ホロ=モダンエイジス - 真夏日、陽炎は揺らめき - 作:テラ・ぺた・エクサ
ハアトは二度と“彼女”とは会うまいと、そんな心地のまま弱い明かりの下でうずくまっていた。場所はいまもって監禁されたままの部屋の中である。
夢の中での対話をあんな形で打ち切られて以降、ハアトの頭の中はそのことでいっぱいだった。自分の中で、
今度眠りについたとして、それで次の夢でお互いがお互いを許さないまま喧嘩別れしたままになってしまったら。その場合、自分たちは永遠にお互いを嫌ったままでこの一つの体の中にいなければならないのか? それがひどく恐ろしいことのように思えて、もはや夢すら見たくなくて。ハアトは眠りに落ちないように部屋の明かりを見つめ続けていた。
と、ガチャガチャと金属製の鍵を外す耳障りな音が聞こえる。もう何度目か、あのグレースーツの中年男が訪ねてきたようだ、というか『詳細の確認』って何をそんなに確認することがあるのだろうか?
そんな最中、また数分間錠前を鳴らす時間を経て見知った男が顔を出す。
「ど、どうしたアカイハアト? さっき来たときから様子おかしいぞ」
「……別にいい、寝たくないだけだもん」
「寝たくない? お前に何かあると上からドヤされるの俺なんだ、何かあるなら言ってくれ」
「……えっとね? 寝たら夢を見るんだけど……」
よくよく考えてみると、ハアトはごくごく当たり前なことを言っていた。
「まぁ、夢は寝てるときに見るモンだからな」
「違うの、そうじゃないの! ……その、最近夢でよく会う人がいて……」
あれこれ考えた挙げ句、ハアトは結局ある程度かいつまみはするものの正直に夢の話を話すことにした。あまり嘘で濁すのもよくないと思ったからである。スバルの部屋での生活の中で、何となくではあるものの『嘘は良くない』ということをハアトは肌で感じとっていた。まだ学生の少女から学んだことであってそれが社会では本当にそうなのかということとはまた別だが。
「その“夢でよく会う人”ってのと会いたくないから寝たくないってことか。そういう嫌な夢を見るってのはそれだけストレスがかかってるってことだ、確かに上とかけ合うレベルの問題かもな」
「それも違う、ずっと仲は良かったの。仲良かったんだけど……」
ここまで話を聞いた男はようやく話の全貌が見えて、そして思わず嘆息した。
「まさかそいつと喧嘩したとか? それでもう夢も見たくないって? おいおい、うちの娘でもそんなキテレツなこと言わないぞ、いま三歳だけど」
「だってホントなん……お子さんいるの?」
ハアトは別の話題にあっさり食いついた。
「ん、意外か? 失敬だな、この年ならいても別に変じゃないだろ。それよりもお前だよ、なんで自分の頭の中で想像したモンに怯えてんだ」
「そ、そんな想像したもの、じゃなくってぇ……えっと……」
果敢に言い返そうとしたところでハアトはやっと気づく。そうだ、『夢の中で“自分の中にいる幽霊(みたいなもの)”と対話していた』なんてどうやって説明すれば理解させられる? そもそも、けっきょく夢の中でしか会ったことがない以上はあの子が自分の想像したものではないという保証なんてどこにもないのだ。今まで何となく信じていたものを揺るがされるという初めての感覚に、ハアトは思わず及び腰になる。
「何にしてもアレだろ、“喧嘩した友達と会うのが気まずい”みたいなヤツだろ? 仲直りの仕方が分からないみたいな感じか……あの経歴じゃ無理もないよな、つーか仲直りなんて大人でもロクに出来ねぇヤツいるもんなぁ……ふむ、どうしたもんか」
ハアトの返事が途切れたことを“きっと言語化もできないくらいおぼろげな夢なのだろう”などと解釈した男は、とりあえず『気にせず話を続ける』ほうを選んだ。先ほどちょっと馬鹿にしたようなことを言った割に、男はハアトの悩み解消に対して積極的らしい。
「おいおい、さっきより意外そうな顔すんなよ……俺はお前の世話係みたいなモンなんだ、ありがたく手伝ってもらっとけ。自分でも恩着せがましいとは思うけどな」
男はちょっと自嘲も混ざった表情で笑った。今までのやる気なさげな態度とは打って変わって、どことなく楽しそうに見える。そこがちょっとハアトの気に障った。
「し、真剣に悩んでるのにそんな態度……」
「すまんすまん、娘の相手にする態度とごっちゃになった。申し訳ない。で、どうやって仲直りするかだよな……眠りたくないってことはもう会いたくもないってことか?」
男は短い謝罪とともに事情の聞き取りを始める。どうも、男はまだ幼い娘とハアトをどこか重ねて見ているようだった。たしかにそのぐらいの年頃の子供ならもっと支離滅裂なことを口にすることも多いだろう。
「わかんない、でもそこまで嫌ってわけじゃ……」
確かに好都合ではあったが、正直なところかなり複雑な心境でハアトは返す。
「嫌じゃないんなら素直に謝ればいい。でも会いたくないってことはそれなりの理由があるんだろ?」
「えっと、相手と考えてることが違ってて……どうしても納得できなくて、違う、ええと……」
しどろもどろになりながらハアトは説明しようとするもののどうしても言葉がうまく出てこない、というより言葉が分からない。これでも南極で“生まれて”から半年ちょっとしか経っていないのだ。最初から話せたといっても当然ボキャブラリーが追いついてこなかった。しかし、
「あー……、つまりあれか、『話の折り合いの付け方が分からない』ってとこだな。そうだな、ここまでくればなんとかできそうだ」
一方の男はというと、こういうことに慣れっこだった。
もっと言葉をしゃべれない我が子を生まれたときから育ててきている。それに、もともと男はこう言うときに引っ張り出されて、仲裁や交渉を行うような“社内の便利な交渉人”みたいな立ち位置の役職だ。結果的に人の親としても、相手が言いたいことをくみ取る力は養われていた。男はゆっくりとハアトに語って聞かせる。
「そういうときはまず相手の話を聞くこと。相手が気に食わないことは何なのか、どうして気に食わないのか、そういうところをまず聞きだす。したら、今度はお前自身でよく考えろ。相手は自分の意見のどこが気に入らないか、自分はその意見のどこを曲げたくないか。自分と相手、どっちの意見も見て聞いて、お互いが『それなら別にいいや』って思えるところまで相手に合わせりゃいい。もちろんお互いに曲げたくないところはそのままで、どういう条件ならお互い呑めるか考えろ」
「大変そう……」
話を聞き終えたハアトはポツリと呟いた。率直な感想を聞いて男は笑いながらも付け加える。
「大変だな、それに当然死ぬほどメンドくさい。嫌ならもちろん話し合いなんかせずにそのまま会わない、っていうこともしていい。絶対相手を許さなきゃならんなんて決まりもないしな。でも、その相手っていうのは夢で絶対に会うヤツなんだろ? メンドくさくても、人と付き合うのならそれくらい覚悟しないとな。それも嫌なくらいしんどいってんなら、いま言ったみたいに逃げてもいい。そういうモ……ん? ちょい待ってくれ」
男は話を切ると、出し抜けに尻ポケットからスマートフォンを取り出す。よく見るまでもなく、受信時のバイブレーション独特の音を響かせながら振動していた。すかさず電話に出る瞬間だけ、彼は確かにイヤそうな顔をしたのをハアトは見逃さなかった。
「はい、……はぁ⁉︎ 待ておい、オイ! わかった、すぐそっちに向かう。……悪い、相談はここまでだ。野暮用が入った、また来る」
そういって男は電話口に言ってから乱暴に電話を切ると、焦ったような早口でそれだけ伝えて足速にハアトのもとを去っていった。また狭苦しい部屋の中でハアトは一人だ。けれど、男から授けられた教えがまるで魔法の極意みたいな素晴らしいもののように彼女には感じられる。
………
そうして気がつくと、ハアトは真っ暗な中にいた。つまりはいつもの夢の中だ。
部屋に一人取り残されてからここに戻ってくるまでそれほど時間は経っていない。もともと部屋が一日中明るいので深く眠ることが出来ないかわりに頻繁にうたた寝していたというのもあるし、それ以上に、あの男の話を聞いてから何者かに導かれるかのように眠気がやってきてすぐに眠りに落ちることができていた。
こうして首尾良くあの子を待っていることにハアトは思わず吹き出しそうになる。さっきまであんなに眠ることが怖かったのに、どういう風の吹き回しか、今はむしろ晴れやかな気持ちでここにいるのだ。自分でも不思議な気分だった。
「諦めてくれる気になった?」
いつものように突然鈴の鳴るような声がかかる。はあとだ。どうにかして彼女はハアトに母を探すということを諦めてもらいたいらしい。
「……はあちゃまね、はあとちゃんとハナシアイしに来たの」
「話し合い?」
「そう!」
はあとがきょとんとして聞き返してきたのに対してハアトはうなずいた。あくまでも強気に、力強く。ただそんなことをしつつも頭の中では男の言葉を何度も唱えては次にどうすればいいかを考えていた。
ええと、おじさんが言っていたのは……ええとそうだ、まず相手が気に食わないことが何なのか・何故なのかを聞き出すことだったハズだ。でもそこは確かクリアしている。はあとの不満点は“お母さんを探したくないのにハアトは探し出そうとしていること”だった。あんなにはっきり言われたのだから間違いないだろう。なら次に自分がするべき行動は確か……。
「話し合いも何も、私の考えは変わらないし曲げることもないわ。悲しいことだけど」
はあとは冷淡な口調で話を続ける。鉄の壁みたいに堅くて冷ややかで、取りつく島もまるでない。つまり、はあとにとっての『曲げたくないこと』はここだ。だとすれば、後は考えることが大事だったハズ。お互いの話をよく見比べて、二人とも納得できるところを探せと言われたんだった。
「はあちゃまね、色々考えて……その、やっぱりお母さんを探してみたい。はあちゃまがどこから来たのかを知りたいの」
「……やっぱりダメなのね……」
はあとは悲しそうにポツリと言った。しかし、間髪入れずにハアトは次の言葉を割り込ませる。
「ダメなんじゃないの、最後まで聞いて。いま『お母さんを探したい』と『自分がどこから来たのか知りたい』って分けて言ったのはこの二つを分けて考えようと思ったからなの。はあちゃまがそもそもお母さんを探したかった理由っていうのは、まつりちゃんのお母さんに会ったからっていうのも勿論あった。でも一番の理由は自分のことをもっと知りたかったから。まつりちゃんはお母さんから生まれてきて、お母さんがずっとそばにいて、だからまつりちゃんのことをお母さんはよく知ってる。困った時に助けてくれる。それではあちゃまもそんな人に会いたくなったの」
「…………」
そんなハアトの告白に、はあとは無言で話を続けるようにうながした。
「でも、でもね? 本当ははあとちゃんがはあちゃまにとっての“そういう存在”なんだと思うの。はあちゃまの『ジンカク』? ……ってはあとちゃんから生まれたんでしょ? だったらはあとちゃんは親って意味だけじゃなくて、はあちゃまが欲しかった意味での『お母さん』でもあると思う。だからはあちゃまにとって、はあとちゃんも大事な人だから、前に言ってたみたいに置いてけぼりになんかしないよ」
これはあくまでもハアトの持論だ。でも淡々と説明するハアトの口調はよどみなく、頭の中から文章がそのまま流れ出てくるように理路整然としている。はあとはじっとそれを聞きながら、目頭が熱くなりそうな感覚に震えていた。もしかして、自分は目の前にいる“もう一人の自分”に見捨てられずにいられるのかも知れないのではないか、そんな期待がどうしても浮かんでくる。
「…………」
「つまりね? はあちゃまは『“はあちゃまがどこから来たのか”を知りたい』、はあとちゃんは『お母さんに会いたくない・置いてけぼりにされたくない』ってことだと思うの。こう考えればお互いの“曲げたくないところ”は変わらないままでいられるハズ。こうすれば仲直りできると思ったんだ。……それと」
「……それと?」
はあとがたずね返すのとほぼ同時に、ハアトは腰を折って頭を下げていた。
「ごめんなさい! 本当に、本当にごめんなさい!」
「え……そんな急に、え、ええ?」
唐突かつ予想外の展開に、はあとは思わずしどろもどろになる。一方のハアトは止まる気配もなく謝り続けていた。ただただ、一心不乱に。
「はあとちゃんの気持ちも知らないで、はあちゃまずっと好き勝手に何でも決めてた。でも違うの、それはずっとはあとちゃんのこと知らなかったから。今からなら一緒になって考えられるよ? だから……」
「いいの」
はあとは先程のハアトに負けじと唐突に彼女の謝罪を止めた。ただ必死に謝っていたハアトは唖然としている。
「いいの、あなたのことは許してあげる。だってあなたは私なのよ?」
はあとはそれだけ言うと、ハアトのターコイズブルーの瞳をじっと見つめた。
………
病院本舎への侵入に成功したまつりたちが辿り着いたのは病院の地下駐車場の一角だった。
順調に見える潜入部隊だが、そもそも人数が三五名もの大所帯で、つまりその足取りを追おうと思えば簡単だったハズだ。しかし病院内の混乱と外の騒ぎの影響で兵士たちの士気は下がりきっている。それだけではなく、カドゥケウス社を相手にしていると忘れがちだが現在はEMPの影響であらゆる電化製品が停止しているというのも手伝っていた。つまり病院内の監視カメラといったシステムは当然ながらいま病院を占拠している兵士達が使うような特別製の機械ではない。つまりもれなくダウンしているので、潜入部隊が巨大な病院内を逃げ回る一助になっていたというワケである。
そうやってハアトを探す中で、『それ』を見つけたのが地下駐車場だった。
「何これ……」
「明らかに邪魔じゃん……?」
まつりとスバルの目線の先にあるのは巨大な箱だった。四方を囲むよくある駐車場のコンクリートの壁の囲まれているコンクリート製の箱。高さは二,五メートルほど、横幅は八メートルはあろうか。金属製のぶ厚そうな扉が取り付けられていることから、とりあえず中に入れるらしいことはわかる。とにかく、明らかに車の行き来の邪魔になるであろうその威容はどう考えても不自然だった。
「ちょっと短絡的かもだけど、中にハアトがいるかも知れないわ。でなきゃこんなところにこんな大層なモンおかないわよ」
「アメリアちゃん、校舎から侵入したときみたいにピッキングお願い!」
そらに頼まれるという形で、アメリアの『七つ道具』の出番がまたもやってくる。まさにアメリア様々だ。ちなみにこうして鍵が開くまでの時間、アメリアは『推理の根拠』という形でまたもウンチクを語っていた。
「コンクリートってね、もともと熱くなりにくくて冷えもしづらい性質があるのよ。そのぶん蓄熱性っていって熱がこもりやすくもあるんだけど、それを塞ぐために断熱材と併用する工法が住宅作りではよく応用されてて…………」
開けられた扉の奥は狭苦しい廊下になっていて、二つの小部屋にそれぞれ通じている。おそらく正方形の部屋がぶ厚いコンクリートで囲まれているのだろう。まさに監禁するために作られたプレハブ小屋みたいな建物にまつりの目には映った。
このうちの奥の部屋、鉄製の扉一枚と重々しい鉄格子の向こうにハアトはいた。
「はあちゃま!」
ビクッとハアトの体が跳ねるように動く。ゆっくりとこちらを見るターコイズブルーの目はまだ戸惑っているような雰囲気をまとっていた。
「た、助けに来てくれたの? 良かった……良かったぁ!」
ここまでまつりたちが助けに来るとは思っていなかったのだろう。ゆっくり動き出すみたいに、ハアトの声に喜びの感情が滲み出す。しかし、まつりはハアトの言動に少し違和感を感じた。あれ、この声とか感情がどことなく大人しい感じはもしかして……。
「はあと、ちゃん……?」
そうだ、ハアトならもっと喜びを爆発させたり、あるいはもっと能天気に振る舞っているハズだ。少なくともひと夏を一緒に過ごしてきた彼女のイメージはそんな感じだった。あくまでもイメージの話と言ってしまえばそれきりだが、“ハアトが笑顔になるまでにこんな時間がかかった”という事実がまつりにはイマイチ信じられない。そういえばターコイズブルーの目の色も心なしかスカイブルーに近づいているような気がする。
そして、ハアトの返答にはもっと違和感があった。
「……そうね、その“どちらでもあって”、“どちらでもない”のかも。でも大丈夫、まつりちゃんが言う『はあちゃまの方のアカイハアト』も『はあとちゃんの方の赤井はあと』も、どっちも私よ。実はちょうどさっき仲直りしてね、一つに『戻った』の。だからどっちの呼び方でも正解。だから『はあちゃま』呼びでそのまま続けてくれて大じょ……」
「『はあとちゃん』って呼ぶね」
「あれ、なんで?」
即断である。まつりは迷わず『はあとちゃん』の呼び名を選択した。
「いいの! 何となく‼︎」
もはや吐き捨てるみたいにまつりは言葉を返す。その決意は固かった。今までのハアトとは明らかに喋り方が違ったし、何よりまつりがよく知っているハアトならこんな頭がこんがらがりそうなことを言うとは思えない。何となくではあるものの、あの“はあちゃま”呼びで今の彼女を呼んではいけないような、そんな気がしたのだ。
知らない間に、別れの言葉もないままに。
まつりにとってハアトはいなくなったままだった。