腹ぺこ少女は夢を見る   作:黎川暁明

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第四話

 グラトナは駆けていた。といっても獲物を追いかけているわけではなかった。

 彼女の後ろからは怒号、弾丸、そして皆一様に同じような黒服を纏った男達が追いかけてきていた。銃弾を受けた脇腹から血を溢し、雪の上に足跡と血痕を残しながら走る。

 満腹を知り、狩りを覚え、実際に獲物を仕留めてきたグラトナは決して弱くはない。初めて満腹になったあの日からまだひと月ほどしか経っていないが、一対一なら狼でも狩れる程度には成長していた。ゆえに人間の大人一人に負けるようなことはない……が、幾分か相手の人数が多すぎた。圧倒的な人数とピストルという近代武器の前にグラトナは本能的に逃げ出した。

 

 追いかけられている理由だが、その理由は満腹を知った次の日、そして今追いかけられている今日この日の一週間前にある。まず一つ目の理由だが、グラトナはその日、スラムを囲う鋼鉄のフェンスを越え、外へと逃げ出した。この時は問題なく逃げ出したが、追いかけてきた見張りを放っておいたのが仇になった。外見をギャングの中で共有されてしまったのだ。これにより「見つけ次第殺せ」という命令がギャングの中に出回ってしまった。積極的に追いかけらることはないにしろ、ギャングの中でお尋ね者になったことに変わりはない。

 次の理由だが、これに比べれば前者など大したものではなかった。その日、グラトナはいつも通り狩りをしていた。その日獲物に見定めた狼は特に大きく、早く、強く、そして何よりも美味しかった。大きな体躯にはバランスよく筋肉がつき、脂肪も程よく蓄えられており、それまでに狩った獲物とは比べ物にならないほどの味だった。しかし、その狼を狩ったのが悪かった。その狼はギャングの首領のペットだったのだ。放し飼いにされていたせいでグラトナは野生のものと勘違いしてしまった。獲物を追いかけるうちにギャングの首領の家の敷地内に入ってしまっていたグラトナはその姿を見られてしまっていた。

 この二つめ事件により、命令が「必ずあの女のガキを探し出して殺せ」まで繰り上がってしまうことになった。だが、皮肉なことに追われる原因になったのが狩りなら、逃げ続けられた理由も狩りだった。一週間、銃を携えたギャングの集団から逃げ続けられたのは、狩りで動き方を覚え、感覚を磨き、きちんと食事が出来ていたからだった。

 しかし、この一週間まともに狩りも出来ず満足に睡眠もとれないまま追われ続け、グラトナの体力は限界に近い。捕まれば必ず殺される。だからこそ、精神力で体を動かし、ぎりぎりのところで逃げ延びていた。

 だが、今朝がた脇腹という急所に弾丸を受けてしまった。たった一発、されど一発。まだなんとか動けてはいたが、空腹、睡眠不足、疲労、失血、それらが重なり、精神力も尽きる寸前。いつ倒れてもおかしくなかった。

 

 

 少しずつ重くなる体を無理矢理に動かし走り続ける。と、倉庫がその重い鉄扉を開き、真っ暗な口を開けているのを見つけた。体力も限界に近い。一も二もなくグラトナはその闇の中に飛び込んだ。

 抜けそうになる最後の力でなんとか鉄扉を閉じ、扉を背にへたり込む。月明かり一つない闇の中で荒い息を整えようと深呼吸をしようとした瞬間、闇の奥に光が現れた。かと思えば、右にも左にもそれらの間にも、同じような光が現れた。コツ…コツ…と足音をたてながら近づいてくるそれは、何度も見た黒い服を着た男達だった。

 

「ようやく会えたなぁクソガキィ…」

 

 口を開いたのはグラトナの正面にいた鋭い目つきをした灰色混じりの黒髪をした初老の男だった。

 

「はぁ…はぁ…、おまえ……だれ……? なんで……わたしを、追いかける、の……?」

 

 まだ荒い息を整えつつ、グラトナは問い返す。グラトナにとっては、スラムを抜け出したことは罪だと分かっても、狩りに関しては分からない。なぜここまで怒るのか分からなかった。

 

「テメェが俺達の決めたルールを破った身の程知らずで!俺のブラドを食い殺しやがった仇だからだよ!」

 

 顔を歪め、叫ぶ様に答えたその男は返答と共にグラトナの脚に弾丸を撃ち込んだ。

 

「テメェはすぐには殺さねえ。見せしめとしてゆっくりと拷問してから殺す。せいぜい後悔しながら死んでいけ」

 

 その言葉を最後に、男はグラトナに背を向け暗闇の中に消えていった。男が居なくなるのと共に、グラトナを囲う様に立っていた黒服たちが倒れ伏すグラトナに近づいていく。それぞれが手に銃やナイフといった武器を持ち、冷たい目でグラトナを見下ろしていた。

 

 グラトナの心に恐怖が芽生える。満腹を知った日から、確実に捕食者として成長してきていた。それでなお、勝てない。殺される。あの海にいた怪物を喰うことも出来ず、きっと食われることもなく自分が腐って消えていく。それが怖かった。

 

 息はもう整っている。疲労も、少しは軽くなった。弾丸の食い込んだ右脚は上手く動かないが他は動く。

 

───どうせ死ぬなら、満腹で死にたい。

 

 ゆっくりと、しかし確実にグラトナは立ち上がる。

 

「いただき、ます……」

 

 狩りが、始まった。

 

 

 

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 翌朝、初老の男が戻ってきた。昨日抜け出した裏口の鍵を開け、そのままドアを開ける。むせかえるような血の匂いに口の端を吊り上げ、倉庫の中に声をかけた。

 

「おいおい、出来うる限り苦しめろとはいったがよくここまでやったなぁ!」

 

 しかし帰ってくる声は無い。男は眉をひそめ、倉庫の中へ入った。靴裏に粘つく液体を感じ、初めて違和感に気づいた。

 

──たかだか一人の小娘からここまでの血が流れるか…?

 

 懐のピストルに手をかけ、ゆっくりと進む。荷物の影から出た先で見たのは、

 

 折り重なる様に倒れた、血まみれの部下達の死体だった。

 

「なっ!何が起こった!敵勢力か!」

 

 大量の部下の死体に狼狽した男は、焦りを隠せないまま引き抜いた銃を周囲に向ける。しかし、彼は上から降りてくる影に気づけなかった。

 

 骨の折れる鈍い音、続いて、水溜りに大きいものを落としたような、派手な水しぶきが倉庫に散った。

 

 

 

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 夜が明け、日が登って沈む。そしてもう一度夜が明け、日が登って沈む。水平線の先にたいようが沈む頃になってようやく倉庫から出てきたのは全身が紅い少女一人。少女は満足そうに大きく膨らんだ腹を撫で、ぺろりと唇を舐めて去っていった。

 少女が出てきた倉庫はむせかえるような血の匂いで満たされ、床も壁もで真っ赤に染まっていたが、肉片の一つもなく、怪奇現象としてしばらく噂が絶えなかった。

 それからしばらくして、北の海のとある国からギャングが居なくなった。その国は、それから少しだけ、暮らしやすくなったそうだ。

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