ホロ=モダンエイジス - 真夏日、陽炎は揺らめき - 作:テラ・ぺた・エクサ
心臓を鷲掴みにされたような感覚だった。それと同時に、そしてそれ以上に、まつりの胸中には目の前で何食わぬ顔をして自分達とツルもうとするこの男に対しての嫌悪感が湧いてくる。たった一度顔を合わせただけの(というか顔はいま初めて見たが)大の男が女子高生の集まりに顔を出そうだなんてどういう神経をしているんだろうか。
「一応忠告しておくが、ただの友達付き合い感覚でアカイハアトに手を貸そうと思わないことだ。そいつを追っている組織は2、3人の小娘なんぞ平気で社会から消せる連中だぞ? 誰が相手でも戦争も辞さないような……いや、語義的には“抗争”と言った方が良いか? 全く、日本語は
自然さがないというか妙に芝居がかった口調で部隊長は言う。彼の言い分はわからないでもないが、まつりは目の前の外国人が自分のような並の日本人よりも充分日本語を使いこなせているだろう事実に眉をひそめた。ああ言ってはいるが本人にも使いこなしている自覚があるのだろうか、だとすれば鼻につく台詞回しだ。
「まぁ、何にしてもお前たち程度では逃げ切ることもできん。アカイハアトの居場所を数日で突き止めて私たちを送り込んだことからもわかる通りにな。凄まじい情報網だろう? ……そこで私が知恵を貸そうというわけだ。奴らの内部にいた私なら、奴らからの逃げ方も当然わかる。そもそも今は濁している『奴ら』の正体がわかるだけでもかなりの収穫だとは思わないか? たかが表社会の……おおかた女学生か、それだけでそんな情報を手に入れるツテがあるとは思えんが」
もはや勝ち誇ったかのように部隊長は続ける。しかし悔しいことに相手の言葉は全部が全部事実だった。そもそも、たかが未成年の学生に人間一人を匿い続けるなんてこと出来るわけがない。親の協力すら取り付けられないのに一体何が出来るというのだ。この状況で、自分には何も……。
いや、待って。
「そのツテ、間に合ってるけど?」
「うぇっ⁉︎」
まつりはウンザリしたような素振りでそう言ってのける。スバルは思わぬタイミングで上がったまつりの声にたじろいだ。
「フン、出まかせはよせ」
「あー……そりゃそっか、いきなり言われても信用できないよね」
部隊長が嘘と断定してもどこ吹く風といった風情だ。煽るような半笑いでフーッと溜め息を吐き出すまつりはひどく面倒そうに言い切った。
「でも今のでハッキリしたよ、アンタここの住所以外にまつりたちの情報持ってないでしょ」
種明かしをしておくと、当然ながらまつりが言っている内容は本当にタダの出まかせである。だが今は『自分の手持ちの情報だけでもコイツと充分に渡り合えるかもしれない』という、期待にも似た生存本能がまつりの舌を動かしていた。
焦っちゃいけない、今の演技が成功しているなら、ゆっくり情報をなぞっていくように再確認していくだけでも威圧にはなるハズだ。さぁ、ここまでの言葉に間違いは無いか?
「…………」
相手は沈黙、つまり多分正解。
「アンタさっき『おおかた女学生か』とか言ったじゃん? その言い方、要するにまつりのこと事前に何も調べてないってことだよね。ダメだよ、そういう目標にナメてかかってお喋りなんてしてたら」
「く……」
ここでまた煽り。正論を盾にして、『特殊部隊の隊長相手に調子に乗っている女子高生』を“演じる”。
相手はこんな交渉の真似事を入れ込んでくるような人間だ。つまり、確実に自分達のことを見くびっている上に荒っぽい手段に出るつもりはないだろう。そこに一番の不確定要素であり先程自分を気絶させたハアトもいるならなおさらだ。だったらそこを利用して、こちらから神経を逆撫でしてやる。
「じゃあ少しだけ教えたげる。うちのお父さん警察官でさ、だからその繋がりでそういう情報のツテくらい自分で用意できんの。だって大学病院にまで情報いってるんだよ?」
「裏切ッ……?」
ビンゴ。
ここまで墓穴を掘ってくれるとは思わなかったが、こんな反応が出てくると言うことは上手く騙せている以上に様々なことが見えてくる。例えば医療機関にはやはりスパイがいるため気をつけないといけないこと、どうやら予想していたとおり警察内部にも相手方の勢力がいること、それと、交渉に関してこの隊長は相当なボンクラだということ。
「ハハッ、本音漏れたね。お父さんもこの子……はあちゃまのこと気に掛けててさ、てか『奴ら』が集団でこんな女の子追いかけ回してるのが気に入らないって協力してくれてんの。あ、ヤバ、これ言いすぎた? とにかく、そういうのは間に合ってるから」
ヤバいも何も、これも丸っきり嘘だ。こうすることで相手が逆上してくれればもうけもの、くらいの狙いで何となく小さな嘘を挟んでみる。こういうときは平静さを先に失った方が負けだ。それとも、こんな安い挑発には乗ってこないだろうか。
「嘘はやめておけ、警察官が自らの家族をこんな騒ぎに巻き込むワケが……」
「巻き込むも何も、はあちゃま見つけたのまつりとスバルだもん。むしろお父さんに助けてもらってる。申し訳ないけどね」
ごめん、お父さん。まつりは生き残るためにあなたを好き勝手に会話のダシに使いました……。なお、本当はどれくらいの役職に就いているのかも全く知らない。
それにしても、自分にしてはうまく言い逃れられた(気がする)が、やっぱりハアトが近くにいるときは普段よりも頭が冴えるような気がする。熱を操るなんて能力だけでも充分超人なのにコレもハアトの力だとしたら、彼女の“能力”の正体は何なのだろう。未だに底が知れない。
ふとここで、背後からガサっという物音を聞こえた気がする。……しめた。
「……さて、そうこうしてるうちに」
「今度は何だ⁉︎」
部隊長は相当イラついてる様子だった。そりゃ、年下どころか親と子くらい年の離れたガキに散々煽られたんだからそれも当然か。よしよし、いい感じに反応が楽しみだ。
「まつりたちの勝ち。すーっ……きゃあああああ‼︎ 助けて誰かぁ‼︎‼︎‼︎」
『っ⁉︎ 大丈夫ですか、まつりさんスバルさん‼︎』
物音が聞こえてきた背後にあるのは玄関の扉だ。つまり今の物音の出所はアパートの外、玄関の前に人がいるということに他ならない。つまり救援になりうる。
声の主は先ほど別れたカフェのマスターだった。彼がどういう経緯でスバルの家まで来ようと思ったのかは分からないが、今はありがたいことに変わりはない。とはいえ、一般男性として考えると少し心許なかった。なにせ相手は非公式らしいがそれでも軍人である。腕っぷしでそこらの男がかなう相手ではない、が。
「はあちゃま! まだソイツ足止めしといて‼︎」
今はそんなこと関係ない。まつりはなりふり構わず真後ろの玄関に飛び付くと急いでドアノブを回した。と、ほぼ同時に扉は弾け飛ぶように外側へと勢いよく開く。視界が開けたまつりの目には、見慣れているハズのマスターのどことなく猛々しい立ち姿とその背後に浮かぶ不動明王の渦巻くような炎が映った、ような気がした。まぁ、本物の不動明王像なんて見たことはないけど。
「失礼しますッ」
マスターはまつりとスバルの脇をスルリと抜けて土足のまま家の中に踏み込むと、ハアトに飛びつかれて取っ組み合っている部隊長に向かって突進する。ハアトは猛然とこちらに向かってくる中年男性の姿に慌てて飛び退き部隊長から距離を取ると、先ほど床に落ちたままだったフライパンの柄を引っ掴んで強く握りなおした。そしてハアトが離れるのを見たマスターは待ってましたとばかりに、体の勢いはそのままに身を伏せて綺麗なスライディングフォームで部隊長の足元に滑り込む。
部隊長はというと、このとき冷静さを完全に欠いていた。それもそのハズ、自分の左遷のきっかけになった小娘にこれでもかと生意気な態度を取られ、自分の大きなミスを指摘までされた挙句、突然現れた見も知らない男に突然襲い掛かられたのである。暴漢の対処やら拷問の耐久なら慣れっこな歴戦の部隊長も、こんなシチュエーションから平静さを取り戻す訓練なんて受けていようハズもない。要するにマスターのスライディングは綺麗に部隊長の足に直撃して、一撃を喰らった彼はこれまた綺麗にすっ転んだ。
マスターは勢いよく右手を床について体を捻ると、スライディングの体勢から体の向きを反転させる。うつ伏せで床を踏みしめる姿勢は陸上競技のクラウチングスタートのようで。そうやって体を低くして、スライディングとは一八〇度逆の方向へと駆け出したマスターの正拳が部隊長の顔面に直撃して、受け身の姿勢も整っていなかった部隊長の体は宙に舞う。
「す、スモック!」
「ギキッ」
ここで声をあげたのがスバルだった。大柄の男が床に叩きつけられた一瞬後、スバルはおののきつつも仲間の一羽に指示を飛ばす。そしてスモックはその声を受けて、弾丸のように部隊長の顔に向かって突っ込んだ。
スモック……つまりモズという種の鳥は、“モズの
「っぁああぉっ‼︎‼︎」
もはや日本語とも母国語ともつかない悲鳴をあげて、部隊長は身を起こしながら必死に顔の周りで手をバタつかせていた。なお、これが彼の悲劇の始まりである。
脇でタイミングをはかっていたハアトはまごついていた。いまフライパンを振り下ろせば友人の大切な仲間まで潰してしまうかも知れない。なら攻撃するのにちょうど良い場所は……ええと、顔と関係のなさそうな場所といえばどこだろう。頭から離れていて、弱点でもあって、さらに狙いやすいところといえば。答えは思いのほか素早く見つかった。だがここを狙うのならフライパンを使うよりも……。
「ッがあっ⁉︎ ぉぉぉ……」
まつりが叫びに反応して部隊長を見ると、ハアトの
部隊長は再び、そしてあっさりと昏倒した。
私が意識の淵から這い上がってきて発見したのは、ヒモ状のもので羽交い締めされて身動きの取れない自分の姿だった。
「……ぐっ、数日は残りそうだ……」
しかし身動きが取れないことよりも気になることはある。私は先ほど(といっても気絶してどれほど時間が経過したかは知らないのだが)アカイハアトの肘が叩き込まれた“下腹部”の鈍い痛みに苦々しく呟いた。
「あ、部隊長起きた。ねぇ、マスター!」
「はい、ただ今」
私が顔を上げると、さっき突っかかってきたサイドテールの小娘と襲いかかってきたカフェコートの男がつかつかと歩み寄ってくるところだった。数秒前に吐き出しきれなかった苦々しさが口内でさらに深くなったような、そんな錯覚に私は襲われる。
「さて、始めましょうか」
マスターと呼ばれた、いかにも喫茶店のマスターの格好をした男はにこやかに言った。
「……何をだ?」
「決まってるでしょう、尋問です」
「一応言っておくが、私兵とはいえ私は訓練を受けた軍人だ。そこいらの喫茶店経営者が聞き出せるようなことは何も……」
「私も今はワケあってカフェなんてやってますが、これでも色々と人生経験は豊富な方なんですよ。生化学研究者、大道芸人、ゲームのクリエイターなんかも……それと奇遇ですが、私も元軍人」
……ほう?
それと同時に、遠巻きにこちらを見ていた短髪の小娘もさっきフライパンを振り回していたアカイハアトも、そして例のサイドテールの小娘までもがマスターの顔を意外そうなリアクションで見た。どうやらこの男は彼女らとそれほど
「なるほど、所属は?」
「それは別に良いんです。少しくらいなら話が通じますよ、程度の意味ですから。さ、コーヒーはいかがです? いいアルツラが入ったんですよ」
「……マスター?」
サイドテールの小娘は眉をひそめながら尋ねる。私もこの男の言動が解せない。
「あなたが気絶している間に豆を持ってきました。コーヒーでも飲んで一息入れてください。……あと、暴れたら次は警察に突き出しますので」
なるほど、この男はあくまで暴力には頼らないつもりか。ぬるい、と言わざるを得ないな。そんな茶会のような尋問で口を割るわけがない。おおかたコーヒーに自白剤が混ぜられてるとかそういう……
「その必要はないわ」
ガチャリ。
鍵が開けっぱなしだった玄関が急に開け放たれて、つかつかと見事な金髪の若い白人女が入ってきた。真っ白な肌に青い瞳、黒いシャツの上からはベージュのパンツスーツに身を包んでいる。そして背後には、まつりたちが数日前の病院で見た潜入部隊そっくりの一団が手に拳銃をたずさえて立っていた。今が緊急時とはいえ、日本で家屋に押し入るときに土足なのはやめてもらいたいが、すでに後の祭りだ。
一方の部隊長は明らかに焦っている。
「なっ、ワトソン貴様……!」
「Hmm, you even speak Japanese now, is it because your subordinates are all Japanese?(あら、あなたは喋る言語まで日本語になってしまったのね。部下が日本人ばかりだった弊害かしら?)」
「み、みんな落ち着いて! 暴れないでよぉ」
ふと見やると、また知らない人間が増えたことで軽いパニックを起こしている大空家の面々をスバルが必死に制止しようとしているところだった。金髪の女はかすかに微笑んで、得心がいったように一人うなずく。
「なるほど、日本人の女の子のためなのね。アナタ粗野そうだけど意外に紳士じゃない」
「……わざわざ訳す二度手間を省けるというだけだ」
「じゃ、私もそうするわね。
「…………」
次々と見知らぬ部外者に土足で家へと踏み入れられているスバルには悪いが、正直まつりは『助かった』と叫びそうになった。マスターにも何か考えがあるようだったが、今の光景を見る限りではのんびりしすぎと言わざるを得ない。その点、目の前の金髪の女を先頭にした一団は実力行使で部隊長をどうにかするつもりらしい。相手が手練れの成人男性ともなれば、女子高生としてはそちらの方が圧倒的に安心できる。
「そういうワケで、この男は我々が安全に連行します。安心してね。あ、安全っていうのは『アナタたちに危険はない』っていう意味だからね?」
金髪の女は微笑みながら言う。なるほど、被害者を相手にするときなどには確かに女の人に語りかけられた方が安心できるような気がした。その割には軽口の感じからは、この女からもハリウッド映画みたいな雰囲気がにじんでいた気もするが。
しかし、女はその微笑んだ表情のまま懐から折りたたみ式の警棒を取り出すと、先端を部隊長に押し付ける。バチィッという音とともに一瞬閃光が辺りに走り、部隊長は苦しげな表情を浮かべて倒れた。優しそうな微笑みとは似ても似つかないような、躊躇も容赦も一切ない素早い手付きだった。
「さてと、鳥ちゃん達もパニック起こしてるしそろそろお暇しようかしら」
「待って‼︎」
見ているだけだったまつりが焦りを隠さずに叫ぶ。今のまつりにそんな余裕や猶予はないのだ。
「まつっ……私たちは『何でこうなったのか』とかを聞いてません、散々怖い思いしたのに説明も無いんですか……?」
「あら、賠償金とか必要だったクチかしら? 案外しっかりしてるのね」
もはや張り付いた仮面のように変わらない笑みで女は確認してくる。
「この部屋はそこの鳥の女の子の部屋だから、私よりも彼女に聞くべきでしょ。スバル、どうする?」
「い、いやそういうのは……特に無いけど……だって大体はこのおじさんのせいだし……」
「無いの⁉︎ せめて床掃除くらいは……」
「すみません、私がやっておきますから……」
マスターが申し訳なさそうに言った。
「そう? なら、賠償金の支払いは後々でね。この男の身柄確保が優先だったから、まだそういう手続きの準備が整ってないの。でも、アナタたちのこと気に入ったわ。何かあったらここに連絡よこしてね? えーと、日本語の名刺は……」
まつりはこの女が何故こんなにもフランクな態度なのか疑問だった。もっと謝罪があるのが然るべきだと思うのだが、それとも海外ではこれが普通なんだろうか?
一方の女はというと、ゴソゴソと懐を探したのちにやや曲がった名刺を手渡してくる。
「それじゃ、また今度ね」
それだけ言い残すと、彼女は後ろの部隊に部隊長を運ばせて去っていった。来たときと同じく、動きが迅速で無駄がない。ただ、まつりの頭にはあの態度もだが、去り際のあの言葉が妙にこびりついていた。
“また今度”? まだこちらと会うつもりだろうか。そりゃ賠償金だとか何だとかがあるのなら会うことも未だあるだろうが、そういう手続きであのフランクさは何か違う気がする。そんなことを考えながらまつりは視線を渡された名刺に落とす。
名刺には会社の連絡先といった情報と『