ラヴズオンリーユーにとって、今日までの蹄跡は奇跡の連続であった。
ファンコミュニティと共に歩んだ人生。
みんなにもらって、いつのまにか抱えきれないくらいに大きくなった愛。
そんな愛と夢
――――どれかひとつでも、欠けていたなら。
「(きっとここには、来られなかった)」
パドックへと進み出る。
これまでの条件戦とは全く違う景色。
東京レース場のパドックは、その西洋風のデザインも相まって劇場のような雰囲気を醸し出している。
何層にも連なる見学エリアには人がひしめき合い、隙間もないほどに垂れ幕が集まる。
これがG1。重賞の中の重賞。
旧八大競走のひとつに数えられる歴史ある重賞レース、それがオークス。
ラヴズオンリーユーにとって今年の一大目標となるG1レース。
「ラヴちゃん」
「クロノちゃん」
毎日聞いている声が耳に届く。
見ればもちろん、そこには同室のウマ娘。
賢そうにみえて、時々しょっちゅう抜けていて――――そんな愛おしいルームメイト。
「ううん、今日はラヴズオンリーユーさん、ですね」
「……じゃあ、私もクロノジェネシスさん、って呼ばなきゃかな?」
入寮初日から
それは馴れ合いのない、
「ごめんね? すっかり遅くなっちゃった」
「ええ。待ちきれなかったくらいです」
「うんうん。でもその分、準備はバッチリだから♡」
さあ、笑おう。
決して平坦ではなかった道程だからこそ。
桜花賞には間に合わなかった。
G1に挑む準備が出来ているとは正直いえない。
でも、笑おう。
目の前にいるのが、あのマイルの天才グランアレグリアを破った桜花賞ウマ娘クロノジェネシスだからこそ。
だって私は、みんなの想いを背負っているのだから。
「とまーれぇー……」
係員の号令に合わせて、パドックアピールのゲートが萎む。
その⑬の場所に立って、ラヴズオンリーユーはパドックを改めて見つめる。
昨日の直前配信で、何人ものファンコミュが東京レース場に来ると言ってくれた。
きっとこのパドックに、顔も知らないみんながいる。
「(でも、分かるよ)」
だって、いくつもの
祈るような、願うような、自信に満ちあふれた、心配そうな――――……。
「もう、みんな心配しすぎよ」
「ラヴズ?」
その声が、ラヴズオンリーユーの心に響く。
9926人の代表――――たぶんラヴズオンリーユーの競走人生で、最初の
愛を受け取ったのなら。
勝利は
『煌びやかな衣装に身を包んだ誘導ウマ娘に連れられて、見事に開花した花々が揃いました東京レース場11R、G1オークス。本バ場入場です』
「ねえ、トレーナー。聞いてもいいかしら」
「どうした。アーモンドアイ学生」
レース関係者の詰める関係者席。そこからターフを見下ろす教え子は視線を逸らさずにトレーナーへと問う。
「クロノの言っていた『
「それはクロノジェネシス学生に聞いてくれ。俺は専門外だ」
「トレーナーも分からないの?」
ターフに次々とウマ娘が現れる。
それぞれの勝負服。それぞれの表情。
そして観客の反応は……ものの見事に彼女たちに注がれる人気の度合いを反映している。
『1番人気②クロノジェネシス。前走桜花賞に続き、二冠達成なるか注目です』
「愛英にいたころ、聞いたことはある」
ウマ娘とトレーナーの絆は、ときに運命を越えると。
「俺はどうも、アレが好きじゃなくてな」
「……」
「レース結果が決まっていないのに。どうして運命なんて言えるんだ? ましてや、どうやって運命を越えたと言えるんだ?」
トレーナーの言うことは、ある意味では当然のこと。
「だから俺は運命があるって考え方も、それを越えるのに
「なら、あなたはどうして愛英で学んだの?」
そして愛英
ウマ娘とトレーナーの絆、親密な関係性を重視するのはむしろ欧米だ。
それこそ出走表に♡マークがつく程度には、彼の地は
「そのとおり、よく勉強しているなアーモンドアイ学生」
「当然でしょ。私は強くなるために世界に挑んでるの」
「俺も世界に挑みたかった」
「……」
「世界に通用する、強いウマ娘を育てる。管理主義トレーニングが主流の日本で学んでいては到底到達できない高みを目指したかった」
彼の語りは過去形だ。
『ゲートイン完了……スタートしました。オークス、
「ちょっと待って。管理主義トレーニングが主流?」
「今の理事長になるまではな」
彼が愛英で最新のトレーニング理論とウマ娘とトレーナーの関係構築を学び、帰国してトレーナー資格を彼がとったのと同じ年、トレセン学園の理事長が変わった。
そしてこれまでのチームを中心とした組織型の管理トレーニングから、専属トレーナーと担当ウマ娘による
「要するに、
時間の歯車が微妙に噛み合わなかった。
「専属トレーナー式の方がウマ娘より強く、より速く走れる。今のトゥインクル・シリーズの成績がそれを雄弁に語っている」
『最後に⑥ルビーと先頭から後方までおよそ15バ身ほど第1コーナーへ向かっていきます』
スタンドの前をウマ娘たちが駆け抜けていく。
東京レース場に集った18人の精鋭達――――その中のどれほどが専属トレーナー付きのウマ娘だろうか。
「そして、その答え合わせが第1回URAファイナルズだった」
芝にダート、あらゆる距離においてジャンル別に開催される特別レース。
全てのウマ娘があますことなく活躍できる、尖った個性を見逃さないためのレース。
「強いウマ娘は勝つ。専属トレーナーの力でより大きく羽ばたく」
『第2コーナー回りましてここから向こう正面、先頭は変わらず①ジョニー……――――』
「話を戻そう。アーモンドアイ学生。『想いの強さ』についてだ」
「……」
「俺は専属トレーナーとして、その『想いの強さ』を引き出すことが出来なかった。だから
想いの強さを引き出せないのなら。
強い想いを持つウマ娘を呼び込むしかない。
「名義貸しと契約することは、それ自体がひとつの試験だ」
そもそも、どうして名義貸しが避けられるんだと思う?
トレーナーの問いかけに、アーモンドアイは答えない。
「レース施行規則が、競走ウマ娘保護規則があって、資格試験で身元も保証されているトレーナーなんだから、基本的には名義貸しだろうが専属だろうが変わらない」
それでも、スカウトを待つウマ娘がいる。
スカウトされるのを、待ちわびているウマ娘がいる。
自分はスカウトされるはずだって、信じたいウマ娘がいる。
「
「……」
「だから、今の俺は想いの強さが運命を変える
アーモンドアイ学生、きみがそうであったように。
トレーナーの言葉に、彼女が振り返る。
彼女の視界から、眼下のオークスは消えていた。
「トレーナー、あなた。自信がないのね」
「きみと同じようにな」
尻尾が揺れる。
感情の揺らぎが、そのまま出ている。
「トレーナーはウマ娘を勝たせるのが存在意義だ。そしてきみも、自らを勝つ存在であると、勝利し続けることが己の
だからこそ、負けても立ち続ける。
負けず嫌いとは、負けたときにこそ強く輝く。
「……ごめんなさい」
だから、こぼれてしまった。
ついうっかり、ではなく――――聞いて欲しくて。
「ちょっとだけ、ホッとしちゃった」
「そうだろう。下を見ると安心するからな」
「そうじゃなくて」
そうではなくて。
トレーナーも同じだって。
いつも
失敗しなければ、負けたっていいと思っていそうな名義貸しが。
「私と同じ負けず嫌いだって、知って安心した」
「安心してどうする」
呆れたようなトレーナー。
スタンドの歓声が、次第に大きく、深く、激しくなっていく。
『そしてここから直線。栄光への500メートル、まだ粘っている①ジョニーに⑤オーエンヴィラ! クロノジェネシスは動くか、ここからクロノジェネシス、中段から――――』
「天才ばっかりで困っちゃうわ」
「そうだな。学びがいがある」
きっと数年前までは考えられなかったことだ。
専属トレーニングが主流になるなんて、海外で日本のウマ娘が勝てるようになるなんて。
「俺たちはいま、歴史の先端にいる」
『クロノジェネシス1着! 二冠達成ッ! そして歴史は、秋の秋華賞へと続いていく――――!』
「ええ、でも――――私はいつまでも先頭よ」
その言葉は、今日ではどこか虚しくすらあるけれど。
「俺は、専属トレーナーにはなれなかった名義貸しだよ」
それでも、きみが走りたいと願うのなら。
「微力を尽くそう。契約の範疇で」