クラス召喚された俺の職業が『裏切り者』だった。 作:赤月ヤモリ
翌朝、目が覚めると既にエリィの姿はなかった。
ベッドを抜け出し部屋を出ると、キッチンにて朝食の準備をする女性陣二人の姿を発見。その内の一人であるアイリーンは、千司の顔を見るや否や、ハイライトの消えた瞳を向けてきた。
「うふふふ、昨夜はお楽しみでしたね」
「……何のことだ?」
「ごめんナクラ。実は部屋から出るところをアイリーンに見られてて……」
「……なるほどな。だが、何もないぞ」
「またまた、ここにはセレンさんも居ないのですから隠す必要はありませんよ。水臭いですね、お二人とも」
ニコニコと、エリィに背を向けつつ千司を見つめるアイリーン。
その後方ではエリィが苦笑いを浮かべていた。
千司はアイリーンの追及を躱しつつ朝食を手伝い、テーブルに料理が並ぶと、三人揃っていただきます。
食材は王都出発の時から持っていた残りと、昨日村人たちに押し付けられた野菜や肉を使用。残りは王都に戻るまでの食事に充てる算段であった。
ぱくぱくと可もなく不可もない料理に対し「美味しいよ、エリィ」と嘘を並べ立て、自然と笑みを濃くする彼女を観察する千司。昨夜の添い寝も相まって、その精神状況はかなり回復して見えた。
食事を終えて片付けを済ますと——いよいよだ。
「大丈夫か?」
「……うん」
場所は移って屋外。エリィの家からそう離れていない距離にある一軒家の前に千司たちはいた。曰く、イル・キャンドルと、その妹リタ・キャンドルの家。
病弱のリタは、決して歩けない訳ではないが、体力がなく基本的にベッドの上で寝たきり状態。村の人々が交代で世話をしているらしい。年齢は今年で十二歳とのこと。
「本当について行かなくてもいいのか?」
「……うん、ここまで来てくれただけでいい。後は、一人で頑張る」
そう呟くと、エリィは自身の両頬を叩いてから、家の中へと入って行った。
必然、残されたのは千司とアイリーンの二人。これまで黙っていた彼女は、周囲に人影がないことを確認すると、千司にだけ聞こえる声量で呟いた。
「好きなのですか?」
「何のことだ」
「とぼけなくてもいいじゃないですか。私はただ拗ねているだけです。私の方が先に貴方を好きだったのに、まさかエリィさんに先を越されるとは思ってもみませんでしたので」
その言葉に、千司は内心『面倒くせぇ』とため息を吐く。
(前々から思ってたが、こいつ妙なところで普通の人間っぽいよな。……いや、別に人外という訳じゃないからおかしくはないんだが)
殺人を前にして『あへあへいひひっ』と股を濡らしながら絶頂している人物と同一とはとても思えない。
などと考えつつ、千司は淡々と答える。
「だから、何もしていないって」
「どうだか……セレンさん曰く、ナクラさんの下半身は大変乱れているそうですし? それに、エリィさんとはとても仲がよろしいそうですし」
「それに関してはアイリーンのおかげだな。お前の協力があったから、ここまで仲良くなることができた」
「私の? ……あぁ、あの
「そうだ」
思い出すのは遺跡に向かう途中。
夜間、雨の降る森の中でブラックウルフに襲われた時のこと。
夜が明けた後、エリィはゴブリンの死体が木に吊るされているのを見たと言っていた。千司は切り殺した死体の一部が引っかかったとはぐらかしていたが——当然嘘。見間違いでも幻でもなく、れっきとした事実である。
千司はエリィの好感度を稼ぐためだけに、あの状況を準備した。恐怖により精神的に追い詰め、感情の発露を誘発した。
その為に、千司はアイリーンと共に夕食前に「薪を集める」と言って森に入り、ゴブリンを惨殺。木に吊るし、血の匂いでブラックウルフが集まるように仕向けたのだ。
(明るくなって、エリィに見つけられた際は焦ったが……ああいう時『偽装』は便利だよなぁ~)
何はともあれアイリーンの協力の賜物である。あれが無ければ、幼馴染が死んで心を閉ざしていたエリィの信頼を勝ち取ることは難しかっただろう。
「すべてはアイリーンの協力があったからだ」
素直に褒める千司に対し、しかしアイリーンは口をへの字に曲げた。
「別に、嬉しくない。だって、アリアがそうしてるのは全部ドミトリーと……」
「言葉遣い」
「……申し訳ありませんでした。でも、私は貴方が好きなのです」
「もちろん分かっている。安心しろ、俺もアイリーンに喜んでもらおうと、現在進行形で準備中だ」
「……?」
「まぁ、あとのお楽しみってことで」
頭上に疑問符を浮かべていたアイリーンだが、最終的には無理やり納得するように頷いた。
「分かりました。楽しみにしてます。……それで話は変わりますが、お二人は仲直りできるでしょうか?」
「ん~、どうだろうねぇ~」
「え?」
はぐらかす千司の言葉に、アイリーンはキョトンとした表情を浮かべる。これを無視し、エリィが入って行ったキャンドル家へと視線を向けた。そして思う。
(まぁ、無理だろうな)
と。
エリィはイルの死を、ある程度乗り越えている。
後悔やトラウマはあれど、死という事象に対しては納得している。
それだけの時間が経過したのもあるし、千司やアイリーンと打ち解け、その胸の内のしがらみを吐露したのが大きい。
(——が、リタ・キャンドルは違う)
それは感情のズレ。
(イルが死んですぐのエリィなら、何も問題はなかっただろう。リタと同じ傷を持ち、二人で舐め合いながら立ち上がる道もあった。……が、既にエリィは立ち上がっている。死を乗り越え、前を向いて歩き始めている)
感情のズレが、どんな結末を迎えるのか。
「私とお兄ちゃんの家から出て行けッ!!」
家の中から聞こえた絶叫が、すべての答えだった。
§
(ん~! 面白くなってきたなぁ~!)
千司は内心で狂喜乱舞しつつ、表情を『偽装』で取り繕い——現場を
ドアを開けると、先ほど聞こえてきた少女の声が廊下の奥の部屋から響いて来る。絶叫にも似た、耳心地のいい悲鳴である。
千司は逸る気持ちを抑え、慌てた表情を浮かべながらも部屋に近付き――丁度室内から後退るように出てくるエリィの姿を見つけた。
「エリィ――っ」
「……っ、ナクラ」
悲痛な表情を浮かべるエリィに興奮を禁じ得ない。真剣さを『偽装』しつつ、彼女を支えるように近付き――同時に室内へと視線を向けた。
質素な部屋の真ん中に、大きなベッド。
そこには見覚えのある少年の面影を持つ、一人の少女の姿があった。
怒りで吊り上がった瞳をエリィに向ける少女は、容姿こそ整っている物の、全体的に細く、とても健康とは言えない、幸の薄そうな雰囲気を醸し出していた。
彼女がリタ・キャンドルで間違いないだろう。
リタはベッドの上で上半身だけ起こし、怒りに肩を上下させながらエリィと、突然の闖入者である千司を睨みつける。
「はぁっ、はぁっ……お前、誰だよ」
鋭い視線と共に、吐き捨てるリタ。
これを受け、千司は胸中で笑みを浮かべる。
(その質問を待っていた)
千司はエリィを側で支えつつ、対面のリタに答える。
「俺はエリィの仲間だ。ひとまず落ち着いてくれないだろうか?」
宥めるように。
気遣う様に。
それでいて、エリィ・エヴァンソンという少女が決して一人ではないことをアピールする。
瞬間、リタの目が大きく見開かれた。
頬の筋肉がひくひくと痙攣。
呼吸が浅くなり、憤怒と軽蔑の籠った視線をエリィへ向ける。
そうして吐き出された言葉は、底冷えするような憎悪が込められていた。
「……死ねよ」
「……っ、まって、リタ――」
「死ね、死ね死ね死ね死ね……っ! お前なんかっ、お前なんか死んじゃえ!!」
「ちが——」
「出てけよ、出ていけ! 私とお兄ちゃんの家から早く――うっ、ゲホッゲホッ! ゲホッ」
大声を出した反動か、口元を押さえて大きく咳き込むリタ。
苦しそうに背中を丸め、目尻に涙を浮かべる彼女を見て、すぐさまエリィが駆け寄る。
「リタっ! だめ、落ち着いて! 安静にしてないと——」
そうして差し伸べられた手は、しかし当然のごとく弾かれた。
「触るなっ! 触るな、触んなよ……っ!! ……っ、げほげほっ! ……っ、なんで、お前みたいなのに、お兄ちゃんが……っ、お前が死ねば良かったんだよ! この糞女ッ!!」
「……っ」
幼い少女から向けられる、何処までも純粋無垢な憎悪に、エリィは堪らず閉口。されどリタは言葉を止めない。
「何でお前が生きてて、お兄ちゃんが……っ、ふざけるなふざけるな! ふざけ——げほげほっ!」
「リタ!」
「……私の、たった一人の家族だったのに。……私は、一人になっちゃったのに……」
リタの瞳が千司を捉える。
千司は何も答えない。
ただ笑いそうになるのを必死に『偽装』で取り繕い続ける。
「ち、ちが……リタ、違うの。話を——」
それでも食い下がろうとするエリィであるが、リタは静かに俯いた後、ベッドのシーツをクシャリと握り、涙をボロボロとこぼしながら、怨嗟の声を吐き出した。
「もう、二度と私の前に現れないで」
「……っ」
エリィの表情が悲痛に歪む。
顔面は蒼白となり、手足に力が入らなくなったのか、その場にへたり込んでしまった。両目からは涙が止めどなく溢れ、縋るようにベッドへと伸ばされた腕は、しかし何を掴むことなく力が抜ける。
「……エリィ、一度出直そう」
「……」
「リタ、だったか。家に無断で入って悪かった」
「……お前も死ね。そこの女と一緒に死ね」
「……失礼する」
千司は短く言葉を告げ、座り込むエリィに肩を貸して立ち上がらせると部屋を後にした。部屋の外にはアイリーンの姿があり、彼女は落ち込むエリィを見つけるや否や、気遣う様に駆け寄った。
「エリィさん……」
「ひとまず帰ろう」
「……そうですね」
アイリーンの呼びかけにも、欠片も反応を示さないエリィ。
そんな姿を見て、千司は内心とても興奮していた。
『偽装』スキルを用いてチンポジを修正しつつ、キャンドル家を後にするのだった。
§
エリィの家に戻ると、彼女は立ち上がることも出来ず、リビングの隅で抜け殻のように座り込んでしまった。
目元は赤く泣き腫らし、流れた涙の後が頬に残る。心ここにあらずと言った様子で呆然としているかと思えば、時折何かを思い出したように震え、髪をぐしゃっと掴み、苦悶の表情を浮かべていた。
そんなエリィを前に、千司は内心で狂喜乱舞。
(あぁ~っ! なんって素晴らしい表情をするんだ!! まったく、エリィちゃんは最高だなぁ~!!)
ここまでの流れは千司の想定通りだった。
エリィとリタの仲直りが上手くいかないことは感情のズレから容易に想像がつく。そして生じた軋轢の中に、千司が飛び込めばどうなるか。リタの瞳には『男に支えられて立ち直った少女』としてエリィが映ったことだろう。
(加えて、門番のトニーくん曰くイルはエリィに好意を寄せていたようだしなぁ~)
その真偽が定かでなくとも、問題はない。
要は、周囲の人間が『イル・キャンドルはエリィ・エヴァンソンに好意を寄せている』と思っているかどうかが重要だった。
そして、門番のトニーが知っているのなら、妹であるリタ・キャンドルも当然知っているだろう。
(雑魚中の雑魚であるイルくんが冒険者をしていたのも、ただエリィに誘われたからだけではなく、彼女に好意を寄せていたのなら納得できる)
これらを含めてリタの視点に立てば、現実はあまりにも非情となる。
病弱の自身を置いて、想い人と冒険者になった兄。そんな彼の訃報を伝えに来たのは、何処か落ち着いた様子のエリィ。感情のズレから口論になる中、彼女の隣には兄ではなく別の男が立っていて——対する自身は唯一の身内が死に、天涯孤独の身。
そんな状況に、十二歳の少女が耐えられるはずがない。
(……あぁ、みんな苦しんでいて、本当に楽しいなぁ~)
千司は興奮の収まらない表情を『偽装』しつつ、膝を抱えるエリィの下へと近づく。弱っている姿も素晴らしいが、弱っているならその隙を突かない手はない。
何故なら——。
(エリィちゃん、キミにはさらなる地獄が待っているのだから)
「……大丈夫か、エリィ」
「……」
「今回は、タイミングが悪かっただけだ」
「……にも、知らないくせに」
「そうだな。だが、何も知らないからこそわかることもある」
「……」
無言で膝を抱えるエリィ。
千司はちらりとアイリーンに目配せ。
彼女は小さく頷くと、優しい声音でエリィに寄り添った。
「そうですよ、エリィさん。リタさんはきっと、突然の訃報に混乱しているだけです。時間を空けて、もう一度落ち着いて話し合えば、わかってくれます」
「……」
「そうだ、エリィは何も悪くない。当然リタもだ。幼馴染の彼が亡くなったのも、事故——いや、王国の非である可能性が高い。二人は被害者だ。そのことを話せば、彼女もきっと理解してくれる。……だろ?」
エリィを挟んで両側から、千司とアイリーンは慰めの言葉を口にする。
大丈夫。分かってくれる。
エリィは悪くない。リタも悪くない。
イル・キャンドルが亡くなったのは不幸な事故だ。
二人はただただ純然たる被害者でしかない。
「だからエリィ、顔を上げてくれ」
「……っ」
小さく震える肩に触れ、傍に居る事を強調する。
エリィはゆっくりと顔を上げ、千司を見つめた。
涙でぐちゃぐちゃになり、鼻をすする哀れな少女。
そんな彼女に反対からアイリーンも優しく囁く。
「私たちは仲間です。エリィさんとリタさんのお二人が仲直りできるよう、全力でお手伝いしますよ」
「アイリーン……」
エリィは顔をクシャりと歪め、再度溢れ出した涙を袖口で拭いながら、嗚咽交じりに感謝を述べた。
「ふ、たりとも……あ、ありが、とう……っ」
「気にするな」
「そうですよ。その代わり、私たちが困ったときは、エリィさんを頼らせてくださいね」
「……ん、うん……っ」
力強く頷いたのを見届け、千司は一息つくのだった。
§
その後は三人で今後の予定について話し合う。
エリィとリタの仲直りに関しては、流石に今日明日でどうにかなる問題でもない為、一度保留。村の人にそれとなく概要を伝えて、一度王都に戻ろうという事になった。
出発は明日。
同日は英気を養う事も兼ねて、一日村でゆっくりと過ごす事となった。昼食を終え、リビングにて三人談笑していると、突然家の扉がノックされる。エリィが対応しに向かうと、来客は門番のトニーであった。
曰く、近くの森でゴブリンを見たので、力を貸して欲しいとのこと。
普段村を守っている狩人の男性でも十分に対処可能だそうだが、それでも専門家である冒険者が居るのならこれを頼るのは決して悪手ではないと判断したらしい。
特に、エリィに関しては村の出身者である。
「ちょっと行って倒してくる」
「俺も行こう」
「いいの? お金出ないよ」
「気にするな。何もせずゆっくりするのも少し暇だったからな。それに、エリィの村だ。守ってやりたいと思うのは当然だろう?」
「……ありがと」
感謝を述べるエリィ。
「もし索敵が必要なら私も行きましょうか?」
「そうだな……トニー。細かい出没位置はわかっているのか?」
「それに関しちゃ問題ねぇよ」
「わかった。……だそうだ、アイリーンは家で休んでくれていて構わない」
「では、遠慮なくゆっくりさせていただきますね」
そうして、千司とエリィはトニーに連れられ森へと向かった。
植生は王都周辺に広がっていた森とそこまで大差がない。
しばらく歩いていると、ゴブリンの痕跡を発見。
まだ真新しい、が……。
「……数が多いな」
「遺跡から逃げてきたのかも」
「あり得るな。大半は殺したが、見落としはあるし……と」
千司は背後から奇襲してきたゴブリンを殴り飛ばす。
ゴブリンは首の骨がゴキリと折れて絶命した。
「……す、すごいなアンタ。冒険者ってのはそんなに強いのか?」
「ナクラは冒険者の中でもかなり上の方だよ」
「そうだったのか!? すまねぇな、金も出ねぇゴブリン退治なんか頼んじまって」
「構わんさ」
などと話している間にもゴブリンが攻撃を仕掛けてくる。基本的に千司が迎撃。エリィもナイフを使って対処していた。トニーも昨日手にしていた槍ではなく、森の中でも取り回しやすいナイフを握って、一、二匹仕留めていた。
合計にして十五匹ほど。
しばらく探索を続けてみるが、それ以上現れることはなく、空が茜色に染まっていた。
「今日はもう帰るか」
「そうだね。掃討したか……そうじゃなくてもここが危険って流石にわかったと思うし」
エリィの同意も得られたことで、一同は村へと続く帰路に付く。
「いやー、二人とも助かったよ! 個人的に礼をしたいんだが……いつまで村に居るんだ?」
「悪いな、明日にはもう王都へ出発するつもりだ」
「そうなのか……まぁいいや。ならまた今度村に立ち寄った時にでも声を掛けてくれよ! なんか礼を考えておくからさ!」
「あぁ、楽しみにしておく」
軽く握手を交わすと、トニーは次にエリィへと視線を向けた。
「そういやエリィ、リタには会ったのか?」
「……っ」
「あん? 何かあったのか?」
「……えっと、その」
エリィは逡巡した後、小さく息を吐いてからぽつぽつと話し始める。
王都でイル・キャンドルが死んだこと。そして今朝の出来事。
トニーはイルが死んだことに驚きこそすれ、エリィを責めるようなことはなかった。当然だろう。彼は大人である。決して思うところがないわけではないのだろうが、それでも感情的になり癇癪を起すようなことはあり得ない。
話を聞き終えたトニーは何を言うでもなくエリィの肩をポンと叩くと、千司に視線を移して告げた。
「そう言うことならリタの方は何とかするから、エリィの事、これからも頼んだぜ」
「あぁ、わかった」
そうこうしている内に村に到着。
千司たちはトニーに別れを告げて家に帰るのだった。
§
同日の夜。
千司がベッドで横になっていると、昨夜と同じく扉がノックされた。
返事をしてから扉を開けると、そこに居たのはこれまた昨夜と同じ人物。
「ごめん、寝てた?」
小首を傾げる寝巻き姿のエリィが、そこには居た。
「気にするな。それより何かあったのか?」
部屋に招き入れると、彼女はベッドの淵にちょこんと腰掛けた。その面持ちは何処か緊張して見える。
千司が隣に腰を落ち着けるのを待ってから、エリィは口を開いた。
「別に、何かあったってわけじゃ無い」
「そうなのか? なら一体——」
小さく深呼吸すると、彼女はおずおずと千司に体重を預けながら囁いた。
「ただ……ナクラにお礼を言いたくて」
腕が密着し、千司の肩に頭が乗せられる。
青い髪が肩口から流れて指先を擽った。
「礼なんて……結局俺は何の役にも立てていない。それどころか、二人の仲は現状最悪なことになっている。正直、申し訳ない」
「確かにね。……でも、ナクラやアイリーンが居なきゃ、私は伝えられないままだった。現状は確かに最悪だけど、でもやっぱりいつかは伝えなきゃいけないことだったって、今でも思ってる。だから——」
エリィは深く息を吸い込むと、千司の肩から頭を上げ、窓から差し込む蒼い月光を浴びながら優しい笑みを千司へと向けた。
「ありがとう、ナクラ」
全ての元凶へと感謝を囁くエリィ。
その瞳は仲間に対する信頼を越え、愛おしそうに千司を見つめており、頬は薄暗い部屋の中でも分かるほど、朱色に染まっている。
「……どういたしまして、エリィ」
「……うん」
答えると、エリィは満足そうにうなずいて、再度身を寄せてきた。腕を抱きしめ、おずおずと言った様子で指を絡ませる。体温が混じり合い、夜の静寂の中で互いの息遣いだけが聴こえて来る。
そんな短い静寂を、先に破ったのはエリィだった。
彼女は小さく深呼吸すると、か細い声で空気を震わせた。
「き、今日も……一緒に寝ていい?」
「もちろん、俺は構わない」
「……そ、そっか。……えっと、その……それじゃあ、寝よっか」
「そうだな。明日も早いだろうし」
言って、二人並んでベッドの上で横になる。
エリィはもぞもぞと身体を動かして、こちらをじっと見つめると、そのまま腕を抱きしめて来た。柔らかな胸が押し付けられ、その奥の早鐘を打つ心音が腕越しに感じられる。
ちらりとエリィに目をやれば、ばっちり視線が絡み合った。
エリィは小さく深呼吸を繰り返すと、上目遣いに見つめながら顔を近づけ――やがて柔らかな感触が、唇に押し付けられた。
「……んっ」
甘い吐息が漏れ、情欲を秘めたエリィの瞳が向けられる。手を伸ばして身体に触れても彼女は拒絶せず――夜はゆっくり更けて行く。
二人が眠りに就いたのはそれから二時間後のことだった。
§
翌朝、昨日にもまして不機嫌そうなアイリーンに小言を言われつつ、千司たちは王都リースへ帰るための準備を始めるのだった。