もう一人の未来人――相良良晴が“サル”になってから、すでに三十分が経過していた。
にもかかわらず、姫様との言い合いは終わる気配すら見せない。
「ちょっと、なんで逃げるのよ!? 黙ってわたしに蹴られなさいよ! それでもサルなの?」
「うおおおおお、なんだこの女っ!? もういい加減に黙れっ、俺は人間だー!!」
「なっ……生意気なサルね!? 自分の主君を“この女”呼ばわりするとは、どこの獣よっ!?」
「俺の名前は相良良晴だっての! 誰がお前のペットになるかよっ!」
「ぺっと? なにそれ、サル語なの?」
「違うわ! 飼いザルになんぞならねぇって言ってるんだよ! いいから足軽として雇えっての!」
二人は顔を突き合わせ、互いに唸りながら睨み合う。
まるで発情期の猿と、それに蹴りを入れようとする飼育員である。
そこへ、馬から軽やかに降り立った女武将が進み出て、信奈に小声で耳打ちした。
「姫さま、このサル……いえ、男。口の利き方がなっていません。斬りましょう!」
「六? 確かに斬るのは簡単だけど、これは天から降ってきた珍しいサルかもしれないわよ? なにせ人語をしゃべるんだから。決めたわ、飼う!」
「だから俺は飼われねぇっての!」
「またしても暴言です姫さま! やはり斬りましょう!」
「いいのよ。刃が士官してくれたとはいえ、無用な戦で小姓を何人も失ってるし──今は一人でも多く、男手が欲しいところなのよ」
「……ううむ。それも、道理でありますな。確かに今の姫さまには、男手が必要でございます」
「それではこのサルを連れて、すぐに出立よ。六、準備を」
信奈が愛馬にまたがると、刃にふと視線を向けた。
「刃、あなたはわたしの後ろに乗る?」
「恐れ多いかと。自分は走ってまいります」
「御意。ではこの柴田勝家、引き続き姫さまの御身をお守りいたします!」
「デアルカ!」
(なるほど……この爆乳で体育会系の女の子が、あの剛勇柴田勝家か……確かに言われてみれば、猛将って感じだな)と、良晴は感心していた。
六というのは、彼女のあだ名らしい。
だが次の瞬間、彼の思考は急転直下した。
(……でも“男手”って、もしかして「織田家の子種になれ」とか言われて種馬ライフとか? それはそれでアリかも……いやでも、俺に発情するような女ってこの小娘しかいねぇじゃねーか、うわああああっ)
そんな良晴が変態的な妄想にふけっている間に、いつの間にか彼の首には縄がかけられていた。
「はっ!? な、なんだこの縄はっ!? うおおおおおっ、首が締まるううううっ!」
振り返れば、信奈が無邪気な笑みを浮かべながら、その縄の端を手にして馬に乗っていた。
「あんたも走ってついてきなさい。サルなんだから、かけっこは得意でしょ?」
「おい待てっ! マジで首が締まってるって! 刃! お前からも何か言えぇぇぇ!!」
「……頑張れ」
「オイィィィィッ!?」
「まったく、口数の多いサルです。斬りましょう」
「ダメよ六。これはわたしの飼いザルなんだから、勝手に斬ったら怒るわよ?」
「いいから馬で駆けるなぁっ! 首が、俺の首がああああっ! 苦しいっ、死ぬうううっ!」
良晴は縄で引っ張られながら、まるで野生に放たれた猿のように絶叫した。
「うおおおーっ! やいっ信奈っ、お前のほうがよっぽど猿みたいな格好してんだろーがああああっ!! 今に見てやがれえええええっ!!」
全力で信奈と柴田勝家の馬に併走しながら、良晴はゼェゼェと息を切らしていた。
(あれだ……この状況、どこかで見たことがある……)
頭の片隅に映画の記憶がよみがえる。
(……ああ、『猿の惑星』だ……!)
縄で首を引かれながら丘を駆けるなんて、完全にあの主人公と同じじゃないか。違うのは、こっちには猿じゃなくて、美少女大名がニヤニヤしながら馬に乗ってることだ。
「五右衛門助けろーっ!!」
試しに叫んでみたが、五右衛門はいっこうに姿を見せなかった。
「今川軍が邪魔したせいで、すっかり遅れてしまったわね。……刃、サル。さっさと池の水を汲み上げなさい」
「マジで言ってんのかよ!?」
「御意」
つい口答えした良晴の背中に、馬から飛び降りた信奈の華奢な足が、ためらいなくどん、と振り下ろされた。
「げほぉっ!? ぐえっ……く、くそ姫め……」
良晴は池のほとりに突っ伏し、白目をむきながらゼーハー言っていた。
隣では刃が信奈の馬の後ろに静かに立っていた。汗はかいているものの、呼吸も整っていて、全く疲れている様子がない。
(おいおい……俺と同じ距離を走って、なんでこいつこんなに余裕なんだよ……? バグか?このイケメンはチートでも積んでんのか……?)
良晴の視線に気づいた刃は、小さく肩をすくめて言った。
「脚を無駄に動かさなければ、疲労も少なく済む……走る時は、呼吸と足並みを合わせろ。それだけだ」
「いやいや、そんな冷静にアドバイスしてくんな!?」
そんなやりとりの最中、信奈がぴょんと良晴の横にしゃがみ込んだ。
「さっ、サル、刃。口動かす前に手を動かす! 池の水を汲むのよ、さっさと!」
「なあ、マジで聞くけど……池の水って何のために? のど乾いたのか?」
「……ほんっっとにサルじゃないの!? あんた頭の中まで毛が生えてるんじゃないの!?」
信奈は呆れた顔でため息をつきながら、自分の腰をぽんぽんと叩く。
「わたしは常に水分補給の重要性を理解している有能な指揮官よ。見なさい、ひょうたん。腰にちゃんと水筒をぶら下げてるの」
「見えてるわ! 問題はそのセンスだろ! なんだよその戦国アマゾネスみたいなファッション、羞恥心って概念は捨てたのかっ!」
「またサル語でごまかす〜。あー、めんどくさい。ほら、これを持ってなさい!」
言うなり、信奈は水の入ったひょうたんを良晴の顔面めがけて、ぽん、ぽん、ぽんと勢いよく投げつけた。
「ぐっ、おぶっ!? ちょっ、待っ、いててっ!」
ひょうたんが直撃するたび、良晴の額に見事なコブができていく。
「それ、一個でもなくしたら首をはねるから。そのつもりでよろしくね♪」
「貴様ほんとに姫かああああっ!?」
信奈は悪びれもせずニコニコしながら立ち去っていく。
一方で、良晴は地面を這いながら、顔を引きつらせていた。
「くっそおお……この女、いずれ絶対に見返してやる……! がるるるるっ!」
その様子を見ながら、刃は冷静にひょうたんを片手に、ひと言だけ漏らす。
「……案外、似合ってるぞ。サル」
「お前まで敵に回るなぁああああっ!!」
「揶揄いがいのあるお前が悪い」
「おい!?はぁ、汲み上げたら、俺をペットじゃなくて足軽として雇うって約束しろよ!」
「はいはい。汲み上げられたら、ね」
信奈はひらひらと手を振り、ひょうたんの水をぐびりと飲んだ。
「……男手が必要って、まさかこの力仕事のためだったのか……」
良晴はうなだれ、膝に手をついたまま立ち上がった。
「まあ、猿みたいな小汚い格好の姫に『子種をよこせ』って言われるよりはマシか……」
その呟きを聞いていた刃が、ドン引きしながらひとことぼそりと呟く。
「……お前、さっきから最低だな」
「うっせぇ! こちとら人生かかってんだよ!」
不毛なやり取りを横目に、良晴はひしゃくを握って池に向かった。ぴしゃぴしゃと音を立てながら水をすくっていると、ふと疑問が湧いた。
「なあ、どれくらい汲めばいいんだ?」
「全部よ。池の底が見えるまで」
「──ちょっと待てええええええええええっ!! 無理だろっ!? これどれだけ深いと思ってんだ!? バケツ何杯分あるんだよ!?」
「はぁ? バケツって何? こっちじゃ“ひしゃく”と“桶”で済ますのが常識よ。あんた、ほんとにこの辺の人間じゃないのね」
「お前な……人のことサル呼ばわりしておいて、その辺の文化レベルでマウント取るなよ!」
良晴は叫びながら、ひしゃくで池の水をすくう作業を繰り返す。見れば刃も黙々と作業をしていたが、汗ひとつかいていない。
「……なあ刃、少しは疲れたそぶりをみせてくれ。俺の心が壊れる前に」
「黙って手を動かせ。疲れるより先に、お前の口がうるさい」
「くっそおおおぉ、こいつだけ別世界線の人間だ……!」
信奈は池のほとりの椅子に腰掛る。ひょうたんに唇をつけ、水を飲みながらぶっきらぼうに口を開いた。
「この『おじゃが池』にはね、龍神が棲み着いてるって噂があるのよ。それで、これまで村人たちは神様の怒りを鎮めるために乙女を人柱にしたりしてきたわけ」
「マジかよ。そんなガチなホラー設定、今さら言うなよ!」
「神も仏も、どうせ人間の作った幻。要するに、気の迷い。わたしは合理主義者だから、そんな話は信じないわ」
信奈は面倒くさそうにそう言いながら、ひょうたんを軽く振った。
良晴は息を切らしながらも、納得したようにうなずく。
「さすがに言い切るな、お前。……ま、正直、俺も神とか信じてなかったけど……」
そのとき、刃がふと水面を見つめながら静かに口を開いた。
「……だが、信じないだけで済むなら、人は苦しまない。人は昔から良くない事が起これば、神の怒りだの、祟りだの、妖怪だのと“何か”のせいにしてきた。そうしなければ、心が壊れてしまうからだ。」
ひしゃくから滴る水が、ぽちゃん、と静かに池に還る。
「迷信にすがるのも、それを笑って否定するのも……どちらも“現実”に怯えている証だ。どちらも根っこは同じ──感情という名前の、脆くて、熱くて、制御できないもの」
良晴はその言葉に少し驚き、隣の刃を見た。
「お前、意外と詩人気質だな……」
刃は無表情のまま、ひしゃくの水を静かに桶へと流し込む。
「そうか?合理も非合理も、命を動かす理由になり得る。それだけのことだ」
信奈はそんなふたりのやり取りを見て、目を細めた。
「へぇ。あんた、なかなか面白いこと言うじゃない。……ま、どっちでもいいわ。今のわたしにとって必要なのは、信じる心じゃなくて、使える兵力なんだから」
「姫様、随分な言い草ですね……」
刃が肩をすくめ、少しだけ皮肉混じりに言うと、信奈はにっと笑った。
「そうよ、戦は道理も大事だけど、結果がすべてなの。だから、口よりも手。とっとと水を汲みなさい!」
「ハイハイ……地獄の水くみ訓練、続行しますよ……」
良晴はそう言いながら、また池にひしゃくを沈めていった。
「まったく、世の中バカばっかりでイヤになっちゃう。ほら、六の隣に線の細い美少女が立ってるでしょ? あれが今年の“生け贄”、人柱なわけ」
良晴は目を見開いた。確かに、線の細い和服の少女が青い顔で立ち尽くしていた。陽に照らされて揺れる髪は、なぜか青く艶やかで、儚げな美しさを放っている。
「マ、マジかよ!? あの娘を沈めるって……も、もったいねぇえええ!」
「そうよ。だからこそ、村人たちの迷信をぶっ壊してやるの。この『おじゃが池』に龍神なんていないって、証明してやるのよ」
信奈の目には強い意志が宿っていた。
「……なるほど、方法は乱暴だが、信念は嫌いじゃない。やはり姫様ならば」
刃がぼそりと呟く。その目はすでに、池の水面ではなく、その底にある“真実”を見据えていた。
⸻
「藤吉郎のおっさん! さっそく来たぜ、俺たちの野望を叶えるチャンスがよ! 見ててくれよ!」
良晴が拳を握りしめて天に叫ぶ。
「よーし、わかった! 汲み出してやらあ! その代わり、あの子を俺に紹介してくれっ!」
「……はぁ?」 「はぁ」
「龍神の生け贄なんてモッタイナイ! 俺がこの迷信をぶっ壊して、村人たちに真実を知らしめて──あの子には、俺の彼女になってもらうんだ! いいな、約束だぞ!」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!? 勝手に話を進めないでくれる!?」
「うるせえ! これはもう漢の勝負だあああ! 根性だ! 根性だ! 根性だあああああああ──!」
いったい何時間が経っただろうか。
刃も黙々と水を汲み、桶を運び、また戻る。汗が頬を伝うが、愚痴は一切口にしない。
「なあ刃、体力どんだけあるんだよ……なんでそんなに余裕そうなんだよ……」
「無駄に鍛えてるわけじゃない。お前もそのうち慣れるさ」
「いや、もう腕が壊れそう……」
「壊れたら、片腕で運べばいい」
「言ってる意味がバグってんぞ!?」
途中、五右衛門が土遁と水遁を駆使して池の水を川に流すという裏工作を始めるが、それでも水の半分以上は良晴と刃の手でかき出されていた。
そして、夜がとっぷりと暮れた頃──
おじゃが池の水は、ついに一滴残らず消え去った。
⸻
「すっごいわね、あんたたち……刃は見込み以上だし、サルは女の子への執着が尋常じゃないわ…」
信奈が感心したように腕を組む。
「……鯉か。龍神の正体がこれとはな」
(途中から水が凄い勢いで、減っていったが。あれは何だったんだ?)
刃は跳ねる鯉を見下ろしながらぽつりと呟いた。
「ほらほら、みんな見たかしら!? この鯉が、あんたたちが拝んでいた“龍神”の正体よ! 人柱なんてくだらない儀式は今後永久に禁止! 逆らったら死罪よ!」
村人たちは口々に驚きの声を上げ、家路へとついていった。
そのころ──
「おおお……うおおお……」
良晴は、過労死寸前の顔で地面に突っ伏していた。だが、その口元には達成感の混じった笑みがある。
「よく頑張ったわね、サル。あんたに命を救われた娘が、どうしても直接お礼がしたいって言うのよ。はい、連れてきたわ」
「……え?」
「ほんとうに……ありがとうございました、相良良晴さま、天城刃さま」
目元ぱっちりの美少女がふかぶかと頭を下げた。
「うおおおおっ!? 俺のカンは的中してたあああああっ!!」
良晴は奇声を上げて狂喜乱舞した。
「……喜ぶのは勝手だが、まだ言い終わってないようだぞ?」
刃が冷静に指摘する。
「私は今宵、婚約しているお方と祝言をあげます。本当に、このご恩は一生忘れません、相良良晴さま、天城刃さま。ほんとうに、ほんとうに親切なお方達……」
「……えっ? 祝言? 婚約者? ……ちょ、おまっ、それ先に言えよおおおおおおおおっ!?」」
「はい。人柱に選ばれたことは本望でしたが、幼なじみの許婚を残していくことだけが気がかりで悲しかったのです……まさか現世で結ばれるだなんて。すべて、織田の姫さまとあなた方のおかげです。私、幸せです! 今すぐにあのお方と祝言をあげます!」
「えええええっ!?」と良晴は叫び、足元が崩れ落ちるような衝撃に目を見開いた。
「あなたがたに与えていただいた、ただ一度きりの人生です。後悔のないように日々を生ききらせていただきます! それでは、失礼いたします!」
「あ。いや。うん。ヨ、ヨカッタジャナイデスカ。ガンバッテネ…」
「ほんとうによかったわねサル、刃! わたし、こんなふうに人に感謝される経験ってあまりなかったのだけれど、良いことをした後って気分が良いわね。ああ、そういえば彼女に許婚がいることを教えるのを忘れていたかしら。ふふふっ」
「わざとだろ絶対それぇぇぇぇぇ!! あの子の涙の奥に色気感じてグッときた俺の気持ちは!?」
放心して崩れ落ちた良晴の頭に、ぶぎゅる、と無慈悲なブーツが降ってきた。
「ちょっとなに倒れてるのよ。ご褒美にあんたを足軽にしてあげるわ。サルを足軽に取り立てるだなんて異例のことよ、感謝しなさいよ? ねえちょっと聞いてるの、このサル?」
「聞いてるわけねぇだろこのドS姫ぇ……俺のハートは今、空っぽなんだよ……」
「……あまりにも哀れすぎて、見てられんな」
刃は呆れたように言いながらも、どこか少しだけ楽しんでいるような笑みを浮かべている。
「けど、あれほどの根性、無駄にはならないさ。結果的に人の命を救ったんだ。それで十分だろう?」
「うぅ……刃、お前は優しいな……でも、俺はやっぱ美少女に報われたい人生だった……」
「声に出さずとも、顔に書いてある」
「嘘だろ!?そんなに分かりやすいのか」
信奈はそんな二人を面白そうに見て、くすっと笑った。
「ふふっ、ま、仲良くやりなさい。今後も役に立ってもらうから……わたしの野望のためにね!」
良晴は大地に突っ伏したまま、涙と鼻水を地面にこすりつけながら呻いた。
「ぐぅ……信奈め、ナイーブな俺のハートを弄びやがって……いつか、いつか必ずこの借りは返してやる……大手柄を立てて、天下一の美少女を恩賞に要求してやるぅぅ!」
「……あいかわらずブレないな。だが、そういうやつが、一番しぶとく生き残るのかもな」
そうつぶやいた刃の瞳には、良晴への興味が宿っていた。
刃をハーレムにするか
-
する
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しない