ホロ=モダンエイジス - 真夏日、陽炎は揺らめき -   作:テラ・ぺた・エクサ

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19:工作員、せせら笑う

 さて賢明なる読者諸君!

 実にお久しぶりであるが、こうやって語りかけるのは二度目となる私立探偵のアメリア・ワトソンである。考えてみれば”語り手として”の登場はこないだから九章ぶりの再会なワケで、諸君らにおいては息災だろうか? ……まぁ、どうでもいいか。

 

 アタシが居るのは体育館の入り口二階の備品室の窓辺。ここに入るには体育館外側の階段から回り込む必要があるというちょっと不便な部屋だ。体育館内側からもはしごとキャットウォークを使えば二階に上がれないこともないが、あのサビだらけの汚いはしごを使うのはできるだけ遠慮したいのでそちらは使っていない。しかしわざわざそんな手間をかけてでも、私にとって『一人で思考を整理するための時間』というのは何物にも変えられない価値があった。明かりもないぬるい夜風の中、膝の上に置かれた小皿の上で揺れているロウソクの火が頭の中の雑念を燃やしていくような、そんな心地にしてくれる。

 ところで、こうやってたびたび視点が変わることを訝しんでいる読者もおられるかも知れないが、今回ばかりは『そうならざるを得ない理由』というヤツがちゃんと存在している。

 

 これから語るのはアタシの思い出話。始まりから仔細、事の顛末に至るまで他の誰の頭の中にもない、アタシ自身の記憶の話だ。ちょうどいま避難所の仮設カフェでお姫様とその従者であるらしいお爺さんの仲直りにかまけているまつり達や、裏でこっそり幼い市民たち相手の絵本の読み聞かせなんてものに挑戦中のそら、それとまつり達の動向を文章として追っていたアナタたち読者は知りようもない、アタシとこの事件との始まりについて。

 

 

 

 

 ………

 

 

 

「ったく、社名を変えてから出直してきなさいっての」

 三年前の夏、昼下がり、ロサンゼルスの街角にとまっている黄色い車の運転席。アタシは一人でメールの内容を確認して辟易(へきえき)しながらそう独りごつ。気が遠くなりそうな仕事のメールである。この時のアタシは新興の製薬会社であるカドゥケウス社の社員として、半年ほど前からこの街にあるアメリカ支社に勤めていた。もちろん表向きの話では、であるが。

 当時、カドゥケウス社はイタリア発の新興企業ながら世界的製薬会社として成功を収めつつあった。医療の面でイタリアはヨーロッパ随一と言われているとはいえ、それが言わずと知れた医学のトップ先進国アメリカでも、である。当然アメリカ国内からのやっかみや敵対感情は根強く、彼らをなんとか出し抜こうというアメリカ医学界から雇われた数多くの企業スパイの一人がアタシだった。このために必要な知識を頭に詰め込んで薬科大の卒業生に身分を偽装するのにはそれなりに苦労した記憶がある。とはいえ、私立探偵として潜入捜査で身分を偽るのは慣れていたし膨大な情報を覚えるのも不可能ではなかった。

 

「自分の国のお伽噺くらい、ちゃんと参照してほしいわ……」

 話を戻そう、冒頭のと今の独り言は『カドゥケウス』という社名に対するアタシの個人的な愚痴。

 カドゥケウスというのはローマ神話に出てくる“二匹の蛇の巻き付いている魔法の杖”の名前で、よく医療的なシンボルにされたりする。ほら、医療系団体のロゴなんかで似たようなイメージが使われているのを見たことはないだろうか? あれだ。……問題はそれが元ネタ的に完全に間違いという点である。ギリシャ神話の医学の神様の持っている杖に“一匹の蛇が巻き付いて”いたりするのが、たまたま似たようなデザインで全くの別の杖であるカドゥケウスと間違われているのだ。そしてそれがそのまま広まって世界的に浸透し、結果今に至る、という感じ。ちなみにこの勘違いはカドゥケウス社以前から長いあいだ間違えられ続けてきた“よくあるミス”なので、今さら訂正しても大して意味がない。つまり早い話が『言ったところでムダな話』というヤツ。忙殺必至(ぼうさつひっし)な指示を受けて、とりあえず会社に何か毒づいてみたかっただけだったりする。

「ま、ウダウダ言っても仕方ないか」

 そうやってアタシは溜め息と一緒に職場へのストレスを吐き出して気を取り直すと、車のエンジンを入れてアクセルを踏み込んだ。外回りからオフィスに戻って、とっとと業務を片付けねば。

 

 

 それから、だいたい一時間後。当然ながら業務はまだ片付いていない。

 業務というのは、売り込みをかける製品となる医薬品についての資料作りである。このあたりについては想像に(かた)くないだろうが、つまり売り込み先の医療機関に医薬品のことを詳細にまとめた資料を配り、さらに説明できなければいけないというワケだ。当然ながら専門的な知識もかなり必要になる。ただ、確かに過酷な業務内容であっても、その手のスペシャリストとして潜り込めばスパイとしても簡単かつ効果的な働きができるのは言うまでもない。それにこういう職は実力さえあれば色々と融通が効くという点でも有り難かった。

「抗うつ薬としてはSSRI……SNRI……NaSSA……三環形抗うつ薬……四環形抗うつ薬……」

 それにしても不思議だ。他社のシェアを奪って急速に伸びている企業だというのに、仕様書の上では薬剤に独自の配合がされているというようなことはない。もちろん、医薬品の売り方や流通ルートがどうだとかいうような話も一切聞かない。これならシェアを奪うどころか他の製薬会社と大差ないではないか。それなのに業務に携わっている感じでは、ただひたすらに“薬効が優れている”という点の一点張りでリピートされているような印象だった。そこがイマイチ釈然としない。

 

 ふと考え込みそうになったところで、我が部署のドアがノックされる。

「ミス・ワトソン、いらっしゃいますか」

「はい?」

「あ、いたいた。部長がお呼びです」

 ふとアタシを呼び出した事務員の向こう、オフィスの廊下の方を見てみると見覚えのある小男が立っているのが見える。営業部長だ。アタシはやや首を傾げつつ部屋を出た。

「お呼びでしょうか」

「あぁ、突然で申し訳ないが君は異動になった。詳細を伝えるからついて来てくれ」

「へ⁉︎ り、了解しました」

 驚いた“風な演技”をしておいて、アタシは足早に部長についていく。フム、思ったより時間がかかってしまったが大した遅れじゃない。というのもこの昇進、アタシが人事部のPCにハッキングして自分の人事情報を|改竄 > かいざん]]して決定したものだ。早い話が予定調和というヤツだった。

 部長は誰もいない廊下を歩きながら説明する。

「さて、本題だが……君は執行役員に選出された。今までの医薬情報担当者から、営業部と開発部を橋渡ししつつ対外的なやりとりを担う役職になるらしい。これから辞令の交付もあるし新しくデスクも与えられるそうだ。つまり俺を飛び越しての昇進だよ、おめでとう」

「そうですか……」

「ん? 気分でも悪いか?」

「す、すみません! 急なことで戸惑ってて……」

 アタシは慌てて態度を取り繕う。幸い、部長からは特に違和感もなく見えてくれていたようで、彼はそのまま話に戻った。

「これから執行役員になるにあたって上役からのお達しがあるって聞いてる。かいつまんでいうと俺はそれを伝えるための連絡役(パシリ)かな。にしてもすごいなワトソン。その若さで、しかも入社半年で執行役員就任とは」

(そりゃ、直接評価書き換えてたワケだし……)

 部長はひとしきり感心して、対するアタシは心の奥で嘆息する。

「それで……その、どうだろう? 今度食事でも……?」

 

 おっと。

 

「それは遠慮しておきます」

 ちょっと猫を被りすぎたようだ。この会社に来てからは“大人しめ”な振る舞いを心掛けてきたつもりではあったけど、それでよもやこんな面倒な選択肢が増えてしまうとは! もちろん、わざとこういう誘いに乗ってこの小男から情報を引き抜くという手法も当然ある。でもそういう手段はあまり長い期間頼れないし、何より後腐れとか報復とかも至極面倒なのでアタシは避けるようにしていた。そういうのなんか怖いし。

「……そうか」

 明らかにワントーン落ちた声で部長が声を返す。分かりやすい落ち込みようだ。まぁ、たかが食事の誘いだし、これでもめげずに声をかけ続ければ良いことがあるかも知れない。例えば、

「でもそれなら、さっきの事務の人が以前いいカンジに部長のこと褒めてましたよ。これを機に誘ってみては?」

 こういう新しい選択肢とか。

「ん⁉︎ そ、そうか……なるほど」

 部長は内心驚いた様子だったが、男としての自信を少し取り戻したようにも見えた。それにあの事務の人が褒めていたというのは事実だったりする。要するに「そう悲観することはない」ってヤツだ。それに、あの人も小柄だしね。

 

 

 部長に連れられて通された社長室で彼は待ち受けていた。でっぷりと膨らんだ腹に肩幅のゴツい大柄な壮年の男。質素なグレースーツを身にまとい、垂れ目の目尻はくにゃっと垂れ下がり笑顔を形作っている。カドゥケウスUSAの代表取締役だ。

「こ、こんにちはCEO」

 アタシはここでも演技は忘れない。なにせ相手は社長職だ、上に立つ人物というものは得てして警戒心が強い人物が多い。部下からの裏切りを防ぐためにもそういうことを考えざるを得ないのだろう。まぁ、これは持論に過ぎないけど。

「ワトソンの案内ご苦労、アディントン。後は役員同士の会話だ、ここまででいい」

「はっ、では失礼します」

 心なしか彼の視線の動きに何か違和感を感じたが、その“何か”を読み取ることは出来ないうちに部長はそそくさと退室した。……妙な胸騒ぎを感じる。バタンとドアが閉じた。

 途端に、である。

「遅い。あの営業部長と談笑でもしていたのかな?」

「い、いえそんなことは……」

「執行役員に選出されたということは聞いているだろう? 名前の似ているだけで執行役などとは似ても似つかない下の役職だと思っているのかも知れないが、そもそも執行役員とは我々役員から『業務執行』の役割を委任された存在だ。それとも、そんな責任なんて新参者の自分には全く関係がないとでも言いたいのかい?」

「……申し訳ありません、そんなつもりは勿論ありません」

 明らかにさっきより声が低い。柔らかい口調とは相反するような、『冷え切った鉄材』を彷彿(ほうふつ)とさせるような、そんな声だった。先程までの和やかな雰囲気は微塵も感じない。声も荒げず、ただ相手の非を淡々と責め立てるその口調は怒鳴られるよりも数倍以上に冷徹に聞こえる。先ほどの部長の視線に感じた違和感の正体がわかった。『怯え』だ。

「まぁ、いい。君が若いのに優秀だということは間違いないんだ。こんな急に昇進が決まるくらいにはね。そこは誇っていい」

 そして社長は一転してアタシのことを褒めだす。

「は、はい……」

「だが今からは、それだけで誇ることは許されなくなる。組織を動かす大きな責任感を持つことが重要だよ、覚えておくといい」

「はいっ」

 アタシはなるべく勢いよく答えた。……あたかも“感銘を受けているっぽく見せる”ために。

 実を言うと、社長からの注意は予想の範囲内だった。わかっていたとは思うが、途中のかしこまった態度も全て演技だったりする。さっきの豹変から理詰めで責めたて、そして不意な褒め言葉。別になんてことはない、マフィア連中が使う“カマシ”みたいなものだ。相手に油断させて準備ができていないところで強気に出てギャップでおののかせて攻撃し、弱ったところで優しくする。素人ならあっさり懐柔させられるかもしれないし、普通の会社員ならそれで十分なのだろう。

 でもアタシは残念ながらプロだ。そうでなくたって、そもそもの理屈とかテクニックを知っているだけでも気構えはできる。要するにアタシにはカケラも効きもしなかったというワケ。そして急にこんなテクニックを挟んでくるということは……。

「よし、なら来るといい。見せるものがある」

 ビンゴ。つまりはこれから重要な“何か”を見せてくれるらしい、やっとだ! きっとそれがこの会社の秘密で、他所に知られたらマズい弱点。さっきのはたぶん裏切られづらくするためのカマシだったのだろう。そうでなくても相手はこちらを忠実な社員だと思っている。でなければこんなことワザワザしない。それに実際の社員なら今のでこの会社に対して裏切る気は完全に失せるのだろう。まぁ、アタシに言わせればちょっと詰めが甘かったけど。

 

 社長室を出てノシノシと歩いていくボスの背中にアタシはついていく。窓もない階段を、二人は鉄板のステップを踏み締め降りていく。カンカンカン、と硬質な音が縦に開いた空間に響き渡った。

 

 

 

 辿り着いたのは暗い廊下の行き止まりだった。分厚そうなゲートが奥に鎮座していて、その周りには黄色い看板に黒や赤でけばけばしく警告文が書き連ねられている。降りてきた階数から考えるに、たぶん地下。いかにもおあつらえ向きの場所だ、あまりにも雰囲気が“そういうヤツ”っぽすぎて逆にワクワクしてくる。上層部にハリウッドのアクション映画ファンでもいるのだろうか。

「ここが我々カドゥケウスの心臓部だ」

「心臓、ですか?」

 うーむ、言い回しの意外性に欠ける……百点満点中四五点。

「そうだ。ここがあるからカドゥケウスはここまで発展できた。……ところでいきなりだが物理の授業をしよう」

 話の展開に脈絡がなさすぎる……百点満点中三〇点。

「この世の中にはさまざまなエネルギーがある。力学的なエネルギーだけじゃない、物理的なものだけでも光や熱などなど、それに位置エネルギーなんて理論的なものもあるな? 今から見せるのは、そういう具体的な存在が確認しづらいタイプのエネルギーなのかも知れない……そうだな、便宜上は『意思エネルギー』とでも呼ぼうか」

 うわ、言ってることがSF臭くなってきた……百点満点中一五点。

「人が持つ『意思』や『意識』……単純に疑問に思ったことはないかな? たかだか脳の電気信号のやりとりが集まって束になっただけでどうして人間は精神を宿すにまで至れたのか。果たして精神というものはどこからきたのか……。それを突き止めたのがカドゥケウス・イタリア本社の前身となるある研究所だった。曰く、高度な知的存在は『意思』というエネルギーを保持していて、それが人間の精神をつくり、更にそれはありとあらゆるエネルギーを制御できる素晴らしい力だという」

 なんか急に新興宗教のセミナーみたいになってきた……百点満点中〇点。

「で、ここが心臓部というのは……?」

「それを教える前に聞いておくことがある。君、スパイだろう?」

 百点満点中……む?

「上手くやっていたようだが、最近ウチを嗅ぎ回っていた学会のヤツを“絞った”らスパイの存在だとか正体についてアッサリ吐いてくれたよ。いやはや、社内のPCというPCに痕跡も残さずハッキングしてデータを書き換える君の手腕には恐れ入る。このリークがなければ手遅れになるところだった」

 アタシは足元がグラつくみたいな感触を感じる。マズい、逃げなきゃ……!

 闇雲に、そして反射的にアタシは奥のゲートの方へと駆け出していた。

 ゲートは完全に無人だ。まぁ、ここを知るような上層部の人間がこんなところの門番を務めたがるとは思えないし、そりゃ機械制御に任せた方がある程度は正確だろう。スパイといった外部の人間がこんなところにまで入り込むことなんて今までありもしなければ想定もされていなかったようで、ゲートは自ら道をあけてくれた。

 格子状になった鉄製の通路の上をアタシは駆けていく。背後も見ずに、通路を派手に軋ませて。

 所詮、あの社長は壮年だ。体力的にも、若さでいえば確実にこちらに分がある。ついでにこの奥の秘密を覗き見ることができればアタシは『いつ情報を爆発させるかわからない爆弾』になれるハズだ。そこから体勢を立て直していくしか……。

 

 

 そしてアタシは絶句していた。

 奥にあったのは、イヤ、奥に“いた”のは人間の群れ。性別も人種もバラバラな人間たちが揃いも揃って丸坊主でマネキンみたいに無表情のまま、点滴と一緒に部屋の中心にある直径二メートル程度の輪っか状の機械から伸びるコードに繋がれていた。

 左右の両側の壁に座り込んだ人々が四列、横幅の広い階段状の台座の上に真っ直ぐ並んでいる。そして頭部をよく見ると脳波をはかるときみたいな電極がびっしりと取り付けられ繋がれていた。ある種の荘厳ささえ感じさせるその光景には見覚えがある。そこは仏教(ブッディズム)の像がたくさん集められ、それらが所狭しと並べられたお寺だ。たしか日本のキョウトあたりだったと思う。目の前の光景はそこと何かが似ていて、そして何か良くない部分で決定的に違っていた。

「まったく、この歳になると走りたくもないんだが」

「実際に走ってからいいなさいよ」

 やっと追いついてきた社長のゆっくりとした足取りを見てアタシは悪態をつき、問いただす。

「これは何⁉︎ この人たちは一体……」

「先ほどの話の続きだが。それで例の研究所の連中はどうしたか? 答えは簡単、こっそり利用した。最初は社員自らが交代で意思エネルギーを提供し、それで医薬品をさらに加工する……“ありとあらゆるエネルギーを制御できる”とさっき言ったが、それならそのエネルギーを柔軟(フレキシブル)に応用すればありとあらゆる薬が生み出せる。言うなれば現代の錬金術みたいなものさ、カドゥケウスという魔法の杖を振るう万能の神(メルクリウス)御業(みわざ)というに相応しいだろう?」

 社長は悪びれもせず説明を続ける。というより、本気で悪いと思っていないのだろう。さっきから文章の主語が『カドゥケウス本社の連中』になっている。要するに自分が当事者だと毛ほども思っていないのだ。それに、この話題が目の前の光景と関係があるという時点でだいたい察しはつく。

「それで社員からのイケニエじゃ足りなくなったから、世界中から無関係の人を拉致してきてこういうのに使ってるってワケ⁉︎」

「人聞きの悪い言い方をするね……そんな非人道的なアレじゃあない。彼らは望んでこうなってる。ウチから彼らの家族に経済的な支援をするという条件で」

 もちろん、それが本当かどうかを証明するようなものは何もない。実際に金銭を支払っているのならまだいい、しかしこうやって追求されても動揺すらせずにいけしゃあしゃあと答えるのは、映画の演技のように“最初から何と答えるか決まっている”ということも考えられる。それに、さっきから視線が不自然なまでに動いていない。嘘をつく人間は視線が泳ぐというのは有名だが、逆に“相手の目をじっと見つめることもある”というのは案外知られていない。本当に社員の細かい処遇を思い出そうとしていたなら、ある程度視線は動くだろう、あれこれ記憶を探るのだから。そして、嘘の内容が一つに決まっている時ほど視線はブレていない。

 ……つまり、この男の言葉は嘘である可能性が高い。

 あぁ、吐き気がする。純粋にそんな感想が頭に浮かんだ。

 

「あぁ、それとだ」

 社長は思い出したかのように言う。

「言うまでもないかも知れないが、君の親御さんのこともちゃんと調べてある。って、言えばどういうことかくらい優秀な君ならよくわかるハズだ」

 頭が真っ白になった。そうだ、なんで気づかなかったんだろう。というよりは、多分『気づいていたけど考えないようにしていた』というヤツだろうか。つまり、人質を取られた。

「それで、どうする?」

 社長は白々しく尋ねてくる。そんなのもう決まっているようなものだ。

「…………従うわ」

 アタシは悪魔に魂を売ることにした。

 

 

 

 ………

 

 

 

 以上がアタシの記憶だ。ここで主人公は現代の日本で夜風に吹かれるアタシにまで戻る。

 それからのアタシは大体察しがつく通り、さんざん会社にこき使われてきた。忙殺させてしまえば余計な気も起こすまい、とでも思われていたのだろうか。とりあえず執行役員に任命されたこと以上に業務量が増えたのは間違いない。もっとも、それでもアタシを打ち負かすには至らなかったが。

 どういうことかというと、膨大な量の仕事の合間を縫い、両親を雲隠れさせることに成功したのである。

 現代で仕事をするのに今やPCは欠かせない。そしてアタシはPCさえあれば社内じゅうのPCにハッキングできる。結局そこはアタシのフィールドで、情報を操作して気づかれないように消すことなんてワケなかった。しかしそれだけだと不十分なことは明白なので、これまた察知されないように両親の姿をくらませなければならない。ここを慎重にする必要があった。それにやっとの思いで成功させたのがわずか一ヶ月前のこと。二人とも今はインドネシアで悠々自適な暮らしを送っているハズだ。

 

 さて、とアタシは考え事に戻る。

 今回の事件の黒幕はカドゥケウスの連中で、それは揺らぐまい。ただ理由だけがどうにも腑に落ちない。

 以前、ヤツらの目的は『ハアトを研究すること』と『生体有機コンピューターを普及させるための混乱を起こすため』だなどとみんなに説明したのは他ならぬアタシ自身ではあるが、正直それだけではイマイチ動機づけが弱いような気がしていた。

 なぜ日本のこの街がターゲットになったのか? そもそも“なぜハアトが日本に来たのか”も重要な謎ではあるが、そんなことよりも連中がどうしても成し遂げたいのは確実に生体有機コンピューターの普及であることは明白だ。だってそっちのほうが利益になるし。それなら、わざわざ日本に来なくてもアメリカ国内とかで事件を起こせば良いのではないか? なぜ極東の、それもイタリア・アメリカ両国から離れた日本をわざわざ選んだのか? ……ダメだ、決定的な何かが抜け落ちてる。

 そうやって、アタシの思考は“情報不足”というどうしようもない障害で一旦止まることになった。

 

 

 

 と、何やら階下の方から聞こえてくる。聞き馴染んだ高い声……と聞き覚えのない少女の声。ハアトと誰の声だろうか。待って、別の雑音も遠くの方から聞こえてくる。エンジン音だ。まさか、そんなの聞こえてくるハズない、今は電気を使うようなもの全てがEMPで破壊されて止まっているのに。

 エンジン音は静寂を破ってあたりを揺らし続ける。音から考えるに、どうやら低速でこの避難所に近づいてきているようだった。ヒョウが獲物を一歩ずつ追い詰めるみたいに、ジリ、ジリと。そしてバタンと勢いよくドアがしまる音と共にエンジン音が高らかに鳴って、アスファルトをタイヤが踏み締める音がやっと聞こえてきた。今までのエンジン音は車のものだったのだと他人事みたいにアタシの思考が告げる。

 

 さっきまで聞こえていたハアトと誰かの声はもう聞こえなかった。

 

 

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