ホロ=モダンエイジス - 真夏日、陽炎は揺らめき - 作:テラ・ぺた・エクサ
まつりにとって、スマホの故障は正直少しホッとする出来事だった。不便なのは間違いないが、あの友人たちからのわずらわしい連絡に急いで返信しなくても良いのだ。それに、どうせ連絡と言ってもくだらない愚痴だろうから。
スマホがいきなり犯行予告めいた何かを喋り始め、その後に鳴り始めた大音量の着信音と共に沈黙した昼下がり。まつりたちが残って駄弁っていた教室は、数秒前と打って変わって静まり返っていた。静寂というよりも、みんな事態が飲み込めずに混乱していたためだ。まつりを含む全員が手にスマホを握りしめているものの、画面をいくらタップしても電源ボタンを何度押してもそれら全てが反応を返すことはなかった。
「え、何コレ?」
「人質……は? アニメかドラマかみたいじゃん?」
「うわスマホ動かないじゃん、ねーちょっとコレ困るんだけどー!」
取り敢えず目の前の状況の『飲み込めなさ』に数名がやっと声を上げる。十七歳の高校生にとって、携帯電話は大事なコミュニケーションツール以上の生命線だ。それが突如として全く動かなくなったのだから、当然教室は大騒ぎになる。もはやまつりのいる教室はグループも男女すら関係なく、蜂の巣を突いたように騒然となった。
そんな中、まつり自身は自分の荷物を抱えてコッソリ廊下に出ると一目散に階下に向かう。
(スバルとはあちゃま、急いで二人を見つけないと……!)
まつりの脳裏にはコレまでの一週間の出来事がグルグルと渦巻いていた。海岸でのハアトとの遭遇、病院での襲撃と脱出、三人で過ごしたテスト明けの休み期間……。
奇妙には思っていたのだ、この短い間、特にハアトが来てからというもの変なことが多すぎる。特に引っかかっているのは病院を襲撃してきたあの特殊部隊だ。幾らなんでも、あんな危険な連中が絡んできての今回の騒ぎである。まつりにはこれらが無関係だとはどうしても思えなかった。
それと、事態と直接関係は無さそうではあるものの、先日友達になった大学生のそらの安否も気になる。ここ数日、三人はそらともまた頻繁に連絡を取っていた。ちゃっかりスバルの部屋の位置も紹介したりしている。『協力者が欲しい』という下心から近づいたまつりの試みは成功といえた。
いや、成功“しすぎ”たのかも知れない。彼女はこちらが求める以上に、あまりに善良だったのだ。楚々としていながら茶目っ気もあって、でもどことなく純真“すぎて”危なっかしい。彼女から目を離してはいけないような、そんな気がした。
まつりは下駄箱で慌てて靴を履き替えると、弾かれたように校門めがけて走り出す。
どうやらスバルも同じ考えだったらしい。
「ゼー、ハー……部活抜けてきたのスバル……?」
「剣道着で走るのはよくやってるから……大丈夫だった?」
まつりの通う高校とスバルの通う高校、二つを直線で結んだちょうど中間の地点に小さなカフェがある。
示し合わせたように都合よく存在するそこは、進学先が二つに分かれることになった二人がよく落ち合う場所として機能していた。そして今日も、息を切らしたまつりと剣道着のまま学校を飛び出してきたスバルが店のドアの前で出くわす。お互いに『集まるならきっとここだ』と反射的に、そして確信をもって判断したのだ。
「ふー……まつりは大丈夫、スバルも大丈夫そうで良かった……止まったのはスマホだけ?」
「うん、ケータイ以外だと道場の明かりなんかは
「お、お二人とも……大丈夫ですか⁉︎」
急に中年男性の声が二人の間に割り込む。カフェから慌てて飛び出してきた男性はカフェコートに身を包んでいるパッとしない感じの見た目だった。
「マスター! 無事で良かった!」
まつりがこう呼んだ男性こそ、このカフェを営むマスターたる男性である。常連であるまつりとスバルは当然彼には世話になっていたし、そういう意味で二人はマスターのことを慕っていた。
「お客さまの携帯電話が一斉に鳴り始めまして、皆さまパニックになって大変でした……今は非常事態と思ってお帰りいただきましたが。お二人はどうされました?」
「スバル達はこれから帰らないといけないんです、家と家にいる友達が心配で!」
「スバっ、今その説明は……」
この時間に家にいる友達のことを大人に言うのはマズい、まつりはそう思った。昼間に学校へ行く学生が家に友人を残して行くなんて、大人からすれば奇異に映るのは間違いない。これがもし家庭の問題か何かだと思われて深掘りされれば、規模も何もわかっていない奴らにハアトの潜伏先がバレるきっかけになってしまうかも知れない。相手の実像がわからない以上、それこそどこから情報が漏れるか……。
「お友達が……なら早く行ってあげてください! またのご来店を!」
「ッ、失礼します!」
しかし、マスターは焦ったまつりの顔を見て何かを悟ったのか、必要以上に追求することはしなかった。ある意味で、相手がカフェのマスターであってあくまで客と店という関係であることで拾った幸運だったのかも知れない。『居心地のいい距離感』というモノに気を配る職業柄というヤツで。
「ゴメンまつりちゃん、余計なこと言っちゃった」
まつりの一言で気づいたらしいスバルは少し遅れてあやまる。それに対してまつりは、
「マスターがスルーしてくれて助かったよ、それより早くウチに……!」
駆け出しながら顔をあげてそれだけ言うと、また姿勢を丸めると足の動きをさらに加速させる。
チラリと見えたまつりの目に、鬼気迫る輝きが宿っているようにスバルには見えた。
「で、何でこうなってんだよ……」
スバルは呆然としながらつぶやく。スバルのアパートの一室は嵐の後のような光景だった。
慌てて駆けつけた家主とその幼馴染の二人が見たものは……フライパンを握りしめたハアトとすくみ上がる大空家の五羽、そして床に散らばっている黒焦げの何かと昏倒させられて大の字になっている白人の男である。この光景はまるで……。
「ギャグ漫画の毒殺現場じゃねーか‼︎ 人ん家で何やってんの⁉︎」
「いや、違ッ、違うの! 違うの‼︎ このおじさんが……」
続く話をかいつまむと、突然この男性がこの部屋に無理やり忍び込んでハアトを見つけると襲いかかってきたのだという。そのときたまたま料理に挑戦中だったハアトは手に持っていた(食材入りの)フライパンと五羽の鳥たちを駆使してなんとか討ち取れたしたとのことだった。五羽にスバルが尋ねるとすぐに確認が取れたので嘘ではないだろう。となると、緊急事態だったのだからこの部屋の光景もやむなしだろうか……。
コンロが使われた形跡はなかった。フライパンを自身の異能で熱していたのだろう。食材を直接熱することもできたのにそうせずしっかり調理器具を使ったのは、きっと何度も目の前でやってみせたように料理を作ろうとしたからか。ともあれ大空家の食材を使ったのは良くはないし、そもそも鳥類に人の食べるものを与えてはいけない。あとで言い聞かせておかなくては、とまつりは心に誓う。
「いや、もうこれ食べられる部分残ってな……」
「スバル、そこはツッコまないであげな」
スバルはハッとしてハアトの顔を見ると、ハアトは目に大粒の涙を溜めていた。
「あ、ご……ゴメン……」
「わかんないよ……友達ってどうやっ……うぅ」
ハアトはしゃがみ込む。てっきり大声で豪快に泣くのかとまつりは思ったが、ハアトはしずしずと涙を拭っていた。しかし泣き方がどうだとかに関係はない。ただただハアトは思ったように料理を作れなかったことが悲しかったのだ。せっかく五羽のために何かを作ろうと思ったのに。
午前中、五羽と仲良くなるためにハアトが必死に考え出した答えは“料理”だった。何故ならこの一週間、まつりやスバル、それと最初にあってから一度だけスバルの部屋に訪ねてきたそらというお姉さんも、私に何か料理を作ってくれた。それがハアトにとって何よりも嬉しかったのだ。ずっとこの部屋の中で隠れている現状で、料理を食べることはハアトにとって最高の娯楽だったからである。それに、手料理を食べることでその人の温もりも一緒に食べているような気がするところが熱を操るハアトにとってのお気に入りポイントだった。だから上手くできると、そう思ったのに。
はあとを見たまつりがすぐさま助け舟を出す。
「ほら、泣かないで? 料理っていうのはレシピっていう作り方の通りに作らないといけないの。はあちゃまが失敗したのはそういうところだったね」
「……うん」
ゆっくりと子供に言い聞かせるようにまつりは優しく言う。ズピ、と水鼻をすすりながらハアトは頷いた。
「でも……、でもね? はあちゃまはみんなと仲良くなれたと思うよ」
「へっ……?」
しかしまつりはそこで話題をひるがえす。
「だ、だって、このおじさんをやっつけたときにみんな手伝ってくれたんでしょ? 友達じゃない人のこと助けようとなんて誰も思わないよ」
どもりながら、まつりはもっともらしく言う。実はこのとき、まつりは喋る内容についてほぼノープラン。ただハアトに泣き止んで欲しくて頭を回転させていた。その心中は、なんとか場を丸め込もうとする悪知恵のようにも、慈愛に満ちた親心のようにも似ていた。
「……そ、う……? ホントにそう、かな……」
「そうだよ!」
しめた、ハアトの機嫌が少し治ってきたように見える。ここで彼女を励まし続けるか、視界の端に横たわり続ける問題をどうにかするか非常に悩ましい。子育てってこんな感じなんだろうか、まつりは一人そんなことを思った。
「とりあえず、先にこっちのおじさんをどうにかしよう、ね?」
そんなふうに切り出してまつりは後者を選択した。さすがにこの状況でゆっくり励まし続けるわけにはいかない。
「フライパン、ってことは叩いたってことでいいの? コイツの頭とか」
バツが悪かったのか黙りこくっていたスバルがやっと口を挟んだ。倒れている男は白人ということもあってなかなか背が高い。ハアトの身長では少し分が悪いようにも思うが……。
「うん、叩いたよ。みんながおじさんに襲いかかって注意を引いてくれて、はあちゃま料理中だったからフライパン熱いままで、ぴょんって跳んで……」
「うわぁ……」
スバルは一撃の威力を想像してため息をもらした。ハアトの[[rb:膂力 > りょりょく]]で考えれば、単に跳ぶのですら凄まじい高さになりそうだ。振り下ろされた熱々のフライパンの威力なんて言わずもがな、むしろ出血もせず昏倒しただけで済んでいるこの男がすごいのかも知れない。
「うん、むしろフローリングに焦げ跡ついてないことを褒めようよ」
「まつりちゃんはお母さんモードちょっとオフにして」
スバルの呆れた声で、まつりはようやく自分がいつもとちがう言動になっているのを自覚して恥ずかしくなった。顔がいつもよりも格段に熱い、むしろこの部屋が猛烈に暑く感じる。
「それで食ざ……ひぃ⁉︎」
赤面するまつりを放置して、床に散らばった料理の残骸をティッシュに包んで拾い上げようとしたスバルは突然悲鳴をあげた。黒焦げの小さなカタマリを凝視している。まつりがスバルの視線の先を追ってみると黒いカタマリの中に小さくて細い何かが見えた。虫の、恐らく蜘蛛の足だった。
「そ、そうだね、鳥にあげるものだもんね……」
「え、何が……?」
ハアトは突然しどろもどろになったまつりに困惑している。本人としても『全く予期していない』というリアクションだ。まつりは自分で口に出した結論に対して『いや、違う』と胸中にて直感で否定する。正直嫌な予感がした、何かが決定的に食い違っている気がする。
「……鳥にあげるものだから、食材にこういうもの使ってるんだよね?」
「はあちゃまも一緒に食べるつもりだったけど」
「こ、れを……? ……おいしくない、でしょ?」
「なら、“おいしい”、って何……?」
そうか、しまった。まつりはある事実に気づく。
この子にとっての味覚はこの子自身が訴えない限り誰にも分からない。つまり、生まれてから一度も味わったことがないなら、そもそも味という刺激自体がこの子には未知の領域なのかも知れない。だって自分たちの感覚がこの子にとって当然の感覚なのかもわからないのだ。盲点だった。
「はあちゃま、この二つ舐めてみて! 違いわかる⁉︎」
「スバルちゃん? なぁにこの粉……?」
「いいから! ……どう?」
「違うのは手触り、くらいかなぁ」
正体は砂糖と食塩である。
これでハッキリした、少なくとも彼女は味覚障害を起こしている。それだけでなく食べ物そのものに対する認識そのものに
病院で検査漬けだった数日間のおかげでハアトは健康上何の問題もないと診断されていたハズだ。しかしそれで異能のことが発覚して、その結果そちらの方ばかりがクローズアップされてこのことが発覚しなかったのは皮肉と言えた。単純に日数が足りなくて検査できなかったということも考えられるが、それも異能のことが邪魔になって検査に手が回らなかったとも考えられる。
なんにせよ、彼女はあらゆる面で大きなハンデを抱えている。まつりにはそう見えた。
「……っ、ぐ……」
唐突に小さく野太い声が上がる。声の主はそこで伸びていた白人の男だった。ついに目を覚ましたのだ。
「っきゃ……」
「ま、待て! もう私に害意はない! 暴れるつもりなどないし、お前たちの指示にも従えるだけ従う‼︎ だからここで騒ぎを起こさないでくれ!」
男は大声で必死に弁明する。が、襲いかかってきた以上聞き入れられるハズもない。
「はあちゃま、お願い!」
まつりは咄嗟にハアトへと指示を飛ばす。そうでなくともこの場で男を取り押さえられるのは恐らくハアトただ一人だろう。返事もなく飛び上がったハアトの握るフライパンが宙に閃いて、
「ふんっっっっっ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
「ぐぁっ」
男の頭頂に再びステンレスコーティングの雷撃が降り注ぐ。
しかし、予想した結果と目の前の光景は異なるものだった。男はフライパンを突き出した両手で受け止めていたのである。ただ、超人ハアトの腕力には男の力を持ってしても勝てなかったようで、男の頭頂をフライパンが強烈に打つ大音量の快音が辺りに響いた。もはやアパートの一階であっても、平時であれば騒音問題でスバルは大家からこってり搾られていただろう。
「妨害なしで……来るタイミング、さえっ、分かっていれば、ぐぐ……受け止め……。ふんっっっ!」
男の気迫のこもった声とともに、フライパンは左方向へ受け流される。ハアトはフライパンごと下方向へと投げ飛ばされて「ぎゃんっ」とあまり聞かない叫び声を上げた。まずい、このままでは……。
「だから話を聞いてくれ! こちらに害意はもうないしそちらの意向にも従う! こちらの負けだ‼︎」
「ならなんで襲ってきたの……」
「私はお前たちに逃げられたあの潜入部隊で隊長を務めていた者だ、と言えば大体は察するだろう」
「な⁉︎」
言われて初めてまつりは気がついた。そうだ、コイツの声は数日前のあの病院の検査室で聞いたあの部隊長の声だ。抑揚のない喋り方もそのままアイツだったのに全く気が付かなかった。だったらここを知られている現状は相当な万事休すではないか。部隊長はこちらの動揺も気にせず続ける。
「目標
「その言葉を信用できる根拠は?」
まつりは冷淡に切り出す。自分が相手を負かしたわけでもないのに偉そうなどに、などと思いつつもこの部分は確認しておかないと危ない。これで“信用してくれ”としか言わなかったらどうしよう、ハアトにまた気絶させて貰おうにも目の前で吹き飛ばされてしまった。自分にできることって……なんだろう?
「なら情報はどうだ、私がいた企業に関する情報について。……といっても私自身が受け持った範囲までしか知らないが、逆に言えばその範囲内ならなんでも答えられる。もちろんアカイハアトを狙う目的もその理由も答えられるぞ。更に言えば奴らからの隠れ方だってな」
「待って、その情報が嘘じゃないって証明できなくない?」
「ふん、慎重だな……だが今こうやって私が素顔を晒していることが証明、とでも言っておこうか。というかいいのか? 私を追い払ったら、古巣にここのことを伝えるだけだ。この状況で選り好みできるのはお前たちじゃないということは理解しておいた方がいい」
勝ち誇ったように部隊長は言う。さっき大声で騒ぐのを必死に制していたあの男と同じだとは思えない。
「悪いな、さっきはこの演出をやりたくて一芝居打たせてもらった。……まぁフライパンで昏倒させられるとは思わんかったが、おかげで劇的に成功したよ」
部隊長は初めてニヤリと笑った。