第一話 戦艦になりたいっ!
レ級に首を捕まれ、
「戦艦が、こんなもので、沈むかっ!」
脚が翻る。金属音とともにレ級の顎が蹴上げられ、清霜は海面に落ちる。水飛沫と赤い血が跳ねた――
■盾と矛と、小さな夢■
午後の工廠は、蒸気と機械音、工員たちの話し声が混じる独特の喧噪に包まれていた。
その騒がしささえも突き破るように、ひときわ元気な声が響く。
「
声の主は、夕雲型駆逐艦十九番艦、清霜。
銀髪に紫の大きな瞳、戦艦に憧れる元気な駆逐艦だ。
工具を並べる手を止めずに、朝日は微笑む。
こちらは栗色の髪に明治風の洋装、かつての戦艦としての面影を残す落ち着いた眼差し。
「ふふ、また戦艦のお話ですか? 清霜さん」
「うんっ! わたし、戦艦になるのが夢だからっ!」
清霜の目は46センチ砲の砲炎もかくやとばかりに燃え上がるが、小柄な体と艤装はむろん駆逐艦のもの。小さな背中に、手がすっと伸びる。
「また朝日さんに絡んでたのか、ちびっこ」
「わわっ、むさ――ひゃうっ!!」
黒い手袋をはめた手が、清霜の首筋をつまんで、猫の仔でも扱うように軽々と持ち上げる。
巨艦の威風を漂わせる長身の艦娘――戦艦・
「このくらい軽い砲塔なら、持ち運びも楽だな」
「砲塔重量2500トンっ! 駆逐艦より重い! でもでも、清霜は砲塔じゃないよ!」
戦艦のことなら、たちどころに答えられる清霜。
武蔵は愉快そうに笑い、清霜を足元に下ろす。
清霜は武蔵を見上げ、無邪気な声を上げた。
「戦艦って、やっぱりでっかくて、強くて、かっこよくて、最強! なんですよねっ!?」
輝く瞳が、まっすぐに武蔵を見つめている。
かつて絶大な耐久力を示しながらも、最終的には航空攻撃によって海底へと送られた戦艦はしばし黙し、ふっと息をついた。
やや答えかねたように、異なる時代の戦艦であった朝日に目を向ける。
「……どうかな。朝日先輩、いかが思われますか?」
朝日は、整備台の傍らで手を止め、清霜に向き直る。
「そうですね。まず、清霜さん。あなたにとって――戦艦とは、どんな存在ですか?」
清霜はすぐに答えた。
「でっかくて、強いのっ!」
「……なるほど。武蔵さんはいかがです?」
武蔵は迷いながらも、自らの考えをまとめるようにゆっくりと言う。
「私は――“艦隊の盾”だと思っています」
「盾、ですか?」
「ええ。朝日先輩が戦艦として戦った時代とは違い、私たちの時代には航空母艦の攻撃力と攻撃範囲は戦艦を上回っていました。強い、と、単純に誇れるかどうか。
しかし、艦隊に迫る相手の航空攻撃や、水上攻撃を撃退し、時には引き受ける盾としての役割はまだあった――そう思いたい」
「……」
「駆逐艦は盾であるとともに、酸素魚雷という矛も持っていたと思うがな。清霜、お前のことだぞ」
そう言って武蔵は清霜を見たが、清霜の戦艦への憧れは止まらない。
武蔵の周りを跳ねまわり、砲塔に触れたりじっと見つめたり。
「でもでも、強いからこそ盾になれるんでしょ? 清霜、武蔵さんみたいな戦艦になりたいっ!」
「ふふ……清霜さんも、武蔵さんも、どちらも正しいと思います」
朝日は優しく微笑んで、手にしていたレンチを脇に置いた。
少し意外そうに、武蔵が彼女の顔を見る。どちらか、であればともかく、清霜の視点と自分の定義は異なるようにも思えたから。
だが、朝日は確信ある口調で続ける。
「戦艦は、もっとも強く、艦隊の盾となる存在。しかし、その強さにも、守りかたにも、様々なかたちがあります」
「だからやっぱり戦艦~!」
清霜が両手をばたばたと振り回しながら叫ぶ。
朝日は清潔な布で手を拭い、彼女に問いかける。
「では――“海防戦艦”という艦種は、ご存じですか?」
「うんっ! 知ってる! ちっちゃくても強いやつ! 狭い海とか、フィヨルドとか、ああいう場所ではすっごい強いのっ!」
即答に、朝日は思わず声を漏らして笑った。
「ふふっ、さすがですね。よくご存じで」
朝日は目を細め、手をひとつ、ふたつ、握る。遠い昔の30センチ砲の感触を、取り戻そうとするかのように。
「戦艦だったころの私が、もし外海で彼女らに出会ったとしたら……生まれた時代の差があるにもかかわらず、よい勝負か、少し私のほうが有利でさえあったかもしれません。
でも、私は狭いフィヨルドに入っていくのは困難でしょうね」
「まして私なら、確実に腹をこすって動けなくなるな」
武蔵が笑いながらそう言い、腰に手を当てる。
彼女には、朝日の理路が少しずつ見えてきていた。
「まあ、外海から長距離砲撃を仕掛けることはできるかもしれないが……海が凍っていれば近づくこともできない。海防戦艦の中には、
「ですから――」
武蔵の補足も受けて、朝日は清霜を先達らしい穏やかさで見つめた。
「海防戦艦は、狭い海ではある意味でもっとも強く……そして、沿岸砲台や要塞と違って自ら航行し、あちこちの港や町の“盾”となることができる。立派な戦艦だと、私は思います」
「むー……本物の戦艦になりたい、ってわけじゃないの? 清霜がなりたいのって、なんなんだろ……」
頭を抱えてごろごろと転がり回りそうな――さすがにそうはしないが――雰囲気で、考え込む清霜。
考える材料を投げかけるように、朝日が言葉を紡ぐ。
「それから、“ポケット戦艦”という艦種もありますね」
「戦艦より速くて、巡洋艦より強い! ――あっ!」
清霜がはっとして、両手で自分の口を覆った。
清霜が答えを自力で掴んだのを確信しているのだろう、朝日はことさらにもったいぶることはせず、簡潔に先を続ける。
「はい。今度は、“無限に広がる大海原では最強”の存在です。戦艦では追いつけず、追いつける巡洋艦では返り討ちに遭う可能性が高い」
武蔵も、静かにうなずく。
「実際には、巡洋艦3隻に敗れた場合もあるが。それでも、相手にも大きな被害を与えたし、捕捉される前には輸送船を多数沈めている。戦略的には、やはり戦艦の名を冠するだけの、無視できない存在だった」
「ラプラタ沖海戦!」
清霜は例によって戦艦に関することには間髪入れずに反応し、それから、怒ったように眉をしかめた。
「でもさ、あのちょびひげのおっさん、最後まで戦わなかったって、失望したとか言ってたんでしょ? 失礼だよね!」
その言葉に、朝日と武蔵が一瞬だけ視線を交わした。
相対的な時代の近さゆえかその最後ゆえか、武蔵が口を開く。
「彼女には……盾として守るべき艦隊も、連携する部隊もなく、単独で、通商破壊という矛の役割をしていた。まだ盾となれるのに艦隊から離脱したわけではない。自沈も判断のうちだろう」
「ドイツでは、“装甲艦”と呼ばれ……のちには“重巡洋艦”という扱いになったようですね。
ですから、用兵側としては戦艦と思っていなかったのかもしれませんけれど――相手国からすれば、突然あんな火力のある艦が現れて輸送船を襲えば“ポケット戦艦”と呼びたくなるのも当然でしょうね」
やや余談めかしく、朝日が言う。もちろん、清霜もそうした名前については承知のうえだが。
「ふむぅ……」
清霜は、腕を組んで考え込んだ。
「戦艦って、いちばん強くて……艦隊の盾……かぁ……」
「それは、あくまで私の考えですよ。けれど、清霜さんの言うことと、武蔵さんの言うことは、必ずしも矛盾するものではないと思うのです」
朝日は静かに言う。
武蔵も、納得したようにうなずいていた。
「……でもでも! やっぱり、清霜は駆逐艦じゃイヤだよっ! 戦艦になりたいっ!」
真剣な目で叫ぶ清霜に、武蔵が小さくため息をついた。
「駆逐艦が戦艦になれるわけがないだろう。駆逐艦には駆逐艦の強さとなすべきことがある、朝日先輩の言うのはそういうことではないか?」
「う……うぅ……」
そのとき――
「あ、そういえば」
朝日がなんでもないことのように言う。
「え?」
「ブリテン島からの輸送船団を護衛して、私のもっとも尊敬する“戦艦”のひとりが、やってくるそうです」
輸送船団の航路や護衛の規模、各艦の動静は重要な機密のはずだが――そこは海軍の最古参ゆえか。
明日友人とお茶をします、と言うのと同レベルの気軽さで、朝日は清霜に告げた。
「インドネシア近海でオーストラリアからの船団と合流、英豪の輸送船団として集結したうえで、日本の艦娘に護衛を引き継ぐことになります。
清霜さん、あなたも――彼女に、会ってみてはどうですか?」
ただでさえつぶらな清霜の目が、大きく、大きく見開かれる。
「……うん!」
彼女の胸に、戦艦への憧れが改めて燃え上がる。
まるで、水平線の向こうから現れる巨大な艦影を、心の目で見たかのように。