いや~、暑いね!
ちょっと掛かり気味な初夏の陽気。
トレセン学園も各所に水分補給スポットと
そして、そこには溶けた輪郭。
漏れ出る言の葉が煙みたいに太陽目指して昇っていく。
「レースのことは考えないレースのことは考えないレースのことは考えないレースのことは考えないレースのことは考えないレースのことは考えないレースのことは考えないレースのことは考えない…………」
「クロノちゃんどうしちゃったの?!」
「文字数稼ぎだねぇ」
この世のものでないモノを見るようなハートちゃん。
100文字くらいしか使ってないのに辛辣なロン。
「うん、まあ……いろいろあるんだよ……」
とはいえ事情を説明したところで話が始まる訳でもない。
私はパンパン! と手を叩いた。
「ほら、やるよクロノちゃん!」
「――――……ハッ!!!」
スミマセンちょっとボンヤリしていましたと言うのは、芦毛のウマ娘クロノジェネシス。
「じゃあ、ちゃっちゃと始めますかね」
「はい。皆さん、今日はよろしくお願いします」
クロノちゃんは丁寧に頭を下げる。
ここは練習コース。
私たちは全員体操着。
となればもちろん始まるのは、模擬レース。
それも、単なる模擬レースじゃない。
…………このレースは。
クロノちゃんが
「あー、ちょっといいかな。クロノジェネシス」
「悪いが
…………。
ながーい沈黙。
クロノちゃんの顔からストンと表情が落ちて、目の焦点が揺れて……。
「え、え……っ?」
「そりゃそうだろ。大逃げはリスクが大きい。これは
アイネスフウジン、ミホノブルボン、サイレンススズカ選手のことは知っているなとトレーナーさん。
……いずれも逃げ戦術を採用して、G1の栄光は掴みつつも怪我に悩まされることになる選手たちの名前をトレーナーさんは挙げる。
「な、なら身体に負担がかからないようにペースを調整して……」
「調整? なにに併せて?」
「もちろんレース展k……」
そこでハッとするクロノちゃん。
「そうだ。レース展開に併せるということは、レースのことを考えなければいけない。つまり?」
「マトモな大逃げをすれば、レースのことを考えてしまう……なら破滅逃げ?!」
「そうだ。そして俺は破滅逃げを許可しない。世間様にバッシングされるのは勘弁だからな」
「そんなぁ!」
今日何度目かの絶望真っ青顔になるクロノちゃん。
いや、でもさ。ちょっと待って欲しいんだけれどさ。
「ええと、ちょいいいですかね?」
「なにかな。ヒシミラクル学生」
「問題なのはレース予想することそのものではないですよね?」
そう、ジャーニー先輩が問題にしていたのはクロノちゃんがアイちゃんの担当賭け投票券を手にしていたこと。
「ていうか、バッシングという意味では代理購入の方がヤバいのでは???」
つまり未成年のウマ娘が勝ウマ投票券を買って――――厳密にはトレーナーさんに代理購入させて――――いることが問題なんだから、勝ちウマ投票券を買うのをやめればいい話じゃないの?
「ヒシミラクル学生。きみは青ノリのないお好み焼きを許容できるか?」
「いえ無理ですけど」
「クロノジェネシス学生にとっての投票券は青ノリなんだよ」
「……」
うっわ、イヤーな例えをしますねトレーナーさん。
青ノリ。
それは鮮やかなミドリ。
磯の香りとほのかな甘み。
確かに、青ノリがなくてもお好み焼きという料理は成立する。
けれども、鉄板の上でアツアツになったお好み焼き――――そこにパッパッ、と青ノリにカツオ節を振りかけられない日が来たのなら。
それを私は、本当にお好み焼きであると呼べるだろうか?
「そういうわけだからクロノジェネシス学生。レース予想をやめるのは諦めなさい」
ほら今日からきみの得意な大泊レース場開催だぞとパッドを差し出すトレーナーさん。
対するクロノちゃんは一歩後ずさり。
「で、ですが……これ以上トレーナーさんに迷惑をかけるわけには!」
「なーにバレなきゃ問題ない」
ちゃうちゃう!
バレたから問題になってるんですよトレーナーさん!!!
「うーーん。あのね、そもそもね。レース予想ナシでレースに勝てるほど甘くないからな?」
「で、でも」
「クロノジェネシス」
トレーナーさんは真剣な表情。
「きみは、
大逃げ戦術――――それは、弱者の戦術。
身体が小さい、競り合いに勝てない、闘争心剥き出しの他ウマ娘にビビってしまう……いろいろな理由で普通の最終直線に勝ち目を見いだせないウマ娘が、追い抜かれないためのセーフティーリードを作るための戦術。それが大逃げ。
「けれど、大逃げが間違っているとは限りません!」
「そうだな。ではツインターボ選手は逃げることを諦めたのか? きみはレース予想から逃げているだけで、レースを諦めてはいないか?」
「それは……」
言い淀むクロノちゃんに、トレーナーさんはまあいいと手を振る。
「論より証拠だ。ヒシミラクル、悪いがクロノジェネシスと模擬レースをやってくれ」
え。急に巻き込んでくるじゃん。
「やってくれたら次のレース向けのトレーニングと作戦考えてやるから」
「んも~しょうがないですね~~~約束ですよ?」
「――――――1着はハートリーレター」
クビ差で2着クロノジェネシス、3着ヒシミラクルで4着がビロンギングスだな。
ストップウォッチを手にしたトレーナーさんがそう言う。
うーん。もうちょい、あと50メートルもあれば届いたんだけれどなぁ……前の2人は明らかバテてたし。
「はぁ、はぁ……ありがとうございます」
肩で息をしながらお礼を言うのはハートちゃん。
トレーナーさんは小さく頷いて、それから付箋紙に何かをメモっていく。
「で、これはそれぞれのタイムな」
タイム、タイムかぁ……。
普段のトレーニングではあんまり数字を使うことはないから、模擬レースの結果と公式戦の数字と比較しろということなのだろう。
といっても、なにを比較すればいいのやら……あ、模擬レースの報酬で指導して貰えるんだから、そこはトレーナーさんに直接聞けばいいのか。
「う、うぅ……うわあああああん!!!」
「く、クロノちゃん!?」
そして付箋紙を受け取る前に膝から崩れ落ちるクロノちゃん。
慌てて駆け寄ると、そのまま芝生に上半身まで押しつけた!?
「あ、ああ……私は、わたしはぁ……!」
うわああああと言いながらゴロゴロ転がり出すクロノちゃん。こっちがうわあああだよ!
「クロノジェネシス」
「うっ……トレーナーさん、あなたの勝ちです!」
「勝ったのはハートリーレターだよ」
冷静なツッコミもなんのその。クロノちゃんはビシッ! とトレーナーさんを指差す。
あーもうヒトを指さしちゃダメなのに~……。
「それでも、私はレース予想をやめますッ!」
「いや無理だろ」
「やめます!!! やめるったらやめる!」
だって、クロノちゃんは手を握りしめる。
「だって、こんなの、正しくない!」
「……」
私だって分かってるんですとクロノちゃん。
「レースは神事に基づく神聖な儀式、ウマ駆けは賭け事じゃないんです」
だからレースに賭けるのは悪いことなんですとクロノちゃん。
…………やっぱり投票券を買うのが悪いって意識はあるんだね。
「だから、だから私はやめようと思ったのに! トレセン学園に入ったら、真っ当な競走ウマ娘になるって決めたのに……! ううぅ……!」
「な、ないちゃった」
えこれどうするんのと顔を見合わせる
トレーナーさんは首を傾げる。
「真っ当な競走ウマ娘が賭け事に関わっていないっていうのは大嘘だろ」
「オトナの理屈なんて知りません!」
「それは理屈じゃなくて事実だよクロノちゃん……」
こんなの間違ってるんですとクロノちゃんは言う。
「レースは、歴史を紡ぐときは、純真で、個性があって、なんというか――――救われていなきゃなんです……」
ああ……。
クロノちゃんがおかしくなっちゃった。
「前からじゃない?」
こらロン手加減!
そしてトレーニング後。
「あ、ミラ子おかえりー」
「うんただいまー。クロノちゃんは……」
私の言葉に、くいっと部屋の片隅を示すロン。
クロノちゃんは隅っこにうずくまってカメラのレンズを拭いている。
「私はフォトグラファー、誰がなんと言おうとレース写真家なんです。夢は中山レース場の歴代グランプリ入線写真に自分の写真を掲載させること……」
え、もしかして私がナイター練習してる間ずっとあの調子だったの? ややドン引きな私に、ロンは肩を竦めてみせる。
「じゃ、あとはミラ子頼んだ」
「はい?」
ガタリと立ち上がってロンが荷物をまとめ始める。
ハートちゃんはいつも通り自主トレでいないし……え、もしかして丸投げです?
「ここまで見てやったんだからむしろ感謝してよねぇ」
「え、え?」
「んじゃおつかれぇ~」
ガララと閉まるチーム部屋の扉。
残されたのは、私とクロノちゃん。
「…………」
え、いやいや。この状況で私なんか言わないとダメなの?
ていうか更衣室くらいは先に行ってもいいですよね?
そんな調子の私に、クロノちゃんは、カメラのレンズを差し出す。
「このレンズの値段、知っていますか?」
「知らないけれど……その言い方をするってことは、高いんだよね?」
こくりと頷くクロノちゃん。
カメラだけじゃない。レース観戦のための遠征費だってスゴく高いだろう。
「昔から、レースの予想をするのが好きだったんです」
誰が勝つんだろう、次はどんな歴史が生まれるんだろうって思ったら、考えるのがやめられなくて。
「その、で、出来心だったんです」
悪いことしたヒトの発言じゃん。
いやまあ、悪いことはしてるよね。
「そしたら、すごく当たっちゃって」
「…………それで、ハマっちゃった?」
俯くクロノちゃん。それは頷いたってことなのかな。
「やめようと思ったんです」
「やめられなかった?」
「他のことで発散しようとも思ったんです。例えば、過去のレースに目を向けてみるとか」
でも逆効果でした。
過去のレースを深く知るほど、次の歴史への補助線が見えてしまう。
「それが、クロノちゃんの
こくりと頷くクロノちゃん。
きっとクロノちゃんは、努力したのだ。
「レースが、好きなんです」
カメラを抱えるクロノちゃんの気持ちは、私には正直分からないけれど。
多分クロノちゃんがレースを好きって気持ちは……嘘じゃないのだと思う。
うんでも……さすがに未成年の私たちが勝ちウマ投票券に手を出すのはなぁ……。
「その、他に方法はないかな? 私も考えるからさ、ね?」
レース予想をしながらも賭けない上手いやり方もあると思うんだ?
例えばほら、予想専門のウマチューバ―として活躍するとか。
「もうやってます」
「そっかぁやってるかぁ……やってるの?!」
なにそれ聞いてない。いや言うわけないか。
「収益出ちゃったから逆に種銭ふえちゃって……」
「いや言い方! 種銭って賭けなきゃいいだけじゃん!!」
「でも! 視聴者に予想ぶん投げて私だけ賭けないとか誠意がないじゃないですか!」
「未成年が勝ウマ投票券に手を出す方が誠意がないと思うなぁ~~~?」
「こんな
「えええぇぇぇ~~~~~? しらないよ~~~~!!!」
結局クロノちゃんはどうなりたいのさ!
「普通に」
普通になりたい。
「普通におしゃべりして、普通に最新のトレンド追いかけて、ウマチューブだって、ラヴズさんみたいに視聴者のみんなと普通のお話をして……」
でも私、そんなこと出来ないんですよとクロノちゃん。
「私にはレースしかなくて、ううん。レースを選んでしまったから」
「クロノちゃん……」
ちょっと、意外だ。
あんなにレースにひたむきだったハズのクロノちゃんが、こんなに悩んでいたなんて。
「…………私は、クロノちゃんの方が『普通』だと思うよ」
あー。私ってば、ちょっとイヤなヤツかも。
だってこれ悪口だし。普通になれない私を自慢する、不幸自慢ってヤツだし。
「だってトレセン学園の普通って、普通じゃないもん」
それでも、私は口にした。
私とクロノちゃん、思ったよりも似てるって思ったんだ。
「それに、私はクロノちゃんのおかげで勝てた」
もしかしたら、あの未勝利戦の勝ち方は褒められたものじゃないかもだけれど。
それでも、あの未勝利戦で、私は勝利を掴めた。
「クロノちゃんの普通が正しくないって言うなら、私は私の普通で正しいって言ってあげる」
ていうか、ぶっちゃけクロノちゃんが知られたくないのって投票券のことじゃないよね?
だってトレーナーさんの言うとおり、クロノちゃんは
「レース予想をしても、いいんだよ。クロノちゃん。私はいいと思う」
「ミラクルさん」
クロノちゃんがうるうると熱い視線を注いでくる。
……そんな目で見られても困っちゃうんだけれどなぁ。
「ミラクルさぁん……!」
ダキッと私の胸に飛び込んでくるクロノちゃん。
おーよしよし、いいこだねぇ~。
「わたし、わたし普通になれないかもだけれど、でもきっと、歴史をつくるウマ娘になりますから!」
「うんうん。クロノちゃんならできるよ、きっと」
「だから、レース予想、すてなくてもいいですか……?」
いや、本音としては投票券に手を出すのは止めて欲しいのだけれど。
いまのクロノちゃんにそれを言ったら、多分大変なことになっちゃうよね……。
「うんうん。いいよ。ちなみに勝ちウマ投票券は20歳になってからね」
「ありがとうっございまず! わたし、この名義貸しチームで頑張りますっ!」
これつまり、なんにも解決してないってことなんじゃ…………。