ホロ=モダンエイジス - 真夏日、陽炎は揺らめき -   作:テラ・ぺた・エクサ

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33:再起動、街

 変化はすぐにやってきた。

 

 

 ヘッドギアをかぶったとたん、頭の先から痺れていくような感触にまつりは襲われる。バチバチと、まるで電撃の針に皮膚の表面を撫でられていくような。イヤまぁ、“ような”というより電極から頭に本物の電流を流されているワケだけど。

「んぐぅぅぅ……何だコレ、頭が、痛がゆ……いっ」

 想像以上に甲高いうめき声のようなものがまつりの口から漏れ出す。ほんのさっきまでは“電極から電気信号だけで機械を操るなんてどんな気分だろう”と他人事のように思っていた。が、実際はそんなお気楽さとはかけ離れていて、不気味というか気持ち悪い。何というか、歯医者で部分麻酔が効いているときのような、感覚があるところとないところが入り混じったような不快感というか、皮膚の一部分が得体の知れない何かと取り替えられたような違和感だけがある感じ。

「Ahhh, damn ... ! That's tougher than I imagined(あぁっ、ったく……! 思ってたよりキツいわね)」

「ほんと、だね……でもまつりちゃ、んが言ってるよりも、なんか痛みが強い……かも」

「Huh? Can you understand English, Sora!?!(へ? そら英語わかるの⁉︎)」

「す、少しなら……」

「…………」

「ぐぁっ……イカロス連れてこなくて正解だった……いま気絶してるけど」

「え、わ、私はそんなに酷くないけど……?」

「はあちゃまと……フツーの人と比べていいんかなぁ……?」

 六人はそれぞれ六者六様の(唯一喋っていないイオフィも『不快感を感じたことによる沈黙』という態度で)ヘッドギアをつけた感想を口にする。当然といえば当然だが、感じ方にも個人差みたいなものはあるらしい。そんなことより。

 

「で……これ、ここからどうしよう……」

 

 端的に言うと、まつりはいま困惑している。そりゃ、SF映画でよく見るみたいな神経に直接電極をつなぐワケではないのだから、いきなり自由自在に機械を動かせるようにはならないだろうとは思ってはいた。思ってはいたが……実際に被ってみた感想はというと、先ほど言った“痛がゆさ”が全てだった。つまり機械を操作している感覚がまるでない。状況が今のような土壇場でなかったとしたら、こんな大量の電極とケーブルが刺さっていてかぶると背筋が痛がゆくなるような変なものなんてすぐに投げ捨ててしまうだろう。しかし今は“それでもなお”僅かな望みを託して『そんなもの』をかぶっている状態だ。まつりは気が気でなかった。

「これつけたら何か変化あるかと思ったのに……」

「こ、こっからやれることやれるだけやってみよ? まつりちゃん‼︎」

「スバル……」

 そうして目に見えて落ち込むまつりに、すかさずスバルは励ましの声をかける。何人もの人がさっきまで目の前でやっていたのだ、何か方法はあるはず! 動揺でちょっと声は裏返っていたものの、頭の中ではそんな風に、彼女はまだ希望を捨ててはいなかった。

「でも動かし方も何もわからないのは問題よね……ふむ」

 対してアメリアは希望より現実的な視点から事態を見ているらしい。しかし決して悲観的なワケではなく、あくまで状況を良くするため冷静に考えを巡らせているようだった。まつりにとってはそれが心強かった。もっとも、いくらアメリアとはいえ、この限られた時間で初めて見た得体の知れない機械を運用するというのはあまりに無茶だったが。そんな様子を見て不安げな顔でイオフィはボソリと呟く。

「あの社長さんの言ってた通りなら、あくまでもこれのエネルギー源がこの人たちってだけなのかな……。だとしたら……結局この部屋から機械を動かすなんて出来ないってことなんじゃ?」

「いや、そうだとしたら操作できる場所とここを繋いでるコードみたいのが繋がってるハズだよ。でもあの輪っかを見てみて、この人たちがつけられてたヘッドギア以外にはどこにも繋がってない。操作方法はわからないけど、この部屋で操作すること自体は間違いないと思う」

 そんなイオフィの言葉を落ち着かせるようにそらはしっかりとした口調で否定した。普段のどこかほんわかした雰囲気はどこへやら、今の彼女にはまさしく戦士のような凛々しさが宿っている。むしろその出自から考えて、このモードのそらこそが彼女本来の姿なのかも知れない。

「ってことはやっぱり、これをかぶって動かすしかないの……?」

 まつりは激しく頭をかきむしりたくなった。けっきょく、さっきから何も進んでないじゃん。

「うーん、じゃあ六人で同じこと考えればいいのかなぁ」

 はあとがポツリと言う。先ほどまでのこの部屋の状況を考えればそう考えるのが順当だろうか。しかし、そんなテレパシーじみた曲芸を六人が突然できるようになるワケもない。要するに無理難題だった。

 

 ……いや、本当にそうか?

 

「じゃあ同じことをみんなで『想像』するのとかならどうだろ? 事前に“何を想像するか”とかをできるだけ具体的に決めておいて、みんなで思い浮かべることをなるべく一緒にするとかさ」

 一つ、まつりは思いついた。しかし今回ばかりは五人もそう簡単に乗ってはこない。

「……悪いんだけれど、それってそんな簡単にできるほど簡単じゃないんじゃないかしら? いくらあらかじめ一つのことに決めておくなんて言っても、結局それぞれが想像する細かいディティールを同じになんてできるハズないもの。例えば小鳥を思い浮かべるとしても、鳥の種類から羽根の色・細かな模様・体の大きさ・目の色・クチバシや爪の長さに至るまで、想像する内容なんてそれぞれの頭の中で全く同じになんてできるハズない。それこそ、全く同じクローン人間が何人もいたとしても無理があるわ」

 アメリアがため息をつきながら言う。いや違う、そうじゃない。まつりはめげずに言葉を継いだ。

「そこまで想像する部分は自由にしないならどう? 例えば……そう、あそこの『ほころび』についてとか!」

「えっと、どういうこと?」

 まつりの言葉に興味を持ったはあとが食いついてくる。スバルも期待に満ちた目でこちらを見つめてきた。しめた、この二人が興味を持ってくれれば説明もしやすい。

「目の前にあるあの『ほころび』はアレだけで、みんな見てるものは同じワケでしょ? あれを元に想像すればみんな想像する“スタート地点”は揃えられる。それからみんな同じようなことを思い浮かべればいい。ほら、あれってガラスの割れ目みたいじゃん? 想像してみて。これからみんなであそこの割れ目に液体を流し込んでいくの」

 ここまで言ったところでアメリアの片眉がぴくりと跳ね上がったのが見えた。そらの目にも一瞬いつものような柔らかい光が差したような気がする。

「液体は……そうだなぁ、ちょっと気持ち悪いけど血にしよう。血だったらみんな想像するのは全く同じ赤色のハズだから一人一人別々になることはないでしょ? 水でもいいけど、水はあの割れ目と同じ透明だから見た目だってわかりにくいし、なら血くらいハッキリした色のものがいいと思う。それに、イオフィの血の色もちゃんと地球人と同じ赤色でしょ? だってさっき鼻血出してたし、炊き出し手伝ったときに指切ってたの見てたもん」

 先ほどからずっと不安げだったイオフィの目にもやっと希望が灯る。

「ゆっくり十秒くらいかけて、『ほころび』の下からゆっくり血が湧き出るみたいに溜まっていって、最後にはあの割れ目全体が真っ赤になるの。ちょうどあそこにあの『ほころび』の形の真っ赤な結晶が浮かび上がるっていうのをゴールにして、みんなで一斉にイメージしてみない?」

 まつりがそう言い終わる頃には五人の心は一つになっていた。そして少女たちは声を合わせて一斉に叫ぶ。

「「「「「乗った‼︎」」」」」

 

 

 ………

 

 

 入念な説明と確認を終えて、六人は自分たちの真上に固定されているリングとその中心の空間に立体的に入っている亀裂を見つめた。先ほどから今までの間でも、わずかながら確実に『ほころび』は大きくなっている。これ以上の時間の猶予(ゆうよ)はないかもしれない。

「打ち合わせの通り三・二・一でカウントするから、ゼロのタイミングで説明の通りのことを思い浮かべてね。全体の時間は十秒かけてゆっくりと。あとこれも言ってあるけど、本番では数字を数えるだけでもみんなと同じって判定されないかも知れないから始める時以外はカウントダウンしないよ。……みんな、いい?」

 

 まつりが改めて作戦を大雑把に確認する。事前の練習もすでに済ませてあったが、六人ともヘッドギアを取り外しての練習だったので本番ではどうなるかわからなかった。ここまで腫れ物に触るような慎重さで準備したのは、もし練習段階で失敗したらどうなるか分かったものではなかったから。そもそも本当に成功する見込みがあるのかもわからなかったが。今みたいな非常事態にそんな方法で、しかもこんな初めて見るような機械を操って対抗しようというのだから一か八かもいいところだ。

「じゃあいくよ、みんな頭にかぶって…………三」

 ヘッドギアを改めて装着させてから、まつりがカウントダウンを始める。一同は固唾(かたず)を飲んで顔を上げた。こんな地下の奥まった場所とはいえ外は真夏の午後だ。当然汗が流れ落ちる。

「二」

 ここで失敗したらどうなるんだろう、まつりは秒数を数えながらもふと思い浮かべる。ここにきて、この一瞬でそんなことを考えてしまう自分に笑いそうになった。

「一」

 まぁ、きっと何もかも台無しになるんだろうな。そらの説明の通りなら、この『ほころび』は自分たちごとこの街を飲み込むんだろう。それは……イヤだ。

(ゼロ)

 妙にゆっくりと過ぎていった三秒間の後に、六人は打ち合わせの通り、それぞれ視線の先の『ほころび』の中に血が溜まっていく光景をイメージする。先ほどは何も考えずに提案したが、よくよく考えてみればかなり象徴的なシーンに見えるのかも知れない、とまつりは思った。みんなで想像する血というのは、いうなれば六人それぞれが持つ“意志の力”だ。それが集まってこの目の前にある割れ目を塞ぐのだ。そう考えるといまの自分たちはなかなかカッコいいことをしているのかも知れない。そして、

 

 

「っい、くあぁぁ…………」

「ぐっ、う、ああぁあっ‼︎‼︎‼︎」

「あ、たま……が……ぁぁ」

「っそ、ん、いやぁぁ……」

「ぐぁっ、何てこ、と……」

「い、いぃ痛……あ……‼︎」

 

 頭の中を()き潰されるような激痛に、六人はすぐに何も考えられなくなった。

 

 

「みんな、外して‼︎」

 間髪入れずまつりは他の五人に呼びかけながらヘッドギアを床に叩きつける。痛みで頭が真っ白になったせいだろうか、六人の頭痛はすぐに薄れていく。それでも全員にとって例外なく耐えがたかったのだろう、短いまつりの言葉にも五人は揃って従って頭からそれを引き剥がしていた。

「何いまの……?」

「あ、鼻血だ……」

 はあととスバルが怯えで声を震わせる。凄まじい痛みだった。とんでもないことを提案してしまったのかも知れないとまつりは頭を抱えそうになる。むしろ、あの一瞬の痛みで誰も発狂してしまわなかったのが幸運だったと思えるほどだ。“負担が軽い”と言っていたハズのはあとにまで『鼻血』という目に見えるような影響が出たのも恐怖の材料としては充分と言えた。

「みんなゴメン……作戦変えよう。このやり方じゃ、こんなのどうにも出来ない」

 だから、まつりがすぐにこんなことを言い出したのも無理もない話だった。

「待って、じゃあ他にどんな方法があるの?」

 すかさずアメリアが冷静に返す。まつりはちょっとムキになってさらに言い返した。

「他にって……じゃあ逆に、このやり方であれを止められると思う? 言い出しっぺとして、みんなをあんなのに巻き込めない。アメちゃんだってヘッドギア投げ捨ててたじゃん」

「そうね、確かにさっきは投げ捨ててたわ。でもあれは心の準備が足りてなかったからよ。“痛みへの覚悟”って言ってもいい。次は大丈夫、逆にいえば覚悟さえあれば人間って痛みにはなんとか耐えられるように出来てるわ」

 それでもアメリアは事もなげにそう言い放つ。

「だ、ダメ! あんなの耐える耐えないとかの話じゃない! あんなの、あんなの……みんなが……」

「どんな形であれ、うんともすんとも言わなかったリングからやっと反応が返ってきたのよ? 反応があったって事はアタシたちがこのリングに何かしらの影響を与えたってこと。それにこれが正式な動かし方なのかもわからない以上、触れば無傷じゃ済まないだろうってことも分かってるわ、多分みんなもね。確かにさっきの痛みは予想外だったけど、このアタシたちが来るってわかってるものを受け止められないほど(やわ)なワケないでしょ?」

「鼻血が問題になんてなるワケないじゃない。私は大丈夫!」

「ホントよー! ね、そら姉さん」

「そうだよ。それにそもそも私はこういうことするために作られたんだから、むしろこうするのがいつも通りなんだよね」

 もはや駄々っ子のようにまつりが食い下がっても、アメリアたちの決意は固かった。このままでは五人がまたあの激痛に晒されてしまう、それはまつりにとっては何としても避けたい事だった。このままではきっと……。

「……スバルもやるよ」

「スバルやめて! 絶対ダメ‼︎」

 やっぱり。まつりはもはや悲痛な面持ちで反対した。こうなってしまうから何としても止めたかったのだ。

 百歩譲って、そらやアメリア、はあとなら耐えられるかも知れない。なんたって彼女たちは熟練者とプロと超人だ。イオフィだってそう。今までの振る舞いから見てもそれぞれ相応の精神力・耐久力はあると思う。でもスバルは? 一介の女子高生にそんなものを求めるのはお門違いもはなはだしい。でもこういうときに決まっていつも迷わず誰かのために突っ走る幼馴染を、何としても止めておきたかったのに。

「な、なら……まつりが一人でこれやる」

 それで彼女は、とうとうそんなことを申し出るに至った。

「はぁ⁉︎ そんなの絶対失敗するって‼︎ そんなことしたら……まつりちゃんだけが……」

「……残念だけど、それは成功率が限りなく低くなるわ。だってそこの大人数で分散してた負担を、まつりたった一人でカバーできると思う? まぁ、多くてもここにいる六人しかいないのは確かにそうだし、それであれだけの痛みがあったのも事実よ。でもだからこそ、一人でそんなことしたら無駄死にするだけだわ。それとも貴重な戦力の一人であるまつり自身の手でアタシたちの戦力減らす気なの?」

 スバルが感情的に、アメリアは論理的に、まつりの向こう見ずな申し出を却下する。もはや泣き出しそうな幼児のようになっているまつりのもとにイオフィが駆け寄って、彼女をあやすように抱きしめた。

「怖いのわかるよ、みんなが傷つくのが怖いんだよね。自分が傷つくことよりも。……まつりちゃんは優しいね。でも、みんな大丈夫。だってみんながいるんだから!」

「それは、そうだけどさぁ……それじゃさぁ…………」

「うん。よし……」

 その様子を見届けたそらは改めて、まだ納得のいっていないまつりをあえて無視して、全員に持ち場につくよう指示を飛ばす。もはや全員が納得できるまで持つような精神的な余裕もない。

「みんな、もう一度ヘッドギアをかぶって。今度こそやろう」

「……あ、それなら提案なんだけど!」

 

 

 ………

 

 

「三……二……一」

 鼻血をしっかり拭いたはあとのカウントダウンがゆっくり進行していく。

 これを突然思いついたように言い出したのはもちろんはあと自身だ。確かに先ほどは音頭をとってカウントダウンしていた自分が今はあんなになっていたので、進んで代役を名乗り出たのは彼女なりの優しさだったのかもしれない。単にこの役をやりたかっただけなのかもしれないが、結局それは本人にしかわからないし、多分それでいいのだろう。なんてまつりは思った。相変わらず、自分が脳裏で考えることはどうしてこんなにも呑気なんだろう?

(ゼロ)

 そうこうするうちに二度目のゼロカウントが告げられて、あの痛みがまたやってくる。

「っくっ……! …………ん?」

 あれ? と、まつりは疑問の声を上げた。なんというか、さっきほど痛くない気がする。アメリアの言う通り『事前の覚悟』というものがあるからだろうか。小さい頃はあんなに痛かったハズの注射針が、成長するにつれていつ頃からかあまり痛くなくなった経験とちょっと似ているような気もする。自分以外の五人の顔を見ても、少し意外そうな表情が見てとれた。

「あ、じ、十!」

 はあとが慌てたように十秒のカウントを始める。どうやらはあとにとっても意外なほど痛みは少なかったらしい。これなら、これなら十秒間耐え切れるかも知れない! そう思いながら、まつりは自分がさっき言った光景のイメージを頭の中でもう一度思い描く。

「九ぅッ……!」

 しかし、事はそう甘くはなかった。最初こそ想定していた激痛よりも痛みは軽かったように感じたものの、それでもけっきょく激痛であることに変わりはないからである。またあのトゲだらけの棒で脳内をかき混ぜられているような、あの痛みが帰ってきた。脳が直接引きちぎられるような、などという経験したことなんてないような例えが脳裏をよぎる。しかしまつりは変わらず説明していたあのイメージを想像した。しがみつくように、祈るように。

「は、八!」

 見るに、他の五人もそれは一緒だったらしい。そらは口元が引き攣っている。イオフィだって辛そうに目をキュッと閉じた。アメリアなんてどこともつかない宙を見つめながら微かに震えているし、はあとも鼻の血管が再び暴れ出したようで、床にポタポタと血を滴らせ始めている。そして一番心配だったスバルはというと、うずくまって強く耳を押さえていた。まるで何か大きな音を必死に聞くまいとしているかのようだ。

「七ッ、っくぁ……!」

 とうとうはあとのカウントダウンにも数字を数える以外の声が混ざり始めた。そういえば、鼻の毛細血管は脳と直接つながっているとか聞いたことがある。本当かどうかは知らないけれどもしそうなら、はあとの鼻血は脳を酷使している何よりの証拠なのだろう。そしてたぶん、残りのカウントのうちにみんなも後を追っていくハズだ。……まつり自身も含めて。

「ろぉ……くッ!」

 気力を絞り出すようにはあとは言う。もはや数字を言うというより、数字の発音をなんとかノドから発していると言った方が的確なのかも知れない。一音一音に、最初の方には感じなかった必死さを感じるというか。

「っ、ごぉ、お」

 今度はアメリアが鼻からおびただしい量の血を流し始めた。ふとイオフィが目元をぬぐうのが見えて、手の跡に鮮やかな赤い線が走るのもしっかりと見える。まつりが『血涙(けつるい)』というものを実際に見たのは生まれて初めてだった。軽口としてはよく使う言葉だけど、本当はそれがこんなに重いものだったとは。そう思った瞬間、まつりも鼻に違和感を感じる。そして耳の奥にも鋭い痛みが走って、喉に垂れた液体で思わずむせそうになった。間違いなく、自分も出血し始めたのだろう。

「よ、よよ……よん」

 四、と数えるはあとの声に震えが混じった。痛みに耐えているときに、体が思わず身震いする感覚というのが分かった気がする。“こういうことには慣れている”と言っていたハズのそらも、まるでこの世の終わりのような表情を浮かべていた。みるみるうちにイオフィと同じように血涙が流れだす。……マズい、はあとの言葉に力がなくなってきた。もう限界が近いのだ。

「さぁ、ん……」

「さぁんッッ‼︎」

 それでもカウントを切らさず、はあとは数え続けようとしたところで力強い声の助け舟が響いた。見るとうずくまっていたスバルが床に手をついて体を起こしている。ただその指先は筋繊維の一本一本に至るまでひきつり、こわばっていた。顔だってもはや血塗れとすら言えるレベルだ。しかしその目は輝くように前を見つめていた。

 限界点ははあと同じく近い、いや、とうに越えているだろうスバルも変わらず戦っているのだ。食いしばりで口の中を切ったのか、彼女の口元にも血が滲んで尾を引いている。それでも、一番の一般人である彼女が諦めず戦う様子は他の五人を勇気づけるこれ以上ない薬だった。

「「っにぃ……い!」」

 スバルの声に合わせるように、はあとのカウントダウンに力が戻る。残りの時間はあと二カウント。痛みに耐えつつ数えるのに必死過ぎて、もはや十秒耐えるという最初の目的なんてとうに過ぎている。それでもなお、六人全員の意地だけが『ほころび』にありったけの“力”を注ぎ込んでいた。あくまでもイメージとして、ではあるが。

 自然に全員から声が漏れる。

「「「「「「い、一……‼︎」」」」」」

 とうとうここまで来た、六人は同時にそう思った。でもここまで来て気が散って、それで失敗するワケにはいかない。また六人は同時にそう思ってイメージすることに集中した。そうだ、あの割れ目の一番上に、湧き上がった赤い水面が達するイメージで……。

「……ぜ、(ゼロ)ッ……?」

 最後にはあとだけが呆気(あっけ)に取られたような声を上げた。

 

 

 五人が黙った理由は単純で、あまりに変化は突然だったからだ。

 カウントダウンが終わる〇の直前、あのとんでもない激痛は嘘のように消えていた。出血こそ止まってはいなかったが、今や六人全員にあったのはノドの奥にまだ残っている血の不快感と、鼻血で流れて失った血のぶんの虚脱感。まつりは激しいめまいを感じたものの、頭を振って前を見据える。そしてすぐにまた目を離した。

 その理由もごくごく簡単。『ほころび』はもうどこにもなくて、あるのは何の音もしなくなったリングが相変わらず天井から伸びた金属フレームに固定されているだけだったからだ。六人のヘッドギアにつながっているケーブルだけは揺れていたが、それら以外はだらんと垂れ下がったまま。いま自分たちが感じている虚脱感をこのよくわからない機械も感じているみたいで、まつりはちょっと愉快に見える。

「ああーー、終わったぁ…………」

 スバルがそう叫んで、ばったり後ろに倒れ込む。まつりも含めた他五人もすぐそれにならってゴロリと床に転がった。そらがそうするのにちょっとためらってから、結局みんなと同じように大の字で寝転ぶ。さすがにもうそんなことを気にする体力はそらにも残されていなかいらしかった。

 

 顔は六人とも血まみれだったが、表情はみんな一様に明るい。

 動かなくなった鳥たちが、警備室に置き去りにされている部隊長や社長に潜入部隊の面々が、ここを占拠していたカドゥケウス社の連中が、街そのものが、目を覚ます気配をまつりは感じた気がした。

 

 

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