複数の軍団に分割し、同時多方面作戦を展開したのだ。

 

「長政。織田家には、わたしの代わりに大将を任せられる武将が少なくとも六人はいるわ。今回は動かさない刃。六。万千代。今は伊勢にいるけど、左近(滝川一益)。新たに加わった十兵衛。そして、他の五人にくらべるとぜんぜん格落ちするけれども、サルよ!」

信奈は、言い放った。

大将が五人いれば、支城の攻略速度も五倍。

六角が防備を固める前に、すべての支城を陥落させてしまえば勝ちよ。

「……目から、鱗が落ちるようです」

長政は(とてもこの私が及ぶところではない)と戦慄した。

「なぜ刃どのを動かさないのですか?」

「刃が観音寺城に侵入して六角承禎を暗殺しに行きかねないからよ」

「……そんなことは」

「じゃあ!今の間はなによ!」

そして、信奈は言葉通りにたった一日で、観音寺城の周辺を守る十八の城をことごとく落としてしまった。

 

支城をことごとく陥落させた翌日、六角承禎がこもっていたはずの観音寺城は無人の状態と化していた。

六角承禎は信奈軍の勢いに恐れをなし、甲賀の忍びの里へと逐電してしまったのである。  源頼朝以来の名門・六角家は、事実上滅亡した。

 

「信奈さま、次は……いよいよ京ですね!」

 

 十兵衛が感極まったようにそう囁き、良晴は頭を抱えていた。

 

「……もう、絶対に歴史の教科書に載らねぇよ、こんな展開……!」

 

 

 

 

 信奈が率いる派手な軍勢は、ついに京の都へと入った。

 岐阜を出発してから、わずか二十日あまりという神速の上洛。

 風のように駆け抜けた織田軍は、まさに一陣の嵐のごとく、戦乱の都へと突入していった。

 

松永久秀は信奈に京を明けわたし、信奈軍から逃げるように大和へ退去。

三好一党は「六角承禎が一日で滅ぼされた」と聞いて恐れをなして摂津へと兵を退いている。

 

当初、都人の反応は冷ややかだった。

 

「織田の姫さまは、えらい気が短いお人らしいわ……」

「大丈夫かいな、京が火の海になるんちゃうか……」

「木曾義仲みたいな乱暴者やったらどないしよ」

「よりにもよって“蝮”の道三まで連れてきはったで……!」

 

 だが、その懸念は、彼女が率いる“軍”の姿を見た瞬間に一変する。

 

 まさに、かぶき者と数寄者と、南蛮趣味のオンパレード。

 織田軍の軍装は、戦場を意識した実用性を持ちながらも、どこか“美意識”すら感じさせる異様な華やかさに満ちていた。

 

馬上に立つ前田犬千代の手には、三間半柄――六・四メートルの長大な朱槍。

 しかもそれを振り回すのは、小柄な少女というギャップ。

 それがまた都人の目を引いた。

 

しかも、武将のみならず足軽に至るまで、めいめいが思い思いの洒落た鎧を身にまとい、足元には絢爛な南蛮靴を履く者までいる。

 

 ちなみに尾張兵は刃を除き、戦闘力は心許ない者ばかりだが、見た目だけはやたらと派手好きで、町の子供たちには大人気だった。

 

 しかし、織田軍が“異彩”を放っていたのは軍装だけではない。

 信奈が布告した政策の中身が、また桁違いに“派手”だった。

 

「わたしが来たからには──都を蹂躙するような真似は絶対に許さないわ!」

 

 京の広場に軍馬を止め、信奈は高らかに宣言した。

 その声はよく通り、町の片隅にいた老婆の耳にすらはっきり届いた。

 

「兵の乱暴狼藉は、その場で打ち首! 民に手を出した兵も打ち首! 町に火をつけた者も打ち首! 銭と米を勝手に取り立てるのも、当然打ち首よ!」

 

 その言葉に兵たちがざわめいた直後――。

 

「刃、見つけたら首を刎ねなさい。刎ねた兵に関する報告は……不要よ」

 

「御意」

 

 静かに、だが雷鳴のように重く刃が応じた瞬間。

 

 その場に居合わせた都人たちが、どよめいた。

 

「あれが……織田の姫さまの懐刀……天城刃……!?」

 

「うそやろ……!? 本当に人間なん……!?」

 

「評判よりずっと……ずっとええ男やわ……。こんな顔、京のどこ探してもあらへん……!」

 

「一人で二千の敵を斬り捨てたって……まことやったんやな……あの立ち姿、風を裂くようや……!」

 

「いやいや、墨俣に城を一晩で築いた天才軍師って話やで!」

 

「えっ!? それならうちは、“一人で一軍に匹敵する”って話を聞いたんやけど!? もう意味わからへん!」

 

「剣の腕も三国一やて! 天才軍師で、剣豪で、美男……!? なんなんその詰め合わせ!」

 

「しかもよぉ、姫さまに言い寄ってきた他家の武将に“お前じゃ不安だ”って言って斬り捨てたとか、なんとか……!」

 

「それだけやないで!? “信奈さまが笑ってくれたら、それが恩賞や”言うたって……! そんな台詞、夢の中でも聞けんわ!」

 

「くぅぅぅ……胸に刺さるわ……! まるで絵巻の騎士様や……! あれで冷たくされても、それはそれで……ありやな……」

 

「ヤバいやん!! 騎士道か!? 騎士道ってここにあったんか!?」

 

「“忠義と愛を貫く天の剣”とか、物語の中の人物や思てたけど……あれは現実やったんや……!」

 

「刃様に首を刎ねられるなら……それがこの身の終いでも構わへん、て思うてる不届き者まで現れてるらしいで」

 

「もう“刃殿”やのうて、“刃様”や。“様”付けせんと、天罰下るわ……!」

 

「わたし、刃様に“死ね”って言われたら、笑って頷ける……」

 

「刃様に“斬る”って言われたら、“お願いします”って言うわ……」

 

「てか斬って!? もういっそ、斬ってくださいぃぃ!!」

 

──噂はすでに尾鰭どころか翼を持ち、天を駆ける勢いだった。

 

京の通りは、まるで異様な祝祭空間と化していた。

 

若い娘たちは通りにあふれ、その視線を一心に集めていたのは──

 

 白銀の髪を風になびかせ、黒衣の陣羽織を軽やかにまとった、背の高い美丈夫。

 

 天城刃。

 

その名を呼ぶだけで、町娘の一人が胸を押さえてその場にへたり込み、別の娘は顔を覆って震えていた。

 

「うそやん……見て、見てあれ……! あの白銀の髪……」

 

「長身で、背筋が真っ直ぐで……馬よりも速いって聞いたけど、ほんまやったんやなぁ……」

 

「目が合うたら、心臓止まりそうやった……いや、止まったかもしれへん。いまのわたし、生きてる?」

 

「もしかして今この瞬間、刃様と同じ空気吸ってるってこと? 酸素だけで妊娠しそうなんやけど……」

 

「ばか言うな! そんなこと……いや、ちょっとわかる……!」

 

「信奈さま、ほんまズルいわぁ……。あんな人が毎晩隣におるとか、寝られるわけない……!」

 

「お嫁さんおるんかな……?」

「何人かおるって聞いたで?でもええよな、それでも……! うちやったら何番目でも十分やわ!」

 

「わたし、尾張どころか、地獄でもついていく覚悟あるし!!」

 

 ──視線の先に佇むのは、銀白の髪をなびかせた青年。

 

黒の軍装に身を包みながら、決して驕らず、無言で進むその背中。

誰の目にも止まるはずなのに、どこかこの世のものではないような──現実の色彩から逸脱した、神秘性を帯びていた。

軒先の女房衆は格子窓から身を乗り出し、商家の娘は香を焚いてその場を清め、舞妓見習いの少女までもが小袖の袖で顔を隠しつつ、ちらちらと刃を見やっていた。

 

「見た? 今、こっち見はった……!」

「目が合った! 死んでもいい……いや、生きて奉公したい……」

「お願い、せめて夢に出てきて……」

「今夜、天の白刃さまを想って枕濡らす自信ある……」

 

──もはや一部の娘たちは正気を保っていなかった。

 

中には、通りに跪いて礼を捧げる者すら出始め、天城刃の名は“白刃さま”として、信仰の対象にさえなりつつあった。

 

「ほら見て! あの人よ!」

「“天の白刃”……ほんまにおったんやな……」

「わたし、巫女辞めてあの人の従者になりたい……」

「刃様の家来なら、草履舐めろって言われても……なめる……!」

「なめる!」

「なめる!!」

 

憧れ、崇拝、妄信、溺愛──そのすべてが“天の白刃”を中心に渦巻き、空気すら熱を帯び始めていた。

 

「……十兵衛が言ってた通り、人気ね……刃」

 

 馬上から信奈がちらりと横目を向け、ふっと息をつく。

その声音は呆れと、そして微かな嫉妬がにじむ、複雑なものだった。

 

「全く、無意識であれだけ振りまいて……罪な奴ね……」

 

 一方の刃はといえば、顔色ひとつ変えず、声もなく歩み続けていた。

通りの嬌声にも一切反応せず、ただ静かに前を見据えて。

 

「……やめてほしいのですが」

 

 刃はその言葉を拾い、視線すら動かさず、低く静かに呟いた。

 だがその無愛想な言葉すら、民衆の目には“孤高”と映り、よりいっそう幻想を加速させてしまう。

 

「……無口なのもまた、たまらんわぁ……」

「くっ……目ぇ合うた瞬間、鼓動が止まった気ぃする……」

「わたし、今、夢見てるんかな……これが“天の白刃”か……」

「お願い、誰か団扇で仰いで……このままじゃ気絶するぅ……!」

「ちょっと、団扇持ってきて……わたし、いま倒れる……」

「このまま昇天したら、きっと極楽行ける……」

「刃さま、お願い……わたしを、斬って……」

 

 もはや、誰も止められなかった。

“天の白刃”──天城刃という名の奇跡が、京の町に生んだのは、狂気すれすれの憧憬と崇拝の嵐だった。

 

ついに信奈は、こめかみに青筋を浮かべた。

視界の端で、女房のひとりが感極まって気絶しかけているのまで見てしまったからだ。

 

「……誰か、少しくらい、わたしを褒めなさいよ……」

 

 ぽつりとこぼれたその呟きは、風に紛れかけたが、刃の耳は逃さなかった

 

「お任せください、姫様」

 

「──へ? ちょっ、ちょっと! 刃っ!?」

 

 信奈の言葉が終わる前に、彼の銀の髪が風を切った。

 馬上の信奈の真横から跳び上がり、まるで羽根のように音もなく、その馬の背へと舞い降りる。

 次の瞬間、細い腰に腕をまわし、たやすく彼女の体を抱き上げて──

 

 信奈は、そのまま刃の膝の上に乗せられていた。

 

「な、なななっ……ちょ、ちょっと……! い、今、何してんのよっ!? これ、行軍中! しかも街道よ、街道! 兵も町人も、みんな見てるってば……っ!」

 

 顔面が真っ赤に染まり、怒るような、恥じるような、それでも笑みをこらえきれていない表情。

 普段は姫大将として威風堂々たる信奈が、たった一人の男の腕の中では、年頃の少女のようにうろたえ、身をよじっていた。

 

 だが刃は、そんな信奈の反応すらも慈しむように微笑んだ。

 彼の声は、どこまでも低く優しく、まるで恋人に捧げる恋歌のようだった。

 

「……よろしいではありませんか。姫様の可愛らしさを、皆に知ってもらう好機です」

「ちょっ、何言って──あっ、ちょっ……!」

 

 ふいに、さらに強く抱きしめられる。

 背後から、確かな力で包まれるその感触に、信奈は肩を震わせた。

 

 それは甘いだけの抱擁ではない。

 戦場を駆けた剣士が、恋人にだけ許す、絶対の信頼と忠誠を込めた接触。

 まるで刃がこの世界に宣言しているかのように──“この人こそが、私の姫だ”と。

 

「……バカ……ほんとに……バカ……っ」

 

 小さな呟きが、震える唇からこぼれた。

 けれどその瞳には、涙すら滲んでいた。

 強がり続けた彼女の鎧が、今だけは剥がれ落ちる。

 ほんの一瞬、誰よりも脆く、誰よりも幸せそうな「ただの女の子」の顔が、そこにあった。

 

 そして、――その姿を見ていた京の町衆は。

 

 誰一人、声を出せなかった。

 

 恋人たちのあまりにも眩い絆に、ただ、息を呑むしかなかった。

 

「なんちゅう……なんちゅう愛らしい姫さまや……!」

「うち、惚れてもうた……」

「刃様が抱きしめるってことは……やっぱ、あの姫さまは……特別な人なんやな……」

「くっ……ちくしょう……嫉妬するわ……けど……これが“愛”か……!」

 

 町娘は顔を真っ赤にしてその場に座り込み、両頬を押さえながら転げ回る。

 若侍は口元を手で覆いながら、目に涙を浮かべてうなずき、

 老女は震える手で数珠を握りしめ、刃と信奈の姿に手を合わせ始める。

 まるで神仏を見るかのように。

 

「──姫さまが、どうかどうか……ずっと、幸せでありますように……!」

 

 誰かが叫ぶ。

 するとその言葉を皮切りに、周囲からも「拝もう!」「願掛けせな!」と声があがり、

 中にはそのまま神社の方向へ全力で駆け出す町娘まで現れた。

 

「刃様と姫さまの御姿、ありがたや……ありがたや……」

「わたし、これで三日は飯食わんでも平気や……」

「この世に、あんな愛し方があるなんて……!」

 

 人々の表情は、まさに敬愛と熱狂の入り混じった“宗教的陶酔”。

 そこにいた全ての者の胸に、確かに刻まれていた。

 ――この姫と、彼を支える剣士の姿こそが、「織田の天命」だと。

 

 馬上で抱きしめられる信奈。

 彼女の頬に浮かんだ恥じらいの笑みは、太陽よりも眩しく。

 

 刃の腕の中で微かに揺れながら、彼女は確かに思った。

 

 ──ああもう、みんなの前でこんなことされて……なのに、嬉しくなっちゃう私って……ほんと、馬鹿みたい。

 

浅井長政も松平元康も、「これは夢ではなかろうか」「京の地を踏めるなんて、たぬきに化かされているようです~」とお互いに顔を見合わせるばかりだった。

 

駕籠の中で揺られる道三ですら、馬上の信奈と刃を歓呼の声で迎える京の町衆の姿を覗きながら「まことであろうか」とおのが眼を疑った。

京の人間はみな、長い戦乱と陰謀に巻き込まれてきたために、そうたやすくは他国の武将などを信じないはずなのだ。

だが、彼らはみな、この戦乱の魔都・京をものともせずに颯爽と現れた織田信奈とその懐刀、天城刃を京の、いや日ノ本の救世主のごとく伏し拝み、あるいは涙を流して迎えていた。

            天下布武

 

 信奈が、美濃を制したあの夜、発したあの言葉。

 

 『天下を、武によって平定する』

 

 その宣言を、かつては誰もが笑っていた。

 「美濃と尾張だけの田舎大名風情が、京を目指すだと?」

 「行けば即座に、三好に包囲されて終わりだろう」

 「お山の大将が、夢を見るのも今のうちだ」と。

 

 だが今、信奈はその“夢”を現実のものとして京の地に立っていた。

 

 誰よりも早く、誰よりも激しく、そして誰よりも“真っ直ぐに”、この魔都・京の中心を目指した。

 

 その軍勢が、刃という若き覇王を筆頭に、愛と忠義で結ばれた個性豊かな将たちによって支えられていることも、もはや隠しようがない事実だった。

 

一方──

 

 民衆の祝福に満ちる喧騒の中、ひとり誇らしげに胸を張って、馬上から信奈と刃の姿を見つめる者がいた。

 相良良晴である。

 

「これが……信奈の晴れ姿か」

 

 まるで、夢の続きのような光景だった。

 だが、これは現実だ。

 

 歴史でも、幻想でもない。

 血と汗と涙を流してきた日々の果てにようやく辿り着いた、確かな勝利の景色だ。

 

 刃の人気がここまで爆発しているのは、さすがに予想以上だったが──

 

 「……まあ、いいか。あれくらい褒められて当然だよな。信奈は、刃は……本当にすげぇんだ」

 

 誰もが口に出せない誇りを、良晴は黙って呑み込んだ。

 その瞳の奥に、かつて自分が見失っていた“誇り”の炎が、再び灯っていた。

 

 

 

 

京の都をパレードした信奈は、九条の東寺に入った。

日ノ本の神事を司る由緒正しい「やまと御所」から今川義元への将軍宣下を取り付けるには、日数を要する。

なにぶん、つい先日までは名ばかりとはいえ足利将軍が幕府を開いていたのだ。

 

上座に座った信奈は、「この時代の京ってどんな町なんだ」と首をひねっている良晴と刃に最低限の常識を講釈してくれた。

「やまと御所には、神代よりみゃくみゃくと続く姫巫女さまがおわすのよ。姫巫女さまは御所にて神事を司り、実際に武家と折衝するのは姫巫女さまに仕える貴族たち、つまり公家の面々なの」

「へえ。やまと御所ねえ……俺が知ってる歴史の設定と、微妙に違うな……」

「平安王朝の昔は公家が現世の政治を司っていたけど、その後、公家が使役していた武士が台頭して実権を握ったの」

「アウトソーシングのしすぎだな」

「わたしは、公家が苦手なのよね。あいつらは昔から武士を利用し、自分たちは血の一滴も流さずに権威を保持してきた連中よ。だいいちあのお歯黒を見るだけで虫酸が走っちゃう」

 

上座に座った信奈は、「そういうこと。わかった、刃?サル?」と言い終えると、足をだらしなく畳の上に投げ出した。

「やまと御所の姫巫女……邪馬台国の卑弥呼……似ている。関係あるのかな……」

「なにブツブツ言ってるの?」

「良晴、最近独りごとが増えたな」

そこに、京一番の料理人・坪内石斎が最高級の料理を献上してきた。  

 

盛り付けは雅で繊細。

 炊き合わせの野菜は包丁の技が光り、香り高い吸い物からは鰹と昆布の極上の出汁が仄かに立ち上る。器もまた逸品揃いで、唐物や楽焼など、見た目にも美しい品がそろっていた。

 

 それでも──。

 

「……まずいわね。これ」

 

 もぐもぐ、と一口目を口に含んだ信奈が、無表情にそう告げた。

 

「えっ……」

 

 その場にいた女中たち、家臣たち、そして石斎の弟子たちまでもが、一斉に静まり返る。

 

 だが信奈は気に留める様子もなく、眉をしかめて続けた。

 

「味が薄いのよ。薄すぎて……何を食べてるのか、よくわかんない」

 

 その言葉は、目の前の京料理を手がけた料理人にとって、まさしく死刑宣告に等しかった。

 

「信奈、それは……さすがに……」

 

 良晴が冷や汗を浮かべながらおずおずと口を挟むが、当の信奈は気にも留めない。

 

「公家か茶人の接待料理じゃないんだから、もう少し“味”をはっきりさせてほしいのよ。“戦場の飯”ってわかってる?」

 

「私は、美味しいと思いますが」

 

 刃が、静かに箸を置いてそう言った。

 彼の言葉に、石斎の顔がぱっと明るくなる。

 

「京料理というのは、素材の味を生かすものです。……この香り、出汁のとり方、そして見た目。どれをとっても一級品です」

 

 冷静な口調ながら、確かな賛辞。

 

 それを聞いた石斎は深々と頭を下げ、

 

「さすが……“天の白刃”さま。味のわかる方がいらして、料理人冥利に尽きます」

 

 と、満面の笑みを浮かべた――が。

 

「……もっとみそを使いなさいよ、みそを!!」

 

 と、信奈が再び爆弾を投下した。

 

 場の空気が一瞬にして凍りつく。

 

織田家家臣団一同も、「薄味はまずい…」「公家じゃあるまいし。みそで塩分をとらないと体力が持ちません。三十点」「八丁みそこそは日ノ本一の調味料ですっ!」といっせいに信奈に同調。

 

そして、坪内石斎の弟子の一人が小声でつぶやいた。

 

「……天の白刃さまは分かってくださるのに、尾張の田舎者は……」

 

 その言葉に、ぴたりと空気が止まった。

 

 ──ぐにゃり、と膳を置いた刃が静かに立ち上がり、ゆっくりと声を発した。

 

「……そのような言葉は、料理人として誇りを持つあなたにこそ、ふさわしくない」

 

 静かだが、確かな圧が宿る声だった。

 

 弟子は言葉を失い、石斎が慌ててその場にひれ伏す。

 

「も、申し訳ありませんっ!無礼な弟子の言葉、どうかお許しを……!」

 

 刃はふっと目を細め、そしてゆっくりと坪内石斎の方へ向き直る。

 

「石斎殿、わざわざのご足労、痛み入ります。姫様や家臣たちの口には合わなかったようですが、貴殿の技術と真心、私にはしっかり届きました。……すみません、皆、みそが好きなのです」

 

 そのひと言に、石斎は肩を落としつつも、どこか救われたような顔で深く頭を下げた。

 

「ありがたき御言葉……天の白刃さま。いずれ、“みそ”を活かした京料理を編み出してみせましょう……!」

 

 信奈は膝に手を置いてふんぞり返り、満足そうに頷いた。

 

「それなら認めてあげるわ。“みそ懐石”ってやつ、尾張でも流行るかもね?」

 

 こうして、“京料理の洗礼”は、まさかの“味噌の覇権”によって鎮圧された。

 

 そのとき

 

「ひぃぃ……! た、助けてくれ、信奈どのぉぉぉっ!」

 

 悲鳴に近い叫びとともに、斎藤道三が腰の痛みも忘れ、命からがら駆け込んできた。

 斎藤家の当主にして“美濃の蝮”。かつては油売りの身から成り上がり、一国の主となった下剋上の体現者──

 だが今のその姿は、貫禄のかけらもなく、扇子をパタパタと慌ただしく開閉させ、目を真っ白にしてうわ言のように助けを求めていた。

 

「……どうしたの、蝮?」

 

 信奈が眉をひそめる。

 

「追われてるのか? 敵襲か?」

 

 だが──その予想は斜め上に裏切られた。

 

 道三の背後から、どどどどっと地鳴りにも似た足音と、鬼気迫る声の数々。

 

「お久しぶりですのう、庄九郎どのぉぉっ!」

「庄九郎さま~! この恨み、晴らさでおくべきかっ!」

「ここで会ったが百年目じゃ~~!」

 

 怒り狂った老婆たちが、数十人。鬼の形相で道三を取り囲み、取り押さえ、責め立てる。

 

「ひぃいぃぃぃっ……!」

 

 ――静まり返る場。

 

「「「庄九郎?」」」

悪鬼の形相で道三を責める老婆たちが、口々に信奈へ訴えた。

 

「この人はなぁ、昔は“松波庄九郎”と名乗って、京で油を売っておられましたんや!」

「“西村勘九郎”やら“長井新九郎”やら、いろんな名前で次々女を口説いては逃げとったんですわ!」

「その当時は……ほれ、この“天の白刃さま”ほどではないにせよ、そりゃあ見事な美男子でしてなぁ!」

 

「おおおおお……や、やめてくれえええ!」

 

 扇子で顔を覆い、もはや泣きそうな道三。娘の前で黒歴史を暴露され、堪ったものではない。

 

「たたた頼む。むむむ娘の前で、そそそそれ以上は言わんでくれ!」

が、修羅と化した老婆軍団の陳情は止まらない。

 

「あの頃、わしらはまだまだうぶな娘っ子でしたわ……」

「『庄九郎、いずれ都へ迎えに行くゆえ、三千貫ほど貸してくれい』……そんな口説き文句で!」

「で、金だけ受け取って、とんずら。戻って来なんだんですわ!!」

 

「返せ~~! 金を返せ~~!!」

「わしらの若さを返しておくれぇぇえ!!」

 

 もはや地獄絵図。

 

「……蝮。あんた、最低」

 

 信奈は頰を膨らませて腕を組む。

 

「じゅ、十兵衛……! そちはワシの忠義なる小姓ではなかったか! た、助けてたもれ!」

 

「……なんと。道三さまが、そのような不誠実な振る舞いを……女人を泣かせるなど、断じて許されません。旧主といえど、斬ります」

 

「おぉぉぉぉぉおおお!?」

 

 道三、まさかの旧臣からも処刑宣告を受ける。

 

「……放っておきましょう、十兵衛」

 

「はい、信奈さま」

 

 ばっさり。

 

 ついに味方は誰一人としていなくなった蝮。

 

「うおおおお~っ! どなたか、誰か、誰でもいい! た、助けてたもれぇぇぇっ!」

 

 必死に振り返ったその先に、ただ一人、涼しい顔で茶を啜っている男──天城刃。

 

「おお、天城どの! 女たらしの小僧! そなたならワシの苦境に同情してくれるじゃろう!?」

 

斎藤道三が、身を震わせながら必死の叫びを上げる。だが、すぐさま辺りの空気が一変した。

 

信奈たち女の子軍団が一斉に振り向き、刃をじろりとにらみつける。

 

特に恋人四人の視線は冷たく、鋭く、まるで「蝮と同じ穴のむじなか?」と詰問するようだ。

 

その圧力に押されてか、道三の声が徐々にか細くなっていく。

 

しかし、そんな視線をものともせず、刃は静かに口を開く。

 

「自業自得だ。あと、俺は女たらしじゃない。お前と一緒にしないでほしい」

 

その言葉に、良晴が思わずツッコミを入れる。

 

「いや、お前は女たらしだぞ!? 堂々のNo.1だぞ!?」

 

「違う」

 

「いや違わねぇって!」

 

「お前は何と戦っているんだ……?」

 

「お前のモテスペックだよ!」

 

 その間にも──

 

「裏切り者おおぉぉぉぉぉ~~~っ!!」

 

 道三が、ついに金返せコールと共に老婆軍団に呑み込まれていった。

 

「金も……若さも……おぬしが全部奪ったんじゃぁ……!」

 

「ひいぃぃいぃぃいぃぃっ!? このままではワシの前世が成仏できぬぅぅぅう!!」

 

 そのまま道三の姿は、引きずり回されるようにして視界の端へ消えていく……。

 

 ──合掌。

 

「……いやはや、モテすぎるのも考えものだな」

 

 良晴が腕を組み、悟ったように遠い目をした。

 

「刃、お前もさ。モテてモテて仕方ないだろ? だからよ、少しは用心しとけよ……。ほら、たとえば“恨まれない別れ方”とかさ。そういうテク、そろそろ勉強しようぜ。俺が指南してやるよ。『君にはもっといい人がいるよ』って優しく言えば、あんがい──」

 

すかさず、信奈の鉄拳が良晴の後頭部に炸裂。

 

その背後には犬千代、長秀、半兵衛、さらに最近急接近中の光秀と五右衛門も加わって、全員が笑顔で立っていた。

 

 ──無言の圧。いや、言葉よりも怖い何か。

 

「刃に変なこと吹き込もうとしないでくれるかしら?」

 

「……それが原因で私たちが“別れ方”を勉強する羽目になったら……どう責任を取るおつもりですか?」

 

「良晴さん?」

 

「……良晴、死すべし」

 

「相良先輩、斬りますです」

 

「相良氏?夜道には気をつけるでござるよ?」

 

「……し、死んだぁぁぁぁッ!?」

 

 その日、相良良晴は、女の恐ろしさを学んだ──。

 

 

 

 

 

 

 

半兵衛をどっちのヒロインにするか

  • 良晴
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