織田信奈の野望〜戦国に舞い降りし銀ノ刃〜   作:更新亀さん

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良晴の初仕事、刃の出奔

長屋に戻ってきた良晴は、せんべい布団の上で「うーん、うーん……」と呻きながら、まるで布団の中で悶える芋虫のようにゴロゴロと転がっていた。時折、天井を見上げてはため息をつき、次の瞬間には横向きになって枕に顔を押しつけ、再びうーんとうなっている。

その外、庭では――。

 

刃が黙々と木の枝を振り、剣術の鍛錬に励んでいた。雑草の生い茂る庭の中央で、地面を踏みしめ、風を切るように身体を翻す。

その動きは、攻撃的でありながら美しかった。無駄のない踏み込み、静かに流れる呼吸、そして枝とは思えぬ鋭い軌道を描く一閃。

それはまるで、戦いの中に神を呼ぶ巫女の神楽舞――静寂の中に込められた決意の舞い。

 

「……あいつ、よく飽きねぇな……ていうか、神楽の奉納でも始めるつもりか……?」

 

良晴は布団に潜り込んだまま、じっと庭先の彼の姿を目で追う。

 

その刃の額には、いつも通り一筋の汗。だが表情は変わらず静かで、どこかこの混沌とした時代の空気を飲み込んでなお、己を見失わない芯の強さがあった。

 

――同じ未来から来たというのに、なんでこいつはこうも様になってんだ。

 

庭に流れる風に枝葉が揺れ、刃の動きもひときわ鋭くなった。

 

犬千代が部屋の隅にじっと正座しながら、

「……どうするの?」と尋ねてくる。

 

「ああ。戦国ゲームでつちかった俺の利殖術には第二弾がある。だが、その策を実行するためにはどうしても必要な奴がいるんだ」

 

「犬千代、協力する」

即答する犬千代に、良晴は思わず嬉し涙が出そうになる。

 

「ありがとうな。是非助けてくれ!でも、侍だけじゃダメなんだ。忍びが要るんだよなぁ」  

きょとんとしながら、犬千代が小首をかしげた。

「……? 忍びに、お米を盗ませる?……?」

 

「バッカ! 俺が信奈の統治する清洲の城下町で盗みなんか働いたら、即打ち首だろ! いや、打ち首前に刃が無表情で俺の首スパーンだわ!」

 

「……そうだった……」

 

すぅ、と冷たい風が部屋を吹き抜ける中、良晴は空に向かって叫んだ。

 

「おーいっ! 五右衛門! 聞こえてたら出てきてくれーっ! 今こそお前の力が、マジで必要なんだ!」

 

その声が届いた、ちょうどその時だった。

 

「……蜂須賀五右衛門、参上つかまつる――」

 

 

ぬるり、と音もなく庭の塀の陰から現れた黒ずくめの影。

 

目深に被った頭巾、鼻と口を覆う黒のマスク、すらりと細い体躯に忍び装束。だが、その赤く妖しく光る瞳だけは、誰が見ても一目で分かった。

 

「……驚いた」

 

ぽつりと漏れた犬千代の一言に、良晴が寝転んだまま顔をしかめた。

 

「ぜんっぜん驚いたように見えないんだけどさ、犬千代」

 

「……心の内では、けっこう驚いてる」

 

「そうか」

 

「……誰?」

「俺とコンビを組んでる忍びの五右衛門さ」

 

その声に応じて、鍛錬を終えた刃がすっとこちらに歩み寄る。

 

「お、刃。鍛錬は終わったのか?」

「ああ。もともと長時間やるつもりはなかったからな」

 

刃は五右衛門に視線を向けた。

銀髪に赤い瞳――その特徴が、自身と重なるのを感じて小さく目を細める。

(銀髪に赤い瞳……俺と同じ、アルビノか)

 

ちらりと良晴の方へ目をやり、ため息交じりにぼそりと口を開いた。

 

「……また幼女か。お前、本当にロリコンじゃないんだろうな?」

 

静かに、しかし容赦なく刺さる疑念の一言。

 

「違げぇよ!!」

 

良晴が即座に吠えた。どこから突っ込むべきか迷った末、頭を抱えながら地団駄を踏む。

 

「五右衛門、部屋に入れ」

「いや拙者は庭にて結構でござる。相良氏、そもそも忍びとは常に陰に潜み──」

「いいからいいから。固いこと言うなって。長台詞をしゃべるとまたかむぜ」

「う、うるさい」

「……良晴は、相手が主人でも家来でも態度が変わらない。誰に対しても適当」

「誰に対してもフランクと言ってくれ、犬千代」

「ふらんく……?」  

結局、五右衛門が折れ、四人でうこぎ鍋をかこみながら作戦会議となった。

 

「我が郎党どもは川賊にござる、土蔵破りなどお手の物──」

 

「ストップ、ストップ! 五右衛門、そういうの今はナシ!」

 

良晴が手を突き出して制止する。

 

「今必要なのは略奪じゃなくて、知恵と経済力だ。俺が戦国ゲームで培った利殖術・第二弾、名付けて……〝貿易で荒稼ぎ作戦〟!」

 

「……ぼうえき?」犬千代が眉をひそめた。

 

「お前、船なんて持ってないだろ」刃が即座に突っ込む。

 

「いや、それ以前に『せんごく芸無』とは何でござる?」

 

「ま、まぁまぁ、聞けって! 作戦はこうだ。元手の三千貫を六千貫に増やせば、ノルマの八千石の米を買える。ここまではわかるな。

そこで、最初に三千貫を使って清洲の商人から物産品を購入する。  そして、それを他の町の商人に四千貫とか五千貫とか、とにかく買い値より高く売る。増えた金でまた物産品を買って、また別の町の商人にさらに高値で売る。

これを何度か繰り返せば、三千貫が六千貫になるはずだ。で、予算が六千貫に達したら、清洲で米を買う。これで八千石のノルマを達成だ」

 

「成る程」と刃が腕を組む。

 

「……のるま?」と犬千代。

 

「ふうむ。なぜ買ったものがすべて高値で売れるのでござるか?」と五右衛門が眉をひそめる。

 

「……買う時に、値切る?」犬千代が提案する。

 

「なるほど。こちらの言い値で売らずば、商人どもを根切り(皆殺し)でござるな」

 

「だからそういうのやめろって!」

 

刃が口を挟んだ。 

「町ごとの相場だな。地域によって物の価値は違う。流通が不便な分、ある町では安くても、別の町では倍以上の値がつくことも珍しくない」

 

良晴がバシッと指を鳴らし、勢いよく頷いた。

「刃の言う通り! 俺の――まあ、ちょっと微妙な戦国ゲーム知識だけどな、それでも知ってるんだ! 町によって物の値段が全然違うんだよ!」

良晴は立ち上がって、部屋の真ん中で大げさな身振りを交えて続ける。

「だからさ、まずは相場が安い町で大量に物産品を仕入れる。それを、相場が高い別の町で売り払うんだ。売って得た金でまた仕入れて……これを繰り返せば、三千貫だって六千貫に化けるってわけ!」

 

いい考えのようだが……五右衛門がマスクで覆った顎に指を添えた。 「町に行ってみなければ相場はわからぬでござる。行き当たりばったりで売り買いしていて、わじゅか二週間で二倍にふやせるかにゃ?」

かんだ、と犬千代がつぶやいた。

ギロリと赤い瞳で犬千代をにらむ五右衛門。

 

「だからお前を呼んだんだ、五右衛門。忍びの情報網を駆使して、尾張とその隣国の町の相場をかたっぱしから調べてくれ!そうすりゃ、どこで何を買ってどこで売ればいいか、あらかじめわかるだろ?品物を運ぶ仕事も、お前の郎党にやらせれば安全だ」

これが『貿易』の基本だ。泥棒や押し込みなんてやらなくてもいい、誰も傷つけずに金を増やせるのさ、と良晴が鼻を鳴らす。

天才でござる、と五右衛門が手を打ってうなずいた。

 

「拙者、そのようなことに忍びを使うなど、考えたこともござらぬ……さすがは木下氏がおにょーにょと見込んだおにょこ、ふふふ……」

 

「三十字くらいが限界か」

刃が小さく呟いた。

 

「……すごくかんだ」

犬千代もぽつりとつぶやく。

 

即座に、五右衛門の赤い瞳がギラリと光り、二人を交互ににらみつけた。

 

「ぐぬぬ……!」

マスク越しでも頬がふくらんでいるのがわかる。

 

「いやまあ、俺の戦国知識は全部ゲームで仕入れただけだよ」

と、良晴がさりげなく話題を変えるように言う。

 

「その芸無とは……もしや、南蛮秘伝の巻物でござるか?」

五右衛門が妙に目を輝かせながら身を乗り出す。

 

「似たようなもんだな。操作ミス一つで国が滅ぶ、恐ろしい巻物さ」

肩をすくめて冗談めかす良晴。

 

「それでは、さっそく周辺諸国の相場を調べて参るでござる! なに、二日もあれば十分!」

 

九字を切り、煙幕を張る。五右衛門は再び、音もなく消えた。

 

「げほげほ。部屋の中で煙を張るなよ!」

 

「……畳、燃えてる」「水、持ってくるか」

犬千代が淡々と指差し、刃がすっと立ち上がる。

「あっち! あちちちち! 早く消さなきゃ! 刃、早く!水、水!」

「はいはい、了解。騒ぐな、焦げ臭いだけで火事にはならん」

と刃は落ち着いた口調で、庭に向かって駆け出した。

 

そして──。

 

気づいた時には、うこぎ長屋の良晴と刃の部屋は、もはや畳の一枚も見えないほどの小判の山に埋もれていた。

 

元手が三千貫という巨額だったため、たった数日で途方もない金額にまで膨れ上がってしまったらしい。

 

「こ、こ、これは……小判の畳!? いや、黄金の海っ!? 俺ってもしかして、大金持ちっ!?」

 

「……やり過ぎだな」

刃が呆れたように呟く。

 

最初は、清洲で買う米の資金を用意するための増資にすぎなかった。だが── これだけじゃんじゃん増やせるのなら可能な限り増やしてやろう、と良晴は欲を出した。

 

良晴は、まるで子供のような笑顔で小判の山にダイブ。

「じゃらじゃらじゃらじゃら〜っ!」と音を立てながら、クロール泳ぎで小判をかき分ける。

 

「あ〜……気持ちいい……これが、金持ちの快感……!」

 

恍惚とした表情で天を仰ぎながら、良晴は叫ぶ。

 

「モテるっ……!これだけ小判があれば、俺はモテモテになれるっ! 金は力だ!それがこの世の習わし!!」

 

「お前はいつから足軽から商人になったんだ」

「……まるで商人……」

刃と犬千代があきれたように呟くが、良晴にはもう何も聞こえていない。

 

「商人で結構! 俺、戦で人を斬るのとか苦手だしなっ!」

 

「……それは、わかる」

犬千代がこくんと頷く。

 

「お前ら、足軽向いてねぇぞ……」

 

「よーし、俺は織田家の番頭になる! 稼いで稼いで、稼ぎまくって、天下一の成金足軽になってやる! 俺、大金持ち!!」

 

「……でも……それ全部、信奈さまのお金」

 

「なに言ってんだ犬千代、これだけ増やしたんだぜ? ちょっとくらい懐に入れても……バレやしねーって!」

 

「ほう……俺の前で堂々と横領宣言とはな。良い度胸じゃないか」

刃が無言で、腰の刀の柄に視線を落とす。ほんのわずかに、鯉口が鳴った。

 

「わー!わーったわーった! 冗談だって! ほら、ちょっと舞い上がってただけ!」

 

「……まるで金の亡者」

犬千代がボソリと刺すように言う。

 

だが良晴は、うるんだ目で犬千代にすり寄ってきた。

 

「犬千代〜、犬千代のために新しい小袖、買ってやる! たまの休みくらい女の子らしく着飾って、かわいく過ごせよな!」

 

「う、うぅ……断りづらい……」

 

その耳元で、良晴が小声で囁く。

 

「だから頼む……刃を……刃を説得してくれません?」

 

犬千代はチラリと刃を見る。

その冷めきった目に、つい背筋を伸ばす。

「……たぶん無理だと思う」

 

小声で、でもはっきりと断言する。

 

「そんな事はないっ! 犬千代ならできるはずだ! あの刃の情に訴えかける、涙目での上目遣いとか、可愛くお願いをするんだ! なっ? 頼むっ! 俺の未来がかかってるっ!!」

 

良晴は犬千代の両手を握りしめ、目を潤ませて見つめる。

刃の冷ややかな眼差しが脳裏によぎる。あの威圧感。あの容赦なさ。

あの鋭い沈黙。どんな嘘や誤魔化しも通じない、見透かすような視線。

だが──それでも。

 

「……やってはみる」

 

覚悟を決めた小さな声に、良晴は感動のあまり目を潤ませ、感極まった。

 

「神だ……! 俺の運命を救う、慈悲の女神だ……!」

 

わざとらしく拝む良晴を背に、犬千代はすっと背筋を伸ばして、刃のもとへと歩み寄る。

 

刃は、変わらぬ無表情で犬千代に目を向け話しかけた。

 

「……どうした? 良晴にそそのかされたのか?」

 

核心を突く一言。まるですべてお見通しだと言わんばかりの声音に、犬千代の足が一瞬止まる。

だが、ここで退いては意味がない。

 

「……は、刃」

 

犬千代は意を決して顔を上げ、刃の正面に立つ。

恥じらいながらも、刃の顔をまっすぐ見上げ、小さな声で続けた。

 

「犬千代の……小袖を買う分だけ、許してほしい」

 

その言葉と同時に、ほんのり赤らんだ頬と、揺れるまなざしを見せる犬千代。

刃はその顔を無言で見つめ、数秒、時が止まったように沈黙が落ちた。

 

良晴は小判の中から祈るように様子を見守る。

 

刃の視線が、犬千代の目元から、握りしめた拳へと移る。

そして──ふっと、ほんのわずかに、口元がゆるんだ気がした。

 

「……犬千代が着飾るのは、悪くない」

 

ぽつりと漏れたその一言に、犬千代の目が見開かれた。

 

「刃……!」

 

「ただし、小袖一着分。それ以上は駄目だ。良晴の遊び金に使うつもりなら……刀の錆になってもらう」

 

「うっ……やっぱり怖ぇよ……」と、小判の中の良晴が震える。

 

犬千代はこくりと頷き、安堵の息をついた。

 

「ありがと、刃」

 

「……礼を言う相手は、そこのバカだ。お前に泣きついたのはあいつだろ。ところで良晴。当然だが、米は買ってあるんだろうな?もう昼過ぎだ、そろそろ姫様のところに納めに行かねぇと間に合わんぞ。期限は今日の夕方だ」

ぴしっ、と空気が凍りついた。

 

「──しまったぁぁぁっ!!」

 

良晴が小判の山から飛び出し、顔を青くして叫ぶ。

 

「俺は! 信奈から! 『三千貫で米を買ってこい』って言いつけられてたんだ!!『大金つかんでモテモテ』の夢に目がくらんで……すっかり、すっかり忘れていたああああ!!」

 

良晴は畳に散らばる小判を踏みしめながら、バネのように立ち上がると玄関に駆け出した。

 

「ヤバいヤバいヤバいヤバいっ! 信奈に殺されるーっ!!」

 

絶叫しながら振り返りざまに、犬千代と刃に叫ぶ。

 

「犬千代、刃! 五右衛門たちの手を借りて、今すぐこの小判を全部米に換えてきてくれ! 時間がねーから、もう値切りとか要らねぇ! 定価でも足元見られてもいい! とにかく一刻も早く買い集めて、信奈のもとへ届けてくれ!! 頼んだっ!!」

 

「……わかった」

犬千代がきゅっと拳を握りしめ、覚悟を決めた表情でうなずく。

 

刃はというと、ため息混じりに小判の山を見下ろし、ぼやくように言った。

 

「はぁ……まったく、阿保が豪商ごっこなんてするからこうなるんだ。……今回だけだぞ、良晴。次はないと思え」

 

「恩に着るっ!! ほんとありがとぉぉぉ!!」

 

全力で頭を下げた良晴は、長屋の戸を勢いよく開け放ち、爆走して清洲城へと向かった。

 

刃と犬千代は顔を見合わせた。

 

「急がないと間に合わん。五右衛門、潜んでるなら出てこい。仕事だ」

 

すると、天井の梁の陰から気配もなく五右衛門が現れる。

 

「はっ。我が郎党、すでに外で荷駄の準備を整えてござる。任せるでござる」

 

刃は無言でうなずき、犬千代と共に小判の山を荷に詰めはじめた。

──こうして、うこぎ長屋は突貫米搬送作戦に突入したのだった。

 

 

 

一方で良晴は

「法に照らして、三千貫をなくしたあんたは──打ち首よ!」

信奈が小姓から受け取った太刀を、すらりと抜き放つと同時に、良晴の首筋へと冷たい刃をぴたりと当ててきた。

 

「まだ日が沈んでない、もうちょっとだけ待ってくれ!」

 

「うるさい! 主命を達成できなかったなら、素直にあきらめて頭を垂れてお金を返せば済む話じゃない! ……刃がついてるから大丈夫かと思ったけど、まさか本当に博打か何かに突っ込んで全部溶かしたんじゃないでしょうね?」

 

「ち、違う違う違うっ! ちゃんと元手を増やしてたんだよ、せっせと地道に!」

 

「どうやって?」

 

「……企業秘密だ!」

 

「またわけのわからない“サル語”で誤魔化して。そうやって調子のいいことばっかり並べて、ほんと甘えるのも大概にしてほしいわね」

 

「未来語と言え!」

「ふん。増やしたのなら、今頃ここにたくさんの米俵が積まれているはずよね?」

 

「多すぎて俺一人じゃ運びきれなかった!今、刃と犬千代が運んでいる!頼むから俺を信じて待ってくれっ」

 

だが──。

 

「……あんたのことなんか、信じちゃいないわよ」

 

冷たく言い放ったその口調に、良晴の顔が青ざめる。

 

「でも──刃と犬千代が関わってるなら……あの子たちに免じて、刻限までは待ってあげてもいいわ」

 

そう言いながら信奈は鼻を鳴らし、「ふんっ」と太刀を音もなく鞘に納め、再び上座の畳にどっかりと座り直した。

 

良晴は膝から崩れ落ちるようにその場にへたりこみ、心の底から神に感謝した。

 

「……あとは、早く来てくれよ、刃……犬千代……!」

 

二人が無言でしばらく見つめ合っていると、城内のどこかから──

 ドン……と、時を告げる太鼓の音が響いた。

 

「……日没ね。刻限よ」

 

 信奈の目から一切の迷いが消え、戦国大名としての冷然たる顔つきへと変わった。

 

「サル──織田家の法に従って、あんたの首をはねる。座り直しなさい」

 

 その声に、良晴は観念したように静かに頷き、信奈の足元に正座して頭を垂れた。

 

 不思議と、恐怖はない。

 いや、感じていないだけかもしれない。

 

(……俺って、最後の最後までどこか抜けてるな)

 

 そんな滑稽な自己ツッコミを頭の中で浮かべながら、良晴は微かに笑った。

 信奈は、斬るだろう。情に流されるような子ではない。弟でさえその手で討つ覚悟を持っている。

 ましてや、足軽のひとり──モテたいだけのバカな未来人など、ためらうはずがない。

 

「……俺がしくじったんだ。文句なんてねぇよ。さあ、やれよ」

 

 その覚悟に、信奈は一拍置いてから尋ねた。

 

「……言い残すことはないの、サル?」

 

「どうせ死ぬなら、最後に俺さまが編み出した──いや、正しくは戦国ゲームで仕入れてきた“金の増やし方”を教えてやる」

 

 刀を構え、良晴の背後に立った信奈が、唐突に怒鳴り声を上げた。

 

「そんなの、どうでもいいのよっ! 他にもっと言うべきことがあるでしょ!? 死にたくないとか、殺さないでくださいとかっ!」

 

「アホか。そんな命乞いしたら、お前があとあと苦しむだろ。お前、ほんとはこういうの苦手なんだろ?」

 

「……う……うるさいっ!」

 

 信奈の怒声が、次第に震え混じりの鼻声に変わっていく。

 

「三千貫の軍資金を全部なくしたバカな家臣なんて、生かしておく価値なんかないのよ! そうよ、あんたが首を差し出すって言うから、斬ってやるだけなんだからっ! 自業自得よっ! バカ……バカサルっ!」

 

(……あれ? もしかして命乞いしてたら、助かってた……?)

 

 信奈の素直じゃない性格を思い出して、良晴は内心で頭を抱えた。

(しまった……カッコつけすぎた!)

 

 だが、時すでに遅く──

 信奈の刀が、鋭く振り下ろされていた。

 

 その瞬間。

 

 カツンッ!

 

 金属音と共に、信奈の手から刀がはじき飛ばされた。

 

「な──っ!?」

 

 良晴の後頭部がわずかに切れ、血が一筋流れる。

 だが首は、つながっていた。

 

 刀を弾いたのは、縁側から飛来した手裏剣の束だった。

 

「いっ、痛ってぇぇ! ……な、なんだ今の!?」

 

「出会えっ! く、くせ者だわ! 警備隊、至急っ!!」

 

 信奈が叫ぶ。

 

 しかし──。

 

「……くせ者、違う……遅れた……」

 

 低く、静かな声が部屋に響いた。

 

 続いて、障子が静かに開かれる。

 

「いきなりのご無礼、どうかお許しください。姫様」

 

部屋の中に、犬千代と袴が血で汚れている刃が入ってきた

 

「……良晴……お米、買ってきた……」

 

「おおおっ、刃っ! 犬千代ぉぉっ! 助かった、マジで助かったっ! あ、ありがとぉぉぉっ!!」

 

 良晴は叫びながら二人に駆け寄って、地面に額をこすりつけんばかりに感謝を叫んだ。

 

(手裏剣を飛ばしたのは……五右衛門か。くそ、あと一秒早けりゃ流血しなくて済んだのに……!)

 

 そう内心で悪態をつきつつも、首がつながっている幸運に文句を言う気にもなれなかった。

 

「でも犬千代、肝心の米俵はどこに?」

 

 良晴が問うと、信奈も眉をひそめて声を重ねた。

 

「そうよ。あんたたち、まさか口だけじゃないでしょうね?」

 

「……今、城門から運び入れている」

 

「城門前に」

 

 二人が同時に声を上げて、部屋の窓に身を乗り出す。

 そして──

 

「うおっ……!」

 

「これは……っ!」

 

 そこには、想像を遥かに超える光景が広がっていた。

 

 途方もない数の米俵が、川並衆と郎党たちの手によって次々と城内に運び込まれていた。

 城門から本丸へと続く通路が、まるで俵の行進路のようになっている。

 

「おうおう、良晴どののお手柄じゃのう!」

 

「大収穫ですぞ! うこぎ長屋にも一俵持って帰りますぞ!」

 

 浅野長政の爺さんと、ねねが笛と太鼓で勇ましく先導していた。

 まるで収穫祭でも始まったかのような賑やかさだ。

 担ぎ手たちは汗を光らせながらも、どこか誇らしげな顔つきをしている。

 

「す、すごい数だわ……。いったい、いくつ買ってきたのよ?」

 

 信奈が呆然と呟くと、犬千代が淡々と答えた。

 

「……七万五千俵」

 

「……なな、七万五千っ!? 一石が二俵半だから……三万石っ!? う、嘘っ、ほんとにっ!?」

 

 信奈がすさまじい速さで暗算して、驚愕の声を上げる。

 

(ちくしょう、信奈め……地味に計算が速え……)

 

 良晴は苦笑しながら、内心で毒づいた。

 

 信奈から課されたノルマは八千石──それを四倍近く上回る、三万石分の米。

 間違いなく、これは大手柄だ。

 

そんな時──

「……姫さま……ごめんなさい」

 

 うつむいたまま、犬千代が小さくつぶやいた。

 

「姫様……私を斬ってください」

 

 それに続いたのは、刃の張り詰めた、しかしどこまでも静かな声だった。

 

 その瞬間、座敷の空気がピンと張り詰める。誰一人、息を呑むことすら忘れたようだった。

 

「えっ……何を言い出すのよ……謝るのも、斬られるのもこのサルでしょ? 仕事忘れて遊び呆けてたのは、明らかにコイツなんだから!」

 

 信奈が怒りと呆れを込めて良晴を指差すと、本人は

「あー、ぐうの音も出ねぇ……」と頭を抱えて小さくなる。

だが、刃の表情は微動だにしなかった。

「……私は、姫様との約束を破りました。信勝殿の小姓を――斬りました」

 

 その一言に、場が凍りつく。

 

 誰もが視線を袴の裾に落とす。そこには、鮮やかな赤――乾ききらぬ血が滲んでいる

 

「……ごめんなさい、姫さま。刃は……犬千代を、守るために」

 

 犬千代が、一歩、前に出る。唇を噛みしめ、言葉を探すように、ゆっくりと語り始めた。

 

「……城門前で、信勝さまの小姓たちに……道を、塞がれて……。犬千代、斬れなかった……迷って……動けなかった。……でも刃が……刃が犬千代の代わりに、道を切り開いてくれた……」

 

 声は震え、途中で何度も言葉がつかえた。だが、その必死な思いは、誰の胸にも痛いほど届いていた。

良晴が刃を庇うように叫ぶ。

 

「聞いただろ、信奈。悪いのは信勝のほうだ! 刃を斬るな!」

 

良晴の声が強まる。しかし、信奈は目を伏せたまま、黙っていた。

「……わかってるわよ」

 

その小さな声は、かすかに震えていた。

 

「でも……でも……っ」

 

士官してまだ日も浅いはずの男だった。ただ、刀の腕を見込んで召し抱えたはずだった。けれど――。

もう、刃は違った。

犬千代や六と同じくらい、いや、それ以上に信頼を置ける存在になっていた。

 

斬れるはずがなかった。

だが見逃せば、信勝が黙っているはずもない。再び、姉弟の対立が深まりかねない。

 

良晴の目にも、あの甘い信勝が信奈に勝てるとは思えなかった。

過去にも何度も謀反して、そのたびに負けているのだ。

つまり、信勝側が刃の件で立腹してまた信奈に叛けば──

信奈は、実の弟を、信勝を斬ることになる──

(刃を斬るか、信勝を斬るか、どちらかを選ばなければならない)  選べるはずがなかった。

信奈は言葉を失うと、ふらふら、と欄干にもたれて震え始めていた。

 

「全部……私のせい。私が……躊躇ったから……」

 

「違う。犬千代のせいじゃない」

 

 刃は、ゆっくりと首を振った。

 

「斬ったのは、私です。迷いはなかった。姫様との誓いを破ったのは、私の意志です。……ですから、私を斬ってください」

 

 膝をつき、深く頭を下げる刃の姿には、一点の迷いもなかった。主君に仕える者としての覚悟が、そこにあった。

 

「主君との誓いを違えた者は、家臣失格です。処分を、どうぞ……姫様のお手で」

 

「なっ……なによそれ、バカじゃないのっ……!」

 

 信奈が目を見開き、声が震えていた。

 

「そんなの……できるわけないじゃない……!」

 

 拳を握りしめる信奈の肩が、小刻みに震えていた。

 

「刃を……斬れだなんて、そんなの……できるわけないじゃないっ……!」

 

その叫びは、ついに嗚咽に変わる。戦場では誰よりも強くあろうとする少女の、年相応の脆さが滲み出た。

 

 だが、刃は顔を上げることなく、静かに言った。

 

「……姫様。勝家殿や犬千代のように、昔から姫様を支えてきた忠臣を斬れとは言っておりません。私は、何の功もない……しがない足軽です」その声音に、淡い自嘲が滲んでいた。

 

「……気に病む必要などありません。姫様が、正しいと信じる道を選ばれればよいのです。私は、それに従うだけですから」

 

 その静かな言葉に、信奈の肩がさらに震える。

 

「バカっ……バカっ……! そんな理屈、通るわけないでしょ……! あんたみたいな奴を、どうして……!」

 

 見ていられない──良晴は喉元まで込み上げた言葉を、ぐっと飲み込んだ。

 

 けれど次の瞬間、全く違う言葉が、彼の口から飛び出していた。

 

「刃! 出奔しろ!」

 

 部屋の空気が、一瞬で変わった。

 

「……何?」

 

 静かに顔を上げた刃が、目を見開く。

 

「清洲から逃げるんだよ! 信奈に斬られそうになって逐電したってことにして、信勝側と手打ちにする! いずれ信勝と信奈が和解したその時に……堂々と戻ってくればいい!」

 

「だが、俺は――」

 

「わかってる! 信義だの忠義だの、お前が大事にしてることをぶち壊すような提案なのは百も承知だ!」

 

 良晴の叫びは、必死だった。

 

「ああもう! 俺や犬千代のために頑張ってくれたお前にこんなことを言うなんて我ながら情けねえが、今はそれしかない!それでお前も信勝も信奈に斬られずに済むんだ!これが今できる、唯一の道なんだ!」

 

良晴の目には、怒りも、情けなさも、そして何より友を救いたいというまっすぐな想いが宿っていた。

 

 刃は、しばし黙って良晴を見つめた。その瞳に、何かを計るような光があった。

 

 そして、静かに――だが、今度は一切の迷いなく、うなずいた。

 

「……わかった」

 

 その声には、覚悟があった。刃はくるりと信奈の方に向き直り、静かに、そして、ゆっくりと深く、膝をついて頭を垂れる。

 

「――姫様。これにて……お別れです」

 

 静かな声だった。だが、その一言は重く、部屋にいた誰の胸にも深く突き刺さった。

 

「姫様は、ただの主君ではありません。私にとっては……光でした。暗闇にいた私に、生きる理由と、剣を振るう意味を与えてくださった……ただ一人の導き手でした」

 

 その声は凛として静かでありながら、胸の奥深くを貫くような切実さを宿していた。

 

 信奈は、立ち尽くしたまま、ただ刃を見つめていた。 

 

 何か言いたかった。言葉を返したかった。けれど喉の奥が痛むように詰まり、どうしても声にならない。

 

刃はゆっくりと頭を上げ、その瞳でまっすぐ信奈を見つめた。

 

「私の主は、姫様ただお一人です。それは、これまでも、これからも変わりません」

 

 それは、別れの言葉であり、誓いの言葉でもあった。

 

 静かな間が流れた後――刃はふっと力を抜いたように笑って、振り返る。

 

「良晴。俺がいない間に姫様に手を出したら……マジで殺すからな」

 

「……へっ、言われなくてもわかってるよ」

良晴の声もまた、わずかに震えていた。けれど、真剣だった。

 

「犬千代、これを」

 

 刃は懐からそっと包みを取り出し、犬千代に差し出した。白布に丁寧に包まれた、小さな包み。

 

「……これは?」

 

 犬千代は戸惑いながら受け取る。両手で大切そうに布を開き、中身を見て、目を見開いた。

 

「小袖代だ。あの時、一着分は良いって言ったからな。ちゃんと約束は守る。これで、好きな反物を買って……可愛く着飾るといい」

 

 刃の声は、どこか照れくさそうで、けれど真剣だった。

 犬千代は言葉を探すように口を開きかけて――すぐ閉じた。

 

 何も言えず、ただぎゅっと包みを胸に抱きしめる。小さく震える肩が、彼女の心を物語っていた。

 

 その姿に、刃は微かに笑った。

 

「似合うさ。お前は、ちゃんと笑えば、姫様と同じくらい――」

 

 そこで言葉を切り、刃はふいと視線を逸らし再び信奈の方へと向き直る。そして最後の一歩を踏み出すように、深く一礼した。

 

「姫様……どうか、御身を大切に。俺は必ず、戻って参ります。たとえ……どれだけ遠回りをすることになっても。その時はどうか、今のように……変わらぬ光であられますように」

 

 その声は、まるで祈りだった。信奈に向けた、すべてを捧げる者の祈り。

 

 そして、刃は静かに背を向け、誰にも何も言わせず、まるで風のように――迷いのない足取りで襖の向こうへと姿を消した。

 

犬千代は、去っていく背中を見つめながら、胸に抱いた包みを、ぎゅっと、さらに強く抱きしめた。

 残された空間に、彼の足音だけが淡く残り……やがて、それすらも聞こえなくなった。

 

 静寂。

 

 信奈は、ただその場に立ち尽くしていた。何かが、胸の奥からぽろりとこぼれ落ちる。

 

 ぽたり。

 

 畳に落ちた雫は、光を弾くように揺れて――

 

「……バカ」

 

 絞り出すようなその一言は、誰にも届かなかった。

 

 ただ、嗚咽のような呼吸が、微かに部屋を満たしていった――。

 

 




信奈がキャラ崩壊しちゃった

刃をハーレムにするか

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