温泉シグレのリベンジなお話。
「あ、起きたんだ先生。気分はどう?」
真っ暗な底から目覚めれば、ビー玉を転がすような小気味よい
枕から顔を上げると、ぼんやりした視界の中心には、机のそばに立ち、耳を立てて、尻尾を少し揺らす少女がいた。
尻尾を揺らしているのは、なにも嬉しいからとかではない。ミキシンググラスの中身を長いマドラーでかき混ぜていて、その振動で揺れているのだ。
「……シグレ?」
「おはよう。お疲れの目覚めに一杯、どうぞ?」
にこっと笑い、とくとくと細いスキットルの飲み口に、漏斗も使わずに綺麗にフルーツ牛乳を注ぎ、優しく差し出してくれた。
私は、蠱惑的なベリーの香りのするスキットルを受け取って半ば夢心地のまま周囲を見渡す。
……ここは、シャーレの休憩室?
「……あれ?私にはまだ、仕事が……」
「私にもできるやつだったから、全部やっておいたよ。後で確認だけお願い」
「えっ……」
「ふふふ、突然来てみたら、オフィスで気絶してるんだもの。仕事の山の前でね」
「……あの、結構な量を、やってくれたの?」
「何時間かかかっちゃった。先生ったら、最後に纏めて単純作業なやつをやろうとしたんでしょう?それで、パンク。合ってる?」
シグレは私の傍に腰掛け、ちょっぴり得意げに口角を上げた。
「……ごめん、あんな大変なことをシグレ一人にやらせてしまって」
「おかしいのはあれを先生一人にやらせる連邦生徒会じゃないかな。妖怪MAX の飲み殻を何本もそのへんに転がして、倒れてて……見つけたとき、肝が冷えたよ?」
彼女は少し、本当にほんの少し眉をひそめてみせる。そして、私の顎に、まるで壊れ物を触るかのように触れてきた。
「……シグレ、ごめん」
「謝らないで」
「……」
「謝るだけじゃ、何にもならないよ。そうじゃなくて……『もうしません』。そう言って?」
どうしよう。
シグレは滅多に笑顔を崩さないし、今も崩してはいないのだが……これ多分、超怒ってる。
「……もうしません」
「心が籠もってないね」
「……もう、しません」
「よろしい。次やったら、私はノドカの覗きを幇助するからね」
おそらく本気であろう脅迫を添えて、彼女はいつもの間宵シグレへと返った。
「……ほら、氷が溶けちゃわないうちに飲んで?ものすごーく、こだわったレシピで作ったんだ」
「……いただき、ます」
「うん」
これは……あのフルーツ牛乳バーで出しているものより、ランクが高そうだ。……多分。まだ口にもしていないのに、違うとわかる。
まず牛乳からもう違う。とろみが濃いうえ、液体なのにも関わらず、どこかふわりとしているような印象を覚えた。
そして、ベリーとバナナの豊潤な香りが、働き過ぎとエナジーの飲み過ぎ胸やけを和らげてくれる。多分、飲みやすさがコンセプトだろうか?
なんだか飲むのが勿体ないような本末転倒な感を引っ込め、口にしてみる。
「…………」
言葉も出なかった。
神様が地平に雫を落としたとしても、ここまで美味しくはないと思う。
「いいでしょ?ベリーは私が育てた。バナナは特殊な筋から、レッドウィンターじゃ厳しい経路で……おっと、裏側をべらべら話すと、味わいの感動が台無しだ。黙るね」
ここで気付いた。さっきシグレが立っていたテーブルの傍には、手提げ鞄サイズのクーラーボックスがあった。
「……わざわざ、私の為に、材料を持ってきてくれたの?」
「言うつもりはなかったけど、そうだよ」
胸が、ぶわっとなった。
「……少し、泣きたいかも」
「いいよ?」
「いや、情けないからやめておく」
「そう。ほらほら、飲んじゃって」
「……いいのかな、こんなに良いものを飲んでしまって」
「気にしないの。これは私の、ほんの気持ち。いつもお疲れ様、先生」
「……先生やってて、よかった」
「私もそう思うよ」
シグレに急かされない程度にゆっくりと、味わってフルーツ牛乳をいただいた。
ありえないぐらい元気が出た。今から三十時間ぐらい連続で働けそうな気がした。しないけど。
「……で、先生。時計を見てくれる?」
「え?」
……終電はとっくのとうに過ぎている。彼女はオコジョ耳をぴょこぴょこさせ、芝居がかって言う。
「今度は私が帰れなくなっちゃったね。ところで先生、私最近冷え性気味なんだけど」
「シグレ、ちゃんと空調は効いて」
「私、湯たんぽが欲しいなあ」
「空調は効」
「ああ人肌恋しいなあ」
「空ちょ」
「心と仕事の助けになってくれたお代を支払いたくてたまらないって感じの大人がここに一人いるなあ」
さっきの、気持ちがどうとかという台詞は忘れたらしい。
「空」
「終電を逃して愛しい我が家に帰れなくなった可哀そうな生徒を見捨てて一人で寝かせる先生なんて、まさかこの世にいないよねー?」
「く」
「バニーのメイドさんと一緒に寝たことあるんだよね、先生?」
言葉の鈍器でどつかれた。完璧な不意打ちで。
「任務で一緒になってね、先生の話になったとたん、なんか対抗意識燃やされちゃって……それで本人から聞いちゃった」
トキにもっと口止めしとけばよかった。
「……先生、何か言いたいことは?」
「私の負けだ。一緒に寝ます」
「よし。……そして勢いに乗って、なにかを」
「しません!」
「……と見せかけて?」
「し、ま、せ、ん!!」
「ちぇー」
その後、入浴中に乱入されそうになった。なんとか切り抜けた。
そして、眠気が来ない上、明日の午前中は珍しく休みだったので、しばらく一緒に静かな映画を見たりした。
お泊り会みたいで、なんだか楽しい。シグレも私も、少し興奮気味だった。
……とうとう眠くなって、ついに布団に入る時がやってきた。
もう嫌でも、あの日の
「じゃ、電気消すよ」
リモコンがピッと鳴り、照明が落ちた。
シグレが「おいで」と、声を低く潜めて誘ってきた。……人の気も知らないで。
私は一緒のベッドの右側に寝転がり、シグレの反対側を向いた。
「先生の意気地なし」
耳元でささやいてくる。恐らく作為的に、吐息を聞かせてくる。
今すぐこの少女を組み伏せたくなるのを抑える。私は先生だ。駄目だ。イオリの事とか考えて正気を保たなければ……ああ無理だ、シグレの現実感が強すぎる。
「……教師は聖職なんだよ、シグレ」
「変なことさえしなければいいんでしょう?せめてこっち向いて寝てよ」
「はっはっは。私を社会的に自殺させる気かい?」
「そうなったら、旧校舎で一緒に暮らそうよ。みんな大歓迎だよ?」
「……それは、ちょっと楽しそう、かも」
「大変でもあるけどね。でも、冬じゃなければそこまでだし、どう?」
「……」
「私たちとの、人生一生ツアー旅行、行先はレッドウィンター」
信じられないことに、シグレは抱き着いてきた。
胸のふくらみが片方、背中にくっついてくる。
胸に回された手は、しなやかで、犯罪的な扇情を感じさせる。
暗さに慣れてきた目に映る、細くて白くて、綺麗すぎる腕。……手の甲と、その先の細い指。爪の鮮やかなマニキュアが、カーテンの隙間から差す月光を照らし返す。
「お代は一切、いただきません。なんて……ふふっ」
「シグレ」
「……先生。楽に、なっちゃおうよ」
「……」
「今までいろんな生徒に、そういう感情を向けそうになってきたんじゃない?……酔っちゃお?私は、先生と、この毒に酔ってみたいな。……誰にも内緒で」
シグレはそう言って、抱き着くのを止めた。そして私の傍から少し、のそのそと離れた。
なんだろうと思っていると、背後で、衣が擦れる音がした。
……着ているものを、脱いでいるような音が。
「ちょっと……」
「大丈夫。着替えてるだけ。ほら、もう終わった」
「着替え?」
「こっちだよ。向いて」
「……」
「信じてくれないの?私の、湯たんぽになってくれるって言ってたのに」
湯たんぽの役割はそんなものじゃないと思う。
そんな突っ込みができる余裕があれば、どんなによかったか。
私は、心臓をバクバクいわせながら、必死に呼吸を整えようとしていた。
あのシグレの体温と、背中に当たったものと、腕の感覚と、それから、シグレが私に向けてくれる想い……それらの幻影を必死に追い払おうとしていた。
「……えーい」
待ちくたびれたシグレは、私の右肩をぐいっとやり、仰向けにさせた。
「……どう?」
……肩のはだけた、浴衣のシグレだった。
月の光が、シグレの柔肌の色を引き立てている。
「ごめんね、ほんとは持ってきてたんだ。作戦通りといったところかな。いつチャンスがくるかわからないから、一応ね……わっ」
捕まえて、抱きしめた。
少女の肢体を、本当に間近に感じた。私に悪いものを飲ませようと誘い続けてきた、この子の身体を。
ふーっ、ふーっ、と荒く呼吸しながらも、必死に、この気持ちを殺そうと奮闘した。
まだ、引き返せる。
間近のシグレの心拍も、あの翠色の声を生む声帯から出る息遣いも、まぼろしだ。
悪い酒を飲んだようなものだ。いますぐ、やめればいい。これを飲んではいけない。
まだ、私は立ち直れる。
だから。今すぐにこの子を離して、私は別室に移って……。
「……ちゅっ」
頬に、暖かくて小さくて柔らかい感触が触れた。
私のなにかが切れた気がした。
「先生。息、凄く荒い。……罠に掛かっちゃった、動物みたい……ふふ、余裕のない先生も好きだな、私」
「シグレ」
「なあに」
「……ごめんね」
右に寝返りを打って、シグレを組み伏せる。
今度は下に回ったシグレは、恥ずかしさ半分に勝ち誇り半分、という感じの顔をしていた。
彼女も、私の欲動にあてられたのだろう。呼吸が早くなって、少し頬が赤くなっていた。
「……ああ、獣みたいな顔してる先生だ。ずっと見たかったんだ、そんな顔」
「……ごめん。ごめんよ、シグレ。君が……欲しくて、もう、抑えられない」
「謝らないで」
「……」
顔は上気して、興奮だか緊張だかで微かに震えながらも、シグレはにこっ、と笑う。
「謝るだけじゃ、何にもならないよ。……そうじゃなくて……ね?」
「……もう、しない」
「ふふっ、何を?」
「君から目を背けるようなことは、しない」
「よろしい。……たくさん、酔って、酔わせてね?」
「……うん」
私達は笑い合う。
ぎゅっと、片手を繋いだ。もう、この繋がりは切れなさそうだ。
……二度と。
シグレが気絶先生を癒して、代価に今度こそ同衾する話 完
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コユキちゃんが私を泣かせた
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ミサキ「先生が高熱だって」〜
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ミユとの絆レベルが100の状態で〜
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二年生コユキは諦めない
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シャーレに来たシグレが多忙で〜