デビュー戦、9着。
そんな成績から始まったウマ娘のキャリアを気に留める者が、果たしていただろうか。
どこにでもある条件戦、誰もが通るパドックアピールのゲート。ありふれた、ひとたびレース場が開けば何十回と見られる光景。その一欠片を、ひとつ拾ってつぶさに眺めることが今の私たちにあるだろうか。
だから、私は彼女の煌びやかな戦績を語ろうとは思わない。
ここに記すのは、私の知る、私が接した。彼女の等身大の姿。
彼女の名前は――――――――
「テーマはずばり! 『その歩みをミラクルに』です!」
大判スケッチブックを机の上にコツッと置いて、広告代理店の担当者さんはニッコリ笑顔。
「ヒトは結果を見ます。だからこそあらゆることが奇跡、奇跡と騒がれますが、実態は奇跡なんかじゃないんです。毎日の積み重ね、日々の努力があってこその
語る内にだんだんと語気が強くなる。
ええ、ええ。分かりますよ。分かりますともその気持ち。自分が紡いだ物語に、他ならぬ自分自身が興奮してしまうんですよね。
クロノジェネシスは内心で高まる気持ちを、首を縦にブンブン振りたくなる気持ちを抑え込む。
「いかがです? まさにヒシミラクル選手にぴったりのCMとは思いませんか?」
「そ、そうですかねぇ……?」
首を傾げるのはもちろん、我らがチーム〈クエーサー〉で1番に注目されているウマ娘。
ヒシミラクル、13戦7勝。主な勝ち鞍は有マ記念。
「やーなんていうか。お話しはありがたいんですけれど……私がCMに出るっていうのは、こーなんというか現実味がないっていうか」
「そう、そこです!」
ビシッ! と指を差しそうな勢いで立ち上がる担当者さん。
「やって当たり前のこと、それを淡々と積み重ねた結果、気付けばG1大勝利! 私たちが求めているのはそういうストーリーなんです」
「うーん……」
あんまり納得いってなさそうなミラクルさん。
その、まぁ……気持ちはちょっと分かります。
私も広報委員会の活動で学園新聞のコラムを執筆していますから分かりますが、どんな物語もあくまで「
「例えば世界で1番高い山はエベレストですが、世界で2番目に高い山は誰しも知らないものです。しかし例え50番目の山であろうと、その高さに至るまでには様々な歴史、想いの積み重ねがあるのです。私たちはそういった、気付いた時には高みに至っているウマ娘にスポットを当てたい」
そしてもっと言うと、その成功にも
だって、未勝利戦を脱出できずに退学したウマ娘が、学外の後進育成で大活躍するストーリーを描いても仕方ないじゃないですか。というかそんな物語を好んでくれるウマ娘は学園内にはいません。
「ヒシミラクル学生。なにか質問は?」
「えっと…………あ、撮影ってスタジオとかでやったりするんです?」
「いえ。そこは
「へぇ~、普段のトレーニングだけでCMなんて作れるんですか?」
「もちろんです。実例はこちらに」
そういって、タブレットを差し出して動画を再生し始める担当者さん。
「うわ、へぇ。ほーぅ……――――え、これってほとんど映ってないじゃないですか」
「はい。最後のシーンだけ、ライスシャワー選手に京都レース場の地下バ道を歩いてもらっています。やはり現役の競走ウマ娘さんは時間が撮りにくいですから、そこに関しては最大限、配慮させていただく予定です」
「なるほどぉ……これって早く決めないとマズいヤツですよね?」
「CM撮影はレース映像が放送されるのとは違いますからね。是非慎重に検討してください。もちろん、お早く決めて頂ければその分、いろいろご希望を叶えられるとは思いますが」
「あ、はい。分かりました。トレーナーさん、質問はこれで大丈夫です」
「分かった。……では、ヒシミラクルの件はこれで」
「はい。それでは続きまして、クロノジェネシス選手へのCMオファーについて。
そうして、ひとしきりの説明を終えて帰って行く担当者さん。
ブーケさんが机の上に広げられたコップとお茶菓子を片付けていく中、私たちのトレーナーさんはくいと顔をこちらに向けます。
「と、いうわけで。ヒシミラクル学生、クロノジェネシス学生にはCMのオファーが来ました」
「うーん……やっぱり実感ないですねぇ」
「分かるぞ。俺もブーケみたいにドリームで安定してるウマ娘ならともかく、トゥインクル現役の子にCMオファーを出すのはかなり投機的だと思う」
ただやっぱり、夏期商戦みたいなワンシーズン限りの短期CMには抜擢されがちではあるんだよな。そう言いながら資料をトントンと机に当てて角を揃えるトレーナーさん。
「でまあ、向こうも旬が短いトゥインクルウマ娘が相手だから、短期でCMを作って放送したい。なので向こうがさっさと次のウマ娘にオファーがかけられるよう、断るなら早めに断ってやりたいんだが……」
ちら、とこちらを見てくるトレーナーさん。
そうですよね。トレーナーさんはもちろん、私の気持ちを知っていますよね。
「はい。お断りします」
「クロノジェネシス学生は、そうだろうな」
「え? え?? 断っちゃうのクロノちゃん???」
「はい。私の目的は、あくまで
このチーム〈クエーサー〉に来て、トレーナーさんが最初に教えてくれたこと。
それが目標を決めること――――そして、その
「いいと思う。じゃあ連絡しとくぞ」
「えっいいんですか? トレーナーさん、だってチーム〈クエーサー〉はスポンサー収入で成り立ってるってブーケさんが」
「ヒシミラクル学生。俺を金の亡者と勘違いしてるのか……?」
「いやいや、そんなつもりは」
「いやいやいや……」
「いやいやいやいや~……」
コホンとトレーナーさんは咳払い。
「それで? きみはどうするんだヒシミラクル学生」
「あー……」
それからミラクルさんは、私をちらり。
「クロノちゃんはさ、自分の目的と一致しないから断るんだよね」
「はい」
「正直さ、私こっからどうしよっかなって迷ってるんだよね」
春シニア三冠はいいよ? なんか流れ的に獲る感じになっちゃったし。
ミラクルさんは(全ての元凶である)トレーナーさんを見る。わざとらしい口笛を吹くトレーナーさん。
「でも、なんていうかな……そのあと、どうしよっかなって」
そのあと。
つまり春のG1シーズンが終わった後。
「春シーズンが終われば、秋シーズンに向けての準備じゃないんですか?」
例えば
宝塚記念に出走するようなウマ娘なら、そこから秋に向けて調整を……。
「――――はっ! まさかミラクルさん、海外遠征ですか!?」
あの伝説の宝塚記念→フランス遠征・凱旋門賞ローテ!?
「ふえっ? いや、いやいやいやいや無理無理無理! 私英語できないよ? フランス語なんてもっと出来ないよ!?」
「安心して! 私も英語は出来なかったわ! でも出来るようになったわ!!!」
「アイちゃん急に出てこないで!!!」
「お。アーモンドアイ学生。いつもどおりきみのCMオファーは全て断ったが、リスト見るか?」
「大丈夫! 断ってくれてありがとうねトレーナー!!」
閉まる扉。
「ええと、話を戻していいです?」
「あっ、ええ。どうぞ」
なんというか……もう慣れましたね。アイさんの猪突猛進な感じにも……。
「んーと……あ~……トレーナーさん。アレ言っちゃっていいですか?」
「アレじゃ分からんな。ローテの話か? いいぞ」
「分かってるじゃないですか!」
えっとね、クロノちゃん。
「私、今年で引退しようと思うんだ」
「あ、うん。ごめんね? びっくりするよね。でも、結局さ、考えてみてさ。私にはなんていうか……『オープンウマ娘になる』から先の目標が見つかんなくてさ」
だってもう、大学の推薦は取れそうだし。
なんだかんだ、いっぱいレース走れたし。
「あ、えっと……あ…………」
そう、なんですね。
競走ウマ娘ヒシミラクルの歴史は、今年で終わり……。
「…………えぇ、ええ。いいと思います。その決断は、誰でも出来るものではありません」
うん。大丈夫。大丈夫。
これは心からの本心だ。
だって、応援していたウマ娘が、勝てずに勝てずに段々とすり切れていく過程を、私は歴史で、なんども見てきたから。
「だから、なんていうかな。なんか悪いっていうか」
「CM出してもらったのに、すぐ辞めちゃうのは違うっていうか」
「こう……その、私は私の、誠意? ていうかスジ? 通したいなって」
辞められるところでスパッと辞める選択が、間違っているハズがない。
「俺は辞めるからこそ『思い出作り』的にCM出演はありだと思うぞ? 出演料ももらえるし」
「いや~さすがに私はそこまでお金のこと考えてないっていうか。てか私、もう一生遊んで暮らせるだけのお金もらってません?」
「あー、遊ぶだけだと浪費癖ついて賞金も底つくからやめとけ?」
「いやいやいや……さすがに分かってますよ。私これでも堅実ですよ? 大学行って、いい感じの企業入って、ゆるっとやっていきますって」
そう。だってミラクルさんは私とは違うから。
私ほど、レースに
あくまで人生の目的を叶える手段として、レースを走っているだけだから。
「……ぁ」
ちがう。
私と彼女は、違うんだ。
「あの、ミラクルさん」
「? どしたのクロノちゃん」
だからそれを、私は
「ミラクルさんは、レース。好きですか?」
「うん、すきだよ」
その時、私は決めました。
クロノジェネシスの次走は、宝塚記念。