新古典派経済学っぽい話から、マルクス経済学っぽい話へ 作:ヒルベルト
ここでそろそろマルクス経済学”っぽい”話を始めよう。
間宮さんが、小麦からグラコロバーガーを作り、
そのグラコロバーガーから利益を、利潤を得る流れを追うとしよう。
先ず間宮さんは、グラコロバーガーを作るために、
原材料である小麦を仕入れなければならない。
それから間宮さんは、グラコロバーガーを作るために、
原材料である小麦に対して仕事をしなければならない。
そして間宮さんは、グラコロバーガーを私に提供して利益を、利潤を得る。
すると、グラコロバーガーの価格は…
・小麦という仕事(の産物)
・グラコロバーガーを作る仕事
・利潤(利益)
…この三つから成っている。
このうち、グラコロバーガーを作る仕事と利潤は、
小麦という仕事の価格・価値に、
「付け加えられた」価格・価値になっている。
マルクスは、人間の仕事が、仕事だけが、
原材料に価格・価値を加えることが出来ると説いた。
また、マルクスはこうも説いていた。
利益・利潤は、人間が「必要以上に」仕事をすることによって生じる、と。
資本家は労働者に「必要以上に」仕事をさせて、生じた利益・利潤を搾取している、と。
マルクスの説によれば、
人間が仕事をすれば仕事をするほど、価格・価値が生じることになる。
しかし…
私が人間の姿と心を得て、自身で仕事をするようになってみると、
マルクスの観察と説明は、あまり妥当ではないように感じた。
(他所のソヴィエト艦娘にこんな話をしたら、私は吊し上げられるかもしれないが。)
確かに、価格・価値というものは、
人間が仕事をすることによって生じる。
それは私も認める。
しかし、価格・価値というものは、
人間が仕事をするから生じる、のではなく。
人間が仕事をしなければ生じない、のではないか。
仕事をしても、価格・価値は発生するかどうかはわからない。
発生する価格・価値の大きさも、どうなるかはわからない。
人間が仕事をしなければ価格・価値は生じない。
しかし、価格・価値が生じるかどうか、
価格・価値がどれだけの大きさになるかは、
結局市場に決められるのではないか。
資本家は労働者に「必要以上に」仕事をさせて、生じた利益・利潤を搾取している。
ここでマルクスが言う「搾取」とは、
(間宮さんが資本家に雇われる労働者だとして)
資本家が間宮さんを、長時間、例えば一日16時間働かせて、
グラコロバーガーを大量に作らせ、その利益・利潤を収奪することだった。
しかし、私が実際に職に就き、働いてみると、「搾取」とは、
資本家が間宮さん一人に、過剰な、例えば470万トンの小麦を処理させて、
グラコロバーガーを大量に作らせ、利益・利潤を収奪することではないか。
…そう思えるようになった。
つまり搾取というのは、
労働者を「長時間酷使して」利潤を収奪することではなく、
労働者に「過剰な原材料(不変資本)を処理させて」利潤を収奪することではないか。
資本家は労働者を搾取し、利潤を収奪する。
ところで、この利潤とは如何なるものであるのか?
利潤とか利益と言うと、それは大体金額で示される。
しかし金額…カネは、それ自体はただの借用証であり、ただの数値である。
カネそのものに、何か意味や価値があるわけではない。
カネは、利潤は具体的な仕事(の産物)に変換されなければならない。
カネは、利潤はグラコロバーガーや小麦と交換出来なければならないのだ。
利潤はグラコロバーガーや小麦と交換出来なければならない。
しかし、生産出来るグラコロバーガーや小麦の量には限度がある。
間宮さんだって二十四時間は戦えない(働けない)。
労働者がどれだけ努力しようと、生産技術がどれだけ進歩しようと、
仕事(の産物)の量には、限界があるのだ。
…利潤の大きさには、限界があるのだ。
グラコロバーガーの価格は…
・小麦という仕事(の産物)
・グラコロバーガーを作る仕事
・利潤(利益)
…この三つから成っていた。
このうち、小麦と、グラコロバーガーを作る仕事…間宮さんの仕事は、
グラコロバーガーを作るための費用となっている。
R=M/(C+V)
M≡利潤
C≡不変資本(原材料など、ここでは小麦)
V≡可変資本(ここでは間宮さんの仕事)
このRは、費用に対する利潤の大きさを表している。
このRを、利潤率と呼ぼう。
資本家は、ひたすらに利潤を求める。
だから資本家にとって、利潤率Rは大きい方が都合が良い。
しかし利潤率Rの大きさは、小さくなり易い。
資本家は利潤を得るために、過剰までの原材料(不変資本)を用いようとする。
(そうすることで、労働者を酷使する。)
まずこのことが、利潤率Rの分母を大きくしてしまう。
それに人間が、労働者が仕事をしなければ利潤は生じないが、
労働者が仕事をしても、本当に(十分な)利潤が生じるかどうかはわからない。
また、生じる利潤の大きさにも限度・限界がある。
資本家は不変資本Cを無闇に大きくして利潤率Rの分母を大きくしてしまうが、
分子にある利潤Mの値は不安定な上に、限度・限界がある。
利潤率Rは、小さくならざるを得ない値なのである。
利潤Mの値が不安定で、限度・限界があること。
資本家がより多くの利潤を得るために不変資本Cの値を大きくすること。
このことはまた、恐慌・不況の原因になり得る。
資本家が、小麦(不変資本)2を用い、
間宮さんに1の仕事(可変資本)をさせて、利潤1を得たとする。
この時利潤率Rは…
1/(2+1)=0.333
資本家がこの利潤率R=0.333を当てにして、
さらなる利潤を求めて、小麦4を用いたとする。
(そして間宮さんに過重労働を強いたとする。)
利潤率Rが0.333なら
0.333=1.665/(4+1)
利潤Mは1.665になるはずである。
…しかし、利潤の値は不安定な上に、限度・限界がある。
資本家が小麦4を用いたとしても、利潤が1のままだったとしたら
1/(4+1)=0.2
C:固定資本(原材料・小麦) V:可変資本(間宮さんの仕事) M:利潤
…と、すると
(C+V)+M=Q :生産量
↓
(2+1)+1=4 :元々の生産量 利潤率R=0.333
(4+1)+1.665=6.665 :期待された生産量 利潤率R=0.333
↓
(4+1)+1=6 :現実の生産量 利潤率R=0.2
現実の生産量6の下で、利潤率を0.333にしようとすれば…
…分母であるCとVを小さくするしかない。
(3.6+0.9)+1.5=6 :以降の生産量 利潤率R=0.333
使われる小麦の量も、間宮さんの仕事も小さくなってしまう。
間宮さんの仕事が小さくなると言うことは…
…間宮さんへの賃金が減ると言うことであり
…間宮さんが解雇されてしまうかもしれないと言うことでもある。
(まあ、実際の間宮さんが解雇されることはないのだが。)
また、小麦の使用量が小さくなったと言うことは、
小麦を作る農場における生産量も減少したと言うことである。
労働者の扱いが悪くなり、小麦もグラコロバーガーも思ったようには生産されない。
これはまさに不況・恐慌である。
利潤Mの値が不安定で、限度・限界があること。
資本家がより多くの利潤を得るために不変資本Cの値を大きくすること。
このことはまた、恐慌・不況の原因になり得る。
恐慌・不況を防止・回避するために、出来ることはあるだろうか?
利潤Mの値が不安定で、限度・限界があること。
このことに対して、人間が意図的に出来ることは殆ど無い。
だとすれば不変資本Cの値を抑えることぐらいしか、出来ることはない。
グラコロバーガーが市場で、社会で十分に行き渡って、余裕も十分にある。
この状態が実現した時には、人間は仕事を休まなければならない。
仕事を休んでも良い、ではなく、仕事を休まなければならないのだ。
…あとついでに、ソヴィエト艦娘の端くれとして言わせて貰えば、
生じた利潤は、資本家(株主・出資者)だけのものではない。
「利潤は全て資本家のもの」などという主張は、あまりにも倫理を欠いた、子供じみた主張だ。
生じた利潤は、利潤に関わった全ての人間に届けなければならない。
(取り分に差が出るのは仕方がないかもしれないが。)
ところで…
「資本主義の精神」は人間に対して、
勤勉であれ、常に努力せよ、と説いている。
しかし、この教えは人間に、
より多くの不変資本(原材料など)を用いよと迫っている。
一人で470万トンの小麦を処理しろと、
弱音を吐くな、根性を見せてみろと、
労働者に、人間に強いている。
…そしてその結果、市場・社会は不況・恐慌に向かってしまう。
それと…
「自由の守護者たち」は、
効率的であることを絶対の正義としている。
非効率であること、仕事を休むことを、絶対の悪と見做している。
効率的であると言うが、それも結局…
…より多くの不変資本(原材料など)を用いることに他ならない。
効率的であることを絶対の正義とし、これを追求することは…
…結果、市場・社会を不況・恐慌に追い込んでしまう。
「資本主義の精神」と「自由の守護者たち」は、
どこまでも市場・社会…「資本主義というシステム」を脅かす、最大最悪の災害なのだ。