織田信奈の野望〜戦国に舞い降りし銀ノ刃〜   作:更新亀さん

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信勝、地雷を踏む

浅野の爺さんには、無理をさせるわけにいかない。足が悪いから、屋敷の中で待機してもらった。

代わりに、俺と良晴、それから犬千代とねねの四人で門の外へ出た。

 

そこには、やけに威勢のいい馬鹿どもが列をなしていた。

若侍どもが、ずらっと馬にまたがり浅野家を取り囲んでいる。いや、囲むというよりは見世物小屋でも覗く気分か。

 

「我らは、織田勘十郎信勝さまの家臣団よ!」

 

信勝──姫様の弟。顔を合わせるのは初めてだった。

 

「ああ、信奈の弟か」

 

良晴があっけらかんと応じると、向こうの侍どもがすかさず噛みついてきた。

 

「無礼者! この家に、うつけ姫が拾ってきたというサルがいると聞いた! 我らはうつけに飼われる世にもあわれなサルとやらを見物しに来たのよ!」

 

……なるほど、話には聞いていたが、実に安っぽい挑発だ。

 

「帰れよボケ」

 

俺はつい、口をついて出た言葉を吐いた。

 

「若殿! この礼儀知らずの足軽、いかがいたしましょう!」

 

白い馬からゆっくりと降りてきたのは、いかにも育ちの良さそうな少年だった。肌は白く、着物の質も良い。

顔立ちはたしかに美しい。だが、笑い方が気に食わなかった。

 

「あのうつけの姉上が動物を拾ってくるとはめずらしいのでね。ぼくも直接この目でサルとやらを拝んでみたくなったのさ」

 

取り巻きの侍どもが、笑いながら頷く。

 

くだらない。こいつら、主君の名前で好き勝手やってるだけじゃねえか。

 

「お前が信勝か?」

 

良晴が問いかけると、信勝は馬から降りて、露骨に良晴を睨みつけてきた。

 

「ぼ、ぼくを上から目線で見下ろすな! ぼくは尾張の大名・織田家の長男だぞっ! お前こそ誰だっ」

 

「おう。俺は相良良晴。信奈の直参、身分は足軽だ」

 

「なるほど、貴様がサルか。確かにおかしな格好をしている」

 

「頭のほうもサル並みですね若殿。礼儀がなってない」

 

取り巻きが、ここぞとばかりに笑う。

 

「その通りだな。あの姉上にはお似合いのサルだ」

 

「礼儀正しき若殿とは大違い。あんなうつけ娘が尾張の国主とは片腹痛いです」 

信勝の家臣たちが、声を揃えて嘲笑した。

 

──その瞬間。

 

「ちょっと待て! なんだとぉ!? もう一回、言ってみろ!」

 

普段はどれだけ「サル」呼ばわりされても気にしない良晴が、今だけは様子が違った。

 

信勝たちの言葉が「信奈を馬鹿にしている」と分かったとたん、心臓が怒りでどどどどどっと高鳴る。

 

そんなときだった。

 

「あ?」

 

背後から聞こえた低く冷えた声に、良晴の背筋が凍りついた。

 

刃だ。

 

(き、キレてる……!)

 

一瞬で空気が変わったのを、良晴は肌で感じ取った。

 

しかし当の信勝は、その殺気にまるで気づいていない。引くに引けなくなっているのか、それとも姉に対する反感がそれほど強いのか。

 

「ぼくの姉上は“うつけ”なんだよ、サルくん、足軽くん」

 

(やべぇ……これ以上、刃を煽ったらマジで洒落になんねぇぞ!何でコイツはよりによって一番ヤバいやつの地雷を踏むんだ!)

 

「尾張の偉いお坊ちゃまが、自分の姉を“うつけ”呼ばわりか? 礼儀を知らねぇのはお前のほうじゃねえのか?」

 

良晴が声を荒げると、信勝は大きく笑い声をあげた。

 

「はははははっ! 君は本当に何も知らないんだな、サルくん。父上の葬儀のとき、姉上はなんと、茶筅まげにわら縄を巻き、太刀を差して現れたんだ。そして、抹香をわしづかみにして、父上の仏前に投げつけた!」

 

「そりゃあもう、立派な大うつけですな!」

 

「どうしようもない、姫気取りの変わり者ですぞ!」

 

取り巻きどもが、ここぞとばかりに笑い声をあげる。

 

「姫様……」

 

「……あのバカ、なにやってんだよ……」

 

俺と良晴は、呆れと複雑な想いで顔を見合わせた。

 

たった一人の父親の葬儀だ。黙って涙を流せばよかっただけなのに。そういうところが、信奈の“かわいくなさ”なんだろう。

 

だけど、そんな彼女を見捨てない。支えようと思えるのは、あの不器用な強がりの奥に、まっすぐな心があるのを知っているからだ。

 

(……あいつを補佐するのは、並みの奴じゃ絶対につとまらねぇ)

 

今、この場で笑っている連中に、それが分かるはずもない。

 

くい、くい。

 

袖が引かれた。見ると、犬千代だった。

心配そうに、こちらを見上げている。

 

「……信勝さまは、何度も姫さまに謀反してる。これ以上、口論すると……斬られる」

 

ねねも良晴の腰にぎゅーっとしがみついていた。小さな手が、ぷるぷると震えている。

 

だが──

 

正徳寺で、信奈が仮面を脱ぎ捨てて語った言葉を、良晴は忘れられなかった。

 

その瞳の輝き、その声の強さ。

あの瞬間、うつけと呼ばれていた姫の中に、まぶしいほどの夢があった。

 

だからこそ──

 

目の前にいる弟に、その“熱”がまったく感じられなかったことが、どうにも我慢ならなかった。

 

顔は美形。利口なのだろう。だがそれだけ。

駄々をこねる子供のように、姉の成功が気に食わず、ただねたんでいるだけに見えた。

 

「姉上のあの“うつけ”姿を見て、ぼくはさすがに後悔したのさ。いくら父上の遺言とはいえ、あんな姉上に国を任せておけば尾張は滅びる。──このぼくが、家督を継ぐべきだったんだ」

 

良晴が反論しようとしたその瞬間だった。

 

「──お前なんぞに、尾張の国主がつとまるものか」

 

刃の声が、鋭く空気を裂いた。

 

信勝がびくりと肩を震わせ、刃を見る。

 

「信勝。お前は、姫様から尾張を奪ったとして……その先、どうするつもりだ?

この国をどう導き、どう変える? 野望は? 夢は?

『天下をこうしたい』『民をこう守りたい』──お前に、そんなものはあるのか? 言ってみろ」

 

鋭い視線が、まっすぐ信勝を貫く。だが、返答はない。

 

「あ……ああ……そ、その……」

信勝の視線が泳ぎ、口ごもる。

 

「……な、那古野名物のういろうを……宣伝して……全国区の食べ物に育ててみたい、かな?」

 

「……」

 

沈黙。重い空気。

 

刃は呆れたように鼻で笑った。

 

「ういろうか……それが、国を担う者の言葉か?」

 

良晴も我慢できず叫んだ。

 

「失格だ! せいぜい県知事クラスがいいとこだ!

どうせ何も考えちゃいねえくせに、偉そうに“家督”とか言うんじゃねぇ!」

 

「若殿! こやつら、無礼が過ぎます! このサル語を操る得体の知れぬ奴ら、今すぐ斬ってしまいましょうぞ!」

 

怒りに満ちた取り巻きの若侍たちが騒ぎ出す。

 

だが信勝も、さすがに武士の端くれ。

口論で完敗したまま、力ずくで押し切るのでは見苦しいと感じたのか──

 

「う〜ん……」と唸ったあと、不意に叫んだ。

 

「ぼ、ぼくが国主になった暁にはっ……ええと……尾張中から、かわいい女の子を集めて──」

 

「なんだとっ!? 俺さまと同じ野望を抱くとは……ますます許せねえなっ!」

 

「ち、違った! 今のは個人的な願望だっ!」

 

慌てて言い直す信勝。

 

「ええと、ぼ、ぼくが尾張をまとめた暁には!

東の今川義元を討ち、北は斎藤道三を討ち、海道一帯を織田家の領地にしてみせる!」

 

「はぁ!? 両方とも戦に強い大大名だぞ!? その両方を同時に敵に回して戦う!? そして勝つ!?」

 

「ほう、戦もしたことのないやつが、名うての大名を倒すか?」

 

刃が再び冷ややかな視線を家臣団に向けた。

誰一人、まともに目を合わせられない。

 

「で、できるとも……ぼ、ぼくにはできる! ぼくには何しろ、尾張一の猛将・柴田勝家がついているんだからなっ」

 

「で? 仮に勝家の活躍で勝てたとして──その後は?」

 

信勝の顔が引きつる。

 

「え、ええと……その先は、まだ……考えてない……けど……とりあえず、美濃と駿河からも、かわいい女の子を──」

 

「……」

 

刃の目が氷のように冷たく光った。

 

良晴は、もう結論を出していた。

 

「やっぱ、お前ダメ! 個人的には……まあ、気は合うけど、一般論的に言ってダメだわ!

お前なんかに戦国大名がつとまるなら、この俺にだってつとまるわ!」

 

「サ、サルと足軽ごときに……言い負かされるなんて……!」

 

「ぐぐぐぐ……!」

 

信勝とその家臣団がいっせいに肩を震わせ、顔を青くして言葉を失った。

 

「とにかく、ぼくの姉上は大うつけなんだっ!」

 

信勝が怒鳴るように叫んだ。

 

「尾張中の民が笑いものにしてるんだっ! 織田家の恥なんだっ! だからぼくたちの母上も、幼い頃から姉上を嫌って、相手にもしなかったんだ!」

 

「──なんだと?」

 

良晴が目を見開いた。同時に、刃の目もわずかに細められる。

 

(……姫様も、俺と似たような境遇だったのか)

 

信勝は構わず続けた。

 

「姉上は子供の頃から、うつけだったんだ。寺に通っても、じっと座っていられなくて暴れてばかり。礼儀作法もまったく身につけられなかった。

だから母上は、礼儀正しいこのぼくに家督を継がせたいと、昔から仰っていたんだ」

 

「ふん……」

 

刃が鼻を鳴らすように笑う。

 

「“礼儀正しい”だと? 家族を平気で貶めて、それが礼儀だってんなら、たいした道徳観だな」

 

「うるさいな! 亡き父上だけが姉上を甘やかしたのさ。『吉、お前は天才だ。誰に何を言われようとも、自分が信じることをやれ』……なんて、根拠もなく言ってさ」

 

良晴は言葉を失っていた

「実の母親が、昔から信奈をうとんじていた……のか」

 

「当然だろ? 乱暴でわがままで、南蛮人なんかと親しくして──天下がどうとか、種子島がどうとか、わけのわからないことばかり口にしてたんだ。

あんなの、母上から見れば恥そのものさ。今でも、母上はぼくの居城にいるんだよ? 姉上じゃなく、ぼくと共に、ね」

 

刃の目が鋭く光った。

 

「……いつの時代にもいるんだな。目先の“常識”と“体裁”だけで、自分の子すら見限る、救いようのない奴が」

 

「何だと!?」

 

「姫様は、誰よりも尾張の未来を考えてる。誰に笑われようと、信じた道を貫いてる。それがどれだけの覚悟か……お前には一生わかんねぇだろうな」

 

「はっ、覚悟だって? あの姉上のどこに覚悟があるって言うんだ!」

 

信勝は鼻を鳴らし、薄く笑った。

 

「きみたちは、姉上が父上の葬儀でどれだけ暴れたかを知らないから、そんなことが言えるんだ。

あの葬儀場での姉上の“うつけ”ぶりを見れば、どちらが尾張の主にふさわしいか、母上が誰を選んだか──納得できるよ」

 

「……」

 

「興味があるなら、教えてあげようか。その日のことを、全部──」

 

その目は、自信に満ちていた。姉を辱めることに一切のためらいもない。

だがその無神経さが、かえって刃の怒りに火をつけた。

「語るがいい。俺は聞いてやる。だが覚えておけ──その口で語るたび、お前の浅さと愚かさが露わになるだけだ」

刃の声は低く、冷たい。だが、明確な怒気を帯びていた。

 

(腑が煮え繰り返るとは、こういうことか──)

 

信勝の軽々しい口ぶりを聞きながら、俺は全身を駆け回る熱に焼かれていた。

あいつは、姫様のことを「恥だ」と言い切り、幼い頃からの家庭のゴタゴタを恥ずかしい願望や妄想交じりの噂話として並べ立てることでしか、自分の優位を示せないのか。

それだけでも腹立たしかった。

 

だが、それ以上に──。

 

(その時、姫様は……どれだけ苦しかったのだろうか)

 

仏前で、父の死に涙ひとつ見せず、凛と立ち続けた姫様。

誰にも縋らず、誰にも慰めを求めず、それでも気丈に振る舞おうとしていたあの姿が脳裏に浮かんできた。

 

(だと言うのにこいつは……実の弟であるにも関わらず……)

 

身内としての理解も、思いやりも、信奈の心に寄り添おうとする気配すらない信勝の脳天気ぶりが、ますます俺を苛立たせた。

 

そして──姫様の、あの寂しげな仏頂面が、ふっと浮かんできた。

 

気づいた時には、もう遅かった。

 

俺の拳は、信勝の顔面めがけて突き出されていた。

 

「どうだサルくん、足軽くん、わかっただろう? 織田家の家督を継ぐべきは、うつけの姉上ではなく、このぼく──ぎゃふううううっ?」

 

鋭い音と共に、信勝の身体がぐらりと揺れた。

 

どさっ──!

 

信勝の身体が、腰から崩れ落ちるように地面に座り込んだ。

静まり返った空気を、次の瞬間ざわりと突き破ったのは、見物人と家臣団のざわめきだった。

 

「あの足軽……信勝さまを、殴ったぞ……!」

 

誰かがそう叫ぶと同時に、侍たちが一斉に腰に手をやった。刀を抜くべきか、どうするべきか、一瞬にして殺気が場を支配する。

 

──だが、それを圧倒的な殺気で塗りつぶしたのは、刃だった。

 

「もういい──その汚い口を閉じろ」

 

低く、冷えきった声。

空気そのものが凍りついたような静寂が広がる。

殺意が、可視化されたかのように刃の周囲に漂い、家臣たちすら声を上げられない。

 

良晴は、そのただならぬ気配に慌ててねねの頭を抱き寄せた。ねねは腰にぎゅーっとしがみついて、小さく震えている。

 

(ヤベえ……今のあいつ、本気で斬る気だ。信勝の首が飛ぶぞ……!)

 

良晴は刃の暴走を止めるため、必死に頭を回転させる。

そして、可能な限り格好つけた声でつぶやいた。

 

「犬千代、信奈を呼んできてくれ。早く」

 

「……分かった」

小さく頷き、犬千代は駆け出していく。

 

刃は信勝にゆっくりと近づき、その目を真っ直ぐに射抜いた。

 

「姫様の弟という立場に免じて、一太刀で首を」

 

言葉の続きを、誰も聞けなかった。

なぜなら、その瞬間、信勝が絶叫したからだ。

 

「ああああっ! ぼくの、ぼくの美しい唇がっ! 血が……血が出てるぅぅぅぅっ! か、勝家ぇぇぇぇぇえええええええ!」

 

情けない泣き声が、しらけた空気を引き裂く。

 

そして──。

 

「……とんでもない真似をしてくれたな、刃」

 

困ったようにため息をつきながら、見物人たちの間を割って響いた。

 

柴田勝家が現れた。

 

その手には、すでに腰の刀が握られている。

その姿は、まさに尾張最強の猛将と呼ばれるにふさわしい威圧感に満ちていた。

 

「俺とやる気か?柴田勝家」

 

刃は一歩、静かに前に出た。

その目はまっすぐに勝家を捉え、ほんのわずかに口元を吊り上げる。

だがその笑みには、挑発も嘲りもなかった。ただ、静かに、確かな戦意だけが宿っている。

 

「……おいおい……マジかよ……」

良晴は冷や汗を浮かべながら、震えるねねの背中を「大丈夫、大丈夫」と撫でつつ、内心では必死に祈っていた。

(早く来てくれ、信奈! こいつら、本気で斬り合う気だ!)

 

「信奈さまには貴様らを斬るなと命じられていたが……」

勝家が、静かに刀を構える。

その重みのある声は、場の空気をさらに圧迫するようだった。

「──我が主君へのこの仕打ち、今度ばかりは……見逃せないぞ」

 

その言葉に、刃の目が細められる。

 

「見逃せない、だと?」

 

ひと呼吸、間を置いて、刃はまるで呆れるように鼻で笑った。

 

「それは……俺のセリフだ」

 

刀の柄に添えた手に、わずかに力がこもる。

 

「姫様へのたび重なる侮辱、弟の分際で“うつけ”呼ばわりを繰り返し、挙げ句には愚にもつかねえ妄言を垂れ流す……。知らなかったでは、通らねえぞ、勝家」

 

「ふん……足軽風情が、随分と吠える」

 

「足軽かどうかは関係ねえ。主君を守るのに、身分も家柄も必要ない──必要なのは、覚悟だけだ」

 

一瞬、刃と勝家の視線が激しくぶつかり合う。

その場の空気が張り詰め、誰もが息を呑む中で──

 

「な、なんか……空気が怖い……サルさまぁ……」

ねねが小さくすすり泣きながら、良晴の袖をぎゅっと掴む。

 

「……ああ、俺だって怖えよ……けど、あいつらを止められるのは……」

 

良晴の視線が、遠くへ向かう。

(信奈……お前しかいない。早く──来てくれ!)

 

 

ガキン──! ガキンッ!! ガガガン!!!

 

空気を震わせる轟音が、清洲城下の広場を支配していた。

鋼と鋼が火花を散らし、ぶつかるたびに観衆が思わず身をすくめる。

 

──戦っているのは、二人の怪物。

 

片や、織田家随一の猛将・柴田勝家。

女とは思えぬ程に刀を軽々と振るい、その一撃一撃はまるで雷鳴のよう。重く、速く、そして苛烈。

誰もが恐れ慄く「鬼柴田」の名にふさわしく、容赦など欠片もない剛の武。

 

そして──それを一歩も退かず受け止めているのは、名もなき足軽、天城刃。

 

だが、その銀髪の剣士は尋常ではなかった。

勝家の豪撃を紙一重で捌き、鋭く、しなやかに刃を操る。

その動きはまるで獣じみた勘と、静かに研ぎ澄まされた殺意の塊。

 

斬っては受け、受けては返し、二人の剣は何度もぶつかり、火花と衝撃を撒き散らしていた。

 

剛の柴田勝家。技の天城刃。

それぞれ一歩も引かぬまま、鋼の意志と気迫がぶつかり合っていた。

 

だが、その均衡が──音を立てて崩れる。

 

「ハアッ!!」

 

勝家が吠えた。その声は野獣の咆哮にも似ていた。

怒号とともに、勝家が地を蹴る。

女とは思えぬ鋭い踏み込み。踏み割るような重さと切り裂くような速さを併せ持った斬撃が、閃光のように刃の頭上へと振り下ろされる。

 

「──遅ぇよ」

 

それに応じるのは、氷のような冷静さだった。

 

刃はわずかに口元を吊り上げ、体を微かに傾けて間合いを潰す。

白銀の刀身が音もなく抜かれ、鋭い一閃が勝家の刃を迎え撃った──

 

ガキィィィィンッ!!

 

耳をつんざく激突音。

瞬間、空気そのものが震えた。

衝撃波が炸裂し、砂埃と落ち葉を巻き上げる。

観衆は思わず顔を背け、後退った。

 

二振りの刀が、鍔を打ち合ったまま押し合う。

勝家の剛力が刃を押し崩そうとするが──刃はまるで地面に根を張ったかのように、寸分も退かない。

 

「……ほぉ、これを受け止めるか。なら、次は──」

 

「何喋ってんだ? 胴がガラ空きだぞ」

 

ふっと、その隙を突くように刃がつぶやいた。

 

勝家の目が一瞬だけ見開かれる。

 

……そのときにはもう、遅かった。

 

刃の左手が、無駄のない動きで勝家の腹部へと伸び──ぴたりと添えられた。

 

「──ッ!?」

 

一瞬の静寂。

そして──爆発するような破裂音。

 

ズンッ──!!!

 

雷鳴のような衝撃音が、大地を震わせた。

まるで大砲を至近距離から撃ち込まれたかのように、勝家の体が垂直に弾け飛ぶ。その瞬間、地面には深く踏みしめた勝家の足跡が残され、そこから爆風のように砂塵が巻き上がった。

 

「──ッ!? が……はっ!」

 

口から息が漏れ、勝家の全身が宙に浮く。甲冑ごと内側からえぐり出されるような痛みに、勝家の顔が苦悶に歪んだ。

 

それはただの掌打ではない──“打ち抜く”ための技だった。

天城刃が放ったのは、呼吸、体重、足裏の踏み込み、全てを一瞬で一点に集約する体術──発勁。

 

外見上はただ軽く押したように見えるその動きの中に、殺傷すら可能な破壊力が込められていた。

地面に叩きつけられたその瞬間、周囲の誰もが息を飲み、言葉を失った。

 

重く、鋭く、そして容赦のない一撃。

 

あの“鬼柴田”が、真正面からの一撃で、これほどまでに沈んだ。

 

「……もう終わりか?」

 

静かな声が、戦場のような沈黙を貫いた。

刃はその場から一歩も動かず、勝家を冷たく見下ろしていた。

 

その視線には、侮蔑も憐憫もなかった。

勝家の顔が、微かに引きつる。

怒りか、悔しさか、それとも──恐怖か。

 

それでも勝家は、刀を支えにして立ち上がる。

 

「いい根性だ。だが──次は、倒れるだけじゃ済まねえぞ。柴田勝家」

 

刃の刀が、静かに、だが確実に構え直された。

まるで──死神が振りかざす鎌。

 

夕陽を受けた白刃が、ほんのわずかに光を返す。だがその輝きには、神聖さも栄光もなかった。

あるのはただ、無機質な“死”の予感だけ。

 

ズ……ッと、地面が鳴る。

刃が一歩、勝家に向かって踏み出した瞬間──

 

ゾクリ、と。

 

誰もが、背筋を冷たい刃物でなぞられたような感覚に襲われた。

空気が重く、粘つき、まるで時間そのものが鈍くなる。

 

その場にいたすべての人間が思った。

ああ、殺される。あのままでは、柴田勝家が……死ぬ。

 

誰も腰に手をかけることもできなかった。

見物人たちは声すら出せず、ただ呆然とその光景に立ち尽くす。

 

そして、刃の眼が細められる。

獲物を仕留める寸前の、それだった。

 

まさに──死の一秒手前。

 

「やめろ、刃!!」

 

乾いた声が響いた。

誰よりも早く、良晴が勝家と刃の間に飛び出してきたのだ。

 

「どけ、良晴」

 

刃は静かに告げた。構えたままの刀の切先が、わずかに揺れる。眉間に浮かぶ皺は、ほんの少しだけ迷いを帯びていた。

だが良晴は震える足を無理やり止め、両手を広げて立ちはだかる。

 

「やめろって言ってんだよ! これ以上やったら……取り返しがつかなくなる!」(俺に刃が止められるか?いや、出来るできないじゃねぇ。やるしかねぇんだ!)

 

「少し眠ってもらうだけだ」

 

刃は淡々と答えた。だがその声音には、ただの冷徹ではなく、抑え込んだ感情の揺らぎが確かにあった。

 

「眠らせる? 本気で言ってんのかよ……そのまま叩き斬るつもりだろ!? お前の“少し”は、命に関わるんだよ!!」

 

良晴の声が一段高くなる。

 

「俺だって、信勝の言ったこと、全部許せるわけじゃない……だけど勝家まで斬ったら、お前は“信奈のため”に動いたんじゃなくて、“自分の怒り”のために刃を振るったことになる!」

 

その言葉に、刃の目が一瞬だけ揺れた。

 

良晴はその隙を逃さず、さらに踏み込む。

 

「それに……勝家のこと、信奈は大事に思ってるだろ!」

 

その一言に、刃のまなざしが、ほんのわずか鋭さを失った。

 

「信奈にとって、勝家はただの家臣じゃない。昔からそばにいて、信奈を支えてきた……仲間だ。お前が斬れば、信奈が……姫様が、悲しむんじゃないのか!」

 

声が震えていた。

怒りでも、恐怖でもなく──信奈を想う気持ちから来る震えだった。

 

「お前だって、分かってるはずだ。信奈がどれだけあいつを信じてるか……どれだけ、信じられる人間を失うことを恐れてるか……!」

 

一瞬、刃の視線がわずかに俯いた。刀を握る指先に、迷いが走る。

 

良晴は、その沈黙に希望を見出したように、さらに言葉を重ねた。

 

「お前は、信奈を守りたいんだろ? だったら……そのお前が信奈の“心”まで傷つけるような真似は、すんなよ……!」

 

張り詰めていた空気が、ひと呼吸ぶん、和らいだ気がした。

 

そして──

 

「……そうだな」

 

刃の唇が、静かに動いた。

 

「……俺がここで勝家を斬れば、姫様は……俺を斬るだろうな」

 

苦笑にも似た吐息とともに、刃はゆっくりと刀を引いた。

 

「──引くよ、良晴。お前の言う通りだ」

 

刃は刀を鞘に収めると、視線を外すように勝家から目を逸らし、静かに一歩下がった。

 

良晴は深く息を吐き、心の底からの安堵を覚えた。その場にへたり込みそうになる足をなんとかこらえ、深く長く息を吐き出した。

 

(……なんとかなった。ほんと、もう勘弁してくれよ)

 

すると、勝家が口元の血をぬぐいながら良晴の方を見た。

 

「さ、サル。その、庇ってくれて感謝する」

 

普段の堂々とした声音とは違い、どこか照れくさそうで、恥じらいの混じった低い声だった。

 

彼女なりに、精一杯の素直な言葉だった。

 

その様子に、良晴は思わずふっと笑ってしまう。

 

「おいおい……そんな顔して言われたら、逆に照れるじゃねーか」

 

気まずさを誤魔化すように後頭部をかきながら、良晴は優しく言った。

 

「でも……ありがとな。お前が刃に殺されなくて、本当に良かったよ」

 

「ッ……!?」

 

その一言が、勝家の胸に強く響いた。

先ほどまでの怒気も緊張も、刃との真剣勝負さえも、まるで遠い出来事のように思えるほどに。

ぽかんと良晴を見つめたまま、勝家は言葉を失った。

 

(……な、なんだ? 今の言葉……どうしてこんなに、心臓が、うるさい?)

 

胸の奥が、じわりと熱くなる。

 

この男は、危険を承知で自分のために飛び出してきた。

刀の前に立つという無謀な行為をしてまで、助けてくれた。

そして今も、気安く笑いながら、本気で自分を心配している。

 

(馬鹿だ……本当に、馬鹿な男だ……)

 

けれど──だからこそ、たまらなく胸を締めつける。

 

頬に再び赤みが差し、勝家は思わずそっぽを向いた。

 

「……そ、そのくらい、当たり前だ。お前が無事だったことの方が……貴重なんだからな」

 

言葉とは裏腹に、その声はどこか優しく、柔らかかった。

 

良晴は「ん?」と首をかしげたが、勝家の顔が真っ赤なのに気づいて、何かを察してにやっと笑った。

 

(……なんか、変なスイッチ押しちまったか?)

 

それでも、彼女の視線にこもるものが、先ほどまでとは違うことだけは、確かに感じ取れていた──。

 

 




勝家は良晴のヒロインにします

刃をハーレムにするか

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