織田信奈の野望〜戦国に舞い降りし銀ノ刃〜   作:更新亀さん

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騎士の島 

刃は軽く助走をつけると、まるで重力を無視するかのように甲板から宙へ舞った。

十メートル以上の距離をひと跳びで越え、志摩イスパニア島の桟橋に「ドンッ」と着地。木の板がその衝撃で唸りを上げ、粉塵が舞い上がった。

 

「貴様に恨みはないが、これも姫様のため。運がなかったと思え」

 刃の低い声が、波音の中で鋭く響く。

 

 黄金の騎士は、微塵も動じなかった。

馬上から「すっ……」と静かに下り立つと、まるで鎧の重さを感じさせぬ軽やかさで大地を踏む。

全身を覆う黄金の甲冑は陽光を浴びて眩く輝き、その姿はまさしく神話の騎士。

 

 彼は長槍を「ガラン」と投げ捨て、背中に担いでいた巨剣を引き抜いた。

刃渡りは人の背丈ほど、厚みも重量も常軌を逸している諸刃の大剣。

抜き放たれた瞬間、空気が裂けるような低音が辺りに響いた。

 

「……ワタシと一騎打ちを望むとは、勇気あるサムライだ」

 黄金の兜の奥から低く響く声。発音はやや怪しいが、間違いなく日本語だった。

「ワタシに一騎打ちを挑んできたのは……クキヨシタカ以来。お前が二人目だ。名を聞こう」

 

「天城刃」

 

「アマギ・ハヤテ……。ワタシは聖ヨハネ騎士団の騎士、ジョバンナ・ロルテス。騎士道精神に基づき、この勝負を正々堂々と受けよう」

 

 その名乗りと同時に、海風が甲冑の隙間を唸らせた。

 

「ほう?馬に乗らなくていいのか?」

「ワタシだけが馬に乗っていては、勝負にならないからな。貴様と同じ地に足をつけ、このソードで勝負してやろう」

 

刃の額に青筋が浮かび、紅の瞳が爛々と輝いた。

「舐めるなよ……」

 

 ジョバンナが咆哮とともに大剣を振りかざし、地を蹴った。

重装の全身鎧にも関わらず、その突進は雷鳴のように速い。

甲冑の一枚一枚がぶつかりあって「ガシャアァンッ」と金属音を響かせ、巨体が疾風のごとく迫る。

 

 刃は微動だにせず。寸前で半身を滑らせ、剣を軽くいなす。

「ヒュッ」と風を裂く音の直後、「ギィィンッ!」と甲高い衝突音が夜空に響く。

受け流された反動でジョバンナの大剣が空を切る。その刹那、刃の腕が閃き、袈裟斬りが走った。

 

 だが――。

 

 黄金の騎士は鋭いバックステップでそれを躱す。

大剣の重みを地に預け、砂を蹴立てて距離を取る。

 

 二人の間に再び緊張が張り詰める。

 

「……やるな」

「全身鎧にしては早いな」

 

 ジョバンナの鉄仮面の奥から、荒い息遣いがもれた。

刃は無言で構え直す。刀をわずかに下段に構え、次の斬撃を狙う。

 

 同時に踏み出した。

 ガギィィィィンッ!

刀と大剣が正面から激突し、稲光のような火花が四方へ散った。

耳をつんざく衝撃音に、遠巻きに見守る九鬼海賊衆の少女たちが思わず悲鳴をあげる。

 

「ひ、ひぃっ! あんなの人間の戦いじゃない!」

「速すぎて目で追えない……!」

 

 だが、九鬼嘉隆は汗をぬぐいながら呟いた。

「いや……目で追えなくても、わかる。あれは……天城刃が押している」

 

 事実、優勢なのは刃だった。

鋭い斬撃は一太刀ごとに加速し、目にも止まらぬ速度で閃く。

ジョバンナは必死に受け止めるが、その大剣が「ギギギッ」と軋む音を立てるたびに、全身鎧に重圧がのしかかっていく。

 

「もっと……俺を楽しませろ、十字の騎士!」

 刃が口角を吊り上げ、不敵に嗤った瞬間。

 

 視界が閃光に包まれる。

刀の速度がさらに増した。もはや残像が幾重にも走り、斬撃が嵐となって襲いかかる。

「チィッ……!」

ジョバンナは後退を余儀なくされ、いつの間にか島の中央へと押し込まれていく。

 

 地面に刻まれる大剣の爪痕は深く抉られ、石片が飛び散る。

だが、それでも刃の体にはかすり傷すら刻めない。

 

「クッ……!(このサムライ……速い!?)」

 

 騎士の喉から苦悶が洩れる。

その姿を見上げながら、一益が楽しそうに目を細めた。

「くすくす……噂通りの強さじゃの。のぶなちゃんが懐刀にする理由も分かるの〜♪」

 

一益がまるで舞を楽しむかのように甲板から身を乗り出して笑った、その瞬間――。

 

 バキィィィィンッ!!

 

 甲高い破砕音が戦場に響きわたる。

刃の握っていた刀身が真ん中から折れ、破片が地に突き刺さった。

 

 一瞬、空気が凍る。

 

「……まあ、錆びているにしては、よくもったほうか」

刃は感情を見せぬ声音で呟き、折れた刀をただ投げ捨てる。

唇に浮かんだのは、愉快げな微笑。

 

 黄金の騎士が声を張り上げた。

「アマギハヤテ! ワタシに降伏せよ! 勇敢なサムライの命を、無為に散らす必要はない!」

 

「降伏?」

刃が肩をすくめた。

「俺が? 馬鹿を言うな」

 

 彼の手に残ったのはただの鞘。

しかし、その黒漆の筒を刃は迷いなく構えた。

まるで天下無双の神器であるかのように。

 

「刀を失った程度、どうということはない」

 

「……残念だ」

ジョバンナが大剣を振り下ろす。

甲冑の継ぎ目が唸り、鉄塊の嵐が刃に迫った。

 

 次の瞬間。

 

「お前の剣は――遅いんだよ」

 

 カンッ!!

鞘と大剣が噛み合った瞬間、刃は鞘を斜めに傾け、剣圧を流す。

分厚い鉄塊の軌道が、まるで紙細工のように逸れていく。

 

「なっ……!?」

ジョバンナの目が仮面の奥で見開かれた。

 

 その隙を逃さず、刃の膝が弾丸のように突き上がった。

ドゴォォォッ!!

衝撃音が地面を揺るがす。

 

 黄金の騎士の巨体が浮き、数歩分、地を削りながら後退した。

石畳に爪痕を残し、膝をついたジョバンナの胸郭に、なおも蹴撃の余韻が震動として響き続ける。

 

「ぐっ……く、うぅぅっ!」

(このサムライ……本当に戦闘技術が高い! 剣を失っても崩れぬ胆力! そして一撃は、速い上に――重すぎるッ!)

 

理屈を超えた剣速と破壊力。

 

「む? なんじゃ?」

一益がぱちぱちと瞬きをして、甲板から指をさした。

「はじめて、あの鬼以外の南蛮人が港まで出てきたぞえ」

 

 その声に、視線が集まる。

 

 港の桟橋から現れたのは、漆黒の宣教師服をまとった一人の少年だった。

河童のお皿のような黒い帽子を被り、片手には古びた聖書を抱えている。

まだ十代前半か後半。あどけなさすら残す顔立ちには、場違いなほど清らかな光が宿っていた。

 

「ジョバンナ。ここはマルタ島ではありません!」

少年は、黄金の騎士の隣に駆け寄り、切実に訴えた。

「どうやらヤタノカガミという神器を巡って、互いに誤解をしていたようです! 勝負は、もうここまでです!」

 

彼の細い指が、騎士の分厚い籠手に触れる。

「アマギ・ハヤテさん、どうか……どうか剣を納めてくれませんか?」

 

「……オルガンティノ」

ジョバンナの声が低く震える。

「なぜ止める。この島の防衛は――ワタシの使命だ」

 

 だが少年は首を振った。

 

「このままやればあなたは死んでしまう。あなたはもう、島を死守しなくてもいいのですよジョバンナ」

と悲しげに微笑んだ。

 

刹那、ジョバンナの胸に、地中海の蒼穹が蘇った。

――マルタ島。

無数のオスマン艦隊に包囲され、炎と血に染まった絶望の籠城戦。

飢餓。屍の山。死を待つ兵たちの呻き声。

あの地獄の記憶が、彼女を縛って離さない。

 

「……それはできない、オルガンティノ」

兜の奥から響く声は、鉄鎖のように重かった。

「ワタシは騎士としての使命を全うする。確かに……このジパングのサムライには、敗れるかもしれない。だが……!」

 

 ジョバンナは天を仰ぐ。

「補給を断たれ、孤立したこの島は……あのマルタ島と同じだ! ならば、最後に為すべきことは一つ!」

 

 ぎり、と奥歯を噛み締め、大剣を構え直した。

「このサムライの――首を獲る!!」

 

「いけません、ジョバンナ!」

オルガンティノが叫ぶ。

「マルタ島の悪夢を繰り返してはならない! あなたは何のためにジパングに来たのですか! 血に溺れるためではないはずです!」

 

「しかし……」

黄金の体が震える。

「倉庫に残された食糧は、もうわずか。あと一度か二度、晩餐を開けばすべて食い尽くしてしまう。逃げ場など、どこにもない!」

 

 その絶望を振り切るように、ジョバンナは大地を蹴った。

黄金の閃光が、刃に突撃する。

 

「いい覚悟だ」

刃の紅の瞳が静かに輝き、口角が上がる。

「ならば一思いに殺してやる」

ジョバンナが咆哮し、大剣を振り下ろす。刃が鞘を振り抜こうとした寸前⸻

 

桟橋に横付けされた船から、くるくると風車のように回転しながら飛来する影。

滝川一益である。

(何を考えている!? 正気か!?)

 その小さな体は矢のように飛び込み、刃とジョバンナの必殺の斬撃の軌道へ――まさしく死地そのもの。

 

刃は即座に迎撃を止め、一益の小柄な体を抱きとめると同時に、海風を裂いて後方へ跳んだ。

直後、地面が大剣に叩き割られ、ズガンッ!と轟音を立てて裂ける。

 

 土や石片が飛び散る中、刃は一益をしっかりと腕の中に抱き込んで着地した。

「死にたいのか。俺が助けなければ今ごろ真っ二つだったぞ」

 低く冷ややかな声音。

 

 だが一益は、まるで恐怖を知らぬ小動物のように、逆に嬉しそうに頬を染めて言った。

「はっしーが姫を助けぬはずないじゃろ? えへへ……♡ こうして抱っこされるのは久々じゃの~♪ やっぱり懐刀ってば、頼れるの♪」

 

 刃は眉をひそめる。

「お前の懐刀になった覚えはない」

 

 声音は冷淡そのもの。

しかしその逞しい腕は、無意識のうちに一益を庇うようにさらに強く抱き締めていた。

その矛盾を見逃すはずもなく、一益はにやりと笑みを深める。

 

「えぇ~? そんなつれないことを言うでない。姫のこと、ぎゅっと抱き締めとるくせに~♡」

 わざとらしく身じろぎし、柔らかな頬を彼の胸板にすり寄せ、指先で「つん、つん」とつついてみせる。

 

「動くな。……ちっ、興が削がれた」

 刃はわざと不機嫌そうに吐き捨て、鞘を放り投げる。

戦意を解き、一益へ鋭い視線を投げやった。

「これで満足か、一益」

 

「なんじゃ、分かっておったのか」

 まだ腕の中に収まったまま、一益はいたずらっ子のように舌を出し、くすくすと笑う。

 

 ジョバンナは、大剣を下げたまま呻いた。

「……戦いを止めるためとはいえ、攻撃の軌道に身を投じるなど正気の沙汰ではない。サムライ、もし貴様が抱きとめず見捨てていたら、この少女は……」

 

「あり得んから割って入ったんじゃろ? 馬鹿じゃの~♪ のう? はっしー♪」

 一益は、彼の胸に顔を埋めたまま、無邪気に笑った。

 

刃は深く息を吐き、額を押さえる。

「出会って二日目の俺に何を求めているんだ。……はぁ。次からはやるなよ。心臓に悪い」

 

 にやりと、唇の端を吊り上げる一益。

わざとらしく胸の中でもぞもぞと動き回り、柔らかな髪を彼の顎に擦りつけて挑発した。

「ほぉ~? つまり姫のせいで、はっしーはドキドキした……ということじゃな? やっぱり、はっしーも姫に夢中じゃろ~♡」

 

「……殺すぞ」

 刃の額に青筋が浮かび、紅の瞳が鋭く光ると同時に低い声が落ちる。

だが、放たれるはずの殺気はどこにもなかった。

 

 海賊衆の女たちが一斉に青ざめ後ずさったが、その矛盾に気づいた一益は、怖がるどころかさらに深く彼の胸に潜り込み、柔らかな髪を擦りつけてますます嬉しげにくすくすと笑い囁いた。

 

「くすくす、そんなこと言いながら殺気がでておらんぞ?やっぱりはっしーは優しいの〜♪」

 

刃はしばし黙り込み、やがて小さく肩を落とした。

「……はぁ、世話の焼ける」

 呆れたように呟きながらも、結局は優しい手付きで一益の頭を撫でた。指先は驚くほど繊細で、幼い少女を壊れ物のように扱う。

 

 

甲板の上。

潮風が吹き抜ける中、海賊衆の娘たちは全員、口を手で押さえながらも目を爛々と輝かせていた。

 

「ね、ねえ……見て? あの顔」

「信じられない……天の白刃が、あんなふうに女の子をあやすなんて……!」

「そうそう! “冷酷無常”って噂だったのに……あれはどう見ても、子守り中のお兄ちゃんの顔だよ!」

「天の白刃の意外な弱点発見だね」

「いや~、完全に“甘々スイッチ”入っちゃってたね!」

「っていうかさ、あの抱き方……もう、溺愛でしょ!? 抱きしめ方が優しすぎる! 子猫抱いてるみたい!」

「わかるわかる! あれは“好きで好きでたまらない”って感じの仕草だって!」

 

 ひそひそ声のつもりが興奮しすぎて、段々と声が大きくなる。

肘でつつき合いながら、全員が頬を赤らめてにやにやと笑っていた。

 

「やっぱり弱点は“幼い子”なんだよ、間違いない!さっきなんて殺すぞって言いながら、ぜんっぜん殺気なかったもん!」

「むしろあれ、“俺以外に懐くな”っていう独占欲丸出しの台詞にしか聞こえなかったんだけど!?」

「キャーッ♡ やだやだ、独占欲カッコいい~~!」

「でもさ~、もしウチらが泣いて縋りついたら、やっぱり抱っこしてくれるのかなぁ?」

「ば、馬鹿言うんじゃないよ! 調子に乗って近づいたら一刀両断だわ!」

「いやいや! あの顔を見てみ? 一度懐に入ったら最後だよ。絶っ対に命がけで守るタイプだって!」

「マジかぁ……そんな男がいたなんて……! 信奈さま羨ましすぎる……!」

「だよな~! 織田信奈さま、幸せ者だよ! だってあの天の白刃に溺愛されてるんでしょ!?」

「戦場で信奈さまが傷を負ったこと、一度もないらしいよ。そりゃそうだよね、あんなバケモノが横にいるんだもん!」

「うわぁ……惚れる。あたしも一度でいいから、“世話の焼ける奴だ”って頭なでてもらいたい~~っ!」

「わかる! あの大きな手でぽんぽんされながら、“仕方ない奴だ”って言われたい~~!」

 

もう誰も止められなかった。

海賊衆は興奮と羨望の嵐に飲み込まれ、甲板のあちこちで「キャーッ♡」と黄色い歓声が上がり続ける。

 

 

 

 

 

 

 

「えっと、カズマスさん? 本当に……助かりました。貴女が止めてくださらなければ、ジョバンナは命を落としていたでしょう」

 

 桟橋に静かな声が響いた。

ジョバンナの隣に立っていた黒衣の少年──宣教師服に身を包んだ異国の少年が、胸に聖書を抱きしめながら、一益と刃へ深々と頭を下げた。

 

「気にしなくてよいぞ。はっしーをけしかけたのは、姫じゃからな♪」

 と一益は悪びれもせず、刃の胸に甘えたままくすくす笑っている。

 

 少年はその姿に一瞬あきれたように目を細めたが、すぐに柔和な笑顔を浮かべると、甲板に集まる海賊衆へ振り返った。

その瞬間――

 

にこっ

完璧なまでに白く整った歯列が、陽光を受けて「きらりっ☆」と輝いた。

 

「うっ、眩しっ!」

「目ぇぇぇっ! なんだこの神々しい白さ!」

「歯が……歯が光ってる!? 鏡みたいになってるじゃん!」

 

 海賊衆の娘たちはいっせいに顔を伏せ、両手で目を覆った。中には「ひぃっ」と情けない声を上げる者までいる。

 

「ピァチェーレ(初めまして)。アマギ・ハヤテさん……ジパングの勇敢な海賊の皆さん。ジョバンナには悪意はないのです」

 少年は胸に手を当て、まるで劇場の舞台役者のように大げさに礼をしてみせた。

 

「島を防衛することが騎士の使命と教えられてきた子なので──ボクは、イタリア人宣教師のオルガンティノと申します」

 

 その日本語は驚くほど滑らかで、ほとんど訛りもない。

海賊衆は目をしばたたかせ、唖然とした。

 

「え、なんでこんなに日本語上手なの!?」

「南蛮人って“テンポラリー”とか“オッケー”とかしか言わないんじゃないの!?」

「発音が綺麗すぎてむしろ怖い……」

 

 宣教師は聖書を高く掲げ、潮風に髪を揺らしながら朗々と語りはじめる。

 

「皆さん。ボクはこの島に来て以来、即席で建てた教会にこもり、罪を清める苦行をしていたのです。ボクがもっと早く教会から出てきていればこのような誤解は生じませんでした。ジョバンナ、今からジパングの皆さんをもてなしましょう。ヤタノカガミを探して、返還しましょう」 と、苦笑いした。

 

「さ、さあ、ジョバンナ。参りましょう」

「……わかった、オルガンティノ。だが……」

 

 ジョバンナは「がちゃんっ!」と甲冑の関節が悲鳴を上げるような音を響かせ、その場に膝をついた。

「……アマギハヤテとの攻防で息があがってしまった。甲冑が重くて、もう……動けない」

 

「そうでしたか。息が苦しそうですね、兜だけでも外しましょう」

 

 オルガンティノが優しく手を添え、兜の留め具を外す。

金属音とともに、ずしりと重い兜が取り払われた。

 

 ――次の瞬間。

 

潮風に舞ったのは、陽光を受けてきらめく栗色の髪。

透き通るような碧眼が、真っ直ぐにこちらを見据えた。

 

「なっ……女の子!?」

「うそ、超絶美少女じゃん……!」

「うわああ、目が青いっ! お人形さんみたい!」

 

 九鬼海賊衆が一斉に絶叫し、桟橋は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 

「改めて名乗ろう。ワタシはイタリア貴族の娘、ジョバンナ・ロルテス。聖ヨハネ騎士団の一員で、当年十五歳になる」

 

 凜とした声が潮風に乗り響く。

その横顔は氷の彫像のように整っていて、どこか少年めいた中性的な気配も漂わせる――異国の血が生み出した、息を呑むほどの美貌だった。

 

「「「「きゃああああっ! なんて凜々しいの~~!!」」」」

 

 海賊娘たちはもう腰が砕ける勢いで黄色い悲鳴をあげ、手を取り合い、足を踏み鳴らして熱狂した。

中には目を潤ませながら「わたし……もう推し変する……」と呟く娘までいる。

 

 ジョバンナはその大歓声に、わずかに眉をひそめただけで淡々と告げた。

どうやら、女の子にキャーキャー言われることには慣れているらしい。

 

「アマギハヤテ。友好の証として……お前の願いを一つだけ、叶えてやろう」

 

「それは有難いな」

刃は即答する。

「一益と共に、姫様に援軍として加勢して欲しい」

 

(ジョバンナと南蛮船が一益の海賊衆に加われば、かなりの戦力になる……これは嬉しい拾い物だ)

 

 と内心で頷く刃。

 

「館のほうで食事をしながら話をうかがいましょう」

 オルガンティノが聖書を抱き直し、朗らかに微笑んだ。

 

その時――

 

「オルガンティノ。わが名は滝川一益じゃ。姫と呼ぶがよいぞ」

 

 刃の腕からひらりと抜け出した一益が、軽やかに宙を舞い、くるくるっと子猫のように回転してオルガンティノの目の前に着地した。

 

「ひぃっ!? ま、魔女……!?」

オルガンティノが思わず後ずさる。

 

「忍者だ」

刃がぶっきらぼうに言い添えると、オルガンティノは「なるほど……」と納得してしまった。

 

「おー。ジパングのニンジャですか。噂には聞いていましたが、実物は初めてです。すばらしい運動神経……!」

 

「くすっ。ともあれ、伊勢の港で行き違いがあったことはわかったのじゃ。この黄金の騎士が南蛮船から飛びだしてくれば、誰だって鬼が出たと怯えるからの」

 

「はい。ジパングの甲冑とはかなり違いますからね」

 

「それでは、八咫鏡を探させてもらうのじゃ。八咫鏡さえ戻れば、そちらにこの島を貸してあげるぞえ。もともと無人島じゃしな。南蛮船を呼んで貿易をするもよし、好きなだけ滞在すればよい。これにて、伊勢志摩は姫のもとに統一されたのじゃ!」

 

「ありがとうございます! それでは皆さんを、館へとご案内しますね」

オルガンティノが満面の笑みで頷いた。

 

「「「さすが甲賀のやんごとなき姫さま! 見事に鬼騒動を解決したわ~~!!」」」

 

 海賊衆は大喜びで太鼓を叩き、笛を吹き、即席の祭り騒ぎ。

波間を揺らす掛け声と笑い声は、まるで嵐が来たかのように賑やかだった。

 

 

 

 

 

 

 

志摩イスパニア島の中心となっている白壁と赤瓦の館へ、刃と一益たち九鬼海賊衆はぞろぞろと招待された。

重厚な扉を押し開けて中へ入れば、そこは南蛮風の香辛料の香りと、豪奢なタペストリー、見慣れぬ燭台の光に満ちた異世界だった。

 

無事に八咫鏡は発見されていた。

神器だと知らない南蛮商人の面々によって、なんと畑に吊るされ「カラス避け」として使われていたのだ。

幸運にも傷一つついていなかったが、その扱いのぞんざいさに九鬼海賊衆は「ひえぇぇ!」と目を剥き、刃は「……まぁ無事ならいい」と肩を竦めただけだった。

「神器とやらに、どんな魔力があるのか?」とジョバンナが問うたものの、誰も即答できず、結局うやむやのまま和解が成立した。

 

こうして館の大広間に長机が並べられ、晩餐が始まった。

残っていた食糧をすべて使ってくれたらしく、机には巨大な鍋で炊き上げた黄色い米料理――パエリアをはじめ、パンやチーズ、燻製肉に香辛料の効いた煮込みが並んでいる。

海賊衆は「なんじゃこりゃあ!」「赤い!黄色い!なにこれ辛い!」と、皿を覗き込んでは大騒ぎしていた。

 

そんな中――。

スレンダーな身体のジョバンナが、突然ぱくぱくと猛スピードで食べはじめた。

「もぐもぐ……あむあむ……んぐっ、ふぅ……あむあむ」

まるで飢えた獣のように、皿を空にする勢いでパエリアを口に運び、パンを噛み砕き、肉をかじる。

 

「見ていて気持ちのいい食べっぷりだな」

刃が思わず呟いた。

 

「騎士たるもの、食事は睡眠の次に重要なのだ! 兵糧を断たれれば戦えぬからな! あむっ、もぐもぐ……」

ジョバンナは澄ました顔のまま、異様な速度で食べ続ける。

 

「こ、こいつ……鎧の下はじつは底なし胃袋なんじゃないか?」

九鬼嘉隆が額に汗を浮かべ、海賊衆も「おかわりは!?」「米はまだあるの!?」と半泣きで走り回る。

 

刃は肩をすくめ、口元にわずかに苦笑を浮かべた。

 

その間、宣教師オルガンティノは杯を掲げ、穏やかに語り始めた。

 

「改めまして、ボクはオルガンティノ。ドミヌス会の宣教師です。わが師フランシスコ・ザビエルさまの志を継ぎ、このジパングにデウスの教えを広めるためイタリアから参りました」

 

その声は柔らかく、それでいて聴く者の心を撫でるように澄んでいた。

 

「この島の方々は、ボクを船に乗せてくださったイスパニアの商人の皆さんです。決してジパングの土地を奪いに来た海賊ではありません。黄金の国ジパングとの交易こそが彼らの目的なのです」

 

「そ、それにしてはおっかない旗や飾りを立てて、守りを固めておったが?」

九鬼嘉隆が腕を組み、警戒の視線を向ける。

 

「ああ、それは防衛ではなく――クリスマスの飾り付けですよ」

にっこり笑ったオルガンティノの白すぎる歯が「きらり」と光る。

 

「「「「クリスマス?」」」」

 

一益も九鬼海賊衆も、聞いたことのない言葉に小首をかしげる。

 

「ヨーロッパでは、イエス・キリストが誕生したとされる十二月二十五日を『クリスマス』と呼び、盛大にお祭りをするのです。家族が集まり、教会に祈り、贈り物を交換する……大切な日なのですよ」

 

「ほぉぉぉ……!」

海賊衆が目を丸くし、ざわめきが広がる。

 

「そうか。もうクリスマスが近づいているんだな……」

刃が低く呟く。

その紅い瞳には、わずかに遠い異郷を想うような光が宿っていた。

 

「はい。遭難した時に暦を失ってしまったので、本国の正確な日付はわかりませんが……ジパングの暦に合わせ、十二月二十五日をクリスマスとして祝おうと準備していたのです」

 

「なるほどな」

 

その間もジョバンナは「もぐもぐもぐ……んぐっ……」と止まることなく食べ続けている

 

「ハヤテさんはずいぶんボクたちの文化に詳しいようですが……キリシタンの方ですか?」

 

「違うぞ」

 

「そうですか……。ところでハヤテさん。ボクの先輩……ふ、ふ、フロイスさまは、どこでどうしておられるのでしょうか? なにかご存知でしたらぜひ……」

 

「フロイス? 今は姫様の許可を得て京で南蛮寺を建てているぞ」

 

「そ、そうですか! フロイスさま、ご無事でしたか! ああ……!」

オルガンティノの顔が一気に赤くなる。

 

「……面識があるのか?」

 

「ええ。ボクにとって理想の先輩なんです。はあ……いつになれば、この身の罪が赦されるのか……」

 

「罪? 何かやったのか?」

 

「ちょっとここでは……女性がいる場所では……はぁ……」

 

刃が片眉を上げる。

「……同性愛者か? キリスト教では同性愛はタブーだと言う。俺にその趣味はないが、その辺は日ノ本は自由だ」

 

その瞬間。

 

「な、なんと! オルガンティノは、男色の楽園を求めてジパングに来たのか!?」

ジョバンナがパエリアを喉に詰まらせ、「ごほごほっ!」とむせた。

 

「「「きゃあああああ! ますます素敵!」」」

女の子海賊衆が黄色い悲鳴をあげ、館が一瞬、地鳴りのような熱狂に包まれる。

 

「ち、違いますよう! 女の子たちの前でなんてことを言うんですかハヤテさんっ!?」

オルガンティノが涙目でわたわたと両手を振る。

 

「違ったか……。まさかとは思うが、良晴や叡山の坊主どもと同じで、フロイスの胸に欲情でもしたのか?」

 

「うっ……! そ、そうです! ボクの悩みは……女の人のおっぱいを見ると、悪い気持ちがむらむらと湧き上がってしまうことなんですうう!」

とうとう叫んでしまった。

 

「「「えぇぇぇぇぇっ!?」」」

 

九鬼海賊衆は椅子から転げ落ちんばかりに目を剥いた。

 

「ボクは……七つの大罪のひとつ、“色欲の罪”に侵されているんです! いくら教会で懺悔しても、この魂が浄化されないんです! あああ……! 女の子たちの前でボクはなんてことを……!」

頭を抱え、テーブルに突っ伏してしくしく泣き出す。

 

「それは罪ではないわ!」

「男の子なんだから当然のことよ!」

「親分の胸は大きいわよ! 無駄だけど!」

「いや待て! 無駄って言うな!」

女の子海賊衆が一斉に励ましの声を飛ばし、逆に大混乱となる。

 

「ひいいい! 寄らないでください! ボクはこの罪深いむらむらで悪魔に憑かれてしまうんですうう!」

オルガンティノは悲鳴を上げながら後ずさり、背後の壁にぶつかってがたがた震える。

 

「宗教的潔癖ゆえの女性恐怖症……いや、変種だな」

刃が淡々と呟く。

 

「親分は女の子という年齢じゃないから問題ないわ!」

「そうそう! 親分は盛りのついた雌だから!」

 

「お前らぁっ!! あたしの婚期を何だと思ってるんだ!!」

九鬼嘉隆が真っ赤になって怒鳴り散らす。

 

「皆さんによこしまな思いを抱いてしまってすみませんすみません……くわばら、くわばら……」

 

オルガンティノが必死に胸の前で十字を切りながら、ぶるぶる震える。

 

「……なんかすまん」

刃は苦々しげに呟いた。

 

「在家の人々ならばともかく、ボクは修道士です……! それなのに、フロイスさまのあの大きな胸を見ていると、どうしても悪魔に心を侵されて……! ああ、あんなにも純真なお方に対して、申し訳なさすぎて……っ!」

 

「……俺が知り合う男はなぜ胸に興奮するやつが多いんだ?」

刃の冷ややかなぼやきが館の中に落ちる。

 

その呟きに、一益がくすくすと笑いながら肩を揺らした。

「のぶなちゃんも胸の大きい女は嫌いじゃったの〜♡ やはり男は皆、胸が好きなのじゃなぁ♪ くすくす。姫の薄い胸にも、ときめくかの? ほれほれ、はっしー? オルガンティノ?」

白くなめらかな鎖骨のあたりを強調して、ちらちらと二人に視線を送る。

 

だが。

 

オルガンティノは首を傾げ、「えっ……これが胸……板では?」と真顔で呟く。

刃にいたっては完全無視。

 

一益の目がカッと見開かれる。

「なんでじゃっ!! なんで誰もときめいてくれぬのじゃっ!!」

椅子から立ち上がり、机をばんばん叩く。

 

「姫はむかついたのじゃ!ぷんぷんじゃ!!」

両手で自分の胸を押さえながら、ぷんすかと怒るその姿は、どう見ても「小動物が必死に威嚇している図」でしかなかった。

 

「かわいい……」

「いやいや、怒ってるのに可愛いんだけど……」

「むしろあざとすぎてズルい!」

海賊衆が口々に騒ぎ出し、場はさらにざわめきに包まれる。

 

その横でジョバンナが、淡々とパエリアを頬張りながらぼそり。

「……オルガンティノがワタシを怖がらないのは、ワタシが女の子に見えていないということか。失敬な。これでも胸には自信があるのだが……もぐもぐもぐ」

 

「いえ! ジョバンナさんは甲冑をつけてますから安全なんです! 胸が見えないから大丈夫なんですう!」

オルガンティノはしょんぼりと肩を落とし、改めて頭を下げる。

 

「ボクが島に着いて以来、なかなか皆さんの前に顔を出せなかったのは……女の子が苦手だったからなんです。すみません……。今日は、はじめて男の人――ハヤテさんが上陸してきたので、勇気を出して教会から飛び出せたんです……」

 

そういうこと、らしかった。

 

結局、日ノ本を侵略しに来たのではなかったのじゃな──と、一益がすっかり減ってしまったパエリアを、器用にお箸でつまみながらくすくすと微笑んだ。

「九鬼海賊衆は女の子限定だからの。はっしーがジョバンナと一騎打ちしておらなんだら、オルガンティノは教会から出てこられず、島の面々とずっと対立してるままだったわけじゃな」

 

「そうですね……」

オルガンティノは刃をまじまじと見つめ、意を決したように尋ねた。

「ところで、ハヤテさんは……ジパングでも名の知れたサムライなのですか? ジョバンナを負かすなんて、にわかには信じがたいのですが」

 

「くすくす、そうじゃのぉ~」

一益がわざとらしく椅子から身を乗り出し、紅潮した頬で刃の顔を覗き込む。

指先で刃の頬を「つん」と突きながら、甘え声を重ねた。

 

「はっしーは日ノ本で一番名を轟かせておるぞ? 『天の白刃』とも呼ばれての……戦場に現れれば嵐のように敵を薙ぎ払い、誰も立っておれぬ。日ノ本最強の剣豪じゃ。 あののぶなちゃんが惚れ込んで、懐刀にしておるから間違いない♪」

 

「じ、ジパング最強……!?」

オルガンティノは目を丸くして固まった。握っていたフォークが震え、パエリアの米粒がはらりとこぼれる。

 

隣のジョバンナも、食べる手を止めてわずかに眉をひそめた。

 

「……どうりで、ワタシが敵わなかったわけだ」

ジョバンナが低く呟くと、一益はくすくす笑って身を乗り出した。

 

「しかもはっしー、手加減しとったじゃろ」

 

「……何を根拠に、そんなわけ」

刃の紅い瞳が細くなる。

 

「ふふん♪ 姫は忍びじゃぞ? 刀身が錆びて折れやすくなっとったのに、頭部や関節、鎧の隙間、急所に当てずに──狙ったのはいつも胴体の真ん中。致命には程遠い場所ばかり。不可解じゃろ? 素人ならまだしも、はっしーほどの剣士が外すはずがない」

 

一益の声は、幼いのにどこか妖しく、刃の胸元に顔を近づけて囁くようだった。

「じゃが、最後は違った。鞘で振り下ろされる大剣ごと、首を刎ねるつもりじゃったのぅ。だから姫は割って入った。はっしーが慌てたのも、姫に大剣が当たるのを恐れたからじゃが……もうひとつ理由がある。姫ごと鞘で両断できてしまうと、はっしーは恐れたのじゃ。違うかの?」

 

刃の顔に一瞬だけ、感情の揺らぎが走る。

 

「……つまりお前は、本気の俺が勝負よりお前の命を優先した、と言うのか? 姫様達ならまだしも、昨日初めて会ったお前を?」

 

「そうじゃ♪」

一益はまるで勝ち誇ったように、子猫のように彼の膝へ身を寄せてきた。

 

「はっしーは優しいからの〜♡ 敵意のない女の子を斬るなんて無理なのじゃ♪ どれほど冷たい顔をしても、ほんとうは甘いのじゃ♪」

 

「……勘違いするな。お前は姫様が信用する家臣の一人、死なれては困る。それだけだ」

 

刃が淡々と吐き捨てるように言う。

だが一益は、くすくすと悪戯っぽく笑い、首を小さく傾げた。

 

「勘違い? くすくす……それなら、はっしーはどうして姫をあんなに大事に抱えたんじゃ? 昨日会ったばかり、それも謀反の疑いがかかっとる相手に、あそこまで無意識に腕を回す武将がどこにおる?」

 

刃の眉がわずかに動く。

 

「……ただの反射だ」

 

「反射で女の子を庇えるのは、優しさが身体に沁みついてる証拠じゃ♪」

一益は小さな両手を広げ、刃に抱えられた時の姿を再現するように、自分の体をひねってみせる。

 

「姫を抱き抱えた瞬間、はっしーは万が一にも姫に掠らないように、自分の肩を前に突き出し姫の盾にした♡ しかも利き腕の肩じゃぞ? 武人としてあり得んことじゃ♪」

 

「……」

刃は黙して応えないが、その沈黙が一益の言葉を裏付けてしまう。

 

「どうしてじゃろうな〜♪」

一益は猫のように刃の膝にすり寄り、頬を軽くすりすりと押しつける。

その仕草は甘えそのもの、だが吐き出される言葉は鋭く彼の心を抉ってくる。

 

「……さあな」

 

刃は軽く笑い、誤魔化すように呟いた。

 

その光景に、オルガンティノが恐る恐る口を開く。

「では、ハヤテさんはカズマサさんの家臣なのですか?」

 

「違う。俺の主君は織田信奈様だ。こいつの家臣ではない」

刃は一切の迷いもなく即答した。

 

「はっちー、のぶなちゃんから姫に乗り換えて?」

「断る」

「つれないの〜♡」

 

一益は楽しげに唇を尖らせ、わざと大げさに肩を落としたかと思えば──すぐさまひらりと刃の膝に腰を下ろした。

 

「おい、なぜ膝に乗る? そして寄りかかるな」

刃の声は冷ややかだが、一益は全く気にしない。

 

「くすくす……姫を膝に乗せられるのじゃ。光栄と思わぬかえ? 天下無双の美少女を、膝に抱えているのじゃぞ?」

幼子のようにすり寄り、わざとらしく体重を預けながら上目遣いで見上げる。

 

「……はぁ、もう勝手にしろ」

刃は深いため息を吐きつつも、無意識に小さな頭に手を伸ばしていた。指先から伝わる温もりに、一益は「えへへ」とと子猫のように頬を紅潮させ、甘えるように胸に頬をすり寄せる。

 

「ところで、なぜ志摩に? 海外交易の拠点になっている九州や堺からはずいぶん遠い土地だが?」

刃が問いかけると、オルガンティノが真摯な眼差しで語り出した。

 

「ボクたちの船は当初、九州を目指していました。ところが途中で恐ろしい暴風雨に遭ってしまい、漂流して伊勢の海へと流されてきたのです。港では“鬼が現れた”と騒がれ、ボクたちは誤解のまま追い立てられるようにして、この無人島へ逃げ込むしかありませんでした」

 

その声は、懺悔にも似て深い響きを帯びていた。

「地元の海賊衆の方々は、甲冑姿のジョバンナを見て“黄金の鬼”と恐れ、こちらもまた海賊衆を“野蛮な賊徒”と恐れ……互いに怯え合ったまま、誤解が膨らんで対立してしまったのです」

オルガンティノは立ち上がり、海賊衆に向かって深々と頭を下げる。

「どうかお許しください。我々は土地を奪いに来たのではなく、ただ漂着した哀れな旅人なのです」

 

「くすっ。姫は怒ってないぞえ」

一益がくすくす笑いながら、刃の胸元に寄りかかったまま肩を揺らした。

「鬼ヶ島の鬼退治騒ぎ、けっこう面白かったからの〜。おかげで、はっしーの剣さばきも見られたしの♪」

 

「お前は楽しみすぎだ」

刃が呆れ気味に吐き捨てる。

 

「もしも種子島で銃撃戦を仕掛けられていたら、壮絶な玉砕戦になっていましたよ」

 

「伊勢の港で硝石まで奪われていたので、種子島を使えなかったのじゃ。くすくす」

一益が茶目っ気たっぷりに囁く。

 

「そんな幸運な偶然が……すべては神の思し召しだったのかもしれませんね!」

オルガンティノは胸の前で十字を切り、瞳を天に向けた。

 

「おお〜! 神様って本当にいるのか!?」

「姫さまが可愛すぎるから神も味方したんだわ!」

海賊衆がわいわいと騒ぎ立て、館は一気に縁日のような賑わいになった。

 

刃はそんな彼女らの喧騒を横目に、膝の上で甘え続ける一益の頭を再び撫でる。

その表情は無表情の仮面のようでありながら、どこか穏やかさが滲んでいた。

 

 

 

 

 

「さて、これで伊勢でやるべきことは終わった。あとは姫様の元に援軍として帰るだけだな。一益、今すぐ出発するぞ。あまり時間がない」

刃が立ち上がると、すぐさま一益が裾を掴み、ぷいと顔を背ける。

 

「ううむ……断れぬのはわかっておる……じゃが、姫は陸の上が苦手での。土埃で肌が荒れるし、あの重苦しい鎧武者どもを見ると気分が沈むのじゃ……」

「駄々をこねるな」

「だ、駄々などではないっ! そ、その……ジョバンナちゃんが一緒に行ってくれるのであれば、姫もいちど見てみたいのじゃ。南蛮の騎士と、日ノ本の騎馬武者……どちらが強いのかをの」

 

「……興味の持ち方が完全に子供のそれだな」

刃が額を押さえたところで、オルガンティノが柔らかく笑い、進み出る。

 

「これまでの非礼を詫びるためにも、ノブナさまへの援軍には加勢いたしましょう。ただし……本格的に戦えるのは騎士ジョバンナだけです。ボクは戦を禁じられた宣教師、他の皆さんも商人です。せいぜい船を操ってノブナさまの敵を海上から牽制する程度ですが……それでもよろしければ」

 

そう言ってオルガンティノは、刃の手をぎゅっと取った。白い歯を光らせながら、真っ直ぐな眼差しを送る。

「風の便りに、ノブナさまは宣教師の活動に寛大だとうかがっています。……ボクも都へ行ってみたいのです。この戦が終わりましたら、ぜひ」

「任せておけ。俺が案内役を務めるのは、おそらく無理だがな」

「それで十分です!」

 

ジョバンナがすっと立ち上がり、大剣を背に担ぎ直した。

「このたびも防衛戦なのだな。ワタシは食糧さえあるならば参戦しよう。ジパングのサムライと伍して戦い、この国の騎士として生きてみたいのだ」

 

「のぶなちゃんの性格上、籠城戦にはならぬし、だんごを食い放題じゃ♪」

と一益がくすくす笑うと、ジョバンナはきりりと口元を引き結び、静かにうなずいた。氷のような美貌に、確かな戦意が宿る。

 

「はっしー、南蛮騎士が団子で釣られてしまったぞえ」

「くだらん理由だが……まあ、やる気があるならそれでいい」

 

刃は視線を巡らせ、海を指さす。

「南蛮船がうろついているだけでも、甲斐の連中は震えあがるだろう。九鬼海賊衆と一緒に海を暴れまわれば、武田の急造水軍はそれ以上前進できないはずだ。問題は──陸戦だ。武田本隊との正面衝突になる」

 

刃の声音は冷たく研ぎ澄まされ、場の空気が一気に引き締まる。

 

「一益、ジョバンナ。気を引き締めろ」

 

「くすくす、わかっておるわ♪」

「うむ」

 

二人の少女──和の巫女姿の美幼女と、黄金に輝く西洋の少女騎士。

九鬼海賊衆の甲高い歓声と、南蛮船の帆が潮風を受けてはためく音に包まれながら、二人は同時にうなずいた。

 

伊勢志摩の海に、異国と日ノ本が手を携えて立ち上がる。

 

織田信奈──天下を夢見る一人の姫大名。

そのもとへと馳せ参じる、最強の剣士と、幼き巫女と、異国の騎士。

 

こうして刃は、織田信奈対武田信玄──

天下を賭けた最大の決戦に、間に合った。

 

 

 

 

 

 

日が暮れ、志摩イスパニア島の館は静寂に包まれていた。

月光が白銀の海を照らし、庭先には柔らかな潮風が吹き抜けていく。

 

刃はその風に髪をなびかせながら、じっと月を仰いでいた。

「(……甘い、か)」

昼間の戦闘。ジョバンナの大剣が振り下ろされ、一益が飛び込んできた瞬間──。

本来なら一益を片腕で軽く払い、鞘を振り抜き、ジョバンナを殺すことなど造作もなかった。

だが、自分は迷うことなく一益を抱き締め、後退していた。

 

「(爺ちゃんが見たら腰を抜かすだろうな。“本当に刃か?”なんて言う姿が目に浮かぶ)……随分と腑抜けたな、俺は」

 

「そんなことないのじゃ」

 

澄んだ声が背後から響いた。振り向くと、月明かりに照らされた小柄な影──巫女装束の滝川一益が、廊下を歩いて庭に出てきていた。

その頬はほんのり桜色に染まり、月光を受けた瞳はきらきらと輝いている。

 

「起きてたのか? 夜更かしは肌に悪いと聞く。綺麗な肌が荒れてしまうぞ?」

「くすくす……気遣ってくれるのかえ? やっぱり優しいの〜♪」

 

刃の目が細められる。

「……気遣いではない。戦場に立つ以上、肌荒れや体調不良で動きが鈍るなどあってはならん。これは忠告だ」

 

「ふふっ、それなら“綺麗な肌が”なんて言う必要はないんじゃがな?」

小悪魔めいた笑みを浮かべ、一益はひょいと庭石に腰を下ろす。

 

刃は短く吐息を漏らした。

「……なぜ出てきた?俺が庭にいたから、なんて理由ではないだろ」

 

「……そうじゃな。どうせくっきーが喋ったじゃろ、姫の他心通について」

「聞いたな。他人の額を触り質問すると、その質問に嘘をつけない、と」

「そうじゃ。じゃがな……無理やりに、他人の心の内を明かす力じゃからの。姫のほうも、無傷ではおられぬ」

 

一益は袖の中に小さな拳をぎゅっと握りしめ、刃から視線を逸らした。

「手のひらを押し当てて質問に答えさせる瞬間……その質問に反応した相手の心の動きが、記憶が、感情が……どばぁっと姫の心の中に流れ込んでくるのじゃ」

 

その声音には、普段の「くすくす」と笑う幼さはなく、震える少女の生々しい恐怖が滲んでいた。

 

(……なるほど。それが一益が自分の異能を恐れるもうひとつの理由か)

 

強引に喋らせることで隠された真実を知るだけではない。

付随する相手の記憶や感情までもが「見えて」しまう。

いや、「見える」というよりも、自らの五感で「体験」してしまう。

 

それが楽しい記憶や幸せな感情ならまだいい。

だが、痛ましい記憶、地獄のような感情が一気に流れ込んでくれば──幼い一益にとっては拷問にも等しい。

 

姫巫女の持つ力とはまた違う、より残酷で、ある意味ではより強い異能。

 

「……戦場に出れば、きっと、使わねばならぬ。それも、とても辛い場面で」

 

小さな声。

その言葉は月の下でかすかに震えて、潮騒に呑まれそうだった。

 

「使う必要などない」

 

刃の声音は、断固としていた。

「お前は笑っていろ。汚れ役は俺がやる。血を浴び、嘘を嗅ぎ分け、必要ならば何百でも斬る。お前が涙で潰れるくらいなら、そのすべてを俺が引き受ける。俺に出来るのは、そのくらいだけだからな」

 

そう言いながら、刃は一益の頭に大きな手を伸ばした。

銀髪の剣士の掌が、月光に照らされた幼い額と髪を、そっと包み込む。

 

 

 

 

 

 

一益は、刃の掌が自分の頭を撫でる感触をしばし噛みしめた。

月明かりの下で、その大きな掌の重さが、なぜか心地よくて、胸の奥まで温かさが沁み込んでいく。

 

(……やっぱり、はっしーは優しいの。今日一日、甘えたり抱きついたり、わがままを言ったりしてみた。口では冷たく“殺すぞ”とか言うくせに、本気で拒むことは一度もなかったのじゃ。突き放されるのを覚悟しておったのに……)

 

昨日、刃が言った言葉が蘇る。

『旧家臣団なんぞ刀を抜けば黙る。お前が無理をする価値はない』

 

その冷徹な断言は、同時に揺るぎない信頼の証だった。

 

(……言い換えれば――姫には、旧家臣団を全て斬り捨ててでも守る価値がある、と言ってくれたのじゃ。あの言葉、姫の胸に、まだ熱を残しておる)

 

一益はふと刃を見上げる。

銀髪の青年は、何気ない顔で月を仰いでいる。

(なんで甘えられているか分からん、という顔をしおって。……ほんとうに鈍いのじゃな)

 

胸がきゅっと締めつけられる。

(姫は嬉しかったのじゃぞ? のぶなちゃんでさえも、姫を信じてよいのか迷っている。けれど、はっしーだけは迷わなかった。斬り捨てるべきは旧臣、守るべきは姫――そうはっきり言ってくれた。それがどれほど心強いことか、はっしーは知らぬじゃろうな)

 

だが同時に、一益の胸には冷たい影が差す。

(……でも、はっしーはのぶなちゃんの懐刀。結局は、のぶなちゃんの隣に帰ってしまうのじゃ。姫の元には、残ってはくれぬじゃろうな)

 

その光景が脳裏に浮かんでしまう。

刃が、信奈を抱きしめ、甘やかし、笑わせている姿。

――自分には決して与えられぬもの。奪えぬもの。

 

(なら、せめて……今この瞬間くらいは)

 

一益は、震える足で立ち上がった。

月明かりに照らされたその小柄な姿は、威勢の良い海賊衆の頭領や、伊勢の国をまとめ上げた姫武将としての顔ではなかった。

ただ、不安に押し潰されそうな一人の少女。

 

「……はっしー」

声がかすれた。

 

刃がわずかに眉を寄せる。

「どうした?」

 

一益は息を呑み、そして精一杯の笑みを作ろうとした。

けれど、唇は震え、瞳にはもう涙がにじんでいた。

 

「……のぶなちゃんの元に、帰るまででいいんじゃ……姫の……懐刀になってくれんか?」

 

刃の瞳が細く揺れる。

(……一益、お前……)

 

「……」

一瞬の沈黙が、永遠のように重かった。

 

一益は苦笑するように肩を震わせた。

「くす……分かっておるのじゃ。はっしーはのぶなちゃん一筋。姫の頼みなど、軽く笑い飛ばすじゃろう。……でも、姫は……怖いんじゃ」

 

その声は小さく、震えていた。

「旧家臣団も、甲賀でも……みんな姫を疑い、怖がり、遠ざける。……はっしーを送ってきたのじゃ、のぶなちゃんですら……姫を疑っておる」

 

その瞬間、張り詰めていた心の堤防が決壊した。

「姫にはもう、居場所が……ないのかもしれん……っ」

 

小さな肩が、嗚咽で上下する。

「ダメじゃな、姫は。ちゃんとはっしーを勧誘するつもりじゃったのに、泣き落としみたいになってしまった……」

 

刃は迷わなかった。

無言のまま一益を抱き寄せ、その小さな背をしっかりと腕に包み込む。

 

「……姫様の元に帰るまでだぞ」

 

静かな声。

だが、その一言は一益の胸にどんな黄金の宝にも勝る救いを落とした。

 

「……っ」

一益の小さな指が、刃の着物の胸元をぎゅっと掴んだ。

離すまいとするように。

 

「本当に、いいのかえ?」

涙混じりの声で問いかける。

 

「今の俺は、姫様から懐刀の立場を剥奪された身だからな。怒られるかもしれんが、それは未来の俺に任せるとしよう」

 

「……はっしー……」

 

堪えていたものが溢れ、とうとう一益の瞳から涙が零れ落ちた。

しかしその涙は、孤独や恐怖の涙ではなかった。

頬を伝う滴は、ようやく見つけた拠り所への安堵と、救われた温もりの証。

刃は言葉もなく、その小さな背を撫で続ける。

大きな掌が、幼い肩を温めるたび、一益の心に重ねられていた鎧が一枚ずつ剥がれ落ちていくようだった。

 

やがて刃が小さく息を吐き、夜空を仰いだ。

「冷えてきたな、そろそろ戻るぞ」

 

「……最初の命令じゃ」

涙に濡れた頬に、ようやく微笑みを浮かべて一益は言った。

 

「姫を抱き上げたまま、部屋まで運ぶのじゃ♪」

 

刃は片眉を上げ、呆れ半分にため息をついた。

「はぁ……我儘な主だな」

 

しかし次の瞬間、一益の小さな体はふわりと宙に舞い、刃の腕の中に収まった。

お姫様抱っこ――その形は、彼女が望んだ「懐刀に甘やかされる姫」の象徴そのものだった。

 

「……えへへ」

一益は胸元に顔を埋め、嬉しそうに小さな溜息をもらした。

刃の心臓の鼓動が耳に響き、腕の中の温もりに身をゆだねると、孤独も不安もすべて溶けていくようだった。

 

その夜、滝川一益は――ほんのひとときでも、誰からも疑われぬ“天の白刃の姫”になることができた。

 

 

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