砂埃がまだ宙を漂うなか、鋼の余韻だけが耳に残っていた。
刃の刀は、すでに鞘に納められている。勝家は片膝をついたまま、呼吸を整えていた。
緊張の糸がわずかに緩んだそのとき──
「何をやってるのよ、あんたたち!!」
雷鳴のような声が響き渡った。
全員がそちらを振り向く。
そこには、鬼のような形相で睨みを利かせた信奈の姿があった。
地面に残る斬撃の跡、飛び散った砂、立ち込める緊張──そのすべてが事実を物語っていた。
「で? 何? あんたたちは城下のど真ん中で、なんで刀を抜いてるのよ!? 見物人だっていたんだからね!? バカなの!?」
怒気をはらんだ信奈の一喝に、誰もが言葉を失う。
だが次の瞬間──
「こ、この足軽がいきなり僕を殴ったんだ!! だから、勝家に討たせようと……!」
震える声で叫んだのは、信勝だった。
後ろへ一歩退きながら、刃を指さし必死に言い訳を繰り出す。
しかしその横から、ぴしゃりと遮るように声が飛んだ。
「お前が先に信奈を馬鹿にしたんじゃねぇか!」
良晴だった。勝家の側に立ち、眉をひそめて信勝をにらみ返す。
「ふーん、本当なの?」
信奈は刃に視線を向け真偽を問う。
「事実です。姫様のことを"うつけ"などと呼ぶだけに飽き足らず、姫様の父君の葬儀での聞くに耐えない妄想話に怒りを抑えきれませんでした」
砂の上に頭を垂れるその姿に、一点の迷いもなかった。
「……勝家殿との斬り合いに私情を交えてしまったのは事実。罰はいかようにもお受けします」
風が吹き抜ける。だが良晴か口をはさむ
「信奈!刃はお前のために怒ったんだ。だから、あんまり重い罰は」
信奈はしばらくの沈黙ののち、ふっと一つ息をついた。
そして、小さく、だがよく通る声で――
「……どっちが勝ったの?」
その場にいた全員が、きょとんとした。
まさか、そんな言葉が最初に返ってくるとは思わなかったのだ。
だが刃は、顔を上げぬまま、静かに答える。
「……私です。勝家殿の剛剣をいなし、打ち倒しました」
一拍置いて、静かに付け加える。
「手加減もしましたので、傷などは一切残りません。そこは安心していただいて構いません、姫様」
その語り口に、虚勢や言い訳は一切なかった。ただ、静かに、真っすぐに事実だけを伝えていた。
凍てつくような空気の中で、その誠実な声音が、かえって鋭く、心に響く。
その場にいた誰もが言葉を失う中、信奈はじっと刃を見下ろし――やがて、ゆっくりと目を細めた。
「……手加減してなお、六に勝った、ってわけね。ふふっ、さすがね、刃」
目を細めたその声には、静かな驚きとほんのりした誇らしさが滲んでいた。
そして──
「……でもまあ、勝家と真剣で斬り合ったのは事実よね。うちの城下で、しかも堂々と。だから、罰は……そうね」
信奈はゆっくりと歩み寄り、刃の前に立つと、すっと人差し指を立てた。
「今月と来月の給金、なし。以上っ!」
ぱん、と指を鳴らすような勢いで宣言する。
刃は一瞬だけ沈黙したが──
「……了解しました」
潔く、そして淡々と頭を下げた。
勝家の顔に悔しさが浮かんでいる。
それをちらりと見やりながら、信奈は軽くため息をついた。
「でも次からは、いくら正当な理由があっても、街中で刀を抜くのは無し。わかったわね?」
「……はい。以後、気をつけます」
刃は深く頭を下げた。
その姿に、信奈はわずかに口元をほころばせる。
「デアルカ」
信奈の言葉とともに、場の空気がふっと和らいだ。
その時、地面に投げ出されたまま放置されていた信勝が、砂を払いつつ、みっともなく泣き声をあげた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよっ……! あ、姉上!? ぼ、ぼくを殴ったこの凶暴な足軽を……見逃すっていうのかっ!?」
その声に信奈は一瞥をくれ、冷ややかに答える。
「ええ、そうよ」
「な、何故ですか!? 納得できないっ! 打首にすべきだ! そうだろ、勝家!」
突然話を振られた勝家は、ぴくりと肩をすくめ、苦い顔で視線をそらした。
「え、えーと……信勝さま。信勝さまも何度も姫さまへのご謀反を企みましたが、そのたびに命を許されています。ここは、借りをひとつ返すということで」
「な、正当な織田家の嫡流たるぼくと、この……足軽を一緒にするつもりかっ!?なら追放だっ! この足軽を織田から叩き出してやれっ!それで対等になるだろっ!」
その叫びに、信奈の表情がピクリと歪む。肩越しに振り返り、眉をひそめながら言い放った。
「……あんた、馬鹿なの?」
「え……?」
「刃を追放してどうすんのよ。あの強さと忠義心を、今川義元や武田信玄、上杉謙信にでも持っていかれたら、尾張なんて一発で潰されるわよ。六でも止められなかったじゃない」
「な、なら……っ、ならせめて……」
信勝がまだ何かを口にしようとしたその時、勝家が申し訳なさそうに割って入った。
「ひ、ひとまず、帰りましょう。今川家が上洛を目指して尾張に侵攻しようとしているという噂もありますし、えーと」
今川家が攻めてくるかもしれない──そう言われてしまえば、信勝とてそれ以上の無理強いはできなかった。
そもそも「海道一の弓取り」と謳われる今川義元と正面から戦って勝てるなどと、信勝自身、これっぽっちも思っていない。
彼の脳内にある“対今川戦略”といえば、せいぜい「勝家がなんとかしてくれるだろう」──その程度の、他力本願なものだった。
取り巻きとして背後に控える若侍たちもまた、同じだった。
誰ひとりとして勝家に楯突く度胸などなく、まして刃のような無名の足軽と一騎打ちして敗れたとなれば、なおさらだ。
彼らは知っているのだ──束になってかかっても勝家に勝てないということを。
そんな空気に押されて、信勝は砂埃の舞う地面の上でなおもふらつきながら、精一杯の負け惜しみを叫んだ。
「う、うぐ……っ。お、お前っ! きょ、今日のところは勝家に免じて、これで勘弁してやる! だ、だがなっ……っ!」
刃を指さすその指先は震え、怒鳴り声は涙声に近かった。
「い、今に吠え面かかせてやるからな! 覚えておけっ! い、いいか!? ぼ、ぼくは……父上にも、殴られたことがなかったんだぞぉ!!」
……だが、誰もそのセリフには突っ込まなかった。
あまりに往年のテンプレすぎて、哀れみすら通り越していたのだ。
信奈は完全に無視して踵を返し、刃も表情ひとつ変えぬまま、ただ静かに信勝の方を一瞥しただけだった。
その視線にすら気づかぬまま、信勝は空回りのまま勝家に縋るように言った。
「か、勝家っ……っ。つ、次は必ず、仕返しするからなあっ!」
「はいはい、信勝さま。ひとまず、今日はご自宅でご静養を……」
勝家は疲れ切った顔で信勝をうながし、その背を小さくため息まじりに見送った。
残された空気には、砂と剣の匂い、そして一抹の気まずさだけが、まだ漂っていた。
良晴と刃が清洲城のうこぎ長屋に暮らすようになって、一週間が経った。
時間は、まさに矢のように過ぎ去っていった。
相変わらず信勝一派にはからかわれるが──刃の鋭い眼光を一瞥しただけで、あっという間にそそくさと退散していくようになった。もはや、ちょっかいを出す度胸が残っていないらしい。
一方、ねねからは毎日のように「これ、分かりますか?」と現代人すら悩むような算術問題を繰り出され、良晴は涙目で悪戦苦闘。
「くそっ、俺は人間だ! 数字なんかに屈してたまるかァ!」
そんな謎の自己主張をしながら必死で暗算している姿に、刃は心底呆れ顔を見せつつ、時折小さく笑っていた。
さらに事件は続く。犬千代の家との間に生い茂っていたうこぎの生け垣が、ある日突然、半分ほど枯れて消滅。結果、隣家の生活がほぼ丸見えになってしまうというプチハプニングが発生。
「丸見えじゃねーか! プライバシーどこ行った!?」
「……俺は気にしないけどな」
「いや、気にしろよ刃!」
そんな中でも、合戦に備えて武具を揃えねばと決意した二人は、うこぎの根っこを引き抜いては城下町で売り、わずかな銭をかき集める日々を送る。
「まさか、木の根っこで兜が買えるとはな……」
「中古だし、ボコボコだけどな」
「でもまあ、俺の命を守ってくれるなら御の字だろ」
そうして日々を走り回り、家に戻って一息つけば、浅野のじいさんが突然現れては、長い白髪を揺らしながらこう言うのだった。
「ぬぅ……退屈じゃ。槍の稽古でもつけて進ぜよう!」
地味にキツい鍛錬が始まるが、刃に頼むと命がいくつあっても足りなさそうなので、良晴は文句も言わずじいさんの下で槍術を学び始める。
こうして、ホームシックにかかっている暇すらない、怒涛の一週間が過ぎた。
──朝焼けの光が差し込む、うこぎ長屋。良晴と刃の枕元に犬千代が現れて、
「……姫さまがお呼び」 と一言、ぽつりとつぶやいてくれた。
「うおおおおっ!」
ぺらっぺらのせんべい布団を、良晴が勢いよく蹴り飛ばして跳ね起きた。
ボフッ。
跳ね飛ばされた布団が、ちょうど隣で静かに目を覚まそうとしていた刃の顔面に直撃する。
「…………」
無言で布団を顔からはがし、寝ぼけまなこをしたまま良晴をじとっと睨む刃。
しかし、当の本人はまったく気づかず、そのまま勢いよく犬千代に声をかけた。
「待ってたぜ! ついに合戦か!? 俺の出番、キターッ!」
犬千代は無言でため息をつき、小さくかぶりを振る。
「……今は、合戦の準備中。今日は“仕事”」
「来たか、初仕事! よーし任せろ! 敵将の調略か? 足軽隊の練度向上? あるいは……まさか、極秘裏の種子島調達任務!? これは歴史が動くぜ!」
矢継ぎ早に妄想をぶち上げる良晴を、犬千代は静かに睨む。
「……来れば、わかる」
「えっ、来ればって……ヒントすらない感じ!?」
その時――
ぴたり、と背中に冷たい殺気が走った。
ようやく、布団をぶつけられた刃の存在に気づく。
「……お、おはよう、刃。朝から気合入ってるな!」
「……朝っぱらから大声で叫ばれ、寝起きの顔面に布団ぶつけられる。気合が入らない方が不思議だろ?」
低く静かな声で呟き、拳をゆっくり握る刃。
「だが……姫様からの呼び出しだ。今回は、拳骨一発でチャラにしてやる」
「ちょ、やめろッ! それはマジで洒落にならんからああああ!」
良晴が情けない悲鳴を上げる中、犬千代はそっと部屋の戸を開け放った。
「……早く行かないと、また姫さまに怒鳴られる」
そして三人は、慌ただしく清洲城へと向かっていくのだった。
浅野の爺さんからもらった、いかにも足軽侍らしい古びた胴着に袖を通した良晴と、戦国時代に来た時から着続けている灰色の袴に着替えた刃。二人は犬千代に連れられ、本丸の奥――信奈の居室へと足を踏み入れた。
室内は当然ながら和室。しかし、その空間には妙な違和感が漂っていた。
広々とした畳の上には、虎の毛皮と……なぜかパンダの毛皮。上座にはむすっとした顔で座る信奈。その手元には、南蛮渡来の大きな地球儀が無造作に置かれている。
「なかなか個性的な部屋だな……」
良晴がぽつりと漏らしたその感想は、刃の心中にもほぼ同意見だった。
さらに不可解なのは、甘そうなういろうをかじっている信奈の、やけに機嫌の悪そうな表情だった。
「……連れてきた。相良良晴、天城刃」
犬千代が静かに報告すると、信奈が芝居がかった声で言った。
「デアルカ。犬千代、サル、刃、ちこう寄りなさい」
犬千代は、膝を畳についたまま、すすっ……と信奈のすぐそばまで滑るように前進する。その動作はまるで水面を滑る水鳥のように優雅だった。
それを見て刃も無言で倣う。膝を滑らせ、音も立てず信奈の前へ進み出る。動きに無駄はなく、きちんとした礼節がにじみ出ていた。
その直後――
「よーし、真似すればいいんだな!」
調子に乗った良晴が、膝を引きずるやいなや、見事にバランスを崩した。
「うわっ、おっとっと――!?」
ごろり、ごろりっ!
勢いそのままに前回りして突進する良晴。そのまま信奈の鼻先近くまで滑り込み、あやうく唇と唇が衝突しそうになった瞬間――
「ひゃっ!?」
信奈が短い悲鳴をあげる。
バッ!
直後、良晴の体が突然止まった。
見ると、刃が無言のまま片手で良晴の襟をつかみ、床に押さえ込んでいた。
「……反射で動いたが、姫様の唇に触れてたら、お前の首はなかったぞ」
「すまん、マジですまん!!」
信奈はすでに小姓から太刀を受け取っており、ギラリと刃を光らせる。
「驚かせないでよ! あんたってばほんとうに無礼なサルね。さっそくだけど、手討ちにしてあげる!」
「事故だ! これは事故なんだってば!!」
「ハン。サルふぜいがわたしの唇を奪おうとしたでしょ? 家臣、しかもいちばん下っ端の分際で身の程をわきまえなさいよ。ったく汚らわしいわね。ああもう、サルの悪臭が唇にうつっちゃったわよ……」
信奈が眉をしかめると、犬千代が無言で木綿の手拭いを取り出し、信奈の唇をそっとぬぐった。
「だっ、誰がお前みたいなかわいくない女とキスしようとなんてするかよ!」
「ん? 鱚? 鱚がどうしたの? サル語でごまかすつもり?」
「ハッ! いっちょまえに地球儀なんか飾ってるくせに、南蛮の言葉も知らないんだな。いいか。キスってのは南蛮語で接吻のことだ、接吻! 唇と唇をこう、むちゅーっと……」
――ゴンッ!
鈍い音とともに、良晴の頭に衝撃が走った。
「いってぇっ……!?」
不意を突かれて頭を押さえる良晴の前で、拳を引いたままの男が静かに立っていた。
「……次はないぞ」
振り下ろしたのは、刃だった。
その声音は低く、冷たい。
そして――その目に、一切の感情はなかった。笑みも怒りもない、ただ無表情。
けれどその沈黙こそが、最も重く、最も恐ろしかった。
(……やっぱコイツ、信奈のことになると本気で怖ぇ)
「もうダメ。もう限界。生かしておかない。結論。この場で無礼討ちしかないわね」
信奈がぷちっとキレて、太刀の柄に手をかける。
(他の結論はないのか、お前の頭には)
良晴は額に汗を浮かべながら、心の中でツッコんだ。
「だからっ! お前みたいなかわいくない女相手に、接吻なんてしたくねーんだよ! 誰がするかっての!」
「な、なによそれ……何様なのよあんたっ! よくもおそれおおくも、かしこくも、尾張一の美少女であるわたしを侮辱したわねぇっ!!」
「尾張一って言いすぎだろ!? 調べたんか? 尾張中の少女を全員審査して、美しさランキングでも作ったのか!? ていうか、性格部門は間違いなく最下位だぞ、お前!」
「はああ!? やっぱりサルには、人間の美意識ってやつが理解できないのね……! 刃、言ってやりなさいよ!」
ふられた刃はため息をひとつつき、静かに口を開く。
「……確かに、良晴の物言いは無神経でしたね」
信奈はうんうんと頷きかける。
その時刃の声音が、ふと凛としたものに変わる。
「尾張一の美少女。そう名乗るに、私は異論を挟むつもりはありません」
「ふん、当然よ──」
「けれど、それは容姿の話だけではありません」
「……え?」
「気品、知略、統率力、そして民を思う心。姫様はそのすべてを備えています。士官してからまだまもないですが私は、それを理解するには十分すぎました」
信奈は思わず口を噤んだ。
「誰よりも強くあろうとし、誰よりも民の、国の未来を見据えている。そして誰よりも戦場を怖れている……だからこそ、誰よりも前に立つ。その姿は……美しいと思っています」
「な──」
信奈の頬が、みるみるうちに朱に染まっていく。
「な、な、なによいきなり……そ、そんなこと、言われたって……!」
動揺しながらういろうを手に持ったまま、もごもごと口を動かす信奈。
「……姫様、そろそろ本題を」
犬千代が静かに進言する。信奈は数度まばたきをしてから、ふいと顔を背ける。
「……ま、まあ。今日は許してやるわ、サル。刃の言葉に免じてね!」
「うわー……刃、よくそんな恥ずかしいこと、面と向かって言えるな」
良晴がぽりぽりと頭をかきながら、感心とも皮肉ともつかない声を漏らす。
「なんかさ……俺より信奈のハートに一撃入れてないか?」
それを聞いた瞬間――信奈の顔が、さらに真っ赤になる。
「なっ……なななっ! なに言ってんのよあんたっ! だ、誰のハートが、どうとかって、そ、そんなわけないでしょ!? ないったら、ないのよっ!」
ういろうの箱が机にバシィッと叩きつけられ、信奈はわたわたと手を振り回す。
耳まで赤く染まり、怒っているのか照れているのか分からない顔で良晴を睨みつけた。
「そ、そもそも、刃は忠義心から言ってるだけで、ほ、本心じゃ──」
「? 本心ですよ?俺は生まれてこのかた姫様程美しい女性を初めて見ました」
刃の何気ない一言が、涼しげな声で追い打ちのように放たれた。
「っ~~~~~~~~っ!!」
信奈の口が「あ」とか「ぬ」とか意味不明な音を連発しながら、頭から湯気でも出そうな勢いで震え始める。
(えっ……な、なに、今の……なにあの真顔、なにそのさらっと、なに言ってんのあいつ……!?)
顔から湯気が出そうな勢いで、信奈の手は宙を泳ぎ、足元の畳をモゾモゾと指でいじり始める。
一方の良晴は、その様子を目の端でしっかり見ながら、そっと刃に顔を寄せる。
「なあ刃……お前、今の、わざとか?」
「?何がだ?」
「いやいやいや……お前さ、信奈があの顔してるの見て気づいてねーのか?」
刃はきょとんとした顔で信奈に視線を向ける。
そこにいたのは、顔面真紅、唇わなわな、目うるうる、そして視線を泳がせる信奈の姿。
「……あれ、怒ってるんじゃないのか? 俺、何か失礼なことを言ったかもしれん」
「いや逆だって! お前、ど真ん中ストレートを真顔でぶっ放して、しかもそれが完全に心臓直撃してんの! ていうか顔が真面目すぎて、なおさら破壊力がヤバいんだよ!」
「よくわからんが、怒らせたなら謝るか」
「だから違ぇっつってんだろぉぉ!!」
良晴が両手で頭を抱えて地団駄を踏んでいると、その横で信奈の手がふらりと動く。
彼女の震える指が、ういろうの個包装をつまんだ――。
「う、うるさーーーーいっ!!」
ボフッ!
次の瞬間、個包装のういろうが良晴の額に吸い込まれるように直撃。
「お、おいぃぃ!? なんで俺だけピンポイントで被害受けてんだよぉ!?」
「うるさいものは、全員! まとめて無礼討ちなのよぉぉぉ!!」
バシィン!
つづけざまにもう一個飛んできて、良晴の肩にヒット。
「やめて! それ高級ういろうだろ!? もったいないから投げないで!」
信奈は、怒鳴りながらも耳まで真っ赤。
手の動きも、叫び声も、どこか必死で、明らかに感情のコントロールが崩れている。
(なんなのよ……もう、なんなのよ、あいつ……! さらっとそんなこと言って、知らん顔して、しかも真顔で……!)
「な、なんで!? なんで俺だけそんな戦国バトルの最前線にいんの!?」
「黙れぇぇぇ!! この、スケベサルーーーーッ!!」
信奈の叫びが本丸にこだまする中――刃は一人、ぽつりとつぶやいた。
「……姫様は怒ってる時も可愛いな」
良晴は、もはや何も言えず、天を仰いだ。
(こいつ……とんでもねえ天然爆弾だわ……)
「……姫さま。刃と良晴に仕事の話を」
いつまでも終わる気配のない罵倒合戦に、ついに業を煮やした犬千代が、淡々と口を挟んだ。
信奈と良晴は咳払いしながら、バツの悪そうな顔で互いの座布団へと座り直す。
「……そうだったわね」
信奈は手に持った、かじりかけのういろうを犬千代に突き出した。
犬千代は何のためらいもなく、「ぱくっ」と頬張る。
「……おいしい……もぐ、もぐ」
「犬千代、相変わらずいい食べっぷりね! ほら、もう一個!」
「……ぱくっ」
「かわいいわねぇ~!」
満面の笑みを浮かべて、信奈がういろうを差し出す姿はすっかり“姉バカ”そのもの。
刃はそんな光景に、ふっと目を細めて――普段は見せない、穏やかな笑みを浮かべた。
その瞬間、場の空気がピタリと止まる。
信奈、良晴、犬千代、三人の動きが一斉に止まり、視線が刃に集まる。
(な、なんだその顔……やっぱコイツ、顔面強すぎだろ)
思わず良晴が内心でつぶやいた。
「なあ信奈、俺には“ういろう”くれないのか?」
「ふん。タダ飯喰らいに那古野名物を下賜してやる義理はないわ」
冷たく言い放つ信奈の横で、はむはむと口いっぱいにういろうを詰め込んだ犬千代が、もごもごとつぶやく。
「……仕事の話……」
「そうそう、忘れるところだったわ。サル、喜びなさい。あんたに仕事を命じてあげることにしたの」
「で、何をすればいい? やっぱりここは一世一代の大仕事がいいな。城を建てるとか、敵将を調略するとかさ!」
「……そんな訳ないだろ」と刃が即座に突っ込む。
「ハァ? 呆れるわね、あんた何様? 脳が腐ってるんじゃないの?」
信奈がため息混じりに眉をひそめる。「新入りの足軽、しかもサルの国から迷い込んできたあんたに、そんな家老級の大仕事を振るわけないじゃない」
「俺はでかい仕事のほうが燃えるんだよ!」
「米よ」
信奈がぽん、と手を叩いた。
直後、小姓たちがずっしりとした小判の束を抱えてきて、良晴の目の前にドサッと積んだ。
「三千貫あるわ。期限は二週間。これで――米を買ってくるのよ」
「……うーん。楽すぎる仕事だな。まるで子供の使いだ」
「ただし!」
「ただし?」
「最低でも、八千石は買って来なさい! それ以下だったら――あんたはクビ!」
相場がわからない、と良晴は隣の犬千代に尋ねてみた。
今の清洲の相場だと、三千貫で四千石しか買えない、と犬千代が教えてくれた。
「予算分の二倍の米を調達しろってことか……おもしれぇじゃねーか。その勝負、乗った!」
「……勝負じゃない。命令だ。ちゃんと聞け、良晴」と刃がぴしゃり。
「そうよバカ。さんざん大口叩いてたんだから、これくらい朝飯前よね?」
「おうし、わかった! こんな仕事、簡単だ。戦国ゲームでつちかった俺の利殖術作戦、発動! 要はバクチで元金を増やせばいいだけじゃねーか!」
得意げに拳を握りしめる良晴の横で、刃が盛大にため息をついてぼそっと言った。
「……犬千代、あいつ、絶対すぐ金スられると思わないか?」
「……三日もたない」
良晴はすでに立ち上がり、腕を振り上げていた。
「よーし、二週間後を待ってろよ! 俺の戦国大逆転ストーリー、今から始まる!」
刃と犬千代が付き合うように立ち上がり、三人は部屋を出ていく。
その背中に、信奈のからかうような声が飛んできた。
「そうそう、言い忘れてたわ。元手を無くして米を調達できなかったら――法に照らして、あんたは打ち首よ」
「――バクチで元金を増やす作戦、中止ーーーーっ!!」
廊下に良晴の絶叫がこだました。
信奈は刃のヒロインだな。ハーレムにするかは未定です
刃をハーレムにするか
-
する
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しない