シュヴェスタがデニスの住む小屋に帰ってきたのは日が暮れてすぐのことだった。
「ただいまー」
「おかえりシエスタ。なんだその恰好は」
「いやぁ、シュートを食ったと思わしき魔物と出くわしちゃって、逃げられそうになかったから。はい薬草とローブ」
血塗れの彼女を前にこのようなやり取りはデニスとて慣れている。
シュヴェスタから籠とローブを受け取ったデニスは続ける。
「あぁ、ご苦労さん。怪我……はなさそうだな。湯を沸かしてある。まずは血を落としておけ、シユウトが見れば泡を吹いて倒れるぞ」
「その心配はなさそうよ」
シュヴェスタが視線を向ける先には先ほど起きてきたのか、若干青ざめた顔の秀斗が立っていた。
「幼いのに肝の据わっている子だ。ちょうどいいシエスタ。一緒に汗を落としてあげなさい。私は今のうちに夕飯の支度を済ませてしまうから。着替えはお前さんのを貸してあげなさい」
「わかったわ」
秀斗は会話の意図がつかめず、きょとんとしている。
シュヴェスタは秀斗の手をとって水浴び場へ案内する。
この国に入浴の概念は一般には浸透していない。
彼らが住む地域では最低限のお湯を沸かして布などでふき取るような方法が一般的だ。
したがって混浴・別浴の概念は存在しないし、ましてや”幼い子供”を一人で水浴びさせる決まりもないので彼らの常識ではこれが普通だった。
秀斗を除いて、の話だが。
***
「何をそんなに嫌がることがあるの、おとなしく服を脱ぎなさいよ!」
さも当然かのように全裸になり、次いで秀斗の服を剥こうとするシュヴェスタに、秀斗は抵抗する。
「こればっかりは何言ってるかわかんないから黙って従ってもらうしかないのよ!」
力では互角、しかし体格の差と年上の女を前にした羞恥心で秀斗は根負けし、されるがままに温かい布で全身くまなく洗われた。
彼の名誉のため、目をつぶりつつ、視線は真下に向けたままであったことは明言しておこう。
***
返り血(シュヴェスタ自身の血液も含むが)をしっかり落とし、ヴァイオレンスな見た目から綺麗さを取り戻し上機嫌なシュヴェスタは、赤面したままの秀斗を連れてデニスのもとに戻ってきた。
「うん?シユウトの顔が赤いようだが体調でも悪いのかね?」
「まさか病気でもかかったのかしら?ちょっと失礼するわね」
シュヴェスタが自分の体温と秀斗の体温を触り比べるも特に病気の特徴は見当たらない。
彼の顔はより赤みを増した。
「大丈夫みたい」
「ならばよし。夕食はもうできているよ。シエスタは配膳を手伝っておくれ。坊主は先に座ってなさい」
デニスが指さして言うと、事情を察したのか秀斗は席に着いた。
デニスは満足げに配膳をはじめ、シュヴェスタもそれに続く。
三人とも席に着き、食事を始める前にシュヴェスタとデニスは両手を握るように組み、秀斗はそれに倣った。
「神の、恵みを」
「神の恵みを」
『いただきます』
夕食は秀斗が目覚めたときのものに似たスープと、パンに付け合わせの蒸かした芋だった。
食事の間に会話はほとんどなかった。
あったとすれば、シュヴェスタの血がローブにかかっていたのを、黙っていたのに対しデニスが詰問していたことくらいか。
説教までは、発展しなかった。
あくまで静粛で平和な食事の時間だった。
***
食事が終わってデニスが食器を片付けている間、僕はシュヴェスタと2人並んで黙って座っていた。
何の時間だろうと思ったが、程なくしてデニスも戻ってきてテーブルに座った。
僕の正面に。
尋問みたいだと思って、僕は緊張せざるを得なかった。
彼の手には僕が森で捨てたノートを筆記用具類があった。
彼が拾ってきてくれたのだろうか、いや、シュヴェスタだろう。
さっきまで森に行ってきたみたいだし。
『縺薙l縺ッ蜷帙?繧ゅ?縺?縺ュ?』
多分お前のものかって言ってるのだとわかった。
なので首肯で返事をして、それらを受け取った。
『縺薙?繝弱?繝医↓譖ク縺?※縺ゅk險?闡峨?遘√◆縺。縺ォ縺ッ隱ュ繧√↑縺。 蜷帙?縺薙?蝗ス縺ョ莠コ髢薙〒縺ッ縺ェ縺、 縺昴≧縺?縺ュ?』
彼の言っていることはわからない。
なので絵で話すことにした。
ノートの白いページを使って。
車に轢かれて死んだこと。
気づいたら森の中にいたこと。
化け物に食われて死んだこと。
ここで目覚めたこと。
これらを絵にして説明しようとした。
誤解が生じないようになるべく特徴をわかりやすく、シンプルに。
『縺サ縺??∵枚蟄励′譖ク縺代k縺ョ縺九?ゅb縺励°縺励◆繧芽イエ譌上°蝠?ココ縺ョ蟄舌d繧ゅ@繧後s縺ェ』
『邨オ縺ョ謇崎?縺後≠繧九o縺ュ縲√b縺励°縺励◆繧臥判螳カ縺ョ蟄舌°繧ゅ@繧後↑縺?o繧』
書いてる間も二人はノートを覗き込みながらあれこれと話していたが僕はわからないので黙って書き続けた。
小さいころにお絵描きやスケッチをしていたことがここで生きるとは思わなかった。
書き終えた後に二人は絵を見て考え込むようなしぐさを見せた。
『縺薙l縺ッ鬥ャ霆翫°?螟ァ縺阪↑逕コ縺ョ繧医≧縺?縺碁ヲャ縺梧嶌縺?※縺ェ縺?↑』
『縺薙l縺」縺ヲ讌オ螟懊?譽ョ縺」縺ヲ縺薙→縺倥c縺ェ縺?°縺励i?縺昴l縺倥c縺薙l縺後せ繝医Ξ繧、繝エ繧」繝ォ繝医?。繧?▲縺ア繧翫≠繧後↓鬟溘o繧後◆縺ョ縺ュ』
『縺ィ縺?≧縺薙→縺ッ縺薙?莠御ココ縺檎ァ√◆縺。縺、繧医¥迚ケ蠕エ繧偵→繧峨∴縺ヲ縺翫k繧』
二人があれこれと考えていると突然シュヴェスタが立ち上がった。びっくりした。
『繧上°縺」縺溘o! シュート縺ッ縺ゥ縺薙°縺ョ蝗ス縺ョ雋エ譌上?蟄蝉セ帙〒、 莠コ縺輔i縺?↓驕ュ縺」縺ヲ縺昴?縺セ縺セ譽ョ縺ォ謐ィ縺ヲ繧峨l縺溘?繧! 縺昴≧縺励※繧ケ繝医Ξ繧、繝エ繧」繝ォ繝医↓鬟溘o繧後※遘√↓蜉ゥ縺代i繧後◆! 縺昴≧縺ァ縺励g!!』
『縺ェ繧九⊇縺ゥ、 縺昴l縺ェ繧芽セサ隍?′蜷医≧。 縺雁燕縺ォ縺励※縺ッ蜀エ縺医※縺?k縺倥c縺ェ縺?°』
なにか二人で納得したような様子だったので大筋は伝わったのだろうか。
変な勘違いをしていないといいけど。
すると突然シュヴェスタが抱き寄せてきた。
『螟ァ荳亥、ォ繧! 遘√?縺ゅ↑縺溘r逶ョ謐ィ縺ヲ縺溘j縺励↑縺?o! 縺ゅ↑縺溘′迢ャ繧顔ォ九■縺ァ縺阪k縺セ縺ァ遘√′閧イ縺ヲ縺ヲ縺ゅ£繧!』
シュヴェスタがなにか言いながらぼろぼろと泣き始めた。
どこに感動要素があったのだろう。
もしかしたら2度死んだことに同情してくれているのかもしれない。
『閧イ縺ヲ繧九→縺?≧縺後♀蜑阪&繧薙?∝ュ占ご縺ヲ縺ョ邨碁ィ薙↑繧薙※縺ェ縺?□繧阪≧縺ォ縲√←縺?d繧九▽繧ゅj縺?縺?シ』
『縺昴l縺ッ……縺昴≧、 縺セ縺壹?險?闡峨r謨吶∴縺ヲ縺ゅ£繧九?繧! 縺セ縺壹?縺薙▲縺。縺ョ蝗ス縺ョ逕滓エサ縺ォ諷」繧後※繧ゅi縺??縺悟ソ?ヲ√□繧』
『髟キ蜻ス縺ェ縺雁燕縺輔s繧峨@縺???∴縺?縺ェ縲ゅ◎繧後∪縺ァ遘√′逕溘″縺ヲ縺?l縺ー縺ョ隧ア縺?縺』
そういうとデニスがペンらしきものを取り出し、ノートの端に文字を書いた。
多分この世界の言語だろう。
そばに書いてあるのは紙とペン、そして3人の絵だ。
不格好だが、しっかり特徴をとらえてある。
『縺薙l縺九i縺雁燕縺輔s縺ォ縺ッ譁?ュ励r謨吶∴繧。 螟ァ縺阪¥縺ェ繧九∪縺ァ縺ッ縺薙%縺ァ逕滓エサ縺吶k縺ィ縺?>。 繧上@縺檎函縺阪※縺?k髯舌j縺ッ髱「蛟偵r隕九h縺』
デニスはそう言って僕の頭を指さした。
文字を教えてくれるのかもしれない。
迷っても仕方ない。
首肯で承諾の意を示した。
するとデニスは僕の頭を撫で始めた。
それを見てシュヴェスタも競うように頭を撫で始めた。
頬ずりまで始めた。
くすぐったい。
歓迎はされているのだと信じたい。
なんだかほっこりとした空気は不躾なドアをたたく音で破られた。
誰か来たようだ。
『遘√′蜃コ繧』
そう言ってデニスは玄関へ向かった。
***
「誰だいこんな夜遅くに」
ドアの向こうに立っていたのは村の憲兵だった。
国から配属されている領官
ーー領主とはまた異なり、租税徴収などの国家運営に必要な仕事のみを請け負う役人だーー
直属の兵士だ。
「夜分遅くに申し訳ない、デニス指導教官殿。先ほど魔物についての通報を受けたので周辺の住民に注意喚起と聞き込みを行っている」
「何事かね?」
「きょうの夕刻、極夜の森にて魔物と思われるものの死骸が発見された。といっても血溜まりだけなのだが、大型の魔物、ないし魔獣の存在が予想される」
「それは大事だ。現状で被害者はいるのかね?」
「今のところは確認されていない。ただ全身血塗れの女が村の周辺を歩いていたとの目撃情報がある。お宅のシュヴェスタ殿はご無事か」
「シエスタなら今水浴びの最中だ。心配することはない」
「ならば結構。お騒がせして申し訳ない」
デニスはポーカーフェイスで応対しつつも内心穏やかではなかった。
(シエスタめ、狩りをしたときはちゃんとローブを着て帰るようにといっただろう!)
魔物を殺した張本人がシュヴェスタであることは、村にとっては危険な魔物が徘徊していることと大差ない。
だからデニスは出かける際は姿を隠すよう厳命していた。
彼女の異能は市民の恐怖の源に他ならないからだ。
だからデニスは彼女を放っておかず彼の家に置いていた。
彼女が長年の冒険仲間であるという事実以上に、彼女の身の危険性を案じていたからだ。
「要件は以上かね?」
「最後に一つ。同森にてこのようなものを発見した」
そうして見せられたものにデニスでも平静を保つことは難しかった。
憲兵が見せたのは、おそらく秀斗の履いていたとされる靴らしきものだった。
「それは……靴かね?よくできているがここらでは見ない代物だ」
「……そうだ。領官殿はこれが異国の代物であると考えておられる。何しろこの国には存在しない素材と形状である、これについて知っていることがあれば教えてもらおう」
「ふむ、わからんな。昔は世界中を旅していたから珍しいものであることは私にもわかる。しかし何十年前もの話だ。今のところは心当たりがないとしか言えぬな」
「承知した。なにか些細なことでも思い出した時にはギルドを通じてご報告願う。夜分遅くに失礼した」
「うむ。ご苦労さん」
憲兵は敬礼して去っていった。
デニスの中にはいくつかの懸念が生じたが、2人に話すのは自体がややこしくなるだろうと思い、心の中にとどめておくことに決めた。
リビングではまだシュヴェスタが秀斗を抱いて頭を撫でている。
秀斗は眠たそうに眼をこすっていた。
「憲兵さんはなんだって?」
こんな時間に訪ねてくるのは憲兵くらいしかいないというのは二人の共通認識であった。
「極夜の森で通報がありお前さんを魔物か何かだとおもって注意喚起に来たようだ。そしてその犠牲者にもお前さんが挙げられていた。私が言いたいことはわかるかい?」
「……」
シュヴェスタは黙りこくった。
心当たりしかないのだろう。
そこからしばらくの間デニスによる説教が続いた。
デニスの気が済んだ頃には秀斗は完全に寝ていた。
デニスの家にはベッドは二つしかない。(今日秀斗が寝ていたのはデニスのものだ)
秀斗の寝床はいづれ調達するとして、当分はシュヴェスタと同衾することになった。
当然、シュヴェスタ当人の希望で、である。
秀斗を抱えながら自室に向かおうとするシュヴェスタにデニスは声をかけた。
「シエスタ、お前さん坊主に言葉を教えると言っていたが」
「そうよ!わ・た・し・が、手取り足取り教えてあげるんだから!」
お前の手は借りないぞと言わんばかりに、自信満々にそう答えるシュヴェスタにデニスは一言で返した。
「お前さん、文字は書けないだろう?」
彼女の笑顔はその瞬間凍り付いた。
沈黙のうちに、口語はシュヴェスタが、読み書きはデニスの担当となった瞬間である。
***
夜が最も深くなり、村もほとんど沈黙した時間に、村で一番大きな、石づくりの建物では、いまだに蝋燭の灯が輝いていた。
部屋にいるのはデニスたちが住まう村の領官と憲兵である。
2人は小さなテーブルを囲うように立っていた。
目線の先には、今日回収された布でできたカバンらしきものと靴らしきものがあった。
領官は憲兵に問うた。
「その話は確かなのか?」
「はい。これを見せたとき、即座にデニス殿は靴だと断言しました。こちらからはなにも申し上げておらずとも、です」
「英雄と称される高名な冒険者であった彼がいうことだ。どこかに心当たりがあったのだろう」
「その可能性は捨てきれません。しかしこれは異質な代物です。村の職人さえその材質も製法も見当がつかないと匙を投げました」
「ただの異国の代物ではないと、お前はいいたいのだな」
「はい。彼の動向には注意を払う必要があると進言します。彼は何かを知っている」
「少なくとも村では英雄と呼ばれる御方だ。下手な疑いはあらぬ結果を生むことになる」
「承知しております」
デニスに対する疑念は、あくまで可能性としか言えないが、デニスのみが、このイレギュラーのキーであるということは、彼らの共通観念となった。
***
気がついたらベットで寝ていた。
まだ外は暗いように見える。
雨戸の隙間からは月明かりが見えるけど、なんだか寂しい気落ちが沸いてきてしまう。
知らない世界に飛ばされて、知らない魔物に襲われた。
多分、というか間違いなく2回は死んでいる。
朦朧とした意識の中で、魔物に食われる感覚だけはありありと思い出せる。
さっきまでのやり取りの中では思い出さずにいたけれど、こうして一人になると、怖かった記憶が頭の中を駆け巡ってくる。
このまま、僕はどこかで死ぬのかもしれない。
家に、帰れないのかもしれない。
言葉も満足に通じない。
ここの言葉を理解できるようになるのかもわからない。
これが孤独なんだと、はっきり感じられるのが怖い。
気がつけば、涙が出ていた。
泣くなんていつぶりだろう。
嗚咽を抑えられない。
これでは誰か起こしてしまう。
突然、後ろから誰かに抱かれていた。
シュヴェスタだった。
トイレにでも行ってたのだろうか。
戻ってきたことに、全く気がつかなかった。
『大丈夫、私がついているわ。寂しいことだってあるわよ。こういう時は涙を全部出してしまうのがいいわ』
全く言葉はわからないけど、泣いていいんだって言われた気がした。
後ろから抱かれていたけど、シュヴェスタのほうを向いて、彼女の胸の中で泣きじゃくった。
彼女はやさしく背中を撫でてくれた。
その触り方に、どこか、母の面影を感じた気がした。
文字化け表現は卒業します。
次回からは天才少年に翻訳をがんばってもらいます。