「ヒシミラクル、ちょっといいか」
「えっ? なんです?」
「来週のトレーニング予定を教えてもらいたいんだが……」
おやっ? と思いながら私はトレーナーさんをみやる。
名義貸しチーム〈クエーサー〉において、トレーナーさんがやるのはコースの予約とトレーニングの監督(安全の確保)だけ。だから基本的には私たちはトレーナーさんが予約してくれたコースに応じてトレーニング内容を決めるし、その内容にトレーナーさんが口出ししてくることはない。
「まあいいですけれど、はい」
とりあえず私は学生手帳をホイと渡す。
この手帳、カレンダー付だから便利なんだよね。小さいしどうせ毎日持ち歩かないとだし、そこにトレーニングの予定も書いている。
「じゃあ読ませて貰うぞ……ん?」
パラパラと手帳をめくったトレーナーさん。
それから手帳をくるり。
「この『が』ってなんだ?」
「ああ~、それは『がんばる!』の『が』ですね」
小さな手帳のカレンダーページにいくつか書かれた「が」の1文字。
一週間全部「が」の時は、めんどうくさいので「←ーがー→」と書かれたそれ。
「なにを頑張るんだ?」
「そりゃトレーニングですけど。大阪杯ちかいですし」
「ああうん。それは分かるんだよ」
あ、聞いてるのってトレーニングメニュー?
「決めてませんよ。だって使えるコース次第じゃないですか」
そりゃね? トレーナーさんも予約したコースの一覧とか張り出してくれてるよ?
でもウチってチームじゃん? つまりたくさんメンバーがいて、その人たちもコースを使うわけで……みんな自由に計画を立てるから日によってコースには空いていたり空いてなかったりがあるわけで。
「じゃあ、この日に好きなコースを使っていいと言ったらどのコースを使いたい?」
「え?」
好きなコースを使って良い?
「……なんかまた変な新商品でも考えついたんですか? コース使用権を売るとか」
「ヒトをなんだと思ってるんだ、きみは」
そもそも
「実は公開トレーニングをやって欲しいという話が来ている。ヒシミラクルに」
「はぁ。公開トレーニングをですか……」
あーたしかに、クロノちゃんとかも公開トレーニング情報とか予想に使ってるもんね。公開トレーニングの内容で陣営がなにを重視してるとか、直前タイムで調子が分かるとか……。
「てことは、取材が来る感じですか」
「そういうこと。いざ取材となってヒシミラクルはロードワークでいませんとかなったら困るだろ?」
「あー確かに」
取材にきました! 取材相手がいません! じゃ話にならないもんね。うんうん。
「でも確か、前回の有マ記念の時も菊花賞の時も、なんなら神戸新聞杯の時も取材は来てましたよね?」
そう。重賞レースは伝統だとトレーナーさんが言っていたとおり、私が重賞に出る前は取材の記者さんが来てるんだよね。
なんか今日は取材があるからあんまり変なことするなよーとかトレーナーさんが言って、それでコースにカメラ持った記者さんがやってきて。
「その時は別に、なんも特別なことなかったですよね」
「あーそれは簡単な話で、記事を書きたいって記者がいなかったんだよ」
うん?
「え、記者さんの仕事って記事を書くことですよね?」
「そうだぞ」
「私、有マも菊花も取材はされてましたよね?」
「それできみは自分の記事を見たか?」
「……そ、そういうこと言うと教え子は傷つきますよ?」
「だがそれが答えだ。そういうことだ」
一応、予想記者はちゃんと足を運んで出走全ウマ娘のコンディションチェックはするんだが、別にそれは記事を書くためというより、本命と比較した他ウマ娘の様子をチェックしたうえで「本命は絶好調!」と書くためだからな。
「そもそも
トレーナーさんの解説が右から左へと風のように流れていく。
「分かってはいましたけれど、やっぱ私って人気ないんですね~」
いや別に人気が欲しいわけじゃないけれど、あって困るモノでもないなら欲しいっていうか。
「人気が出るのはこれからだろ。現に今、こうして取材の申し込みが来ているじゃないか」
「これから……そういうもんですかねぇ」
なんかこう、トゥインクル・シリーズって超人気でめっちゃカリスマのある大スターが走って踊る! みたいなイメージがどうしてもあるんだよね。
でまあ、今の私にはそんな人気もカリスマもないわけで。
「ともかく、この日に取材あるから。1時間好きなコースを独占してトレーニングしていいぞ」
「はーい」
ま、もらえるものはもらっとこ。
この日なら大阪杯も近いし、
「月刊トゥインクルの乙名史です。本日は幹事を務めさせて頂きます」
「帝東デイリーの山崎です」
「週刊ムーンライトの藤野です!」
「目テレG+の――――……」
うわぁなんかいっぱい来たぞ。
公開トレーニングってこういう感じなんだ……。
「チーム〈クエーサー〉の金本です。本日はお集まり頂きありがとうございます」
「はい。それでは本日の取材はヒシミラクル選手の公開トレーニング45分。その後簡単ですが質疑応答の時間を取らせていただきます。それではよろしくお願いいたします」
そしてトレーナーさんも慣れてるね。幹事と言ってたリーダー役っぽい女性記者さんとすらすら流れの確認をして、それからさっそく公開トレーニングが始まる。
……えっ、この人数に見守られながらやるの?
「ヒシミラクル、ウォーミングアップは終わったか?」
「えっと。実はまだちょっとエンジンかかりきってないっていうか」
「そうか。じゃあ暖めきるまでやっていいから。準備できたらメインを見せてやってくれ」
「はーい」
私はグラウンドへ向かう。
というか、記者さんたちが来る前からウォーミングアップ自体は始めているから「戻る」って言った方が正しい感じだけれど。
「すでにトレーニング開始からかなりの時間が経っているようですが、ヒシミラクル選手のウォーミングアップは長いのですか?」
「ええ、長いですよ。彼女のトレーニングは基礎的なメニューが多いですが、文句も言わず手も抜かず黙々とこなしますから」
「なんと! レースで勝つことを思えばレース技能や突出した強みの強化に邁進しがちなウマ娘育成ですが、全ての初歩といえる基礎トレーニングを欠かさず積み上げることで得られる分厚い能力がヒシミラクル選手の強さ……素晴らしいです!」
「このウォーミングアップは具体的に何時間、何セットほど行っているんですかね?」
「それは是非、ヒシミラクル本人に聞いてやってください。彼女が考案した素晴らしいウォーミングアッププランです」
「要するに金本トレーナーが手を抜いてるってことですよね?」
「もちろん。安全性や効率性のチェックは行い、その上で許可を出していますよ」
……そしてトレーナーさん、相変わらず記者さんとのやりとりに中身がない。
いやまあ、そりゃ名義貸しなんだから答えられる内容がないのはそうなんだろうけれどさ。
ヒシミラクル本人に聞いてやってくださいって丸投げすぎない?!
「想定問答集でもつくりましょうか?」
「いやー、ブーケさんも面倒くさいでしょ? テキトーに答えるつもりだから、大丈夫」
気を遣ってくれるブーケさんの申し出はありがたいけれど、さすがにトレーナーさんの尻拭いをさせているようで申し訳ないし……それに。
「誤魔化してもしょうがないし。正直に答えようかと」
「そう? ならいいのですけれど……」
だって、ねぇ?
トレーニング内容とか目標レースとか作戦とか。
トレーナーさんは
それも自分で、自分のために。
それにもし……あ、もしもの話ね?
私がこれからもトゥインクル・シリーズで真剣に走って行くのなら、そういうのをちゃんと決めるのって、きっとすごく重要になってくるだろうから。
だからこの
「んじゃあ、サクッと走りますかねー」
位置について、三角コーンやらなんやらで阪神レース場を模擬したコースに足を踏み出す。
――――大阪杯。
阪神レース場、芝2000メートル。
ここの難所は最終直線で立ちはだかる壁、おにぎり型の大回りな3コーナーに切り込むような4コーナー。速度と半径と遠心力が複雑に絡み合う関係で、とにかくスピード調整が難しくなる(と、クロノちゃんが言っていた)。
それに向けた調整をするために、こうしてコースを再現したコーナリング練習をする、と。
「はっ、はっ、はっ、は……!」
息を吐いて、吸って、吐いて、吸って。
そうやって走る。両脚の回転数を、飛び越える一歩一歩の大きさを意識する。
速歩と駈足、そして襲歩――――いろいろな走りの中でも、基本的にレース中は駈足か襲歩しか使わないワケだけれど。同じ駈足・襲歩でも全然違う走り方がある。
その中、いろんな選択肢の中から最適な走りを考える。
そして「最適な走り」というのはコースや距離、ライバルの脚質によってすら変わってしまう。トレーナーさんが言うところによれば、それをレース中に自由に使いこなせば
どんなレースにも、かぁ。
私の場合は、まず勝ちたいレースを決めなきゃいけないね。
とりあえず大阪杯を勝とう!
っていうのが目標なのは、そうなんだけれどさ。
「――――て感じですね」
「なるほど……ありがとうございます。参考にさせて頂きますね」
というような感じの話を、とりあえず聞かれたままに正直に答えました。はい。
「そろそろお時間となりますが……なにかヒシミラクルさんから読者のみなさんに伝えたいことはありますか?」
うーん。やっぱりみんな微妙な顔してるなぁ……。
でもさ。やっぱ「やるからには勝ちます」くらいしか言えないよ。
だってレースで叶えたい目標とか、夢とかないし。
ライバルと見なすウマ娘もいないし。
春シニア三冠がどうとか言われても、考えてないし。
「えーと、あの。その前にいいですかね」
だから私は、ちょっと知りたくなったんだ。
私に期待してくれている人が、なにを求めているのか。
「みなさんは私に、勝って欲しいですか?」
「勝って欲しいです」
即答したのは一人だけ。目テレG+の記者さん。
「……あくまで、とても個人的な理由で。ですが」
そう付け足してから、他の記者さんたちに目線をやる。
記者さんたちは困ったように、チラチラとお互いに視線を交わし合っている。
「ヒシミラクル学生。それは勘弁してやってくれ」
諭すように言うトレーナーさん。それから私の前に出る。
「すみませんね。名義貸しチームのウマ娘を
それで。
まあ、なんとなーく微妙な感じで取材が終わって。
私はジャージ姿のまま、その記者さんを追いかけた。
「あの。記者さん」
「……ああ、ヒシミラクルさん」
「『とても個人的な理由』、聞かせてくれませんか?」
私に勝って欲しい、個人的な理由。
基本的には誰が勝っても構わないはずの記者さんが、私に勝って欲しいと思う理由。
私が聞いたら、その記者さんは困ったように微笑んで。
「ウマ娘を止められるのは、ウマ娘だけだから。かな」
よく分からないことを言って、それから。
「スティルインラブを止めて欲しいんだ。きみに」
もっとよく分からないことを、言った。