「障害競走のトレーナーを、紹介して貰えませんか?」
レクリエーションも終わって、本格的に夏合宿が始まろうとする朝。
そのミーティングが終わった直後、ロンはいきなりトレーナーさんにそう言った。
「順を追って話を聞いてもいいかな、ビロンギングス」
そしてトレーナーさんは、ロンの話を真剣に受け止める構え。
思わず息を呑んだ私たちをみて、しっしと手を振る。
「こら、見世物じゃないぞ散れ散れ」
「いいんです――――多分
ロンがみていたのは、多分だけれどハートちゃん。
証拠はないけれど、なんとなくそう思った。
「……きみがそう言うなら、いいんだがな」
トレーナーさんはそう言うと、小さくため息を吐いてからロンに座るように言って、自分も適当な椅子に腰掛ける。
それを合図に、ロンは、競走ウマ娘ビロンギングスは口を開いた。
「まず、私はもう平地競走では勝てないです」
「そう思った理由を聞かせてもらえるかな?」
「はい、それは……」
カチコチの敬語で彼女が語ったのは、自分の競走能力がいかに低いかという説明。
上がり3ハロンとかラップタイムとか色々な言葉を使っているけれど……要するに脚が遅くてどうにもならないと。
「それで、オリンピックの話を聞いて、バ術とかどうだろうって思ったんです」
ああ……そういえばこの間のオリンピックで日本がメダル獲ったっけ。なんか100年くらいぶりなんだよね?
「それで、アイちゃんに障害バ術の先生を紹介してもらって……」
「……」
ロンの言葉に、気まずそうにちょっと視線を逸らすアイちゃん。
違うよ、アイちゃんは悪くない。というか、誰も悪くない。
「……それで、まずは障害競走でジャンプ力を磨こうと思ったんです。それならトレセン学園に在籍しながら出来るし、バ術はやっぱり、競走キャリアを積んでいた方が有利になりやすいらしくて……」
「ふむ。状況は概ね理解した。それで、きみは俺になにを求める?」
「障害競走のトレーナーを紹介して貰えませんか?」
「念のため言っておくと、俺は障害競走のライセンスも取ってる。〈クエーサー〉所属のままでも障害レースには出られるぞ?」
それでも、ロンは頭を下げるだけ。
つまりきっと。ロンは決めたんだ。
「分かった」
だからトレーナーさんも、それ以上は引き留めない……――――
「じゃあまずは、スポットで走ってみるのはどうかな」
「すぽっと?」
「ウチに籍を置いたまま、別トレーナーの指導を受けるってこと」
――――いや引き留めるんかいっ!!!
「当たり前です! お月……大事なチームの仲間です!」
「ブーケさん!? いや完全に『お月謝』て言いかけたよね!?」
「いや、まさに
トレーナーは真剣な表情で人差し指を立てる。
「はっきり言ってウチ以外のチームに移籍すると高額だぞ、月謝」
「う……それは」
いや「う……それは」じゃないよロンも!
分かって移籍するつもりなんじゃないの?!
「そこで移籍引き留め特別プランこと『スポット指導』の登場です!」
引き留めって言っちゃってるし……しかもなんかタブレットに宣伝チラシっぽいの映されてるし!
「なんと、お月謝そのままで1回だけ他トレーナーの指導が受けられちゃいます。もちろん紹介料やスポット指導料は頂きません!」
「うぅ……普通は指導依頼するだけでもお礼を支払わなきゃいけないのに……このヒト身銭を切って紹介してあげるんですよ……本当にダメなヒト……」
「ブーケさんそれはどういうフォローなの!?」
ほらロンもドン引きしてるじゃん!
「まあ冗談は置いといて、一応チームとしても意味があるんだよ」
ホントかなぁ……?
「ウチは名義貸しだろ? だから色んな個性を持ったウマ娘が集まってくる。さらに名義貸しとはいえレースキャリアは積んでるから最低限は走れるだろ?」
つまりイチからウマ娘を育成する必要がないってことになるとトレーナーさん。
まあ確かに、それはそうかもだけれど……。
「相手のトレーナーにとっては引き抜きのチャンス、こっちにとっては籍を置いたままで走ってもらえるから賞金分配が受けられる。ウィンウィンだ」
「そんなに上手くいくもんですかねぇ」
「まあ何事も経験ということで、まずは一回やってみろってことだ」
それで? 本当に障害レースのトレーナーでいいのか?
「えっと……」
言葉を詰まらせるロンに、トレーナーさんは淡々と告げる。
「トレーナーを変えただけで成績があがるウマ娘は、いる」
例えばサイレンススズカ選手なんかが典型だろうとトレーナー。
確かに、彼女はチーム移籍後に大逃げウマ娘として大成している。
「ビロンギングスは〈クエーサー〉の方針と相性が悪いだけで、別のトレーナーと組んだ瞬間に大成する可能性は多いにあるということだ」
「……でも、それって可能性の話ですよね」
ロンは控えめに言う。
まあ、そうだよね。可能性って意味じゃ、そりゃどんなことにだって可能性はあるわけで。
「そうだ。可能性の話でしかない」
「キッツいなぁ、ウチのトレーナーは~……」
詰まった息を吐くようにロンが言う。
その表情は、少しだけ笑っているようにも見えた。
「優しくするだけの月謝はもらってないからな」
大丈夫、大丈夫。
新潟の外回り直線は3ハロン以上、つまり直線に入ってからかっ飛ばせば十分に間に合う!
『プレシャスメモリイ外から仕掛ける。1番人気ヒシミラクルはまだ中団』
なんだかいつもより周りの音がうるさい。
やばい、集中できてないかも……ああもう、しっかりしてよ私!
そんなことを考えている時点で、もう私はレースに集中できていないわけで。
『ここから直線。カクエイステップ上がってきた。プレシャスメモリイ大外逃げ切るか。ここでようやくヒシミラクル、ヒシミラクルあがってくる6番手』
グッと力を込めて、芝を蹴る、けれども蹴れども前が見えない。
――――夏の上がりウマには要注意ですよ、ミラクルさん。
レース前のクロノちゃんの忠告を思い出す。
夏の上がりウマ……クラシック期に急激に実力を伸ばし、G1戦線に殴り込んでいくようなウマ娘。
そういったウマ娘は、夏レースでいっきにクラスを上げ、勢いそのままにG1のステップレースに挑んでいくらしい。
そして私の目の前を走っているのが……その夏の上がりウマたちの卵たち。
ああもう、レース前に「じゃ、ここで勝てば私も上がりウマってことかぁ」なんて言ってた誰かさんを蹴り飛ばしてやりたいよ。
私ってばいっつもそう。
テキトーに調子にのっちゃってさ……2勝目をあげられたのだって、トレーナーさんの
『ヒシミラクル進出3番手、プレシャスメモリイ先頭そこに迫るカクエイステップ』
でもさ、私だって勝ちたいよ。
ロンだって、ハートちゃんだって勝ちたいよ。
もしかしたら、アイちゃんみたいな強烈な負けず嫌いではないかもだけれどさ。
それでもやっぱり、勝ちたいんだ。
『――――1番人気ヒシミラクルは3着、なんとか面目を保ちました』
「もうちょっとで届きそうだったのに! ミラクルさんドンマイですよ!」
「お疲れさまです。ヒシミラクルさん」
励ましてくれるクロノちゃんに、タオルを渡してくれるブーケさん。
「はい、ありがとうです……」
「? あんまり息が上がっていないですね」
「ええまあ……仕掛けどころ、間違えちゃったかなって」
なんだかなぁ、結局なんというか。ここなんだよなぁ。
「これって、やっぱり課題ですよね? スタミナを上手く使い切れないというか」
私の半分くらい独り言な発言に、うーんそうですねと答えてくれるのはブーケさん。
「私はトレーナー補なので個別の課題に口を出すことはできませんが……一般論としては、いかにスタミナを使い切ってゴールするかがレース前調整のメインにはなりますね」
「やっぱりそうですよねえ~」
「ミラクルさんのペースが悪いとは思いませんけれど。ラップタイムは丁寧に刻めていますし……」
「うーん。でもクロノちゃん、結局新潟のURA最長直線を使っても加速が足りてない感じがするんだよぉ?」
「確かに、差し・追込脚質で勝つなら上がり3ハロンの数字はもう少しよくなるといいかもしれませんね。ブーケさんはどう思います?」
「そうですね。一般論としては……」
やいのやいのと3人で話していると、そこへやって来る担架。
…………担架?
「ちょっとごめんね、ヒシミラクルさん」
「え、私です? というかその担架に乗っている子って……」
前と後ろの2人で支えられた担架にはトレセン学園制服を着たウマ娘。
前を持つ女性、つまり私に話しかけてきた人物はトレーナーバッジを身につけていて、後ろを支えるのは同じくトレセン学園のウマ娘。
「えっと。彼女のことは気にしないで? それで話があるんだけれど……」
「いやいや、先に救護室とか運びましょうよ?!」
明らかな急病人を運んでるヒトと会話とかおかしいでしょ!
「うーん。じゃあ、ちょっとだけでいいからこの子に触れてもらってもいいかな?」
「え、イヤですけれど……」
いや普通にイヤだよね?
倒れて担架で運ばれてるヒトに触るとかイヤすぎない?
「ふぐっ!? ヒシミラクルさんにご迷惑をおかけするわけには……!」
「ぎゃっ?! 動いた???!!!」
もぞもぞと動くと、突然上半身を持ち上げるウマ娘。すっごい腹筋。
でも死体が動くなんてそれなんてゾンビ映画?
「復活! デジタン復活!!!」
――――愛ゆえに、生き返らねばならないィ!!!
「ほらね。大丈夫でしょ?」
「うおぉー! 推しのためなら1人でも心肺蘇生するデジタル先輩、パネェッス!」
「うひょ!? ウオッカさんにまたしても担架をお持ち頂けるなんて……!!! 恐悦至極にございますぅ……!!!」
「帰ろっか」
「帰りましょう♪」
「
「まってまって! まってヒシミラクルさん!!」
ええ……いやですよぉ……。
「いい話があるの。貴女の走りは素晴らしいわ!」
「はあ、どうも」
……うん?
「スポットでも構わないから、貴女の走りをみさせてくれないかなっ!?」
え。
「えええぇぇぇ!?」
えっ、え?
これってつまりスカウトってこと?
スカウトってこと?
スカウトってこと?
「もちろん、すぐに決めろとは言わないから。ね? ね?」
そう言いながら名刺を差し出してくる小脇に担架を抱えたトレーナー。
あ、圧つよ……。
いや正直、状況というか色々ツッコみたいところはたくさんあるんだけれど……。
ま、まじかぁ。スカウトって、マジかぁ……。
「と、とにかく契約中なんで……トレーナーさんに相談してみますね?」
「よかったじゃないか」
「いや淡泊すぎません?」
ていうか愛バがスカウトされてるのにその反応でいいんですか?
私の言葉に、トレーナーさんは首を傾げる。
「とはいってもなぁ。俺の仕事はあくまで名義を貸すことだし……別にスカウトされたからって、それが横取りだーとか騒ぐつもりはないぞ?」
「うっ、それはそうかもですが……」
「それに。ウチは余所のトレーナーから声かけていいって言ってるからな」
え、そうなんですか?
そう聞けばトレーナーさんはうんと頷く。
「だって、紹介料と移籍料貰えるから」
「か、カネの話だ……!?」
こ、このチームは本当に……すぐお金の話になるんだから…………!
「まあ、とりあえずスポットでやらせてくれって言われたんだろ? 次のレースはそのトレーナーの元で走ってみたらいいさ」
「いやいやいや……いいんですかね……?」
「あらゆる可能性を試す。それが勝利への近道だぞ」
「そりゃそうかもしれませんけれどぉ」
まあ、流石に一晩は考えますということにして、とりあえず私はトレーナーさんの部屋を退出することに。
……うーん、本当にどうしようかなぁ……。
「トレーナーさん。よかったのですか?」
「どうしたブーケ。いつもどおりの対応だろ」
「それは。でも……」
ウマ耳をしゅんと下げるカレンブーケドールに、トレーナーは微笑んだ。
「いいんだよ。いつもどおりで」
それが俺たちに、求められていることだろう?