織田信奈の野望〜戦国に舞い降りし銀ノ刃〜   作:更新亀さん

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ヒロインどうしよ


織田家の騒がしい面々

尾張の本城、清洲城。織田信奈の本拠地である。

 

 正徳寺で斎藤道三との会見を果たし、信奈はようやく城に戻ってきた。

 しかしその帰り道――。

 

 「サル!あんた足の動きが遅いのよ! あたしの馬がぬかるみに入ったらどうすんの!?」

 「い、いや、それは道のせいであって俺のせいじゃ――」

 

 良晴は信奈の馬の轡を引かされ、道中ずっと罵詈雑言の雨に晒されていた。

 心中では三度(この場でこのバカ女をぬっ殺して下克上してやる……!)と決意しかけたが、そのたびに横を歩いている刃がじっと睨んでくるので、さすがの良晴も冷や汗を流すしかない。

 

「おい、良晴。今、ヤバいこと考えてただろ。目が完全に“企んでる顔”してたぞ」

 

「し、してねぇよ! ……っつーか、俺の心の声、読むなよ刃!」

 

「バレバレだっての。あと姫様に手出ししたら、マジで斬るからな」

(目がガチだ!)

 

 さらに追い討ちをかけるように、信奈がふと見せた子リスのような無防備な笑顔。

 それを見てしまうと、良晴の下克上計画はあっさりと溶けていく。

 

 (……まあ、いいか。許してやろう。べ、別にこの毒舌バカ姫に惚れてるわけじゃねぇし!)

 

 そんなこんなで、三人はようやく清洲城の門前にたどり着いた。

 

 「万千代、戻ったわよ! 今川との合戦は引き分けだったわ! ただの様子見だったらしいし、蝮とも意外と話が合ったわよ!」

 

 「お帰りなさいませ、姫、柴田どの。よくぞご無事で……七十点です。おや、その黒装束の少年と、銀髪の……これはまた目立つ方々ですね」

 

 信奈主従を出迎えたのは、姫武将・丹羽長秀こと万千代。信奈の小姓あがりであり、織田家内でも気配りの達人と評判の女性だった。

 

 「こいつは“どうぶつ”。行き場のないサルを拾ってあげたの。で、こっちは“刃”――わたしが直接勧誘して足軽になってもらったわ」

 

 信奈の紹介に、万千代は少し目を見開いて微笑んだ。

 

 「そうでしたか。姫は人間の殿方には厳しかったのに……これは意外です。サルには驚きませんが、刃どのは……九十点です」

 

 「そーだそーだ、驚かなくていいぞ……ってなんでサルは当然扱いなんだよ!? どうぶつじゃねー! 俺は人間だ! アイ・アム・ヒューマンビーイングゥ!」

 

 「人間は欲に塗れているけど、サルは単純でいいのよ。算術の能力は皆無だけど、押し出しだけはやたら強いの。蝮相手にもビビらなかったしね。そして刃の刀の腕前は尾張一。合戦では今川兵から、正徳寺では誰の差金かもわからない刺客からあたしを守ってくれたのよ」

 

 「……あれは当然のことです、姫様。俺は“姫様の剣”ですから」

 

 「刺客……というと、斎藤道三どのの差し金では?」

 

 「違うな。美濃の蝮と呼ばれる奴にしてはやり方が余りにもお粗末だ。それにあの時、道三も本気で驚いていた。誰の差し金かは不明だが」

 刃が静かにそう付け加えると、万千代は興味深そうに彼を見た。

 

 「なるほど。ただの青年ではないのですね。それに姫の命を二度も救われたと聞いては、満点を差し上げねばなりません」

 

 「刃どの"は"立派ですね……じゃあ俺は!? 俺も活躍しただろ!?」

 

 「サルどのには七十点です。割り引いたのは、会話に混ざる意味不明な言葉……『ヒューマンビーイング』? あれが原因です」

 

 「俺は人間だぁあああっ! どうぶつじゃねー!」

 

 「初めまして、丹羽長秀殿。天城刃と申します。そこで叫んでいるサル、相良良晴と同じく未来から来た人間で今は足軽です」

 

 「刃どの、丁寧なご挨拶ありがとうございます。未来から来たとは……ふふ、姫は面白い方々をお連れになりましたね。将来が楽しみです」

 (長秀さんって採点癖があるのか……妙な癖だな、やはり織田家の面々はみんな一癖あるのだろうか?)と良晴は思った。

 

 「サルの話は聞き流しておいて万千代。こいつ、興奮するとサル語を使うのよ。それじゃ重臣たちを集めて評定始めるわよ」

 

 「承知しました。では、またお会いしましょう、サルどの、刃どの。今後が楽しみです。ふふっ」

 

 「行くわよ、勝家! 今日はみそ焼きの気分なの!」

 

 「あっ、ちょっ、待って信奈ー!? 勝家も万千代も待ってくれよおおおっ!」

 

 信奈は長秀・勝家を従え、颯爽と城内へ入っていく。良晴と刃は取り残され、門前で肩を落とす。

 

 「……なあ刃、俺たちって同じ未来人だよな?」

 

 「そうだな」

 

 「なんでお前は評価されて、俺は“サル”なんだ……?」

 

 「さあな、欲望に忠実すぎるんじゃないか?」

 

 「ぐぬぬ……一言一言が痛ぇ……!っつか、おーい。閉め出されてしまった! 足軽として雇ってくれるんじゃなかったのかっ!? いやまあ、新入りの足軽が評定に出られるわけもないか……しかしこの先、無一文の俺にどうしろと? 住むところもお給金もないってのに?しょうがない。五右衛門に頼んで忍者の道にでも入門するか。忍者になれば」と良晴が頭を抱えていると。

 

「……野宿でもするか」

 

 と、自嘲気味に呟いたのは刃だった。すぐそばで壁にもたれかかりながら腕を組んでいる。

 

「お前、いちいち騒ぎすぎだろ」

 

「いや、だってよ、普通困るだろ!? この時代、セーフティネットなんてないんだぞ!?」

 

「そりゃそうだが、騒いでも飯も寝床も出てこんだろ」

 

「野宿で満足とか、戦国適応力高すぎだろお前……」

 

「そういうお前は、忍者になるとか言ってたな?」

 

「うるせぇ!」

 

「ふっ」

 

 刃がわずかに笑った、その時――

 

「……こっち、こっち」

 

 小姓の犬千代に制服の袖をひかれて、三の丸のほうへと引っ張られた。

 

「ん? なんだい?」

 

「正徳寺にいた姫様の小姓か」

 

「サルと刃に住み家を与えろ、と姫さまが仰せ」

 

「ほんとか? ありがたい! 腹はぺこぺこだし、あちこち傷だらけだしな!」

 

「たしかに、この時代にきてから何も食べてないな」

 

「……食べ物なら、たくさんある」

 

「信奈、やるじゃねえか……あんなに口が悪いくせに、意外と優しいところあるじゃないか」

 

 じぃんときながら、良晴はうるうると瞳をうるませた。

 

 その隣で、刃は静かに犬千代の後について歩く。

 

「良晴、次会ったらちゃんと礼は言っとけよ。姫様は口より行動の人だからな」

 

「へいへい。わかってるってば」

 

「……良晴は、めずらしい服を着ている」

 

「ああ、この学生服か? 俺の世界じゃ普通だぜ。つか、刃の格好が袴の方が俺は驚きだったぜ」

 

「……南蛮の人?」

 

「そうか?」

 

「いや。俺ら未来の日本から来たんだぞ? 誰が普段着で袴着るんだよ」

 

「……ほらふき?」

 

「違うっ! なんで誰も信じてくれねーんだっ? いや信じろってほうが無理かっ?」

 

「そりゃそうだろ。俺だって最初、自分で信じられなかったくらいだしな」

 

「……到着した」

 

 犬千代が指さした先には、雑然とした長屋町が広がっていた。

 

「うわっなんか貧乏臭っ?」

 

 良晴はたじろぐ。

 

 家と家の間には立派な垣根などなく、かわりにモミジのような草を這わせた生け垣があちこちを覆い尽くしていた。

 

「こ、これが武家の住むところなのか? もっと豪華な武家屋敷を想像していたぜ」

 

「下っ端がそんな暮らし出来るわけないだろ」

 

 刃が呆れたように言う。

 

「ここは、うこぎ長屋。下級武士が暮らしている」

 

「犬千代もか?」

 

「そう」

 

「おっぱいのでかい勝家は?」

 

「勝家は家老だから、立派なお屋敷を構えている」

 

「ふーん。まあいいや、食い物はたくさんあるんだよな? さっそく飯を食うぜ!」

 

「……この建物が良晴の住まい。隣同士」

 

「俺はどこだ?」

 

「……良晴と一緒」

 

「同室か……まあ、いいけど。いびきかいたらぶっ飛ばすからな」

 

「やめてくれ! 俺、繊細なんだよ!」

 

 刃は先に中へ入ると、古びた畳の上に正座し、軽く見回す。

 

「狭いけど、風は通るな。寝るだけなら上等だ」

 

「マジで野営前提思考だなお前!」

 

 良晴はその隣で畳にどっかりと座り込んだ。

 

「犬千代、それで、俺の食べ物は? 部屋の中、からっぽじゃないか」

 

 無言でついてきた犬千代が、襖を開いて庭を指さした。

 

「……庭にある」

 

「おう、庭に家庭菜園でも準備されてるのか?」

 

「……似たようなもの」

 

 庭に飛び出したが、これといって野菜は植えられていなかった。ましてや米などあるわけもなかった。

 

「どこだよ、どこに食い物が?」

 

「……これ」

 

 犬千代は、生け垣に茂っている葉っぱを「ぺりっ」とちぎってザルに集めはじめた。

 

「これは『うこぎ』の葉っぱ。ゆでるとおいしい」

 

「って、自分ちの生け垣を喰うのかよっ? イヤだああああ!」

 

「……おいしい」

 

「生け垣を喰っちまったら、隣の家が丸見えだろっ? プライバシーの侵害だろっ?」

 

「……? ……犬千代は平気」

 

「ああ、隣はこいつの家なんだっけ……」

 

「……騒ぐな良晴。食えるだけマシだ。贅沢言うな」

 

「刃まで冷たっ! お前ら鉄のメンタルかよ!」

 

 その間も、黙々と葉っぱを集めてくれている犬千代。無愛想だけど、もしかして親切者?

 

「俺の食い物なんだから、自分でちぎるよ」

 

「……そう。じゃあ、一緒に」

 

「お前も、葉っぱばっかり喰ってるのか? もっと栄養つけないと背が伸びないぜ」

 

「……むっ」

 

「そうか。勝家はご家老さまだから、うまいもん喰っておっぱいがばいんばいんのたゆんたゆんなんだろうな。なるほど」

 

「……胸なんて、飾り」

 

「おい、良晴。やめとけって」

 

 刃が顔をしかめたと同時に、犬千代が良晴の頬をぎゅーとつねった。

 

「ぎゃああああ!?」

相変わらず表情はないが、もしかして激怒させちゃったのかな、と良晴はちょっと後悔。

 

「悪かった。二度と胸の話はしねえ。飾りだ、ああ、飾りだとも」

「……言葉に誠意がない。良晴は、噓をついている」

「悪かった。噓だ。やっぱ、ばいんばいんのおっぱいが好きだ」

 

 再びぎゅー!

 

「いってええええええ!?」

 

「……自業自得だな。学習しろ、良晴」

 

「ぐうっ……戦国の女子は手が早え……!」

 

「……月末のお給金が出れば、お魚やお米を買える。刃は姫様の命を救ってるから、きっと沢山貰える。良晴もがんばってご奉公すればいい」

 

「お、おう」

 

「当然のことをしただけなんだがな」

 

「……根っこも掘る」

 

「ね、根っこ?」

 

「うこぎの根を煎じると、薬になる。精がつくし、町の商人に売ればお金になる」

 

「へええ、そんな裏技が……この子、戦国マスターか?」

 

「……まあ、武家の倹約術だな。無駄がない」

 

 刃が横からぽつりと口を挟む。座ったまま、集めた葉を丁寧により分けていた。

 

「お前、さっきからやけに手馴れてんな?」

 

「昔、寺にいた時期があってな。薬草の煎じ方とかは、少しは教わった」

 

「へえ、お前の過去ってけっこう謎だよな。忍者か?」

 

「違う。(古流剣術とか苦無、手裏剣、忍者刀も使えるけど)忍者じゃない。……たぶん」

 

「たぶんってなんだよ!」

 

 犬千代がお隣さんにいてくれれば、なんとか生活できそうかな、と良晴は一安心。

 右も左もわからない良晴や刃にとっては、あれこれ親切に教えてくれる犬千代は実に頼りになる存在だ。

 笑顔もないが、別に嫌がってるそぶりも見せないし。

 

(ありがてえ。こんな親切な同僚が隣にいてくれるなんて、俺はついているぜ)

 

 犬千代のおっぱいが薄い(っていうか、ほとんどない)という話は二度とするまい、と良晴は誓った。

 

「……葉っぱをゆでて、食べる」

 

 犬千代は草履を脱いで部屋に戻ると、鍋に水を入れてぐつぐつと煮始めた。

 

「お、おう! サンキューな! でもやっぱり飯が食べたいなあ……肉とか魚とか!」

 

「……産休? 犬千代は、まだ生娘。おぼこい」

 

「サンキューってのは南蛮の言葉で『かたじけない』って意味さ」

 

「南蛮……姫さまは南蛮の話が大好き。良晴も?」

 

「俺の世界では、日本人なら誰でも学校で南蛮語を勉強しているからな!」

 

「……ぺらぺら?」

 

 犬千代の瞳が、ちょっとだけうるんだように見えた。

 もしかして俺、期待されてるっ?

 

「ごめん。俺、実は英語は苦手なんだ! ぜ、ぜんぜん話せない……!」

 

 刃が口元を押さえて吹き出しかけた。

 

「自爆が早いな……見栄を張るタイミングくらい考えろ」

 

「う、うるさいっ!」

 

「……そう……」

 

 犬千代の無表情な顔のどこからか「がっかり」と言いたげなオーラを察知した良晴は、茶碗によそってもらったうこぎ汁を猛烈な勢いで食べてごまかした。

 

 がつがつがつっ。

 

「うめえ! うこぎの葉っぱの吸い物、なかなかいけるな!」

 

 刃も一口すすって、小さくうなずいた。

 

「本当だな、味気ないかと思っていたが、食べてみるとなかなか……。素朴で、温かい味だ」 

 

「……よかった」

 

「そういえばお互い、ちゃんと自己紹介してなかったな。俺は相良良晴。十七歳だ。生まれは……えーと、未来の日本。これだけは信じてもらえなくても言い続けるぜ!」

 

「……前田利家。あだ名は犬千代。十二歳。生まれは尾張。代々織田家に仕えている侍の家、前田家の当主」

 

 ぺこり、と犬千代が丁寧に頭を下げてお辞儀をした。

 

「天城刃、十八歳だ。生まれは良晴と同じく未来の日本」

 

「犬とサルか……あと、雉がいれば鬼退治ができるな」

 

「おい良晴。俺の方を見ながら言うな」

 

「だって半分人間辞めてるじゃん? 刀振って起こした風で空飛べそうだし」

 

「飛べん。そもそも風なんか起こしてない」

 

 良晴の軽口に対して、刃は眉一つ動かさず淡々と返す。

 

「えー? あのスピード、見た目は完全に忍者アニメのやつだぞ? “シュバァ!”って感じで」

 

「何だその擬音……お前の中の忍者像が心配だ」

 

 肩をすくめながらも、刃は微かに口元を緩める。

 

 良晴の軽口に対して、刃が淡々と返す。

 そのやり取りを聞いていた犬千代が、ふと真顔で呟いた。

 

「……刃、ずっと聞きたかったことがある」

 

 良晴と刃が同時に犬千代に視線を向ける。

 

「……ん? なんだよ急に?」

 

「……正徳寺のとき、あれだけ距離があったのに……二十メートル以上あった刺客との間を、一瞬で詰めていた。どうやった?」

 

 鍋の煮える音だけが、しばし沈黙を埋めた。

 

 刃は湯気の向こうに目を向けたまま、ゆっくりと口を開いた。

 

「――縮地(しゅくち)だ」

 

「はぁ!? 刃、お前、縮地使えんのかよ!?」

 

 良晴が思わず身を乗り出す。

 

「……良晴、知ってるの?」

 

 犬千代が不思議そうに首をかしげる。

 

「おう、アニメとかゲームでよく出てくるからな。武侠モノとかで“地面を一歩で十歩分進む”みたいなチート技!」

 

 良晴のテンションは妙に高い。戦国時代で本物を見た衝撃は大きいのだろう。

 

「……そういう娯楽で語られるほど、派手な技じゃないがな」

 

 刃は淡々と続ける。

 

「簡単に言えば、足さばきの極意だ。強靭な脚力と体幹、それに正確な重心移動が揃えば、初速から一気に最高速に達することができる。一瞬で間合いを詰めて、相手の反応すら許さない」

 

「それで刺客の間合いを一歩で消したのか。なんでお前リアルにファンタジーやってんだよ……!」

 

 犬千代の瞳が、僅かに鋭さを増す。

 

「だが、ただ速いだけじゃ駄目だ。視線、呼吸、空気の揺らぎ……すべてを制して“気配”ごと相手の裏をかく必要がある。常人の目には、あたかも地脈そのものを縮め、空間を飛び越えたように見える。だから“縮地”と呼ばれる」

 

「……なんか、すっげぇロマンあるな。ゲームの中だけの話だと思ってたのに……」

 

 良晴が感嘆のため息を漏らす。

 

「俺は、自分の剣を捧げるに値する姫様を守るために、見せただけだ。見せびらかすつもりは無い」

 

一拍、静寂が落ちる。

 

 淡々とした口ぶりながら、刃の声には迷いがなかった。

 誇りを語るのではなく、信念を語る声音だった。

 それきり、刃は黙って葉をより分ける作業に戻る。

 

 犬千代はそんな彼の背中を、まっすぐに見つめていた。

 

「……刃」

 

「ん?」

 

「――かっこよかった」

 

「……そうか」

 

 静かに返したその横顔は、いつも通り無表情――けれど、耳の先がほんの少しだけ赤いのを、良晴は見逃さなかった。

 

「おいおいおい、なにこの空気! なに!? 犬千代、ちょっとトキメいてなかった!? なあ、なあ、これ俺じゃなくて刃ルートじゃない!?」

 

「……騒がしい。黙ってうこぎを食え」

 

 刃が冷たく言い放つと同時に、良晴の頭にひとつ、うこぎの葉っぱを投げつけた。

 

「いてっ……葉っぱでこの破壊力!?」

 

「的が大きかったからな」

 

 うこぎ汁を食べ終えると、すぐにまた犬千代が「くいくい」と袖を引っ張ってきた。

 

「……食べたら、浅野さまのところへ挨拶にいく」

 

「浅野?」

 

「うこぎ長屋の主みたいな爺さま。長屋の侍の中では、いちばん偉い」

 

「おう、わかった」

 

「……めんどくさそうな空気を感じる」

 

 刃がぼそりと漏らしつつも、三人は揃って浅野家へ向かった。

 

 その家は、三人人の部屋のすぐ向かいに建っていた。いちばん偉いと言っても、屋敷は案外質素で、庭の植木も伸び放題だった。

 

 やがて、犬千代に導かれ屋敷に通されると、すぐに「浅野の爺さん」と対面できた。

 

 美濃の蝮のような脂ぎった男とは対照的に、こちらはすっかり枯れきった、いかにも昔気質の好々爺といった印象だった。

 

 ただ、目の焦点がどこか定まっておらず、妙に視線が泳いでいるのが少し不安だった。

 

「おうおう、信奈さま。すっかり大きくなられたのぉー」

 

「……違う。犬千代」

 

「おうおう、犬千代じゃったかのぉー。この前まではめんこい柴犬じゃったのに、すっかり人間に化けてしもうたのぉ」

 

「……元から人間」

 

「ワシもぼちぼち老い先長くないでのぉー。犬千代や、うちの孫娘のねねを嫁にしてはくれんかのぉ?」

 

「……無理。犬千代も、娘」

 

「そりゃ残念じゃー。おとといまで立派な男じゃったのにのぉー。よく庭で一緒に小便の飛ばしっこをして遊んでやったもんじゃ」

 

「……ひとちがい」

 

 犬千代の頰がぽっと赤くなった。さすがにはずかしくなったらしい。

 犬千代の表情が変わるなんて貴重なものを見た、と良晴は得した気分だった。

 

「なあ犬千代。この爺さん、ちょっともうろくしてねえ?」

 

「ちょっとどころの話じゃないだろ」

 

 すかさず刃が突っ込んだ。

 

「……気のせい。それと、ひとちがい」

 

 ぎゅー、ぎりぎりぎり。

 

「人違いはわかってるから、俺の臑をつねるな! 肉が削げる!」

 

「おうおう、そちらの男の子達はどなたかな? 犬千代の旦那さまかのぉ?」

 

「俺は相良良晴。今日から信奈の下で足軽をやることになった!」

 

「天城刃。良晴と同じで姫様の下で足軽をやることになった」

 

「おうおう。犬千代の旦那さま達なのじゃな~」

 

「……そう」

 

 こっくり、と犬千代が首を縦に振った。

 

「ああそうなんだ。俺と犬千代は夫婦に……って、違う違う! 犬千代? 否定しろよっ、うなずくなよっ」

 

「はぁ……」

 

「……冗談」

 

「ま、まあいいや。爺さん、俺と刃はまだぺーぺーの新人だからさ。嫁なんていねーよ。いずれは天下一の美少女を嫁に迎えたいとは思ってるけどさ! もちろん、おっぱいがばいんばいんでたゆんたゆんでGカップってのが理想だ!」

 

「俺を巻き込むな馬鹿タレ」

 

 刃が呆れた声で切り捨てると、浅野の爺さんが「はて、じぃかっぷ……とは何じゃな?」と首をひねった。

 

「説明すると長くなるから、聞き流してくれ! それに、胸の話をすると犬千代の目つきがなんか恐くなるんだ!」

 

「……殺気が出てるぞ。お前の命、あと三回くらいで終わるかもな」

 

「おうおう。威勢がよい若者じゃの。ねねがもう少し年を取っておれば、嫁にやりたいところじゃがのぉー」

 

「爺さん、その『ねね』って何歳なんだ? 十六歳以上なら俺はオーケーだぜ!」

 

「数えで、八つじゃ」

 

「ちくしょう! それは妹キャラだ!」

 

「……お前、真顔で言うな。今の完全にアウトな発言だぞ」

 

「ねねや、立ち聞きしとらんで入っておいで」

 

「おおっ、バレてた? さすがは爺さまですな!」

 

 勢いよく襖が開いて、噂の「ねね」が全速力で爺さんの膝元に駆け寄ってきた。

 

 数えで八つ=満七歳というが、この時代の子供は現代人と比べると小柄なせいだろうか、見た目にはほぼ幼稚園児だった。ただ、体は幼いが、目に力がある。なかなか勝ち気そうで、頭も良さそうだった。

 

 今はまだちんちくりんだが、将来はきりりと目元涼しい美少女に成長するに違いない。ガチロリ属性がある男なら、今すぐ「ねねたんハァハァ」と悶絶するだろう。

 

 ……良晴は十年後のねねの姿を妄想してちょっと幸せになった。

(俺のゴーストが囁くのさ! この子はいずれ、きっとブレザーとニーソックスが似合うタイプに化けると見た! うん? そういえばこの世界には女子高生も女子中学生もいないんだ。ということは、もうクラスメイトの女子の制服や体操服やスクール水着がおがめないのか? ああっやっぱり元の世界に帰りたい!)

 

 刃が心底ドン引きした顔で良晴を見た。

 

「今のお前の表情、俺が女だったら全力で距離を取るぞ」

 

「ち、違うんだ刃……今のは深い意味はなくてだな」

 

「いや、あっただろ。思いっきりあっただろ。むしろ意図が濃すぎて吐き気がした」

 

「この子がワシの孫娘のねねじゃ。なかなかのおりこうさんじゃぞ、おうおう」

 

「ねねにござる! サルどの! 刃どの! どうぞよろしゅう!」

 

 爺さんの膝の上にちょこんとお尻を下ろしたねねが、両手をばんざいしながら歓声を上げた。

 

「よろしくな」

 

 刃がやや微笑んで言うと、ねねはぱっと表情を明るくして手を振った。

 

「サルじゃねえ! 俺の名は、相良良晴! 十七歳!」

 

「信奈さまのサルが来た、と長屋中で評判ですぞ!」

 

「見てのとおり、立派な人間だ!」

 

「口ではなんとでもいえまする。このおりこうさんのねねが、人間かサルか試してあげますぞ!」

 

「おうっ? 幼女に挑まれた? なんでもドンと来い!」

 

「……お前、子どもに張り合うな。惨めになるだけだぞ」

 

「それではサルどの、鶴と亀の問題ですぞ。おじゃが池に、鶴と亀が合わせて八匹いますぞ! 八匹ぜんぶの足の合計は三十本ですぞ。さて、鶴と亀は何匹ずついるでしょうか、ですぞ!」

 

「わーははは! 偶然だな、その問題はさっき解いたばかりだ! 鶴がマイナス二羽、亀が十匹だ!」

 

「……またその答えかよ。お前、前世でも間違えたんじゃないか?」

 

米茄子(まいなす)とはなんですか、ですぞ! 正解は、鶴が一羽、亀が七匹ですぞ!」

 

「ギャ──────!? しまった、またしても同じ間違いをっ!? 本当に俺の知能はサル並みなのかっ?」

 

「……うん。疑う余地がないくらいにサルだな」

 

 ねねが「サルどのはやはりサルですな!」とうなずいたので、良晴は「ちょっとした間違い! もう一度だけ機会をくれ、俺が人間だと証明させてくれ!」とねねの小さな身体をむぎゅーと抱きあげて懇願した。

 

「ひ、人なつっこいサルどのですな〜(照)」

 

「……一桁の年齢は流石にアウトだ。おいロリコン」

 

「ち、違う! 俺は未来を見てるだけで――」

 

「……もっと悪い。未遂の予備軍だ」

 

「人類未満のケダモノのたぐいとは言え、ねねよりも年上ですから、これからは『サルさま』と呼ばせていただきますぞ!」

 

「……“さま”がついた分、むしろ屈辱的だな」

 

 刃がぽつりと呟いた。

 

「おうおう。ねねは礼儀も正しいのぅ」

 

 にこにこ笑う浅野の爺さんの横で、犬千代が同情の視線を良晴に向け、小声で尋ねてきた。

 

「……もしかして、ほんとうにサル?」

 

「ああ……もしかしたら俺って、ほんとうにサル並みの頭の持ち主だったのかもしれない……」

 

 良晴は目に涙を浮かべながら、うわごとのように答えるのが精一杯だった。

 

「サルさま! そのようなバカでは、信奈さまの家臣はつとまりませぬ! いずれサル鍋の具にされてしまいますぞ! 動物愛護の観点から、ねねが家庭教師になってあげてもよいですぞ!」

 

「う、うるせえ! どこの世界の男子高校生が、ぴかぴかの小学一年生に算数を教わるっていうんだよ?」

 

「小一に算数を教わる高ニか……終わってんな」

 

 刃が真顔で突っ込むと、良晴がうなだれた。

 

「こーこーせー? しょーがくいちねん? このサルさまは難解なサル語を使いますぞ、爺さま!」

 

「おうおう。良晴どのからサル語を教わるとよいぞぉ、ねね」

 

「おおー、サル語! それは、前人未踏の学問にございますな、爺さま!」

 

「俺はサル語なんか知らんっ! きぃいっ、こんなお子様にまでサル呼ばわりなんて、悔しいっ悔しすぎるうっ!」

 

 ぐっ、と良晴が拳を握りしめてうずくまったその時──

 

 ぽん、ぽん。

 

 犬千代がそっと肩を叩いて、優しく励ました。

 

「……浅野さまは商人の出、だから、ねねも算術が得意。知恵でかなわなくても、気にすること、ない。……信奈さまは商人でもサルでも差別せずに取り立ててくれる。がんばる」

 

「だから俺はサルじゃないってば! って、いいかげん同じツッコミ返すのも疲れてきた!」

 

「……本当にサルじゃないなら、まずその“学習能力ゼロ”をどうにかしろ。俺まで恥ずかしくなってくる」

 

 刃がため息まじりに呟きつつ、良晴の背中を無言で軽く叩く。

 

「……まあ、落ち込んでるヤツをいじるのもほどほどにしとけ、ねね」

 

「むぅーっ。サルさまの友達の刃どのまでサルに引きずられては困りますぞ!」

 

「心配無用。俺の知能は人間レベルだ。――少なくとも、となりのバカよりは」

 

「おいこら、フォローになってねぇよ! っていうか、地味に傷つくからやめろっての!」

 

「傷つく知能があるなら、まだ希望はある。……たぶんな」

 

「たぶんって言うなーっ!」

 

 子供と剣士とバカの三角関係(?)が成立しかけたそのとき、ねねがふと笑顔になった。

 

「でも、ねね……刃どののことは、好きですぞ!カッコいいですからな!」

 

「ありがとな」

 

 刃が口元だけで小さく笑ったのを見て、良晴が「なんでそっちは癒され展開なんだよ! 俺だけ動物扱いかよっ!」と叫んだ。

その時── 門の外側から、乱暴そうな若侍の怒鳴り声が聞こえてきた。

 

 

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