ホロ=モダンエイジス - 真夏日、陽炎は揺らめき - 作:テラ・ぺた・エクサ
全身麻酔から目を覚ました瞬間のハアトの頭の中は、眠っている間に見ていた夢のことでいっぱいだった。もっとも、夢の詳細を覚えていたわけではなかったが。
「……どんな夢見てたんだっけ」
よくわからない機械の中の自身を縛り付けているよくわからない台座の上で、目覚めたてのハアトはボソリとつぶやく。頭がひどく重くてハッキリしないが何か夢を見ていた気がする、そしてそのことが妙に頭の隅に引っかかって離れない。肝心の内容が“もや”の向こうにある影のようにおぼろげで輪郭すらもよくわからない、そんな感覚。
ただ、その影にはなんとなく見覚えがあった。懐かしいような、かつて確かに慣れ親しんだ何か……いや、もっと人肌をおびた『誰か』のような温かさが感じられたような気がする。
南極で目を覚ますまでの記憶がさっぱり思い出せないハアトにとって、このとき不意に夢から教えられた“懐かしさ”という感情は初めて抱くものだった。その感情をいったい何に対して抱いたのかは結局わからないが、とにかくとても心地良かったことは夢の感触で覚えている。……そもそも、なんでアタシはあの夢を見続けずにわざわざ目を覚ましたんだっけ、というところまで考えたところで不意に思い出した。
そうだ、まつりちゃんだ。
検査という名目で何やら太いチューブが生えているマスクをつけられたことは覚えているが、その直前にまつりちゃんに呼んでもらうように職員のおじさんに頼んだんだった。そういえば、夢の中でも彼女の声を聞いたような気もする。というより、その声に揺り起こされて目を覚ましたような。でもなんで声が聞こえてきたんだろう……?
また思い出せない夢の疑問に行き着いて考え込みながらも、ハアトはいつの間にかウンともスンとも言わなくなった機械から這い出る。裸足が床を踏むぺたぺたという音が嫌に響く……が、ここで思わず息を呑んだ。このあと会うはずのまつりちゃんとさっきのおじさんが、ガラスの向こうでゴツいおじさん達に押さえつけられてるじゃない!
ハアトはアラームの絶叫も無視して急いでガラスの壁に駆け寄ると、思わず力をこめながらガラスへと乱暴に手をついた。その白魚のような指先からはおよそ不釣り合いな怪力と体温と呼ぶには異常に高い熱が込められ、頑強のハズのガラス壁にはみるみるうちに亀裂が広がっていく。
その衝動的な行動の裏で、ハアトが夢で感じとった誰かの影は意識の端から姿を消していた。
………
「……おじさんたち、まつりちゃんに何してるの?」
誰も身じろき一つしない検査室で、全く同じ質問を、今度は確かな怒気をはらんだ声でハアトは問いただす。それに対する部隊の面々の反応はそれぞれだった。
部隊長は抱えたアサルトライフルの銃口を無言でハアトへと向ける。二名ほどの部隊員は事態に困惑しながらも一瞬遅れてそれにならったが、一方で先ほどまでヒートアップしていた隊員などは驚きだか恐怖なのか動きが止まっていた。ヘルメットで表情は見えないが動作からして呆然としている感じ、といえば良いだろうか。
他の二人も妙にあっけに取られているようなリアクションだ。隊員たちの様子に気づいた部隊長が落胆したようにあからさまなため息をつきつつも口を開く。
「目標
先ほどと変わらない抑揚のない声で部隊長は淡々と言う……が、先程のため息と相まって何だか疲れきったサラリーマンの声のような印象をまつりは受けた。“イメージの力”というのは思った以上に大きいのかもしれない。
「あるふぁ、って何? はあちゃまには『アカイハアト』って名前があるんだけど!」
「……これは単に、お前の名前の頭文字から作られた目標コードというだけだ。どうやらフォネティックコード(※)も知らんらしいな」(※無線上でのアルファベットの聞き間違いを防ぐために使われるA〜Zそれぞれに割り当てられた暗号のこと。アルファはAのフォネティックコード)
ハアトが憤慨し、部隊長はやれやれと応じる。
喰いつく部分が独特なのは相変わらずといったところか。もちろん、そんなことをこの部隊の人間が知るはずがないワケで、言われた当人たちはやはり困惑していたが。そうこうするうちに動作が遅れていた残りの三人がやっとそれぞれアサルトライフルを構えると、部隊長は続けて告げた。
「お前の異常な能力については事前に聞いている。高熱を操るだの、どこのコミックからやってきたかは知らんが、残念ながら我々の装備は最初から耐熱性の高いものに換えてある。加えて銃弾は鉛の鉄コーティングで鉄の融点は一五〇〇度強、つまりかなりの温度まで銃弾として使用できる。もっとも、銃弾を熱で溶かすことができたとしても、そんな温度の液体が音速で撃ち出されれば被害は甚大になるぞ。さしものお前も無事では済むまい。大人しく投降して我々に着いてきた方がお前自身にもお嬢さんにも身のためだ」
まつりには今の部隊長による一連のセリフのほとんどを理解できなかった……もとい最初から理解しようとしていなかったので完全に聞き流していたものの、彼の口から出る言葉に確固たる自信をなんとなく感じ取っていた。なにせ相手は
……が。
「なら……だったら…………」
ハアトは肩をワナワナ震わせながら声を絞り出す。
「だったら何だよ‼︎‼︎‼︎」
怒り、という感情を爆発させながら。
「撃っ……がぁッ……!」
「ぐ、ああぁ……」
「熱いィっ‼︎ っ手、手がぁッッ⁉︎」
キッとしかめ面を上げて眼前を睨み付けるハアトの整った顔が、異様とすらいえるほどに歪んでいるのがまつりの目からも見てとれた。まさに『怒り狂って』いる。何となく「子供の癇癪」というまつりの脳裏に浮かんだ言葉がこの状況を表すピッタリな表現に思えた。
三日前の時点でハアトがかなりぶっ飛んだ性格というのは明らかではあったが、とはいえここまでとはまつりの想像をはるかに超える“ぶっ飛び”具合だ。今日まつりを立ち会い指名したことといい目の前の光景といい、まつりからすればアカイハアトという人物がなぜそんなにも自分にご執心なのかがどうしても理解できない。
しかしそんな疑問をよそに、猛然と怒り続けるハアトは当然止まらない。
「あぁっ、もう! おじさんたちの都合なんて知らないわよ‼︎」
絶叫し続けるハアトが全身に力を溜めるように背中を丸めた姿勢をとると、途端に足跡が床に焼け付くような黒々とした焦げ跡が浮かんだ。見れば、敵意のカタマリと化したハアトの青い目には星のような青白く鋭い光を宿っている。そういえば初遭遇時、濃い蒸気とふせた顔に隠されて能力使用中のハアトの顔を見ていなかったということをまつりは思い出した。
それもだが、六人の部隊員たちの様子が明らかにおかしいのもまつりは気になる。全員が苦悶の表情を浮かべながら、手を尋常じゃなく震わせていた。アサルトライフルを手放して銃のトリガーなど握ろうとすらしていない者が大半の中、部隊長だけがフラフラと定まらない銃口をハアトに向けている。彼の黒いグローブの手首から漂うのはうすい『白煙』と、フィルムが“焦げる”ような耐えがたい『臭さ』。つまり。
「はあちゃまダメ、待って‼︎ そんなことしたら……」
「何が⁉︎」
ハアトは部隊員たちの銃を握る“手そのもの”を焼いていた。
おまけに、彼らの断熱性の高く強靭な素材があだとなり、逆に皮膚を炙る鉄板と化させている。まつりはその地獄のような光景を生み出したハアトを制しながらも、一方で『熱を操作できるのは手に触れている範囲まで、とかそういう制限はないのか』と冷静に、そして他人事のように思っている自分に嫌気がさした。
「何が、って……だって! 明らかにやりすぎだよ‼︎」
「じゃあ何でやりすぎちゃいけないの? まつりちゃんを床に押さえつけて殺そうとしてたんだよ⁉︎」
「そ、それをやったらはあちゃまの方が悪くなっちゃうんだよ! そんなのダメ‼︎」
「……何で? やり返すことの何が悪いの?」
ここまで問答を続けてまつりは気がついた。あぁそうか、この子は“倫理感がまだ無い”んだ。彼女がどういう経験を経てきたのかは全く分からないが、それら全てを覚えていないという。だとするなら彼女は言葉をどこで学んだのかという疑問は浮かぶものの、なんにしても物事の善悪については何も知らないということ。つまりあまりにも無垢で、あまりにも危ない。……ちょうど今のこの状況のように。
「ならどうすればいいの⁉︎ 今やめたらまつりちゃんがイジメられるよ⁉︎」
ハアトは焦れ始める。まるで駄々っ子というよりも、やろうとしてることをこんな止められ方すればそれはイライラもするだろう。実際ハアトの心配もわかる、わかるが……。
「大丈夫……イジメられないよ、大丈夫」
まつりは『多分』と付け加えそうになるのを必死にこらえた。
しかし厳しく訓練されているハズの特殊部隊メンバーが作戦進行できないほどに悶絶しているのを見る限り、彼らの心情的にハアトだけでなく彼女と意見を交わしているまつり相手にも手を出したくないと思うのは当然だ。それにもし、いま手の加熱をやめてもう一度銃を構えられても、結局こちらにハアトがいる時点で彼らはまた同じ目に遭わせられて元の状況にいくらでも逆戻りさせられる。
つまり、心と体両方の面において彼らがこちらに手を出すメリットはまるでない、ハズ。
と、まつりは普段と比べるまでもなく自分の頭が驚くほど落ち着いていて冴えているという事実にはたと気がついた。さっきから、何が起きても妙に冷静なこの肝の据わりっぷりはなんだろう?
どうせなら、こないだの期末テストのときにこれだけ冴えていてくれれば良かったのに。
「……でも、でも先にイジメてきたのは向こうじゃない! なら……」
未だハアトは納得いかないようでまだまだ言葉を重ねてくる。
これに対してまつりは冷静……というよりもはや冷淡なまでに言い返した。
「それをやったら、はあちゃまは『イジメられてやり返した人』から『必要以上にイジメた人』になるよ。おじさんたちは『イジメられた人』になって、はあちゃまは多分みんなから怒られると思う。今みたいにまつりからも、未来のおじさんたちからも、あときっとカンケーない人たちからも。そしたら次ははあちゃまがイジメられるよ?」
「で、でも…………!」
「いいからやめて‼︎‼︎‼︎」
こうして、まつり自身で驚くほどの音量の声が口をついて出る。
“攻撃を止めさせるため”ということを名目に話を相当大袈裟に語ったことにまつりは思うところがなかったわけではなかったが、そんなこと以上に自分のリアクションの大きさに少し面食らった。堂々巡りの問答にイライラしたのかもしれないし、どうしてわかってくれないのかとハアトに理不尽な怒りが湧いたのかもしれない。……それは自分でもわからなかった。
「……わかった……」
「ありがとう、はあちゃま」
まつりはハアトが従ってくれたことにお礼を言ったが、内心では歯噛みしていた。
ショックだったのだ。ハアト自身が素直に耳を傾けてくれたからこそ何とか手を止めてくれたが、こうやって言い聞かせることがこんなにも難しいなんて今まで思ってもみなかった。
同時に思ったのはハアトは純粋さと、そして説得すれば話を聞いてくれるということ。そしてまつりのために怒れるほど(結果的には正反対の行動をとっているが)の心優しさだ。彼女の性格は予想の斜め上にぶっ飛んでこそいるようだが、やはり根は素直で人を
「……はあちゃま、早くここから出よう」
「それ大丈夫なの?」
唐突なまつりの提案にハアトは目を白黒させた。確かにその心配はもっともだが、しかしまつりは気にする様子もなく言葉を返す。
「最初、おじさんたち……こいつらが『この部屋のジャミングは発動してる』って言ってたの覚えてる? これってつまり、この病院の他のところは何にもされてないってことになると思わない? 特殊部隊の構成なんて知らないけど、さすがに街のど真ん中に建ってる病院を封鎖するのは無理があるしね」
もちろん裏方のスタッフがこの部隊にも当然いるだろうが、今この状況になっても誰も応援が来ていない時点でそういう者がこの付近にいるとは考えにくい。
そして隊員六人だけという少人数編成でこっそり突入してくるということは、恐らく表立って行動できない理由があるということで、だとすれば人員の数的にも病院のこの部屋のある一角以外は通常通り運用されていると考えて良さそうだ。ならばこの部隊が一体どういう部隊にせよ、廊下に飛び出して騒ぎでも起こせればその時点で部隊の目的は潰えてしまうということでもある。
つまり、まつりたちがドアをくぐった時点で彼女たちの勝利ということだ。
「げほっ……待て…………」
不意に二人を咳き込む声が呼び止めた。
「…………おい……小娘、我々に……情けでもかけた、つもりか?」
一人立ち上がった部隊長が息も絶え絶えになりつつ声を絞り出す。
こちらを睨み付ける彼の目は苛立っているようだった。馬鹿にしているのか、とでも言いたげに見える。
「違う、この子自身のためだよ。“そういう”意味でならあなたたちのためかもね」
「どういう、意味だ……何、がいいたい?」
「お決まりの答えだけど。……自分で考えなきゃ意味ないよ」
まつりたちは重めのドアを開けて照明で明るく照らされた廊下に出ると、ひと気のない廊下の向こうを歩く人々の足音を追いかけた。部屋の奥で手を押さえている五人の部隊員たちと、一人呆然とドアを見つめて立ち尽くす部隊長の六人だけが部屋に残される。
ドアはバタンという無機質な音を立てて閉まっただけだった。