『本日はお越しいただきありがとうございました……』
ウイニングライブが終われば、ウマ娘は舞台からすぐに
もちろんアンコールはないし、それに応える演者もいない。
これは人気薄のウマ娘が勝ったときの
…………そもそもレースで消耗したウマ娘にライブなんてさせるなよという声はあるのであるが、そこについては興業の体を保ちたい経済産業省とレース以外にも通用するウマ娘人材の育成を使命とする厚生労働省、神事としての駆け事を扱う神祇院の反対により維持されている……。
「ブーケはヒシミラクルを頼む。俺はアーモンドアイを見るから」
「はい。トレーナーさん」
ウイニングライブを見届けたトレーナーは、そのまま控え室へ。
そして扉を3回ノック。
「どうぞ」
扉を開けた先には、もちろんアーモンドアイの姿。
勝負服を解かずに、臨戦態勢そのまま。
「お疲れさま。よくやりきった」
「当然でしょ? ライブは私を応援してくれたファンたちのもの。手を抜くことは許されないわ」
「そうだな」
答えてトレーナーは、鏡の前に置かれたスツールの1つを引き寄せて座る。
「なにかしら、トレーナー」
「これは俺の持論なんだが……」
そこまで言って、トレーナーは手で座るようにもう1つのスツールを示す。アーモンドアイはそれを一瞥。
「らしくないわね」
「俺の
返す刀に言われたアーモンドアイは一瞬詰まって、それから瞑目。
「……それもそうね」
スツールに腰掛ける。視線は緩めず、目の前のトレーナーへと。
「これは俺の持論なんだが。トレーナーは負けたときのためにいる」
負けた。その単語にアーモンドアイの視線は揺るがない。
その程度で、彼女の感情は揺らがない。
アーモンドアイは、競走ウマ娘である。
母はG1ウマ娘。トレセン入学前は北海道の名門私立学校でレースに向けた身体作りに励んできた。
いうなれば数多のウマ娘の中から選りに選りを重ねたエリート。求められるのはもちろん、勝利――――それでも、私学校出身であろうが、名門の生まれであろうがレースに負けるのがウマ娘。
「だからこそハッキリ言う。今のきみはヒシミラクルには勝てない」
「理由を聞かせて」
「ヒシミラクルは負けるコトへの恐怖を知らない」
「私だって」
「怖くない、じゃなくて知らないんだ。負けるのが当然くらいの感覚だ」
「……」
アーモンドアイの視線は揺るがない。
揺るがないのが何よりの答えとなる。
「今回のヒシミラクルについて、様々な憶測が生まれるだろう」
そこからトレーナーは仮説をつらつらと並べる。
展開が向いた、アーモンドアイが意識されすぎた。スティルインラブの仕掛けが妙に遅れた、シンボリクリスエスが集団で
「これらの言葉は全て同じことを意味している」
運がよかった。
「――――違う。ミラクルは運なんかで勝ってないわ」
「その通り。ヒシミラクルは環境で勝った」
かつてヒシミラクルに主体性のなさを指摘したトレーナーが言う。
「今日の彼女は、周囲が動き始めそうなタイミングで仕掛けた。早仕掛けでもなんでもなく、単純に周りが動きそうだから……特にアーモンドアイが動きそうなタイミングで動いた」
「
「そうだ。これは単純に環境の差だ。アーモンドアイは前が空いていなくて、ヒシミラクルは前が空いていた。それだけの話」
「それでも、負けは負けよ」
アーモンドアイの言葉が控え室に響く。
トレーナーは眉1つ動かさない。
「そうだな。アーモンドアイは負けた。それで?」
「次こそ勝つわ」
「どうやって?」
「そんなの、もっとスピードを磨いて、パワーをつけて、耐えられるだけのスタミナを……」
「アーモンドアイ学生。きみは競走ウマ娘ヒシミラクルにも『その時間』が与えられていることを忘れていないか?」
「ならミラクルよりもっと努力するだけよ!」
「それは許可できない。きみもヒシミラクルも、正直トレーニングは限度量に達している」
そしてそれを知っているから、名義貸しトレーナーは介入した。
アーモンドアイというウマ娘は、勝利のためであればどこまでも努力できるウマ娘だ。
「ヒシミラクルは負けることの恐怖を知らない。負けることは彼女にとって常識で、負けるウマ娘の方が数として多くなることはデータから見ても明らかだ。だから彼女は追い込んでも『最後の一線』の一歩前で必ず止まれる」
では、アーモンドアイは?
「アーモンドアイ学生。きみがヒシミラクルを越えようとするなら、そしてその手段がヒシミラクルよりも
その言葉に、アーモンドアイの尻尾が揺れる。
「移籍って、なによ」
「そのままの意味だ。自主トレで身体を壊しそうなウマ娘には付き合えん。事故が起こると保険料が値上がりしてチームの経営が干上がる」
「私は失敗しないわ」
「昨日まではそうだ。では明日からは? トウカイテイオーの骨折がトレーニング中に起きたことはもちろん知ってるよな?」
「…………トウカイテイオーは、勝ったわ」
「なぜ勝った?」
「それは、彼女が」
天才だから。
「そうだ。天才はいる、悔しいが」
あらゆる常識、定石を突き崩すものが世界にはある。
言葉を尽くそうと地中深くに埋めようと、消し去ることの出来ない輝きがある。
本当の星は、星の形などしていない。
「負けを認めよう。アーモンドアイ」
「認めているわ。ヒシミラクルは私のライバルなのよ?」
アーモンドアイにとってヒシミラクルはライバルだ。
負荷の高いトレーニングを平然と、ナイターまでこなせてしまう彼女は天才だ。
つまりアーモンドアイのライバルとは、天才なのだ。
「だから、私はヒシミラクルに勝つの」
「ならマイル以下に引き込みなさい。スピード勝負ならアーモンドアイに有利だ」
「全部で勝たなきゃ意味ないわ! それに……」
「それに?」
「マイルには『あの子』がいる」
「グランアレグリア、私学校での後輩だったか」
「ええ。あの子も天才よ。私のライバル」
「全部の相手に全部の場所で勝たないとダメなのか?」
「当たり前でしょ?」
「きみは、きみが有利になるように盤面を整えることもできたハズだが」
ヒシミラクルに努力をさせない方法はあった。
例えば、彼女が補習になりかけた時に助けなければ彼女は夏合宿にいけなかった。
レースをどうやって走っていくか迷っている時に励まさなければ、
それこそ、有マ記念に誘わなければアーモンドアイがヒシミラクルに負けることはなかった。
「私は、頂点に立つウマ娘よ」
頂点に立つウマ娘に、手を抜くという選択肢は存在しない。
「…………アーモンドアイというウマ娘のことは知っていた」
トレーナーは彼女から身体を逸らす。鏡に映る彼の姿はいつも通り。
「いわく『要領がいいウマ娘』。文武両道そつなくこなし、礼儀正しく品行方正。まさにレース界のスターとなるべく産まれたウマ娘だと」
しかしそれでも、アーモンドアイは名義貸しチームの扉を叩いた。
「きみが初めてチームに来たとき、思ったよ。なんて『要領の悪いウマ娘なんだ』と」
大前提からして、名義貸しチームとは最後の手段である。
スカウトされない。チームに馴染めない、トレーナーとウマが合わない……あらゆる理由で契約が勝ち取れず、それでも走りたいと考えるウマ娘がやってくる。
アーモンドアイが〈クエーサー〉を訪れたのは、要するにそういうことである。
「要領が悪い。クラシックでもティアラでも、国内G1をささっと取ってしまえばトレーナーはそのウマ娘の言うことを
そもそも、海外遠征を目指すというウマ娘に良い顔をするトレーナーは少ない。
あのシンボリルドルフですら、海外遠征か国内重視かでトレーナーと一悶着あったほどなのだから、それはもう染みついた体質のようなものだ。
「もちろん。きみが真っ先に〈クエーサー〉に来たのなら要領がいいと俺も思う」
トレーナー学校も、トレーナー補も経ていないトレーナー。
海外に伝手があって遠征に理解を示してくれそうなトレーナー。
自前でスポンサーを確保し、チーム経営に十分な人数のウマ娘を揃えている。
それが〈クエーサー〉を率いる金本トレーナーから、彼が名義貸しトレーナーであるという評判を差し引いた時の評価。
「良い意味で中央に染まっていなくて、金銭を積めば自分の夢を邪魔せず支援してくれる――――多少指導が緩かったとしても、そこは要領よく自主トレで補えばいい。うん、要領よくトレーナーを使いこなすならこれがいい」
だが、きみは真っ先にウチには来なかった。
トレーナーはアーモンドアイに向き直る。スツールに座って、視線をガッチリ固定した彼女に眼を合わせる。
「きみは要領が悪いな」
強く結ばれた唇は、決して開かない。
「それでも、きみは天才だよ」
ピクリと動いた鹿毛のウマ耳。
「要領の悪さを覆す程度には天才だ。その才能はきみをあらゆる分野で強くする。今日までも、きっとこれからも」
アーモンドアイの身体が強ばる。
彼女はその圧倒的反復がもたらした経験則から、
「きみの天才的努力は天才に勝る。きみを
トレーナーの言葉に、アイの眼が向く。
輝く一等星の中心が彼を捉えると、彼は怯むこともなく目線を返してきた。
「だが天才は
プイ、と目を逸らしたアーモンドアイに、トレーナーは彼女の要領の悪さを感じずにはいられない。
「……きみ、天才になろうだなんて思ってないだろ」
彼女は応えない。
「天才は『なる』ものではなく『ある』ものだときみは知っている」
彼女の眼にはトレーナーは映っていない。
「そして。きみは要領が悪いから――――」
そこにあるのは、きっと。
「――――たった一度の敗北で
認められないほどの、壁。
それから少しして。
「トレーナー」
ウイニングライブ向けのメイクをさっぱり落としたアーモンドアイ。
彼女は控え室から出るなり、トレーナーを見る。
「一番強くて、速いウマ娘たちが集まる場所を教えて」
「ドバイだな。あそこは賞金額が大きい。だから……」
「だから?」
「天才が集まる」
要領の悪い彼女は、目元の腫れを隠すメイクを隠す努力を怠っていたが――――
「天才が寄せ付ける人間は、金の匂いに敏感だからな」
――――トレーナーは、それを指摘しなかった。