ホロ=モダンエイジス - 真夏日、陽炎は揺らめき - 作:テラ・ぺた・エクサ
ゾワっ
例の大学病院の建物の一部を目視した瞬間、まつりはあの悪寒に襲われた。
昨日の避難所ぶりに味わう、背筋を氷の塊で撫ぜられるような“あの”感触。この妙な感触が本当に正しいのなら、どうやら目の前の病院に大量の氷だか何だかが存在しているらしい。正直なぜここにそれほどの氷があるのか、そもそもなぜ急にこんな才能に目覚めたのかの意味もよく分からない。だがまぁ、こんな状況でも相手方は問題なくジープを病院敷地内で動かしているのを見る限り、エアコンだとか冷凍庫みたいな低温を作り出すような機械なんかも問題なく動かせるのだろう。たぶん。
まつりはそんな風に『潜入部隊』に報告した。
一〇分ほどさかのぼって朝、というより昼近く。“作戦会議”が徹夜になる寸前で終わり、なんとか確保できたなけなしの睡眠時間とそのあとの朝支度を経て、まつりたちはアメリアが突き止めた大学病院に向かっている。
避難所に集まった人々の中でも選りすぐりのメンバーで移動しているところだ。構成を具体的に言えば、まつり・スバル(と、避難所の外ということでやっと集合できた
そりゃ、探偵でテームの頭脳であるアメリア・詳細は分からないが未来から来た凄腕エージェント(という感じだとまつりは大雑把に解釈している)のそら・異星からのテクノロジーを駆使する姿は超能力者にしか見えないイオフィならまだわかる。彼女たちなら割り当てられる役割もあるハズだ。でも、だったら自分たちは何の役に立てるというんだろう?
「……ねぇアメちゃん、昨日っていうか寝る前の”作戦会議”のあの推理ってホントに合ってるかなぁ?」
選抜された二十四名が大学病院前の今やすっかり無人になっているオフィス街を抜ける途中、まつりは先頭をゆくアメリアの隣に立ってふと尋ねた。
「あら、割と自信あるけれど。急にどうして?」
「だって昨日まつりが何の気なしにボソッと言ったことが結局そのまま採用されちゃったじゃん。そう思ったら、推理もなんか一足飛び? みたいな感じに聞こえてさ……〜〜するハズとか、〜〜するだろうとか、もしその部分から間違ってたらどうしようって」
「間違ってたらそん時はそん時よ、また考えれば良いだけだもの。まぁ、アタシの信用とかプライド的にはちょっとマズいけど、それはアタシがゴメンなさいって謝れば済む話だしね。それに、昨日の最初に行ったでしょ? 『相手は人攫いのプロだ』って」
歩きながらアメリアは得意げに、人差し指で天のほうを指して解説する。
「これは飽くまでアタシの持論だけど、『プロ』っていう人たちは“その行動にブレがない”人たちのことだと思ってるの。どういうことかっていうと、目的達成のためにすべき行動が全てわかっていて、それ以外の余計なことはしないってこと。変なことしたら失敗するリスクが高くなるかも知れない、だったら合理的なコトしかしないのはプロとして当然でしょ? ……少なくともアタシは、“会議”でのあの予測を全て合理的で正しい判断に基づいたものだと思ってるわ。まぁ、私自身が出した答えなんだから、自分でそう思っちゃうのも当たり前なんだけどね」
自信に満ちた表情でアメリアはそう言い切った。
本当に、こういうところで自信を持って発言できるのはすごいことだ、とまつりは思う。少なくともまつり自身だったら、自分が出した結論で舵が誤った方向に吹っ飛んでいないか気が気ではない。アメリアとは随分な違いようだ、とちょっと卑屈な笑みがこぼれそうになった。いけないいけない、こんなところで自信をさらに無くしているようでは今後身が持たないだろうに。
「んー、でもさぁアメちゃん。スバルってホントに何かの役に立ててる?」
不意にスバルが飛ばした直球の質問に、まつりの身がこわばる。
「そりゃあ役立てるために連れてきたんだもの、この後しっかり働いてもらうわよー」
「そっか、じゃあ良かった!」
そしてその言葉にアメリアが笑いながら返して、スバルは胸を撫で下ろす。そしてまつりは何とも言えない表情でそれをただ見ていた。
まつりは内心穏やかとは言えない状態だ。彼女がさっきアメリアにした質問はというと、スバルがしたこの質問の名前の部分だけを入れ替えたものを投げかけようとして、けっきょく勇気が出せなかった成れの果てみたいなものである。要するに怖かったのだ。実際にこの質問をしたとして、もしアメリアが何の気なしに『え? 何もできないんだから別に見てるだけで良いわよ』と返してきたとしたら。……もちろんチームの頭脳である彼女がこうしてこの場に自分を連れてきている以上、実際そんな風に返してくるとは思えない。しかし理屈では分かっていても、感情面からそう言い切ることがまつりには出来なかった。どうしよう、どうしよう、もしここで面と向かって役立たずと言われてしまったら。
そしてそんな質問をスバルはあっさりとやってのけたのが余計にまつりを卑屈にさせそうになっていた。幼馴染であるこの子との付き合いは当然長いが、いつもそうだった。いつだって明るくて、裏表がなくて、人目をしのんで泣いたりするような子でもなくて。もちろんまつりにも見つからないような心の奥の方では違うのかも知れない。幼馴染の目すらも騙しおおせるほどスバルが周到な性格だとは思えなかったし、思いたくもなかったが。
とにかくまつりにとって、スバルは昔から、そして今でもそんな羨望の対象だった。……本人には一度も言ったことないけど。
「さて、あの地図に間違いがないならここの先に……よし、見えてきたわね」
アメリアがそう言って一行に到着を告げる。
そうして辿り着いた病院前の通りで、まつりは感じたことをアメリアにできるだけ細かく説明した。冒頭の一文である。まつりがしゃべっている間、アメリアは目を瞑って難しい顔をしていた。
「……巨大な氷が? 病院に?」
「少なくともこの悪寒の感じだとそんな気がする。昨日今日で風邪ひいてたとかでないなら、だけどさ」
付け加えるように、まつりは自信無さげに呟いた。
「昨日と言えば、あのカキゴーリにした氷みたいに『小分けの氷が大量に』なんてパターンもありそうだけど……たかだか病院にどうしてそんなに氷があるの? カドゥケウスは一体何やろうとしてるってのよ?」
アメリアは
「で、でもホントにずっとあの感じがするんだもん! そりゃ、他に証拠は無いけど……」
「あら待って、今のはアタシの言い方が良くなかったわ、ゴメンなさい。別にまつりのことを疑ってるワケじゃないのよ。病院に氷のカタマリっていう取り合わせに驚いちゃって……ただ、本当に文字通り“カドゥケウスの連中が何を考えてるのか”が分からなくなったってだけなの」
慌ててアメリアが取り繕う。後続の他のメンバーたちも、先頭の少女たち二人の異変に気づき始めた。
「ふ、二人ともどうしたの?」
そらが心配そうに聞いてくる。隣のスバルとイオフィも不安げだ。
「え⁉︎ あ、な、何でもないよー、ね? アメちゃん」
「そうね、ちょっと行き違いがあっただけよ」
アメちゃんがこんなにも見事に落ち着き払っているのは、ひとえに今までくぐってきた修羅場の数の差なのかなぁ。こんな時でさえ、まつりにはそんな風に感じられる。要するにまつりの精神状態は負のスパイラルの中にあった。
「というか、ここまで来て談笑してていいのか? お前の推理通りにここが相手の本拠地だとすれば、いま連中の目の前に立ってるのかも知れんワケだが」
どうにも焦れてきたらしい部隊長が苛立ちを隠そうともせずに言う。
「まぁ、病院自体は一部しか見えてないし、一応位置的にはまだアタシたちの位置は確認できないハズよ。見えないのはこのあたりがギリギリだろうけどね」
「フン、そんな場所まで来て世間話とは恐れ入る」
相当我慢ならなかったのだろう、アメリアの冷静な回答にも彼は不満げだ。
「随分カンに障る言い方ね、別にいいけど。どっちみち
アメリアはそういって、上手くビルの陰になっている小さな喫茶店を指差した。
いきなりの二四名もの来客に、無人の喫茶店はかなりの圧迫感でもって出迎える。テーブル一つを中心に残し、全ての椅子・他のテーブルを壁際に押しのけてやっと全員が入れたくらいの手狭さだ。
「よし、今は冷房も使えないからちょっと暑苦しいけど、少しの間は我慢してちょうだい。これから
引き続きアメリアは潜入部隊の司令塔としてメンバーたちに声をかけた。まぁ、実際のところ、ちょっとどころか尋常でない暑さと密度ではあるが、今は四の五の言っていられない状況なのは言うまでもない。
「まず前提として、なんだけど。知っての通り、今はインターネットが使えない上に諜報員なんてのもいないからあの建物の見取り図はどうやっても手に入らないわ。だから今回の目標となる拉致被害者:アカイハアトさんの居場所も当然分からない。そもそもここいら一帯の詳細な地図も望むべくもない、ってヤツね。つまり彼女の捜索はぶっつけ本番で
彼女は淡々と説明をしていく。正直なところ、作戦よりも今の状況の方が女子的にはなかなかしんどい、とまつりは思った。
「突入してからも、行動はこの二四名で固まって動くこと。無線連絡もできない以上は分断できないから。でも、全体人数確認のスピードを上げるためにも少人数で小分けしておくわね。まずアタシ・部隊長・爺やさん・マスターの四人でチーム
暑さによる不快感を毛ほども感じさせず、アメリアはチーム分けを矢継ぎ早に決めていく。恐ろしい早さで決まっていく作戦の重要事項に、まつりは自分のチームが
「質問です。何があるかもどうなるかも分からない、これから突入する場所にチーム
近衛隊の一人が挙手して質問を投げかける。自分が
「そうね、ここが一番重要な部分。チーム
ここまでアメリアが言い切って、喫茶店内には沈黙が流れる。彼女の発言内容に潜入部隊メンバーの大半は半信半疑、というよりあからさまに疑いの目をこちらに向けているのがありありとわかった。
「なるほど『炭鉱の
そんな空気の中、部隊長がボソリという。
「よし、じゃあアタシは
そう言ってアメリアが強引に四人を連れ出し、軒先に五人の影が並ぶ。
「んーっ! やっぱり夏場に冷房が使えないのはこの国だと地獄ねー、あー、暑かった。外って涼しいわー、まだ店内にいる男性陣には悪いけどね。それで、みんなへの指示なんだけど……」
そんな呑気なことを言いながらアメリアが豪快に伸びをしたところで、
「アメちゃんそれどころじゃないよ⁉︎ どうすんの、急にあんなことみんなに言って!」
「イヤ働くとは言ったけどさぁ‼︎ いきなり責任重すぎってかさぁ‼︎‼︎」
「私がキーパーソン……」
「ねぇ! 何でワタシだけ“戦場でも問題ない”って言われてるのよー⁉︎」
四人(三人?)の集中砲火にあった。
「ち、ちょっと落ち着いてよ! い、良い? アタシは間違ったことを言ったつもりはないわ。実際にアナタたちの才能ってあの説明でも充分なくらいの『異能』でしょうに。特にまつり、あなたのお陰で命に関わる問題が一つ何とかなるかも知れないのよ? ……あとイオフィ、アナタのだけはアタシよりも近衛隊に直接言うべきだと思うわ」
「待ってよアメちゃん。何とかなる……って、何が?」
必死に弁明するアメリアにまつりは切り出す。命に関わるようなそんなこと、どうにかしたような覚えなんてまつりにはない。というよりも
「病院内から氷の気配がするって言ってたのまつりでしょう? 何があるかは分からないけど、アレのおかげで対策……が出来るかも分からないけど、少なくとも気構えくらいは出来るじゃない?」
「……それだけ?」
思わずキョトンとするまつりにアメリアが妙に芝居がかった口調でツッコミを入れる。
「あぁっ、気構えがあるかないかっていうのがどれだけ重要なのか知らないなんて! ……いやまぁ、非戦闘民じゃ知らなくても無理もないけどね。でも、でもよ? 相手が何をしてくるかがわかってるっていうことは相手に意表を突かれないってことなの。兵士にとってコレはとっても重要よ? 意表を突かれないってことは慌てずに済むってこと、慌てずに済むってことは土壇場でも冷静に判断できるってこと、土壇場でも冷静に判断できるってことはつまり、命をうっかり落とさずに済むってコトよ」
「命を、落とさずに?」
「そ! つまりまつりは彼らの命の恩人になれたかも知れないの」
自分が図らずとも誰かの命を救ったのかも知れない。それは今のまつりにとって少なからず自信につながることだった。ちょっとわざとらしいアメリアの明るい声が、今は心地良い。
「それは……ちょっと嬉しいかも」
そう告げて、まつりは思わず微笑む。
「……キーパーソンかぁ」
「あれ、そらちゃん?」
余程さっきアメリアに名指しでキーパーソンと呼ばれたことが嬉しかったのだろうか、そらが周りの会話内容もお構いなしにそんなことをつぶやいて、すかさずスバルがツッコんだ。考えてみれば、長い間そらは孤独に活動してきたと言っていたハズだ。つまり他人からちゃんと評価された経験があまり無かったのではないか。だとすればちょっと感動してしまうのは無理もない…………が、ちょっと感動し過ぎなのには変わらないし、やっぱり天然なところが若干ハミだしていたようにまつりには見えて、そこが余計に可笑しかったのだ。
ただその一方で、アメリアは安堵感と焦燥感という
(うまく誤魔化せたかしら…………でも、いくら言葉を選んだところで、結局やることといったら殺し合いだものね……)
はっきり言って、今のまつりは危険な状態だった。
戦争で兵士が負うダメージが肉体に負う外傷だけではないというのは有名な話だ。極限状態に置かれることで精神状態の均衡を失っていく者の話は引きも切らない。ましてや平和な国に暮らす一般的な女子高生に過ぎないまつりが、このままもし本物の修羅場に飛び込めば負うことになるだろう
(やっぱりまつりのメンタル状態で戦闘に連れて行くのは無理かも知れない……とはいえ、例のトラップはまつりがいないと対策のしようがないし……それともやっぱりここはチーム
背後の扉が開いて、サウナ状態一歩手前だった喫茶店からやっと部隊長・マスター・近衛隊といった男性陣たちがフラフラと出てくる。みんな外気の流れる風に触れて、異様なまでの爽快感を感じている様子だ。焼き付けるような日差しが目の前の、オフィス街の中にぽつんとある小さな神社とその境内の雑木林を照らしている。
ただどちらかというと、ビルの向こうの病院に植えられた木立からも聞こえてくる耳をつんざくようなセミの鳴き声が鼓膜に焼け付くような心地だ。頬をつたう汗の粒が、アメリアにはひどく不快だった。