「絶対安静を言いつけられたトレーナーさんに、良い話があります!」
「その手の話で本当にいい話だった試しを聞かないな」
「まあまあ、まずは話だけでも聞いてくださいって。損はさせませんよ?」
「それは詐欺師の殺し文句だろ」
うげっ、相変わらずの毒舌だな~トレーナーさん。
「というかッ! トレーナーさんは諸々書類にサインくれたんだから全部知ってるじゃないですかぁ、そこは乗ってくださいよ!」
「ヒシミラクル学生。世の中にはノリの悪い人間の方が多いんだ。勉強になったな」
「むぅ」
塩対応のトレーナーさん。
まあ? 塩対応なのは
「――――そんなにブーケさん取られたのが悔しいんですか?」
「取られてはないだろ。ブーケは〈クエーサー〉のチームリーダーで、俺の担当ウマ娘だ」
「やっぱ根に持ってるじゃん」
「持ってない持ってない。学生相手に大人が嫉妬するとでも?」
そうやって否定するあたり、大分怪しいというか。なんというか。
「まあ本題からそれちゃうんでほどほどにしときますかねっと」
という訳でクリアファイルから取り出したるは~……!
「ジャジャーン! 外出許可証です!」
「…………」
「反応薄ッ!?」
えなんでそんな死んだ魚みたいな眼で見るの!?
せっかく主治医さんも説得したのに!!
「ヒシミラクル学生。有マ記念当日に病床のトレーナーの元に教え子がやって来たなら、そこから起こる流れは予想がつくと思わないか?」
「そーんな冷めたこと言ってると連れてきませんよ?
そう言いながら看護師さんの手を借りてトレーナーさんを車椅子へ。
「それじゃあ、動かしますよ~……」
「わざわざ言わなくてもいいだろ」
「うるさいなー。介助者は動かすときに伝えるのがルールなんです~」
ぐっと持って、そっと押す。
歩くだけならなんの障害にもならないはずの僅かな起伏も、車椅子にとってはちょっとした丘を越えるようなもの。
自動ドアのレール、エレベーターの乗降、そしてスロープ――――バリアフリーなはずの病院内ですら、気をつけないといけない場所がたくさんある。
それが、いまのトレーナーさん。
私たちの背中を押して、ここまで導いてくれたトレーナーさん。
「なんか、ないんですか」
「なにかというと?」
「そのつまり、私が有マに出ないこととか。勝手に記者さんにトレーナーさんの話をしたりとか。そういうのに対する苦情っていうか」
今日。有マ記念までの日々は、それはもう、過去イチに早い日々だった。
ラヴズさんやクロノちゃん、果てはブーケさんの遠縁とかいうカワイイの伝道師を巻き込んだSNSでの話題作り。それに同調する形で乙名史記者たち大手メディアにも特集を組んでもらっての大々的なキャンペーン……それはもう、言うは易し行うは難しってヤツ!!!
それをどうにかして、あとURAからのお小言をもらったりして(本当にもらっただけで出走の圧力とかではない。助かったぁ~)。
そんなこんなで競走ウマ娘ヒシミラクルの活動に終止符を打ちつつ、
しかも
今の能力とスキルが有マ記念で勝つために「どれだけ足りないか」。それを勝てるレベルに持って行くには「なにが必要か」――――それを見極めて、完成形にむけて
「私、勝手でしたよね」
「そりゃな」
だが、俺は名義貸しだよとトレーナーさん。
「きみたちがやると決めて、それを着々と実行する。それを俺は見ているだけ。名義貸しの理想型だ」
「でも。それじゃダメです。トレーナーさんは責任を取ってもらわないと」
「名義を貸す以上、責任はもちろん負うさ」
ああもう、このヒトまだ
そんな次元、とっくに越えたところまで私たちはいるじゃん。もう。
「とにかく。これはその第一歩ですから」
「ヒシミラクル学生がなにを考えているのかは知らないが、まあ、好きにすればいい」
「言質取りましたからね」
「ブーケみたいなこと言うなよ。怖いな」
「あはは」
どっちかっていうと
そんな軽口を叩き合いつつ、私たちは電車に乗る。
私たちのことを知ってるらしい(あれだけメディア露出してるんだから当然だ)人たちがさりげなーく視線を送ってくるけれど、まあ知ってても知らないフリで電車に揺られる。
そして、中山レース場に着く。
一年前のことを思い出す。
菊花賞に勝って、なんか流れで有マ記念に出ることになって。
それでいつのまにか、気付いたらレースが終わっていたあの日のこと。
あの日の私には、このレース場に集まってくる熱に気付く余裕もなかった。
……本当のことを言うと、あの時は関係者入口から入ったから、そもそもファン側の入り口は見てすらもいないんだけれども……。
「ここが、レース場なんですね。この熱気が」
「
「ええ。まあ――――ぶっちゃけ、レースは
つまり好きでも、積極的にやるでもないくらい。
足が速いんだから受けてみなよって感じでトレセン受験して、受かっちゃったからもしかして大スターになれるかも?! なんて考えて。
それで
でも、まあ。考えてみればもう、全部全部が借り物で。
大スターになるなんてテレビを観てたから思っただけ、いい大学を出て就職、結婚して家庭を持つなんてお父さんお母さんと同じことをしようとしていただけ。
――――そして、私の
「うん。でも、この熱気。なんかいいですね」
「慣れない方がいい。鉄火場の熱なんてろくなもんじゃないからな」
「よ、よく言いますよ。私をここまで巻き込んでおいて!」
でも。何かが変わって欲しいと思ったんだ。
思ったから、私は名義を借りて、みんなの手を借りて、ここまで来られた。
「IDを確認いたします」
丁寧な対応をしてくれるウマ娘警備員さんに身分証をみせて、関係者エリアへと入っていく。
さっきまで肌にぴったりまとわりついていた熱気が剥がれて、静かなで空調の効いた、競走ウマ娘を管理するためのエリアが私たちを出迎える。
「えーと、控え室は……あった」
セキュリティの都合で番号だけの控え室、外のお祭り騒ぎとは比べものにならない静寂の空間。
その扉の向こうに――――
「みんな。約束通り、連れてきたよ」
「遅いわよ、ミラクル!」
「ミラクルさん。それにトレーナーさんも」
「……お待ちしておりました、トレーナーさん」
アイちゃんに、クロノちゃん。
そしてカレンブーケドールさん。
勝負服に身を包んだ。3人の競走ウマ娘。
私と同じ場所を走った、私と同じウマ娘。
「トレーナーさん。なんか言ってやってくださいよ」
それを前にして静かなままのトレーナーさん。
揶揄うように言った私に、トレーナーさんは小さく鼻をすするだけ。
「ミラクル、お前が言うんだ」
「え、なんで……」
「お前はトレーナー補で、今日は俺の代理なんだから」
あー、そういう?
うーん。まあ、言いたいことは分からんでもないけれど。
でも私、別にブーケさんのトレーニングプラン組むくらいしかやってないんだけれどな。
「まぁ、いいですけど。それじゃ、不肖ヒシミラクルより皆さんへ一言!」
頑張れ、とか。
期待してる、とか。
言うのは簡単だけれどさ。
やっぱ
でも。全く期待されないってのも、つまんないから。
「楽しんで!」
位置について、
よーい…………、
「どんッ!」
想定は雨の中山、芝2500。
スタート地点から僅かな直線を経て大回りの3コーナーへと向かう。
これは内回りとなる有マ記念において、スムーズなスタートを切るためにスタート地点だけが外コースに設定されていることによるもので、つまり有マ記念特有――――有マ記念でなければ体験することのない大回りの緩やかなカーブ。
そこに勝機を見出して、内側へと大きく競りかけていく。
逃げウマの本領は
それが出来なければ、逃げウマなんて止めてしまえ。
「はっ、はっ、はっ、はあッ――――!」
雨が額に、鼻に、口に眼にと飛び込んでくる。
本当なら雲から地上に向かって自由落下しているだけの雨粒は、自分の速度と風の生み出した合成風力によって正面から叩きつけられる暴力になる。
だとしても脚は止めない、止められない。
肌を濡らし、服を重くする水が体温と加速力を奪う前に加速しきる。足下の重く、脚に絡みつくバ場に沈む前に踏み切る。
それを全部やって、ようやく才能のスタートラインに立てる。
それがトレセン学園。中央競走のスターウマ娘を生み出すための競走社会。
「――――ハアアアアッ!!!」
そして4コーナー。
辿り着いた直線コースが視界いっぱいに広がったところで、ストップウォッチのボタンを押す。
「タイムは……ッ!」
防水仕様のデジタル数値が示すラップタイム。想定よりもずっと遅いそれ。
「ああ~っ! ダメか!」
風を失って奪われなくなった体温と悔しさが混ざって燃えるように身体が熱い。
冷たいはずの雨粒が、沸騰するみたいな汗と混ざって蒸発していく。
そうして冷えるに任せて、曇天の雲を眺めていると――――
――――不意に、その視界が空色の傘に遮られた。
「あの……」
「いや~、こんな雨の日にコース予約がされてるって聞いてびっくりしたけど、コースの真ん中で膝立ちしてるんだもん。さすがにびっくりしちゃうよね~……」
「いえあの。私が言いたいのはそういうことではなくて……」
「あ! タオルとか着替えは気にしないで! 見ての通り大所帯だし。余ってる訳でもないけれど足りないわけじゃないし」
あーでも棚卸しの時に
私の言いたいことを全部無視して話を進める彼女に捕まったのが15分前。
風邪引いちゃうでしょバカなのとシャワー室に連行されたのが10分前。
持ち主不明のジャージを着せられ、この椅子に座らされたのが5分前。
そして温かいココアを強制的に持たされたのが、今。
「あの。ちょっといいですか」
「はいどうぞどうぞ」
「私、まだ練習中だったんですけど」
「あーそうなの? そっか、それは悪いことしちゃったね」
まあまあ食べて食べてと差し出される
「いえ。食事制限してるんで」
「ほーん食事制限、プロっぽいね。アプリとかで管理してるの?」
「まあ……」
流れで見せることになった食事管理アプリをさっと見て、お茶請けを摘まむ彼女は口をへの字に曲げた。
「あ~、これはアレだ。典型的な必須量しか取ってないヤツね。うんうん」
「……」
なにを知った風な、心の中で反感が尻尾を持ち上げるけれど、目の前の彼女は知らない風。それどころかアプリの画面を示して、摂取カロリーの欄を突く。
「これは普通のアプリの悪いところなんだけど、基本的に超回復を想定してないんだよね。つまりは
「…………」
「んで。きみは補食でプロテインとかは取ってるんだろうけれど、それも市販品のパッケージに書かれてる分しかとってないでしょ? あれってまだウマムスコンドリアの最新研究を反映してないから、極々フツーの超回復しか考慮に入れてないんだよね」
「……知識マウントっすか?」
「そうだよ?」
こっちの嫌味に真正面から打ち返した彼女――――チーム〈クエーサー〉のサブトレーナーが真剣に私を見つめる。
「雨の有マ記念。滅多にあり得ない気象条件での勝ち筋を探るウマ娘は初めて見たよ……12月の中山は基本的に雨が降らない。確かに誰も対策しないだろうし、雨の逃げウマをマークする陣営もほとんどいない。いい作戦だよね」
でもきみだって、その前提。つまり『有マ記念に出場する』ことを忘れてる訳じゃないでしょ? と彼女は言う。
「それは」
「ああ。有マ記念に出る方法は知ってるって顔だ。条件戦を突破してオープンウマ娘に、それで獲得賞金を積み上げるかファン投票で上位を獲得する」
「そんなこと知ってますよ」
それが難しいから苦労してるんだ。とは言わないが。言えないが。
「いいんだよ。別に最初はみんな
そのために、
その一言と共に、滑るように目の前に名刺が出てくる。
「URA平地・障害競走チーム〈クエーサー〉。サブトレーナーのヒシミラクル」
「……知ってますよ、有名ですし」
「あそう? なら話は早いや」
きみの
「きっと倍にして、返したげる!」
〈完〉
閑話
-
有マ記念をみたい!
-
他チームメンバーの話が読みたい!
-
ミラ子のトレーナー時代をみたい!
-
特に希望はない。