ホロ=モダンエイジス - 真夏日、陽炎は揺らめき - 作:テラ・ぺた・エクサ
あまりに暗くて、ハアトの目には何も見えなかった。
もはや立っているのか、それとも宙に浮かんでいるのかすら分からなくなりそうなくらい。
いやいや、とハアトは黒一色の視界の中でブンブンと首を振る。さすがにそれは錯覚だとわかる、そう、いま自分は暗い中に一人立っていて……アレ? 結局どっちだ?
と、ここでハアトは不意に思い出す。そうだ。さっき確か自分は避難所の玄関先でまつりちゃんとケンカしてたあの女の子に話しかけて、会話しているところで急に真っ暗になって。ここまで思い返してハアトはようやく理解する。あぁ、これは夢か、なぁんだ。あっけらかんとハアトは片付けた。
これが夢だとしたらどういう夢だろう? さすがにこんな夢なんて今まで見たことがない。こういうのを確か『闇が深い』というんだっけ? 目の前の光景は見たまま真っ暗で何も見えない。それに加えて、そんなことよりも先に気にしないといけないことがあった気がする、なんだっけ?
「私があなたに気にして欲しいことならあるかしら」
声がした。方向はわからないけど近くに誰かいる。……でも、だからと言って驚くようなものでもない。何となく“話しかけられることを最初から知っていた”ような感じというか。それに別に不思議でもないか、だって夢の中だもの。そんなふうにまたハアトは自己完結して、話しかけられた方へと向き直った。
「さっそく本題。できれば、できればね? あなたには早く寝るのをやめて欲しいの。そりゃ、同居してるあのショートカットの子の生活習慣に影響されるのはわかるけど、あなたに早く寝られると体が睡眠状態になって眠ったままになるワケだから、『私』が表に出てくる時間がなくなっちゃう。それは困るわ」
「へ? ……え?」
ハアトはさすがに思考停止しそうになった。いくらなんでも話が見えなさすぎる。『表に出てくる』? 何の話だ?
「……そうよね、そういえばあなたとは始めて会うものね。まぁ……そうは言っても、私も目が覚めてる身の周りの人たちには“あの”一度きりしか会えてないけれど。初めまして、私は赤井はあとよ。“あなたと同じく”ね」
深い闇の中からライトアップでもされるみたいに、急に人影が浮かび上がる。
ハアト自身の姿をしていた。
「……すごーい、はあちゃまだぁ」
ハアトはポツリと呟く。間違いなく紛れもなく、鏡でよく見る自分の姿だ。
「うん、端的に説明しなきゃね。さっきも言ったように、私は赤井はあと……いや、“私も”赤井はあと。どういうことかっていうと、あなたの中にいるもう一人のあなたが私。ってところかしら」
「はあちゃまの中に……はあちゃま、がもう一人いて……それがあなたで? えと、ん……意味がよく……?」
「そうね……『人格』って言葉は知ってる?」
「ごめんなさい、分かんない」
「そ、そう…………それじゃあ……そうね……」
正直にわからないことをさらっと伝えるハアトに、もう一人のはあとはちょっと狼狽しかけた。
「えーっと……まずね、あなたの中に『あなたとは別の心を持った”幽霊”』がいるの」
「幽霊?」
「そう、あなたじゃないものがいるってこと」
しかしそれでも、はあとは例え話を使って丁寧に説明していく。説明されているハアトも話を聞くうちに少しずつ興味がわいてきたようだった。
「じゃあつまり、その幽霊があなたってこと?」
「そうね、そのとおり。それで私は幽霊だから、あなたの体を使わないと誰ともお話しできないの。ほら、幽霊って体が透明でしょ? だから、あなたに乗り移って体を使わせてくれないと周りの人に気づいて貰えないのよ」
「わー……なんか大変そう」
今度はハアトが狼狽しそうになった。この自分と同じ顔・同じ名前をした幽霊さんはなんて不運なんだろう、周りの誰とも話せない状態だとは! またそれと同時に、そんな彼女の境遇をこれ程までわかりやすく噛み砕かれないと理解できない自分の無知が悲しくなった。さすがに、目の前の彼女が小さな子の相手をするように話してくれているのはわかる。確かにまつりちゃんから人並みの振る舞いというものをひととおり教えてもらったけど、所詮は付け焼き刃の知恵でしかなくて、教わってないことや考えてもみなかったことには何もできないことが自分でももどかしくて。なんだか急に、そして猛烈に恥ずかしくなったのだ。
そして、はあとにはそんなことお見通しだった。本来ハアトとはあとは同じ人物なのだからそれも当たり前だろう、などと言ってしまうと確かにそれはそうなのだが。
「あら気遣ってくれるなんて優しいのね、でもそんな気に病むことないわ。こんなことめったに考えないし、慣れてるハズないもの」
「その……ありがとう」
「ふふっ、どういたしまして」
「……ところで聞いて良い?」
ハアトはふと疑問をぶつけてみる。正確にいうと、疑問というよりは自分が思ったことをどうしても伝えたくてこう切り出したといったほうが適切なのかも知れない。
「なぁに?」
はあとは優しく尋ね返す。
「その……“幽霊”っていうのは例え話でいいのよね? あなたは幽霊なんかじゃなくて……いや、そうじゃないなら何なのかなんて分からないけど……。でも、あなたはそんな不気味な存在じゃなくって、えと……もっとこう、あったかくて……何て言えば良いんだろう?」
しかし結局、ハアトの知識の中には目の前の存在について言い表すような単語がまるでなかった。言いようのない不自由さに苦しむハアトに、はあとは焦らずに助け舟を出してやる。
「あはは、無理に言おうとしなくても良いわ。それにあんまり間違ってるワケじゃないし。まぁ、強いていうなら……
「み、ミズ……?」
「ううん。やっぱり何でもない、今のは忘れて?」
またもや聞き慣れない単語の登場に表情を曇らせかけたハアトに気がついたのか、はあとはすかさず発言を無かったことにした。そしてそう言われたハアトも、何か余計なことを聞いてしまったと悟ったのか、言われた通りに今の言葉のことは忘れることにした。
そんなやり取りをするうちに、急にハアトの視界はぼやけ始める。と同時に、何か“水中に沈んでいた体が持ち上がる”ような感覚がハアトを覆っていく。自分はどうやら目が覚めるらしい、というのが何となく分った。
そしてそんなこともわかっているかのように、はあとは言う。
「ここまでみたい。残念だわ」
「うん、またね」
実を言うとハアトは大抵の夢は目が覚めると忘れてしまうのが殆どだった。また覚えている夢でも、起きてからの三〇分の間にきれいさっぱり思い出せなくなることはよくある。つまり後々まで覚えているような夢は全くないに等しい。でも、今日の夢に限っては何となく忘れないような気がしていたし、できればそうならなければ良いなともハアトは思った。
………
夢で別れを告げたハアトが目を覚ますと、そこは狭苦しい小さな一室だった。
無骨なベッドに明かりは天井に一つだけ、その天井の隅の方にはまつりが以前スバルの部屋に持ってきたハンディカムに似ているカメラと思しき機械、外から固定されているらしくドアノブすら見当たらないドア。薄暗い上に窓はなく、隅に簡易トイレがぽつんと置いてある。誰がどう見ても劣悪すぎる内装の部屋だ。おまけにドアの内側にはかなり頑丈そうな鉄製の格子がはめられていて、格子に皿一枚分くらい通せそうな穴こそ空いているが、仮にドアが開いてもくぐり抜けることは出来そうにない。どうやら柵越しの面会と食事の提供だけは可能らしい。
部屋を見回したハアトは夢を見る前の、つまり意識を失う前の出来事をやっと思い出してため息をつく。もう一人連れ去られていた女の子がいたハズだ。今の自分は一人だけでこんな部屋に入れられているが、彼女もどこかに捕まっていると見るのが自然だろう。しかしそんな心配をしても、今の状況からどうにかできるワケがない。なぜなら暴れてこの部屋から脱出しようにも相手方が何の対策もしてないワケがないし、もしかしたらこの壁のすぐ向こうに少女が囚われているのかも知れない。もしそうなら、下手に動けば彼女に危害が及ぶことになるだろう。要するに万事休すだった。
と、ここで鍵や鎖を外していくガチャガチャという大きな音がドアの外から鳴り響く。間違いない、ドアが開けられる。ハアトは冷静に判断して身構えた。
しかしそれから数分の時を要して、ドアがやっと開け放たれる。グレースーツの中年男が格子の向こうに立っていた。イマイチ精気のない顔というか目の前のもの全てが面倒そうな顔をしていて、手には何やら紙の書類を持っている。そして、それを見るのと同時にハアトはがっかりした。男の背後、柵の隙間の向こうはこの小部屋と全く同じ壁の薄暗い小部屋だったからだ。どうやらこの部屋は二重扉で外と区切られているようで、これでは部屋の内部から外をうかがい知ることは叶わない。
「エラく残念そうだな、アカイハアト。資料でこそ“知能レベルはそれほど高くない”ことになってっけど、その顔はこの扉の向こうが外じゃないと理解したって顔だな? なかなか抜け目ないな、少なくとも常識はあるって報告を書き換えとこう」
「…………」
「そう睨むなよ」
スーツ男はせせら笑いながらハアトの不満げな視線に反応する。
「まぁいい、お前に聞きたいことがある。ちょっとした確認だ」
「…………」
そういってスーツ男は自分の本来の目的に移ることにした。対するハアトはというとダンマリを決め込んでいるが。
「聞くことってのは、お前の『南極で見つかってから日本にたどり着くまでの足取りについて』。つってもコッチが調べてきた内容と答え合わせするだけだ。上からの指示で確認するだけだし、詳しく聞き取って訂正すんのも面倒だから、何なら黙ったまま聞いといてくれりゃいい。沈黙はイエスってことにしとく。違う時は喋りゃ良いが……まぁ、どうでも良いか」
「…………」
「へっ、理解が早くて助かる。まず最初になんだが」
どうもこの男の愛社精神はあまり強くはないらしかった。今どきのビジネスマンというか中年らしい精神をだらしなく掲げつつ、スーツ男は気だるげにペラペラと資料をめくる。
・出現初日・二〇二一年一二月五日:南極点の氷河中から“出現”したところを、南極点を取材しにきていた日本の民放TV番組クルーにより発見され、また極地としては考えられない薄着だったことから昭和基地までクルーごとヘリコプターによる空路で運ばれる。一週間余り彼らと行動を共にするものの、最終的に同基地から逃亡して単身での行動に戻る。
・八日目・同年一二月一三日:基地逃亡から単身陸路・二日間・補給なしという超人としか思えないペースで南極大陸横断・棚氷も越えてロス島にまで到達。ここで三日ほど留まる(近辺のマクマード基地にて『南極の金髪野生児』というUMAとしての目撃情報あり)。同年一二月一六日:ロス島にて氷河に空いた大穴を残して姿を消す。
・一二日目・同年一二月一七日:オーストラリア大陸南部の都市ウォーナンプールのスティングレー湾沖に位置するミドル島の海岸にて発見・保護される。つまり数千キロもの海路を一日で移動したと考えられる。現地の住民に保護され、施設で七八日間を過ごす。翌年二月五日:施設の職員の制止を振り切って逃亡・失踪。
・九三日目・二〇二二年二月八日:オーストラリア南部の都市ミルデューラ近郊の荒野にて発見・保護されるものの、ウォーナンプールの時とは異なり即刻逃亡。
・九四日目・同年二月九日:オーストラリア中部の町バーズビルにて目撃される。北へ行く道だけを尋ねた後、超人的な脚力で失踪。
・九六日目・同年二月一一日:オーストラリア北部の都市マウント・アイザにて目撃される。バーズビルと同じく、道だけ尋ねた模様(詳細な目撃情報が現地のデータベースに残されておらず不明)。
・九八日目・同年二月一三日:オーストラリア北部の町バマガにて目撃される。三日間滞在して同年二月一六日に失踪。どうやら海の渡り方を調べていた模様。
(次項へ続く)
スーツ男はその1ページだけ見ると視線をハアトに戻した。
「南極では安全が保障されている昭和基地に保護されていたにもかかわらず、わざわざそこから逃げて過酷な環境での単独行動に戻った理由は『日本に来るため』か?」
「…………」
沈黙。
「イエス、か。何もしなければいずれ日本に帰ってくることもできたろう。見つけたのが日本人だったし、そいつらに着いてくればそのうち日本に来れたはずだ。そんなにも待てなかったのか」
「…………」
「もしかしてタイムリミットか何かでもあるのか」
ハアトは視線をそのままにゆっくり首を振る。
「ノーか、ちゃんと意思疎通はとれそうだな。ってことは単に待ちきれなかっただけと?」
「…………」
と、ここまで話を聞いてきて、スーツ男は初めて気がついた。
「……いちいち黙られたらテンポ悪いな、やっぱ次から声で答えてもらう。で、質問だ。お前、どうやって海を渡った?」
さらっと方針転換を宣言して、何事もなかったかのように質問は続く。ハアトは仕方なく口を開いた。
「……えっと、泳いだ」
「南極からオーストラリアまで数千キロあるのを、報告書にある通り一日で泳いだって言うつもりか? しかも生身で」
「うん」
「明らか嘘くさいが……まぁどうでも良いか、“超人”だしな。最後の質問。お前はオーストラリア・パプアニューギニア・インドネシア・フィリピン・台湾と陸地を転々として日本に渡ってる。特に台湾からは船に乗り込んで日本近海までは泳がずに来てるな? 何で自力でもっと速く動けるのにわざわざ時間のかかるルートを選んで、しかも各地にしばらく滞在までして、なんで半年もかけて日本に移動するようなマネしたんだ?」
「……道も何もわかんなかったんだもん、方角もわかんないし。最初の基地から方角がわかったのはTVのおじさんたちに教えてもらったおかげだしね。だから途中で会った人に方向を聞くしかなかった」
どうやって調べたのかが気になる程の詳細さはともかく、書類に残されている行動の記録は当時のハアトにとっては“思いつくまま”に行動してきた結果だ。でも今になって改めて人の口から尋ねられると、自身の目から見てもなかなか奇怪な記録であるように感じられた。自分は何を思ってそんな行動を取っていたのか、記憶にはあるはずなのにイマイチ信じられないというか。
そしてそんなハアトの内心なんて気づきもせずにスーツ男の質問は続く。
「『聞く』? コミュニケーションはどうやってとってた? お前、報告書では“出てきた”ときから日本語を喋れたらしいが、その日本語は誰から教わった? それだけじゃない、最低でも英語は話せないと道中の国じゃコミュニケーションなんてとれやしないだろ」
「英語も喋れるけど……ごめんなさい、何で喋れるかはわかんない。最初から喋れてた」
「最初から? しかも会話ができるレベルで?」
ハアトの告白に男は意外そうに言葉を返した。それを見てハアトはちょっとムッとする。いつかの敬語のときもそうだったけど、自分が言葉を喋れるだけで驚かれるというのはどうも釈然としない。確かに自分の略歴を見れば無理もないのだが、ハアトに言わせればそんなに他人の略歴でしか人を見ていないのかと問いたくなるような質問だ。腹が立ったついでにハアトは英語で返した。
「Yeah, nothing too hard. I'm a little influenced by the dialect, especially Australian.(うん、問題ないよ。オーストラリアの言葉がちょっとうつっちゃってるけど)」
我ながら疑いも文句も出しようのない完璧な発音だった、とハアトは内心笑い出しそうになった。これならこのおじさんも信じざるを得ないだろう。しかしスーツ男はさらに質問を投げかけてくる。
「たしかに嘘じゃなさそうだが……『何で喋れるかわからない』ってのは、学んだ覚えもないし誰から学んだのかも分からないと、そういう意味か? 昭和基地で勉強したとかではなく?」
うっ。
「……わかんない」
またここなのか。結局、今回も『なぜ喋れるのか』という問題にぶち当たる。ハアトにとっては日本語も敬語も英語も、“使えはするけど未知なもの”ということに違いはなかった。しかも単に未知なものなのではなく、“それを自分がすでに扱える”という時点で不気味さはいっそう際立っている。なぜ喋れるのか、誰に教えてもらったのか。そこをいつも他人からは気にされる。それは、自分が忘れようとしている不気味さを掘り起こされるみたいで嫌だった。
「まぁ、滞在一週間で完璧な言語を身につけられたら誰も苦労しないか。とりあえず、違和感も多いが以上の内容で上には報告しておく。話は以上だ」
スーツ男はそれだけ言うとバタンとドアを閉める。狭苦しい部屋はドアを開けられると変わりなく、息苦しいままだ。狭い中に押し込められて、いつものように暴れるワケにもいかず、場所もわからず手がかりも無く、自分の心の中にも謎があって、その不安を吐き出せる相手もいない。
ハアトは大きくため息をついてその場にうずくまった。