「はぁ……」
仕事を終えた時には、道のひと気はほとんど無くなっていた。密輸、強盗、爆破……今週もこの街では違法行為が後を立たなかった。処理するこちら側の身にもなってほしいものだ。こういう時は食べて疲れを取るに限るが、この時間ともなると空いている店は多くない。いつもの場所に屋台が出ているはずだ。
「いらっしゃ〜い」
暖簾をくぐると、やや間延びした女の声が聞こえた。
……女?
カウンターの向こうに立つ相手に目を向ける。そこにいたのは、私と同じくらいの年齢の生徒だった。
「あ、常連さんかな?いつもの店長さんならちょっと用事が入っちゃったらしくてね。私はただの手伝い」
暖簾をくぐる体勢のまま固まってしまった私を見て、安心させるように話しかけてくる。
「店長さんが私のバイトしてる温泉の常連でさ、私の飲み物を気に入ってくれたんだよ。それで、今日は1時間だけ外すから店番してくれないかってさ。ちょうど私も暇だったし」
氷の入ったお茶を出しつつ、注文を聞いてきた。様子を見る限り、かなり手慣れた様子だ。他の店にも心当たりはないし、ひとまず様子を見てみようか。そんな思いで席につくことにした。
「注文は?」
「焼き鳥で」
「はーい」
注文を済ませると、彼女はカウンターの向こうで串に火を通し始めた。メニューにある物は一通り出来るということなのだろうか。印象とは裏腹にかなり器用なようだ。改めて彼女を観察する。髪は水色とも緑色とも取れる透き通った銀髪で、朝焼けのような色合いの瞳が印象的だった。尻尾が垂れて小さく揺れている。
厚手のコート、そして脱がれて置いてある帽子に付いているのはレッドウィンター連邦学園のエンブレム。大きな学園ではあるが、いくぶん遠いのでD.U.で見かけることは意外と少ない。
そういえばこの前、シャーレへの窃視のかどで補導されてきた生徒がレッドウィンター生だった覚えがあるな。確か彼女は学区へ強制送還されたのだったか。とんでもない事を考える人間もいたものだ……。
「あ、それ多分私の友達だね」
「はっ!?……申し訳ない」
思わず独り言が声に出てしまったらしい。誤魔化すようにコップの茶を口へ運んだ。幸い、相手が気を悪くした様子はない。
「私と一緒に特別クラスで暮らしてるんだけどさ、たぶんまだ懲りてないと思うよ」
「……そうか」
呆れたような口ぶりだが、言葉のどこかに誇らしげなトーンを感じなくもない。
——特別クラス。噂で耳にしたことがある。あの学園には校則違反を犯した者を反省させるために送り込む場所が存在すると。入れられた者は廃墟同然の校舎で過酷な生活を強いられるらしい。とは言うものの、例えクーデターを起こした者でも言い渡されるのはせいぜいが奉仕活動であり、よほどの事がなければ送られないという話だが——。
「……」
「何?」
店員の生徒をじっと見つめる。今の発言を信じるのなら、彼女もまたその特別クラスに送られているのだ。肉に火を通しながらにこやかな微笑で応えるこの生徒も、何か重大な罪を犯しているということなのだろうか。
「ああ、もしかして私の方は何をやらかしたのか、って話?」
「……!」
気になっていた話は向こうから切り出された。重大な校則違反の話であるはずなのに、彼女の気楽さはまるで趣味でも尋ねられた時のようだ。
「配給のカンポットにウォッカを混ぜようとしたら一発だったよ」
「な……」
衝撃だった。未成年飲酒禁止法違反。この仕事を始めてからそこそこ経つが、実際に出会ったのは初めてだった。法律以前に、このキヴォトスではやろうと思う人間が極端に少ない。多くの者が超えてはいけない一線と認識しているのだ。“あの”美食研究会でさえ、手を出してはいないという話なのだから。
「だいたい、ルールの方が厳しすぎるんだよ。ちょっと発酵してるだけなのにさ」
「発酵してるからダメなのだと思うのだが」
「みんなそう言うんだよね。そうだ、お姉さん」
少し困ったような表情を浮かべた彼女は、思い出したようにカウンターの奥から薄茶色の瓶を取り出し、お猪口の中に注いでいく。こちらに差し出してきた容器の中には、やや濁った液体が満たされていた。
「お近づきの印にこれ。もちろん私の奢り」
どう返していいか分からなかった。屈託のない笑みを浮かべるその顔と、目の前に置かれた液面の揺らめきを交互に見る。話の流れから考えると、今目の前にあるのはおそらく……。
「あれ、お姉さんは飲めない人?」
しばらく黙っていると、彼女は軽くウインクしてくる。明らかにアルコールを勧めるような口ぶりだ。
「飲めない……と言われても困る。私はまだ17歳だ17歳」
「へぇー、意外だね」
「どういう意味だそれは」
「別にそのまんまの意味だけど。それより、飲まないの?」
「だから私は飲めないと言っているだろう」
向こうは全く悪びれる様子はない。今はオフのつもりだったが、目の前で事を起こされては見過ごすわけにもいかない。上着の内ポケットに入れた手帳を取り出した。
「いちおう私はこういう人間だ」
「もしアルコールを出そうとしているのなら、この場で補導させてもらう」
手帳を見て多少は驚いた様子の彼女だったが、その表情はすぐに悪戯っぽい笑みに変わった。
「ねぇ、何か勘違いしてない?」
ごとりと音を立てて飲料を注いでいた瓶をカウンターの上に置き、ラベルがこちらに見えるように回転させる。
「甘酒……!?」
瓶のラベルにははっきりと甘酒の文字が書かれていた。
「そう。隠し味とかにも使うらしいけど、いちおうメニューにもあるよ、ほら」
店員はメニュー表を開いて飲み物欄を見せてくる。確かに、いつも頼むウーロン茶などに混じって甘酒の文字は書かれていた。
「知らなかった……」
「何ならちゃんと匂いを嗅いで貰えば分かると思うけど。お姉さんそういうの得意そうだし」
彼女は私の頭についた耳を見て言った。人並み以上に鼻が効くのは強ち間違ってはいないが……お猪口を持ち、軽く鼻を近づけてみる。言われてみるとエタノールの香りはしない。さっきの話を聞いて必要以上に警戒してしまったらしい。
「……すまない」
「いいっていいって。誰にでも間違いはあるからさ」
手帳をポケットにしまう私を、彼女は愉快そうに眺めている。犯罪こそしなかったものの、いきなり甘酒を出すのも少々変だ。この反応を予想してわざとやったに違いない。
「で、飲むの?それ」
「……せっかくだが遠慮しておく」
相手のほうへお猪口を押し戻す。やはりこの甘酒を飲む気にはなれなかった。これを飲んでしまえば文字通り一杯食わされたことになりそうな気がしたのだ。
「じゃあ私がもらうね」
彼女はそっけない様子でお猪口を持ち上げ、口元へと運ぶ。
「ぷはーっ!おいし」
くいっと一気に飲み干すと、彼女は気持ち良さげに大きく息を吐いた。本当にアルコールは入っていないのか?思わず疑いの目を向けたくなるが、彼女がそれに応えることはない。
「あっ、ごめんね。私だけ飲んじゃって。お姉さんには別のを用意するから。今度はちゃんと気に入ってくれると思うよ」
お猪口を片付けると、どこからともなく幾つかの瓶を取り出し、私に背を向けて混ぜ始める。マドラーを回す手つきはいかにも慣れた様子で、催眠にでもかかったかのように思わず見入ってしまった。
「ああ、こっちもそろそろだね」
一通り飲み物を用意すると、くるりと踵を返して焼き網へと向かう。気づけば焼き鳥がパチパチと音を立てていた。そういえば最初に注文していたのだったな。すっかり彼女に気を取られて忘れていた。
「はい、お待たせ」
しっかりと焼き目のついた鶏肉が皿に盛られ、卓上に置かれる。いつも見ているのとほぼ変わらない出来だ。
「で、こっちが今作ったドリンク」
続けて、透明なグラスに入った飲み物が差し出された。大粒の氷が内壁と当たってカランと音を鳴らす。
「これは……」
「焼き鳥には合わないかもしれないけどね」
グラスを満たしていたのは、茶色っぽい色をした液体だった。コーヒーだ。普段とは違って包んでいるのは冷気だが、鼻を近づけずともその香りは分かる。
「刑事さんってだいたいこういうの好きでしょ?」
それは正解だ。所内の自販機でも缶コーヒーだけは異様に減りが早いし、かく言う私もよく飲む。牛乳が加えられてまろやかな色に変わった液面からは、豆だけでなくほのかなスパイスの香りも漂ってくるような気がする。
折角なので貰っておくか。ゆっくりとグラスを手に取り、ひんやりとした縁に口をつけた——。
「ところでお姉さん、コーヒーを原料にしたお酒って聞いたことある?」
「ぶっ!」
「基本的にはコーヒーリキュールと牛乳を1対3で混ぜて、シナモンとかを軽く……大丈夫?」
「ごほっ!ごほっ!」
驚いて思わず咽せてしまった。コーヒーを使ったカクテル。まさか、これが……?そんな匂いはしなかったように思えるが……
「心配しなくても、これはただのコーヒー牛乳だよ」
水を差し出しつつ、彼女はまたあの面白がるような目で私を見ている。
「もしもダメなやつだったら、お姉さんも共犯だったね」
呼吸は元に戻ったが、飲んだものはほとんどが食道を通って体内へと入ってしまっている。相手の顔にしてやったりといった笑みが浮かんだ。
——だが。
「残念ながら、それは違うな。未成年飲酒禁止法で罰されるのは提供した側だけだ」
「……!」
あの法律の罰則は提供した側にしか適用されない。まあ、実際は飲んだ本人もお咎めなしとはならないだろうが。
いずれにせよ、この時初めて、私は彼女の意外そうな表情を見た。これまで試験のとき以外で役に立ったことのない知識だったが、初めて使ったのがこんな場面になるとは思わなかった。
「へー、そうなんだ。次から気をつけよっと」
「気をつけるとかの問題じゃないと思うんだが……」
「冗談だって。もう余計な口は出さないから、ちゃんと味わってみてよ。ちょっとした自信作だから」
飲みかけのグラスにもう一度目配せをしてきた。改めて嗅覚を集中させ、本当にアルコールは入っていないのを確かめると、ゆっくりともう一度グラスを口に運び、ぐいっと傾けた。
最初に走った味はやはりコーヒー。しかし目を覚まさせるような刺激は感じない。あの苦さとは普段から慣れ親しんでいるが、苦味というよりは甘味の方が強かった。独特のコクに混じってどこかフルーティーな味わいも感じられ、コーヒーも果実の一種なのだと再認識させられる。シナモンの香りが仄かに漂い、それらをまとめる牛乳の優しい味わいが疲れた身体に染み渡る気がした。
「……美味い」
「ありがと」
彼女はニコッと笑った。悪戯心などではない、純真な笑顔だった。
「未成年が安心して飲めるようになれば文句なしだな」
「あはは、ごめんって」
「ふっ」
私からも妙な笑みが漏れた。
***
「いやー、悪いね。急に店番なんて頼んじゃって」
しばらくして、いつもの店長が屋台へ戻ってきた。アルバイトはカウンターを出て店長へと仕事を引き継ぐ。
「いえいえ。私も面白い経験させてもらったし」
「腕は確かですが、一人にしたらダメですよ彼女は。何をするか分かりません」
「だからあれは冗談だってば」
手をひらひらとさせながら、彼女は屋台を回って私の隣に座ってくる。
「折角だし、私もなんか頼んでくよ」
「……そういえば、名前をまだ聞いてなかったな」
「言われてみればそうだったね」
彼女は忘れていたとばかりに開いていたメニューを閉じ、机に肘をついて顔だけをこちらに向ける。
「レッドウィンター連邦学園2年、間宵シグレ」
「ヴァルキューレ警察学校3年、尾刃カンナだ」