チーム〈クエーサー〉の夏合宿は、基本的に世代別にメニューが組まれている。
「いーか」
「かーに!」
「めろん!!」
まず朝は長距離ランニング。足腰に負担のかかりにくい速度で、ゆっくりゆっくり……。
「はいその姿勢を保って、動くな、動くなー」
「うぅ……」
「……む、むりぃ!」
そしてフォームチェック。なんとトレーナーさんが1人1人しっかり見てくれる!
「トレーナーさんって、トレーナーだったんだ……」
「夏合宿の費用には人件費がちゃんと含まれていますからね。ちなみに、普段から見てもらうことも出来ますよ?」
「……追加料金、発生するんですよね?」
「うふふ♪」
いやだからその圧やめてね?
そして、そういう基本的なメニューが終わったら、あとはいつも通り……だったはずなんだけれど。
「走るの禁止?」
「そうだ。朝と夕方のロードワーク以外は駈足以上の走りは禁止」
いやもうそれ、ほぼ全部歩けってことじゃないですか。
「随分やる気だな、ヒシミラクル学生。折角の夏合宿だしアメリカ横断くらいしたかったのか?」
「そこまでは言ってないですよぉ!」
いくらなんでもスケール大きくなりすぎじゃない!?
「私が言いたいのはですねぇ、ウマ娘なのに走らないっておかしくないですかって話です!」
「そうよそうよ、その通りだわ!」
そしてアイちゃんがすぐさま賛同。
「アメリカだけじゃなくユーラシアも横断しましょう!!!」
「えっアイちゃん?」
「ミラ子、さすが……」
「すっかり見違えたねぇ」
うん、いやあの。アイちゃんほど走りたいわけでもないんだけれどね……?
しかしトレーナーさんは腕組みをするだけ。
「あーそもそもだな。ジュニア期は原則として合宿には行かないんだよ」
え、そうなの?
「クロノジェネシス学生、説明できるな」
「はい。ジュニア期は多くのウマ娘にとって本格化が始まったばかりのタイミングで、過剰な負荷をかけるトレーニングは推奨されていません。ですので、ジュニア級で厳しいトレーニングをしたとか、追い切りタイムに自信があるとかいう陣営コメントが出てきたときは切るのが吉です!」
うん。最後の情報は別にいらなくない?
というか「切る」ってなに?? なにを切るの???
「ちなみにG1初挑戦とかで陣営が追い切りの成果を誇るインタビューが出てきた場合も切っていいです。過剰な追い切りは自信のなさの裏返しですし、普通に消耗してて沈むだけなので!」
「はい。ありがとうクロノジェネシス学生。次はもう少し絞ろうな」
「待って下さいトレーナーさん、ジュニア級であれば重量増は成長分ですよ?」
「
あーあ、トレーナーさんまで困ってるじゃん。
一応、掃除当番とかをリーダー権限でいい具合に決めて、クロノちゃんが一人きりになれる時間つくってるんだけれどな……。
「やっぱりもうちょっと時間欲しい? ストレス発散出来てない?」
「いえいえ! お陰で絶好調です!」
「うーん、そっかー」
絶好調でそれなんだねー……。
「はい、話戻すぞ。とにかく、こういう状況でいちばんヤバいのは膝だ」
夏合宿で普段より追い込んで、過剰な負荷に身体の回復が追いつかず関節が破壊されるなんてのはよくある話だとトレーナーさん。
あー確かに。お父さんもゴルフで張り切ってヒザ破壊されたって言ってたなぁ……。
走ったりすると脚をぐるぐる回すことになるから、それで余計に壊れやすくなるんだろうね。
「いけー! ハートちゃ~ん!!」
「ファイトー!」
1200Mレース用のポケットから飛び出す9人のウマ娘。
「函館レース場の1200Mは登山に例えられることもあります」
「どうしたのクロノちゃん?」
「向こう正面から3
「うん! うん! わかったから!」
レース終わっちゃうから簡単に言って!!!
「最終直線が
「ピンチじゃん!?」
とか言っているうちに9人のウマ娘は3コーナーを回りきって4コーナーへ。
この時点であと
……――――ここでハートちゃん、仕掛けた!
『ここで5番ハートリーレター大外を回る。3番ピロピロコーズまだ先頭』
「いい動きなんじゃないか?」
トレーナーさんが双眼鏡を覗きながら他人事みたいに言う。
まあ、他人事ではあるんだよねぇ……名義貸しだし。
『ピロピロコーズ粘るか2番手プレミアムフライデ、内にフサフサ最終直線』
そしてハートちゃんが、僅かな下り坂の助けも借りて一気に加速!
「おっ?」
「きたっ!」
「いけぇー!」
『外からハートリーレター、ハートリーレターだっ、並ばず抜くッ!』
そしてゴールイン!
勢い余った感じでパタパタ進んでしまうハートちゃん。それからこっちを見て、小首を傾げる。
「もしかして……勝った?」
勝った。
勝ったじゃん!?
「うぉおおおお! ハートちゃん!」
「やったぁ~!!」
思わず飛び出す私とロン。ウィナーズ・サークルに戻ってくるハートちゃんを迎える。
「やったやった! 初勝利!」
「メイクデビュー勝利は熱いよねぇ!」
「……え、やば。勝った感じ全然しない、ドッキリ?」
「いやいやいやっ、勝ってる、勝ってるってホラッ!」
掲示板を指させば、1着のところに点滅している「5」の数字。今日のハートちゃんのウマ番。
そして――――隣に現れる「確定」の文字。
「や、やたっ! やったあ!!」
3人でワイワイ喜んでいると、ブーケさんとクロノちゃんもウィナーズ・サークルに入ってくる。
「おめでとうございます。ハートリーレターさん」
「はい、ありがとうござますブーケさん。これもトレーナーさんの……」
そこでハートちゃんの言葉が止まる。
まあ分かるよ。お陰、なのか微妙だよねぇ……。
もちろん名義を貸してなかったらレースに出られない訳だし、全く感謝しないのは違うんだろうけど。
ところがハートちゃんの疑問はそこではないらしい。少し周りを見てから、一言。
「……あれ? トレーナーさんは?」
言われてみれば、トレーナーさんがいない。
……ていうか、アイちゃんもいなくない?
「はい。ですので諸々私が代わりにやりますね?」
そう言ってブーケさんはハートちゃんを地下バ道へと誘導していく。
それを見届けるまでもなく、私は反対側を向いていた。
「あれっミラ子?」
「ちょっと、アイちゃんの様子みてくる!」
普段なら、たぶん気にしなかったんだろうけれど。
今の私はリーダーだし……なによりアイちゃんは、チームの仲間だから。
「いいでしょ? 規定上は出来るハズよ!」
あっ、いた。
いくら人がまばらな非重賞デーといえど、やっぱり人気のない場所は限られる訳で。
「もちろん規定上は可能だ」
「そうでしょ、だったら……」
「アーモンドアイ学生」
そして、やっぱり。
予想通りというか、アイちゃんとトレーナーさんが言い争い……というか、トレーナーさんにアイちゃんが諫められていた。
「アーモンドアイ学生、誤解はして欲しくないのだが……」
トレーナーさんは両手を小さく挙げて、アイちゃんを落ち着けるようなポーズ。
「俺は、きみが函館ジュニアステークスに出ることを止めるつもりはないんだ」
夏の重賞が
「ええ。獲得賞金を積み増すために参加者が多くなるのよね?」
「そうだ、そして函館ジュニアステークスはジュニア期最初の重賞。獲得賞金狙いの陣営に狙われやすいし、未勝利で登録した場合はかなりの確率で
この意味が分かるなとトレーナーさん。
「未勝利で登録すれば、除外になる可能性が高い」
「分かっているわ。それでも……」
「それでも、ハートリーレター学生より早く重賞ウマ娘になりたいか?」
えっ、そこまで言っちゃうの?!
いやそりゃ、ハートちゃんが勝って、それでアイちゃんとトレーナーさんが居なくなってたら外野の私でも見当はつくけどさぁ……。
「…………ええ、そうよ。私は頂点に立つの。それは誰にも譲れないわ」
「なるほど。しかし焦る必要はないな」
「焦ってなんかないわ! 私はただ……」
そこでアイちゃんは、語気をしぼませる。
「アーモンドアイ学生。チーム〈クエーサー〉は名義貸しチームだ」
そしてトレーナーさんは、淡々と続ける。
「だから、きみがこのタイミングで急に方針転換したとして、皆に説明出来るなら問題ないんだ」
「……はい」
「また話そう。準備が出来たら声をかけてくれ」
それだけ言ってトレーナーさんがこっちに戻ってくる。
私はささっと身を隠してやり過ごして……やり過ごして…………。
……まー、私がやるしかないよねぇ。
「アイちゃん?」
「っ! ミラクル!?」
うわぁ、明らかな狼狽。それで臨戦態勢。
別に取って食おうとか、そういうのじゃないんだけれどな。
「ちょ~っと、お茶しない?」
お茶とは言ったけれど、ちょうどお昼の時間なのでそのままご飯屋さんへ。
レース場グルメっていうやつ? クロノちゃんが興奮気味に語ってくれていたので、とりあえずそこへ。
チームのLANEでお弁当広げてる写真が上がってるから、多分こっちには誰もこないはずだし。
「……」
バツが悪そうに肩を縮こまらせるアイちゃん。
私は注文した海鮮丼をパクリ。もぐもぐ、ごくん。
「うん、マグロおいしい。お醤油しみてるね」
アイちゃんも食べたら?
だけれどアイちゃんは、箸に手をかけることもない。
「さきにハッキリさせておくわ――――私は、勝利を目指す」
うん。それは知ってる。
未出走を不戦敗だと言って。
リーダーになれなかったのを負けた扱いにして。
きっとテストや、先生からの質問、板書……そういったひとつひとつで、アイちゃんは全部に勝とうとしていて。
「だから、ごめんなさい。私はきっと、みんなにこうやって迷惑をかけることになる」
「んー……」
迷惑、かぁ。
「別に、いいと思うけどね」
「……そうかしら?」
「うん。だって全力な証拠でしょ?」
勝ちたいって、当たり前の感情だし。
「だから多分、ハートちゃんもそんなに気にしないよ」
だって私も、ハートちゃんが勝つとは思ってなかったし。
「そういうものじゃん? トゥインクル・シリーズは
私は早めにデビューしたのだって、マグレ勝ちを拾うためだし。
ハートちゃんは、たまたま1戦目でそのマグレ勝ちを拾っただけ。
「だからアイちゃんが焦るのも分かるよ。チームでいちばん強いもんね」
……そう、私たちの中で、アイちゃんだけがスカウトされている。
そしてアイちゃんは、自分の目標のためにスカウトを断った。
「きっとメイクデビューに出なくても。未勝利で格上のレースに登録して、通ったら勝っちゃうんだろうね」
でもさ。
「アイちゃんの目標、ブリティッシュ・チャンピオンズシリーズなんでしょ?」
ちゃんと目標があるんだから、焦っちゃダメなんだよ。きっと。
「……そうね。ごめんなさい」
「ううん。気にしないで」
「その、このことは」
「うんうん。黙っといてあげるよ」
アイちゃんが実は完全無欠のウマ娘じゃなくて、ただの負けず嫌いだってこと。
「た、ただの負けず嫌いって何よ! 私は本当の負けず嫌いよ! 超超超超超超超超超負けず嫌いなの!」
「負けず嫌いなのはホントじゃん?」
「それは……そうだけどぉッ!」
それで、2人でちょっとむぅ~と睨み合ってから、少し笑って。
そして後日。
誰もがそうなると思っていたように、アイちゃんはあっさりとメイクデビューを勝利で飾ったのでした。